強制連行
怒涛の新学期二日目が終わり、やっと普通の学園生活が戻ってきて数日。
あの日もらった薬のおかげか、目眩も頭痛も徐々に消えてなくなっていた。
「下校時間以降に校舎に入るのは原則禁止です。どうしてもという時は警備室を通って……」
私はぼんやりと先生の連絡事項を聞き流しながら、今日の夕飯のメニューを考えていた。
どうやら聖花ちゃんも食堂の高級料理よりも安い材料を使った家庭料理の方が好みのようで、私が作ったものを美味しそうに食べてくれるのだ。
もう、可愛い子が作ったものを美味しそうに食べてくれてるってだけでご褒美だよね!
というわけで、聖花ちゃんが希望した日は私が夕飯を作ることになったのだ。その代わり私は勉強が得意な聖花ちゃんに英語を教えてもらっている。
私にとっては得ふたつである。
聖花ちゃんのおかげで、私の学園生活は一年生の時よりも遥かに充実していると思う。
…さて、今日の夕飯は筍が手に入ったし、炊き込みご飯と肉じゃがにしようかな。
ぼんやりとそんなことを考えているうちにホームルームが終わる。
よし、帰ろう!
私は席から立ち上がり、聖花ちゃんの方を向いた。するとそこには何故か阿部瑠璃さん…嫌がらせのリーダー格の子であり、阿部先輩の妹さんがいた。
が、すぐに阿部さんは取り巻きたちを連れてその場から去っていく。
まさかまた嫌味だろうか。
私は慌てて聖花ちゃんの所に向かった。
「聖花ちゃん!」
「あ、そらちゃん、そんなに慌ててどうしたの?」
聖花ちゃんがふんわりと笑う。その感情を読ませない笑顔に私は一瞬動きを止めた。
「…その、大丈夫?」
「うん」
にこにこと答えながらも、追求することは許さない笑み。胸元で握り締められる、小さな手のひら。
その笑顔を前にして、私は若干顔をこわばらせた。
…きっとまた何か言われたのだろう。けれど、チキンな私は慰めの言葉も何も、あの笑みの前ではかけられなかった。
あの教科書紛失事件の時に会長が乱入してきたおかげか、直接被害を被るような嫌がらせはされていない。
その代わり阿部さんたちはことあるごとに私たちに嫌味を言うようになった。
…はぁ、あれ以来『神子』には関わっていないし、取り入る気もないっていうのに。どうしてそれでも嫌味を言おうとするのか。
「…そっか。じゃあ帰ろう」
「うん。ふふ、今日の夕飯楽しみだなぁ」
「ほんと?そう言ってもらえると嬉しいな」
と、表面上は和やかに会話をしながら帰途につく。とりあえず今日も私たちの周りは平和らしい、と安心していた。
…けど、どうやら警戒が足りなかったみたいだ。
『平民』が暮らしている寮の前で、
「天野さん」
と、聞いたことのある声が聖花ちゃんを呼び止めた。
その声の持ち主も思い出せないまま振り返り…そこで私にとっての不吉の象徴を見つけて、思わず、
「なんで…」
と呟いた。
なんと、寮の前に現れたのは今の状況を作り出した元凶である綿津見副会長だったのだ。
「おや、貴女もいましたか」
最初から気付いていただろうにこの反応。
『神子』でなくともイラッとする御仁である。
「あの、綿津見先輩、どうしたんですか?」
聖花ちゃんがこてんと首を傾げる。
すると副会長は、それはそれは晴れやかに笑った。…目は相変わらず極地の気温を連想させる冷たさを宿していたけどね。
「貴女を迎えに来たんですよ」
月読に任せていてはいつまで経っても貴女は来ないと思いましたから。
副会長の言葉に、私は眉を寄せてさりげなく聖花ちゃんの前に出た。あの『神子』がこぞって聖花ちゃんを迎えに来るということは、何か大事な理由があるはずだ。
けれど、私は割と心から『神子』を信頼していない。…だって変人会長にブリザード副会長、不良の書記がいるんだよ?彼らのどこを信頼しろと。
実は『神子』にはもうひとりいるけれど、彼または彼女のことを私は何も知らない。人前に出てくることも、誰かが噂することもないからだ。…まぁ、生徒会が主体になって運営している学園が正常に機能してるってことは、会計の『神子』も生徒会の仕事はキッチリこなしているんだろうけれど。
だがしかし。『神子』四人のうち三人がその状態なんだから、残りひとりがただの人とは考えられないわけだ。
つまり、変人たちの巣窟に聖花ちゃんを行かせたくないのである。
「…行きたくありません」
聖花ちゃんが申し訳なさそうにお断りする。
ナイスな心意気だと思う。
「本人がそう言っていることですし、お引き取りください」
余計なお世話なのは承知の上で言い、副会長を睨みつける。私を見る副会長の目の温度が一気に降下する。
「なぜ関係のない貴女まで話に入ってくるんですか」
「…私は友人が『神子』に無理矢理連れて行かれないようにしているだけですが」
要約すると、何か文句ある?だ。
本当、含みを持たせた言い方って長ったらしいのよね。
「ならば余計なことです。天野さんには自分の意思で来てもらいますから」
そう言って副会長は長い手を伸ばして天野さんの腕を掴んだ。
「あ!」
慌てて割って入ろうとしたが、遅かった。
副会長は聖花ちゃんの耳元に口を寄せて、何事か囁く。
その瞬間聖花ちゃんは真っ青になって。
「わかりました!行きます‼︎」
と叫んだ。
「え、聖花ちゃん⁈」
目を見開く私に、聖花ちゃんはまたあの感情の読み取れない笑みを向けた。その後ろで副会長がいたずらが成功した狐みたいに笑っている。
「ごめん、やっぱりあたし行ってくるね!…先輩、行きましょう!」
今度は聖花ちゃんが副会長の腕を掴んで、今帰ってきた道を引き返していく。しかも駆け足で。
こちらが呆然としている間に聖花ちゃんは副会長を連れていなくなっていた。
「…え、あの腹黒野郎、聖花ちゃんに何言ったの?」
私の呟きは山のさざめきに混じって消えた。