村人たちの選択 前編 王女の懲悪行脚
エルがもぞもぞ動き出したタイミングで目を開ける。眠れなくなりそうとか思っていたが、2人の寝息を聞いている間に俺も眠くなってあっさり眠ることができたようだ。
(まだ暗いな……)
東の空は明るくなり始めていたが、地上は朝靄で薄ぼんやりとしている。周りの景色と同じくぼんやりしていた頭を、森特有の湿気の強い朝の空気を吸い込むことではっきりとさせる。
「くー……むにゅっ……くひゅー……」
エルが覚醒するにはまだ時間がかかりそうだ。
ルイーザは……。
「…………」
うん、起きてるな。
目をぎゅっと閉じて俺の胸に縋りついているけど、耳が真っ赤だ。照れたり混乱したりすると身を丸めて隠れようとする癖は相変わらずらしい。
(まあいいや、まだちょっと寒いし……)
「ひゃわっ!?」
もうひと眠りしようと腰に回した手を引き寄せたらルイーザに悲鳴をあげられてしまった。
「……おはよう」
「おはひょう……ございましゅ……」
さすがに耳元で悲鳴を上げられたら起きないわけにもいかないし、ルイーザも寝たふりを続けるわけにもいかず挨拶を交わす。
「んんぅ……? ハルくん……ルイーザちゃん……おはよー……」
続けてエルも起き出して、今朝はそのまま起きることにした。
昨日狩ったウサギの残りと、エルとルイーザが探してきた食べられる木の実で軽い朝食を摂り旅を再開する。
「今日も歩きますのね……」
まだ2日目が始まったばかりだが、早くもうんざりした様子でルイーザが呟いた。真祖だから体力的にきついという事はないだろう。
だが、精神的には……。
昨日から新しいことの連続だし、昨夜も寝る直前まで緊張していた。最終的には眠っていたが、お城に居る時ほど休息を摂れたとは思えない。
首都の外は馬車移動が基本の王族だ。こののんびり行軍も気疲れの原因になっているのかもしれない。歩き出してからずっと森の中。景色は変わり映えしないし、荒野で育ってきたルイーザからしたら木々で囲まれた森の中の光景には息苦しさを感じているだろう。
「疲れたか?」
「大丈夫です。エルちゃんだって頑張っているのですから、わたくしが頑張らないわけには……」
「んー?」
自分の名前を呼ばれたエルが振り返る。
「あ、あはは。何でもないですよ?」
その顔を見て気が付いたのだろう。エルは別に頑張っていない。マイペースに歩いているだけだ。
もっと言えば好奇心いっぱい。ちゃんと手綱を握ってやらなければどこまでも進んでしまう。
「お~……」
突然座り込んで何をしているのかと思えば、朝露に濡れた石の上をゆっくり動くカタツムリをツンツンやっている。
最初は殻の中に逃げ込んでいたカタツムリも捕食される危険がないと判断したのか、殻を触られても気にせずにのんびり動き出した。するとエルは触角を触り始める。
「何してるんですの……何ですの、コレ?」
エルの隣に座り込んだルイーザが同じようにカタツムリに指を伸ばす。2人の指で触角を触られて迷惑そうに方向転換するカタツムリ。
「見たことないのか? カタツムリ」
「はぁ……」
さすがに悪いと思ったのか指は引っ込めて、エルの指で翻弄されるカタツムリを興味深そうに見下ろすルイーザ。その興味津々の横顔は年齢以上に幼く見える。少なくとも姉であるヴィットーリアのように虫が苦手という感じではない。
「ルイズはこういうの平気なんだな」
「はい? 別に……面白いとは思いますが……」
ここは姉の名誉のために黙っていよう。妹に見栄を張りたい気持ちはすごくよくわかるから。
――その後も。
「あ、チョウチョ~」
「ほんとですの……」
「あ、トンボ~」
「面白い動きしますのね……」
「お~、アリさんだぁ……」
「え? どれです? どこですの?」
「あ、クモ~」
「髪に巣がくっつきましたぁ……」
とかなんとか。
目の前を横切る虫を見つけるたびに、座り込んだり追いかけたりするエルの後を追ってルイーザまでうろちょろ、うろちょろ。お陰で全く進まない。
別に急ぐ旅ではないからいいんだけど、このままじゃ森を抜けるのに何日かかるやら。とりあえず逆走しないようにだけは注意しておこう。
「あ、水の匂い~」
エルがぽつりと呟いた。
「おい、勝手に走り出すなって」
「すんすん、ほんとですの」
「だから、ルイズまで……」
止める暇もあればこそ。
突如くんくん、と匂いを嗅いだエルが道を90度逸れて木々の間へ突撃し、同じように鼻を鳴らしたルイーザが追従していく。だいぶ体臭を気にしているから、水がある→水浴びできる、と直感的に思ったのだろう。割と臆病な彼女にしては珍しく、エルを追い越す勢いで駆けていく。
小柄な真祖2人の動きに俺が追いつけるわけもなく、2人の背中を見失わないように慌てて追いかけた。距離的にはそんなに離れたわけではないのだが、ここは森の中。草は生えているわ、起伏はあるわで視界がよろしくない。
おまけに俺のほうが体格がいいから、2人がしゃがんで、あるいは飛び上がって通り抜けた木々の隙間も、同じように超えられるかというと難しい。慌てて迂回しながら2人の後を追いかけなきゃいけないからますます追いつけない。
「ったく……」
逆に2人も居るからか、草をかきわけたり枝を折ったりする音が途切れることなく続いているので、見失っても方向だけは間違える心配がないのがせめてもの救いだ。しばらく追いかけているとその音は聞こえなくなったが、かわりに2人分の歓声が聞こえてきたのでその声を頼りに森を進んでいく。
「…………」
一応、自分たち以外の物音がしないか警戒しつつ、進んでいくと、木々の間に煌めくものが。
「おお……ほんとにあったな」
木々の間から体を出すと、今いる場所から一段下がった場所に川が流れていた。ゆるやかなカーブの内側……手前側には砂利が見え隠れしている。
森の中の川だからか、手前側は折れた木や枯れた葉っぱの積もった腐葉土になっている。ちょっと足を踏み入れれば泥が舞い上がって逆に汚れてしまいそうだ。
しかし川の水は澄んでいて、少し深いところまでいけばその泥はなくなり、大きくて白い石がごろごろしているのがここからでもよく見える。
「あ、ハルくん、遅い~」
「遅いじゃねえ。勝手に走り出すな」
一応俺が到着するのを待っていたのか、川には入らずに居た2人が駆け寄ってくる。
「あはは~」
「すいません」
どちらかというと反省してほしいエルは小突こうとした俺の手を楽しそうに避けて、言わなくてもわかってはいるんだろうなというルイーザのほうが謝ってくる。
「ルイズはいい子だな~」
「あ、はは……」
せっかく頭を撫でて褒めたのに、ルイーザは不満顔で居心地が悪そうにし。
「エルも、エルも……」
そして褒めるところのないエルが、自分も撫でてと擦り寄ってくる。
「ったく。ま、いいや。俺は向こうで見張ってるからさっさと2人で水浴びしてきな」
慌てて追いかけては来たが命の心配をする必要はそもそもない。真祖である2人に危害を加えられる存在など、同じ真祖かまだ見ぬ魔族くらいだろう。魔族とはつい最近マグナ・サレンティーナで交戦したが、その個体数は極めて少ない。それに魔力を発散しているらしいから近づいてくれば俺より先に2人が気付く。
「え? ハルくんも一緒に水浴びしようよ」
「そんなわけにいくか」
エル1人なら、主に迷子の方向で心配だが今はルイーザが居る。エルを任せられるし、ルイーザが居るからこそ俺が一緒に入るわけにはいかない。ルイーザはもう14才。いくらなんでも恥ずかしいはずだ。体臭を気にするくらいだからな。裸を見られて平気であるはずがない。
本音を言えば、もう10才のエルにもいい加減羞恥心を覚えてほしいんだが。
(ルイズと一緒に行動をしていれば自然とそのあたりが成長してくれるだろう。頼むな、ルイズ)
そういう意味を込めてルイーザのへ視線を向けたら、不思議そうな顔を向けられてしまった。
「ハルくんは水浴びしないんですの?」
「は? いや、後でするけど」
「だったら、別に一緒でもいいのでは?」
「え? 何言ってんのお前」
「今までもエルちゃんと一緒に水浴びしていたんですのよね?」
「そう……だけど。いや待て。ルイズ、お前恥ずかしくないのか?」
「何がですの?」
とかいいながら既に服を脱ぎ始めているルイーザの顔はいたって冷静。柔らかい頬に赤みはない。
(コイツもかー……)
エルヴィーネさんやエルの開けっぴろげなところは家族みたいなものだからだと思ってた。
マグナ・サレンティーナの薄着は、暑い風土が原因だと思ってた。
ヴィットーリアの羞恥心のなさは男扱いされていないからだと思ってた。
だけど、ルイーザの場合は体臭を気にするくらいだから意識はしてくれているんだろう。だからてっきり恥ずかしがってくれると思っていたのに。
エルの情操教育のお手本に、と思っていた俺の目論見は大ハズレだ。
おまけに俺が固まっている間にエル共々素っ裸になってしまう。2人連れだって川へと向かうその背後には銀と赤のそれぞれの種族カラーの尻尾が揺れている。根元まで、つまりはお尻まで丸見えで。
「わからん……」
体臭は気にするのに、裸見られるのには抵抗ないのか。
脱いだ衣服をきちんと畳んでいるのは、教育がちゃんとされていると捉えるべきか、王族なのになんでそんな事までできるのかと羞恥心の件共々、ルイズの側近・マリアさんにお伺いを立てるべきか。
(なんか、俺だけ意識しているのが馬鹿らしくなってきたな……)
もうそういうもんだと受け入れるしかないんだろう。
(でも、おしっこ見られるのは恥ずかしいんだよな……)
全く女の子扱いしないのが正解というわけでもないのが問題だ。エルを基準に無神経に扱ったらたぶん泣く。せめて怒ってくれれば謝罪するきっかけにはなるのだが、ルイーザはまだ遠慮しているところがあるからきっと傷ついて笑いながら泣くだろう。
「ハールくーんっ! 早く早くぅ! お魚いっぱい居るよー!」
そういって掲げたエルの手にはびちびちと身悶えする小魚が3匹ほど握り込まれていた。
思いっきり手を上げるものだからあちこち丸見えだ。その隣……赤い尻尾が水面からにょっきり生えているところをみると、ルイーザは水の中だろう。ゆったりと揺れているから溺れているという事はないはず。
「あー、はいはい……」
俺は投げやりに答えて服を脱ぎ始めた。今日の昼飯は魚で決まりだなーとか思いながら。
ちなみに、2人ともまだまだ子供だったとだけ言っておこう。
擬体だけどな。
ルイーザの魔法で熱した木を火種に、焚火を囲み、その熱で体を乾かしてから俺だけ服を着こむ。ルイーザは羽織っているだけで、エルに至っては素っ裸のままだ。しょうがないので腰布だけは巻かせたが。
洋服より地肌のほうが防御力が高いのはわかっているが、襲撃を受けたらどうするつもりなのだろう。
今注意してもしょうがないので、釣った魚の内臓を取り出してから枝に刺して焚火のまわりに並べていく。
「ルイズが居ると助かるよ」
「えへへ。このくらいであれば、いつでも出しますわ」
そういってぴんっと立てた人差し指の先に火が灯る。誰かさんのように暴走することもなくそこに留まっている火はゆらりゆらりと風に揺れている。
「それも魔法か?」
火種はなく、ルイーザの指が燃えているわけでもない。
ただそこにある存在として火が宙に浮いている。
「魔法……という程のものではありませんわ。単なる魔力です。わたくしたちバーカンディの魔力は寄り集まると、『火』に転化し易いというだけですの」
つまりエルがあの回復魔法……という名の暴発魔法を発動しようと魔力を溜めた状態と、同じところで止めている、と。
「でも調整ぐらいはしてるんだろ」
「ええ、まあ。ただ魔法というほどの指向性……意味……役割? は持たせていませんから、ただここに集まっているだけの魔力塊です」
そう言いながらルイーザは手を広げた。
指先に灯った火は空気に溶けるように消え、次の瞬間、掌が光ったかと思うと、ぼわっと炎を生む。
「ぅおっ!」
突然現れた炎にのけぞる俺。ルイーザがやってしまった、という顔をしたので、気にするなと手を振って先を促す。
「すいません……魔力を集めればそれだけ大きな火……炎が生まれます。そして生まれる炎が大きければ大きいほど、ちゃんと制御して、命令してあげないと暴走して……最悪の場合、本人の魔力が尽きるまで燃え続けることもあるんだとか……」
「尽きるまで?」
「ええまあ、稀な例ですけどね。他の種族はわかりませんが、バーカンディの得意とする「火」は、発生すると根元から先端に向けて大きな魔力の流れが生まれますので、運悪くその流れに本人の魔力が引っ張られると……」
「暴走する、と」
「はい……」
「…………」
ルイーザの視線につられてエルの顔を覗き込む。
「んー?」
当のエルの視線は油がこぼれ出した魚にロックオン。
話の内容が理解できなかったのか、食欲に勝てなかったのか知らないが。
(エルのために講義してもらっているようなものなんだから、聞いてくれ頼むから)
「エルちゃんの場合は暴走というより、暴発だと思いますわ」
「何が違う?」
「魔力の制御はできていますの。一度集めた魔力と自分の体内に残っている魔力を切り離すところまでは。ただ……」
「切り離した魔力をどうにかする技術がない、と」
「はい」
その先はやはり本国に帰らないと難しそうだ。
「…………」
「じゅるぅ……」
わかったか、という俺の視線は、エルに受け止められることはなかった。
「はぁ……」
「あはは……」
エルの、いい匂いしてきたよ? もう食べていい? という視線に促されて、魚を見る。
切れ目からは油が零れ、火の通った白身が覗いていた。皮もパリパリになっていて見るからにうまそうだ。
きゅ~。
「あ……」
ついエルの顔を呆れ顔で見下ろしたが、きょとん、とした顔で見返される。
「むぅ……」
ついでに、あたしじゃないもん、と眉を寄せられてしまった。お腹が鳴ることが恥ずかしい、と思えるほどには成長してくれているみたいだ。
(……俺でもエルでもないってことは)
「「…………」」
エルと2人、正面を見る。
「ぁう……」
尻尾以上に真っ赤になったルイーザが泣きそうな顔をしていた。エルが恥を覚え始めたのはたぶん、ルイーザのお陰だ。彼女の恥ずかしがる姿を見て、ソレは恥ずかしいことなんだと学んでいっている。
今後もエルのよきお手本になってもらいたいとは思うんだが。
(肌を見せることも恥ずかしがってくれないかなぁ……)
ルイーザの真似をするということはつまり、ルイーザが恥ずかしがってくれないかぎり、エルも恥ずかしがってくれないわけで。
男の俺が自分の体見られて恥ずかしがるってのも気持ち悪いしな。
「ぅぅ……」
と、やばい。
ルイーザが羞恥で泣きそうだ。
俺は気にするな、という意味と、ありがとう、という2つの意味をこめて、ルイーザの頭をぽんぽん、と撫でた。
「食うか?」
ザクッ
「「「っ!!」」」
火に炙られていた川魚の1匹に矢が突き刺さる。
慌ててエルを抱えあげてルイーザの手を引いて森から距離をとった。
「ちっ!」
「下っ手くそめっ!!」
「うるせぇよっ!」
(ここからでも聞き取れるくらいの音量で喋るなよ。素人か……いや、女子供相手だから油断しているだけか?)
ガサゴソと何者かが森の中を移動する物音が正面から左右へと広がっていく。
(位置まで丸わかりだし……)
「ルイズ、魔力は感じたか?」
「いいえ」
視線は正面に向けたまま短く答えるルイーザ。羽織っていた服を左手で押さえ、足についている装飾具……彼女の武器へと変わる十字の金属に右手を添えている。
「エルは?」
「何がぁ?」
「…………」
一方のエルの視線は香ばしい匂いを漂わせる魚へと注がれたまま。
「魔力、感じたか?」
「うぅん、なぁんにも。……人間でしょ?」
気にすることないよ、お魚食べよう? と身を捩る。
「暴れるな。大人しくしてろ」
「ええぇぇ……」
エルが意味がわからない、と不満の声を上げたが無視しておく。一度手を離せば、矢の餌食になった魚にまで手を伸ばそうとするだろう。
毒が塗られていたらどうするつもりか。
最強の竜、真祖とはいっても生物であることにはかわりない。病気で死ぬこともあるんだ。対応できない毒が塗られている可能性は否定できない。
「人間、ですの?」
「らしいな……どうした?」
「い、いえ……」
ルイーザが戸惑ったような声を上げたので声はかけたが、視線は向けられない。
ガササッ。
「おい、てめぇぇらぁぁっ!!」
包囲を完了したらしい人間たちが、一斉に森から姿を現した。
剣を構えている者、弓を構えている者……総勢8人。ボロボロの衣装と無精髭。適当に切られたザンバラ髪に、欠けた歯。全身で、僕たち山賊です、と主張しているような連中だった。
その中心に居るでかい図体の人間が腕を組んだまま睥睨する。
「金目のモン、差出しなぁっ!!」
彼らの背中に視線を向けたが尻尾が生えている様子はない。
予想通りの人間だけ。
「お断りだ。さっさと帰れ」
俺はブリューナクにエルの手を押し付けて魔力を充填しつつ、適当にあしらうことにした。
「あ?」
この人数差だ。
普通に考えたら太刀打ちできるはずもないから、俺がそんな態度をとることが理解できなかったのだろう。声を上げたデカい人間は元より取り囲む連中にも、あれ? みたいな雰囲気が漂う。
「お頭、お頭。コイツらワシらの事、知らねぇんですぜ?」
「お、おう、そうか。そうだな、名乗ってねえもんなぁ。それじゃあしょうがねえ」
耳打ちされたお頭が瞳に力を入れなおして俺を見下ろす。
「俺たちは、泣く子も黙る盗賊団ラ・マノネーラッ! 女子供だろうと容赦しねぇっ! たとえ相手がクソしてようが、水浴びしてようが、素っ裸だろうが容赦しねえっ!」
(『容赦しねえ』って2回言ったよ……慣れないなら盗賊行為なんてしなければいいのに)
「いや、そういう問題じゃなくてだな」
口上の間も彼らの後方に意識をむけていたが、竜人が増援に出てくる様子はない。
「あん?」
「お前ら人間だけだろ? ほれコイツらの尻尾を見ろ。人間が俺たちに……ルイズ?」
後ろを向かせようとして手を伸ばした先にルイーザの体がなく、つい視線を向けてしまった。しかしやはりそこにはルイーザの姿はなく、彼女が羽織っていた衣服がパサリと石の上に落ちる。
ぼちゃんっ!
「お?」
川のほうから音が聞こえるに至って、ようやくルイーザが飛び込んだことに気が付いた。
(……しかしなぜ?)
「もうっ、耐えられませんっ!!」
「はぁ?」
胸を押さえ、頭だけ水面に浮かべたルイーザが声を上げた。しかし俺は何が言いたいのかわからず首を傾げる。
「おしっこぉ?」
「違いますわっ!!」
エルが無邪気に聞く。昨日からそのネタばっかりだな。仮にそうだとしても、この衆人環視の中でそれを聞くのは止めてやれ。
「じゃあ、どうした?」
盗賊たちを警戒しつつも川のほうへ体を向けた。ここまで隙だらけなのに部下が矢の一本も飛ばしてこないってことは、何か命令されない限り射ってこないだろうと判断して。
「そ、その人たちは人間なんですわよね?」
「ああ、そうだけど?」
少なくとも見える範囲では。
「だから恥ずかしいんですっ!!」
「はぁ?」
「竜人たちはわたくしの体が擬体だってわかってくれますのっ! でも、でもぉぉ……」
「ああ……」
魔力を感じる事ができる竜人はちょっと見れば、あるいはちょっと示せば偽物の体だってことに気付く。
だけど、人間は魔力を感じられないから理解してくれない。
その羞恥心……価値観の差が埋まらない。
そんなつもりはないのに、人間からはえっちな目で見られてしまう。
注意し続けている俺がいい証拠だ。
その視線に耐えられない、と。
「……あれ? 俺は?」
「ハルトくんはいいんですっ! むしろもっと積極的にっ……そうじゃありませんのっ!!」
「ぅおおおっ!?」
羞恥心に耐えられなくなったルイーザが大声を上げると同時に、ドラゴンフレア発動。水面を滑るように突っ込んできた炎を転がるように回避。俺の背後で悠長に構えていた盗賊たちの頭の上を抜け森へと着弾。森に火が点いた。
「おおおおっ!?」
「お頭、お頭ぁっ!!」
「ひぃぃっ。矢に火がっ!」
「いや、服にもついてるぞ?」
「これ、火矢として使えんじゃねぇ?」
「阿呆なことを抜かすなっ! 矢筒の火を消せ、全部燃え尽きるじゃねぇかぁっ!!」
突然の山火事に、盗賊大混乱。
「す、すいませんっ!!」
慌てて頭を下げるルイーザは本当にいい子だった。
ただなぁ。
「ルイズ、見えてる、見えてる」
周りが見えなくなるのが環に瑕。
裸を見られるのを恥ずかしがっていたのに、全裸で、仁王立ちで頭を下げていたルイーザが慌ててしゃがみ込む。
「ひゃぁっ、がぽごぽっ!」
どぉんんっ!! ざぁぁぁっ!!
川の中で発動したドラゴンフレアに川の水が泡立つ。大爆発を起こして巻き上げられた水が森に降り注いで、右往左往していた盗賊たちを水浸しにした。
後に残ったのは満身創痍、煤と泥と、涙で汚れた盗賊たち。そしてやはり泥だらけになってしまった昼飯の魚たち。
「あー……」
残念そうにしながらも手を伸ばそうとするエルの首根っこを掴む。
「またあとで捕まえればいいだろ?」
「えー? お腹空いたー」
「とにかくまずは服を着ろ」
盗賊たちがひっくり返っているのを確認したルイーザは、既に川から上がって服を着始めている。体についた水滴は体を震わせたのち、魔力で弾き飛ばしたのか服が湿る様子はない。
むずがるエルを地面に下ろして強引に服に体を押し込む。
「あはははっ! くすぐったいよぉ、ハルくんっ」
尻尾を押し込むときに変なところに触ったのかお尻を振って逃げようとしたので、脇の下に抱え込んで一気にズリ上げた。
「はいはい……ったく、頼む」
「あ、はい……」
俺はエルの手をルイーザに繋がせて、ぜぇぜぇ、と息を吐く「お頭」に歩み寄る。
「なあ、もう分かったろ。お前たちが何人居たってコイツらには敵わないよ」
「っぁぁ……」
全員で連携して攻撃でもされない限り、俺にすら届かない。
そもそも経験が足りていない。
見た目こそそれなりの年齢だが、なんていうかこう……頑張って強がっている、みたいな……。
(ま、いいか……)
「いくぞ、ルイズ、エル」
「えっと……放っておくんですの?」
「ん? んー……街道からは遠いし、たぶん大きな被害も出ないだろ。コイツらにだって家族は居るんだろうし……」
中央集権国家の場合、政治のお膝元の首都や大都市はともかく、こういう田舎……森林地帯というのは独自の文化・ルールが存在する。その全てに目を光らせられるだけの人的余裕が中央にない以上、下手な介入は内乱へのきっかけになる。
救援の声が上がっているのであれば統治者として駆けつけるのも必要だが、一冒険者としては撃退するだけに留めておきたい。
「でも……」
「言いたいことはわかるけどさ。俺たちだけで倒して回るわけにもいかないだろ?」
仮にそれができたところで、国の牢屋に彼ら全員を収容する能力はない。処刑されるか、釈放されるか……管理が杜撰になるのは目に見えている。
中央に犯罪者を公正に処断する能力がない、と思われるのはまずい。田舎の情報伝達能力は意外と早い。特に彼らのようなアウトローは。
知っててできないのと、知らないからできないのとでは話が違う。
後者であれば今後もできるだけ見つからないように小規模な行動に留まるだろうが、前者と思われて派手に暴れまわられたらあっという間に混乱が広がってしまう。
「今はこういう現実があるんだ、ってことを覚えておけばいい。戻ってからどうすればいいか、今から考えておくんだ」
「でも……こうしている間にも苦しんでいる人たちが……」
「それは正しいよ。だけど、俺たちだけじゃどうしようもない。クーデターのときだって親衛隊や他の兵隊たちのお陰でなんとかなったんだ。今度は規模が違う」
王城から見渡せる首都の中ですら、ルイーザ独りではどうしようもなかった。それが今度は国内全域。街道すらまともに通っていない辺境地域。
何か強力な情報伝達手段を生み出さない限り不可能といっていい。
(あの研究所の所長とかだったら可能かもしれないけど……)
魔力がなくても動かせる道具を作っていたあの人間だったら可能かもしれないが、現実化していない以上、今は不可能だ。
「そう……ですけど」
為政者候補として目の前の悪をどうにかしなければ、という気持ちはわかる。
けど中途半端な介入は……。
「お頭っ?」
「ん? なんだ? おまえらまだ……」
手下と思しき男の声に振り向けば大柄な男が立ち上がって近づいてきた。その男だけじゃなく、他の手下たちもその背後に居るのが見えた。
(まだやる気か……)
俺は背中に背負ったブリューナクに手をかけてひと睨み。
「頼む、俺たちを助けてくれ」
しかし、予想に反して男たちはその場で膝を折る。
ありがちといえば、ありがちな話だった。
彼らの村が盗賊に襲われた。困ったことにその盗賊は竜人だけで構成されていた。人間である村人に抵抗する術などなく、言われるままに食料を差し出した。これ以上は不可能と拒めば、村の若い女を連れていかれ、返してほしければ食料を奪ってこいと言われる始末。
そして、仕方なく盗賊稼業に身を窶した、と。
「ハルトくん」
ルイーザが期待の籠った目で見上げてくる。助けを求められたから、助けていいよね、と。
(さて、どうしたものか)
まず問題としては、彼らの言葉が正しいのかという事。
人間は狡猾だ。自分たちの弱さを自覚しているから正面から戦わない選択を当然のようにする。俺たちをハメようとしているだけ、という可能性がある。だが、その裏返しとして竜人たちが武力に物を言わせて人間を従わせようという部分に関しては信ぴょう性が高い。
竜は争いを望まない。しかし、人間と竜の混血児である竜人たちは別。特に、いわゆる反抗期の若い竜人共が人間の村を襲った事例はいちいち探さずとも各国の文献に散見できる。
これは領民からの懇願である、と言われれば否定するのは難しい。
ましてエルとルイーザは真祖であり、彼女ら1人1人が1つの軍隊みたいなものだ。討伐に申し分のない戦力が揃っている。
加えてルイーザはまだ人間たちに明かしていないとはいえこの国の王族の1人。
彼女がやる、と言えば他国の人間である俺に止める権利はない。
(……いや、トリアに妹を頼む、と言われているから止める権利は委譲されているのか)
しかし、彼女の命が危ぶまれるというわけでもないのに、拒否権を行使するのはやはり難しい。既に彼女はやる気になっている。
「しかたない、か……」
何かあっても命の危険に陥ることは少ないだろうし、2人に世界を見せるというこの旅の目的とも合致する。騙されたとしてもそれが経験になるし、嘘じゃなかったとしたら村の生活を知るいい機会になる。こんな辺境にも助けに来てくれる、というヴィットーリア王権のいい宣伝にもなるだろう。
俺はルイーザにひとつ頷いた。
「っ♪ わ、わかりました。このルイーザ・ディッんぐっ!!」
「(バカ、名乗りを上げるな。こんなところに王族がのこのこ1人で歩いていると知られたら問題が大きくなる)」
いつかのように仁王立ちのまま胸に手を当てて、堂々と名乗ろうとしたルイーザの口を塞いだ。
「(すいません)」
「お?」
ルイーザの声に不思議そうな声を上げて顔を上げかけた仲間を別の仲間が制する。俺は「いいんだよね?」というルイーザの目線を、「名前は言うなよ」という意味を込めて頷いて口から手を離した。
「あ、はい。依頼をお受けいたします。人間の皆様、顔を上げてください」
「お、おおっ! ありがとうございます。竜人様」
お頭が代表してお礼を言い、後ろの面々が諸手を上げて喜んだ。
「わたくしの名前はルイー……ルイズです。そのように呼んでください」
後で聞いた話だが、竜人様という呼称は竜たちの間で竜神様……カピトリーナ法国に実際に存在する竜の神と似たような意味になるらしく、ちゃんと否定しなければいけないらしい。魔力を感じられない上に圧倒的に脆弱な人間にとって、竜人も竜も竜神も等しく敵わない相手として区別されていない。だからその言葉の意味がいつまで経っても伝わらないと嘆く竜も少なくないんだとか。
「念のため言っておくが、俺たちはお前らを完全に信用したわけじゃないからな。道案内するんなら前歩け、前」
いつまでも大喜びしている盗賊たちに、しっしっ、と手を振って先を促す。
「もちろんです。さあ、こちらへ。行くぞ、てめえらっ!」
「「おぉうっ!!」」
野太い声が森に響く。
「念のため言っておくが村が近づいたら静かにしろよ」
なんていうか大らかというか牧歌的というか……煩すぎてこいつらには盗賊としての資質が全くない。隠密行動なんて発想すらなさそうだ。大勢で囲んで恫喝するという演出には凝っているようだが、そこに至る仕込みの瞬間を見られたら意味がないだろう。
「で……エルは……と」
「むぐむぐむぐむぐ……」
さっきの川大爆発で蒸しあがった魚を頬張っていた。
きゅ~。
「…………」
いちいち確認しなくても腹の虫の持ち主はわかった。なんか隣の熱量が上がったし。
「腹ごしらえしてから出発するか」
「「ぅぅえいいっ!!」」
だから煩いんだよ、コイツら。
村につながる獣道を途中で逸れ、森の中を、村の外周を通るようにして迂回する。
そうすると一部だけだが、村の姿が見えるようになった。
拓かれたなだらかな傾斜のある土地。そこに並ぶ敷地のほとんどを占めるのは畑だ。収穫時期が違う作物を育てているのか、実をつけている背の高い作物がある一方で何も生えていない泥がむき出しの畑もある。
その真ん中には蛇行した道があり、畑を挟んで森側にはそれぞれの畑の持ち主と思しき家が建っている。
「あちらになります」
「ふむ……」
村の入り口からすると奥のほう、切り立った崖の手前に作られた倉庫小屋の前。積み上げられた木材の上でやる気なさそうにうたた寝をするのは1人の竜人の男性……少年といったほうが正しいかもしれない。
俺よりは幼いが、ルイーザよりは年上……17、18の……ヴィットーリアくらいか。
見た目こそ子供だが、それでも人間の大人では対抗できないだろう。
「あの中に女性たちが?」
「はい」
小屋の中には差し出された女性たちが捕らわれているらしい。竜人たちは5人ということだから、残り4人は中か。
「どうします?」
奇襲なら任せとけ、と意気込むように武器をゆらす、元・盗賊たち。だが悲しいかな、そのどれもが竜人を傷つけられるとは到底思えないシロモノだ。扱うのも貧弱な人間ときている。
悪いが、足手まといにしかならない。
「俺が1人で正面から行くよ。ルイズとエルは後ろから回り込んで人質解放……終わったら挟み撃ちで」
「はい」
「うん」
2人から何の躊躇もなく同意の声が上がる。
「いや、ちょ……竜人ですよ? お兄さんひとりでですかい?」
逆に慌てたのは人間たちだ。当たり前だが俺も人間なので敵うわけがない、というところか。
「だぁいじょうぶだよっ、ハルくん強いんだから」
「たぶん竜人の数人くらいはハルトくんだけで大丈夫だと思いますわ。すぐにわたくしたちも合流しますし」
「いやしかし……」
「下手にお前らが出て行って人質にされるとまずい。やられるのが俺だけなら、村の反抗じゃないって主張できるだろ?」
ま、勝つけど。
「いや、しかし」
「その代わり、終わったら飯と寝床、用意してくれよ? 2人は俺が構えを変えたら小屋の中に突入な」
俺は返事を待たずに村のほうへ歩みを進める。エルとルイーザも反対方向へ。元・盗賊の男たちが隠れている場所が視界に入らないような位置になってから森を抜けだした。
「んっ、……お?」
俺の足音に反応した竜人の男子が顔を上げる。俺と目線を交わし、村人でもなければ、何か相談しに来たわけではないと判断して角材から飛び降りた。
「てめえは? 何の用だ?」
「近くを通りかかったら、竜人のガキがイタズラしてるって聞いたから、ちょっとぶん殴りに」
ブリューナクを肩で担いだまま平坦な口調で宣言する。
「は? ぷっ、あはははははっ!!!」
盛大に噴き出す竜人。
そりゃそうだろう。
人間は竜人に敵わない。
初めて会った人間に警戒しろっていうのが無理な話だ。
だが俺はちゃんと宣言したぞ。殴るぞって。
「おいおいおい、兄ちゃん? ほれこれが見えねえのか? オレ、竜人だぜ?」
少年が赤い鱗に覆われた尻尾をぶんぶん振って主張する。
「だぁから、竜人のガキぶん殴りに来たって言ってんだろうが」
「なに、騒いでいやがる、エヴァルド」
小屋の扉が開いて、一回り大きな竜人が顔を出した。ただ、それでも俺よりは年下だ。
「おお、グラート、見ろよコイツ、オレたちをっ……!!」
ゴッ……。
「なっ!?」
無警戒な首の後ろをブリューナクでひと殴り。エルの魔力が入ったブリューナクだ。人間の俺でも一瞬で意識を刈り取って昏倒させることができる。
「殴りに来たって言っている相手に背中向けるとか、バカなのかエヴァルドってのは」
「てんめぇぇぇ……」
「ほら、次はお前だ、さっさとかかって来い」
ブリューナクを肩に担ぎなおして、仁王立ち。
「おい、出てこい変なのがいるぞっ!!」
何人出てくるかは知らないが、できるだけ小屋から引き離したい。だからこちらに視線を向けることなく小屋の中に声を張り上げるグラートとやらに斬りかかりはしなかった。
「これで4対1だ。残念だったな……」
「そりゃ、どーも」
これで4人……全員出てきたな。俺はブリューナクを肩から降ろして、正面に構えた。それを確認したエルとルイーザが対峙している竜人の後ろを通って小屋の中へと入っていく。
作戦成功。
後はこいつらを適当にあしらえばいいか。
「おいっ」
「お?」
視線はこいつらにあわせてたけど、意識がルイズたちに向かっていたせいか声をかけられるまで気が付かなかった。
気が付けば目の前にドラゴンフレアが4つ。
(全員で遠距離攻撃……悪くはない)
未知の敵が自分たちを倒せるだけの近距離攻撃手段を持っている。だから遠距離攻撃で仕留めてしまおう、というところか。
馬鹿ではないのだろう。
思春期特有の青臭さというか、虚勢を張って危機から回避しようとする様子は子供臭さを感じるけど。
どぉぉぉぉんっ。
「あーひゃっひゃ! やってやったぜぇっ! 人間が竜人様に敵うわけねぇだ……は?」
無傷で剣を構える俺の姿を捉えると同時に、リーダー格らしいグラートの顔に恐怖が滲む。
「竜人様が……なんだって?」
「ばっ、なっ、はっ? な、なんでてめぇ……」
回避したのであればまだ理解できるだろう。
しかし、ドラゴンフレアの直撃を確かに受けたはずなのに無傷の人間というのは恐怖でしかない。
「はー、単なるゴロツキじゃねえか」
実は強力な盗賊団だったとかいうのを警戒していたが、2人も無事に人質を救出したみたいだし。
「ハールくーんっ!」
「おっけーでぇすっ!」
手を振るエルの向こうには村人と思しき女性たち。乱暴された様子がないのは幸いか。
「おうっ! ……おまけに全員で出てくるとか、馬鹿だろお前ら」
これで挟み撃ちの体制は整った。
(さあ、どうする?)
得体のしれない俺を狙うか、同じ竜人のルイズたちを狙うか。
「なっ……はっ……くっ、くそっ! おい、もう一度捕まえろっ! この人間も血祭りにあげて……」
どっごぉおぉおおおおおおおおおっ!!!
「ハルトくんに、何する気ですの」
ルイーザが1人で4つの炎の塊を地面に叩きつけた。
巻き上がった土煙が晴れた先には、再び炎の球を浮かべて睨みつける王女の姿。
「ぃへ……っ、し、真祖……」
「なんで……なんでこんなところに貴族が……」
やっぱり真祖のほうが魔力の扱いがうまい……一度に大量に魔力を扱えるのだろう。ルイーザの炎を見てその力量差を一瞬で理解した竜人たちの腰が引けている。
「さてと、俺が言うのも難だが……覚悟はできてるんだろうな、ガキども」
俺の後ろには人間の男たち。ルイーザとエルの後ろには助けた人間の女たちが居並んで囲んでいる。
男たちは武器を掲げて怒りを示しているのに対し、女たちが一様に心配そうな顔をしているのが気になるが。
(大事じゃなさそうだな……)
女性たちの様子を見る限り、乱暴された様子もない。
俺たちの到着が間に合ったのか、あるいは最初からそういう事をする気がなかったのか。
事情を聴くのは目の前の竜人たちを無力化してからだ、と足を一歩踏み出したところで、
「ハルトくんっ!!」
「っ!?」
悲鳴じみたルイーザの声に咄嗟に飛び退る。
風切り音と共に突き出されたのは鈍い光を持つ武器。形状は槍だが、正式なものではなく、棒の先にダガー……いや包丁というほうが正確も知れない、そんな刃物が括り付けてあった。
「…………」
ただ……その武器を手にしているのは村人たち。
――村人の男が俺に向かって武器を突き出した。
「どういう……? っ!」
どんっ!
動揺して動きが止まったところに、重い踏み込みで竜人の1人が突っ込んでくる。
「ちっ!」
竜人の握る槍の穂先をほぼ無意識にブリューナクで受け止めて受け流す。
「なっ……がふっ!?」
剣身を回転させて、相手の穂先の上へブリューナクを持ってくると、柄を伝うように滑らせる。そのまま走り抜けようとする竜人の動きも利用して顎下に重い一撃。膝から崩れ落ちていく竜人を確認する前に、回転運動を利用してその場を離脱。直前まで俺の体があったところに再びつき込まれる村人たちの武器。
(この連携のとれた動き……)
回転運動を横から縦に変えて、突き出された村人の武器を下から纏めて打ち上げると、簡単に壊れていく。
ぞくり。
「んぐっ!!」
嫌な予感と共に、伸びあがった体を強引に引き戻し、地面にしゃがみ込む。俺の頭があった場所に竜人の持つ槍が突き込まれていくのを横目で確認しつつ、逆手になってしまったブリューナクの柄尻を持ち主の脇へぶち当てる。
「ぅっ!」
わき腹から肺へと到達した衝撃は一時的な呼吸困難を生み、うめき声を漏らした竜人がその場にしゃがみ込む。
「えっ、えっ、えっ……?」
ブリューナクを引き戻した俺は、状況についていけないルイーザたちに向かって駆けだした。守ろうとしていた人間から俺が攻撃された。おまけに相対していた竜人からも攻撃されて、誰が敵で誰が味方かわからなくなっているのだろう。まさか全員が敵なんて答えは思い浮かんでいないに違いない。
エルに至ってはおそらくそんな区別すらしていない。俺の戦いを愉しんでいる節すらある。驚き半分、わくわく半分みたいな表情しているし。
しかし後ろの男たちが敵だったということは、助けたつもりの女たちが味方である可能性は限りなく低い。同性同士であれば遠慮がなくなるという危険もある。
「おっと!」
しかし2人の元に急ぐ俺のの進行方向に向けて1本の槍が突き出された。柄に沿って視線を上げていけば、どこか格好つけた表情で俺を見据える大柄な竜人。
「グラート……」
「おうよ。残念だったな」
もうひとり残った竜人も従えて俺とルイーザの前に立ちふさがる。
完全に勝ち誇っているようだが、さっきビビってたルイーザに背中向けてるの気付いているのかな。俺に槍を向けたらさすがにルイーザも攻撃してくると思うんだが。
いや明らかに彼の後ろの熱量が増している。
「この村に入ったが運の尽き。おとなしく……」
カァァァンッ!
グラートが気持ちよく口上を述べようとしたところで、固い金属同士を打ち合わせるような音。
「いてぇな、母ちゃん」
「やかましい。状況が見えてないのかい?」
「何を言って……んげっ!」
ようやく背中側のルイーザが攻撃しかけていることに気が付いたのか、青い顔で道を譲る。
そして竜人が道を譲った先には鍋を持った1人の女性……人間だ。あれで頭でも叩いたらしい。
(しかし……母親?)
「そこまでにしてもらおうかの。そっちの旦那……と呼ぶには若すぎるか。とにかく止まってもらえるかの。そっちのお嬢ちゃんたちも」
さらに1人長老然とした老人が進み出てきて制止を促す。
炎は出したままのルイーザがいいの? と視線を寄越す。
俺は背中側を確認して村人たちの攻撃の意志がなくなったことを再確認してから、ブリューナクを下ろして頷いた。