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夢とは知らずに

夢だと知りたい

作者: 木山喬鳥

 


※本作は「夢かも知れない」の続編です。

 先に「夢かも知れない」を読まれることを,お勧めします。




 


――――不思議な夢を見ました。


 私が見る夢のなかには以前読んだことのある物語のままの世界があって、そこでは私が物語の登場人物の一人になっているのです。

 夢のなかで優しい姉とふたりで暮らす家には、ときおり私の恋人も訪ねてきました。

 そのころの私は、毎日をとても楽しく過ごしていたようです。夢での暮らしは十年も続いていて―― そう記憶しています。

 しかし、私が眠っていたのは――たったニ日間だけでした。


 意識が戻って初めに目にしたのは、自分の部屋とは違う天井。私は自宅以外の場所に横たわっているようでした。

 気がつけば頬が冷たくて――どうやら涙が頬から伝って落ちて、首元まで濡らしているみたいです。

 なぜ泣いていたのでしょうか。理由はわかりません。

 それどころか、いまが何時いつなのか、自分がいるのが何処どこなのか、なにもわからないのです――――


 

 そこは病院でした。

 医師の説明ではニ日の間、私は意識がなかったそうです。倒れる前までの記憶さえも幾らか欠落しています。

 病院では私が昏倒こんとうした原因について調べていただいたのですが、結局それはわかりませんでした。

 とはいえ、日常生活に支障はありません。

 欠けていた記憶も徐々にですが元に戻っているとの検査結果をいただきました。

 そんな次第でしたから、三日ほどようすを見た後、退院をいたしました。

 しかしすぐに仕事へ戻れるという状態でもありませんでしたので、担当者に連絡して私の今後の日程を新たに作りなおしてもらい、しばらくは自宅で静養することに決めたのです。


 

 ニ日間の眠りの間に見た十年の夢――――

 ええ、見たと思い込んでいるだけかもしれません。

 思い出す情景は、あやふやなものです。

 いまでは、もう姉も恋人もどちらの名前も思い出せません。

 目覚める直前に夢の世界の二人が、どうなっていたかも覚えていません。

 思い返しても、すべてがボンヤリとしています。

 どうやら夢のなかでの記憶が、日ごとに曖昧になっているようなのでした。

 目が覚めるたびに、あの長いの夢で起こったできごとが、だんだんと薄らいでいくようでした。

 いつか私は、あの夢をキレイに忘れてしまうのでしょうか。

 どこか懐かしい物語にも似た、あの長い夢が消えてしまう――――

 そう考えると物寂しくなって、忘れてはいけない大切なことまで忘れてしまう気がして――――

 夢で見たできごとを覚えているうちに、こうして書きつけているのです。


 備忘録を作っていると、夢について少しですが思い出せました。

 いつも私を笑わせてくれた、優しくて賢いお姉ちゃん。

 そして彼――――そばにいると楽しくなって、いなくなると悲しくなる彼。

 もどかしくて、しかたありません。そんな大切にしていた二人の名前も思い出せないのです。

 覚えているのは、いくつかの切れ切れの場面だけ――――


 

 それは――もうすぐ目が覚めるから、私たちはやがて別れることになると告げた日。

 別れるという言葉を聞いた彼は子供のように泣き出しました。

 どうしていいかわからず、彼を前におろおろしていた私も、こらえられなくなって一緒に泣きだします。

――でも、わからないのです。私の目が覚める時が、私と彼の別れる時になる――――

 なぜそんなことをあらかじめ自分が知っていたのか、いまでは、わかりません。

 きっと忘れてしまったのでしょうね。

 思い返すと夢のなかの私は、いまと違ってなんでも知っていたみたいで、羨ましいです。


 別れを告げられた彼は――――

 私と一緒にいても口数が減り、黙りこむ回数が増えました。

 ある日、彼は奇妙なことを言いだしました。

 私の夢のなかに自分は訪ねて来ていたのだけれど、もうここから帰りたくない。帰らなくても、すむようにしたい。

 目覚める前に現実の自分が死ねば私の夢のなかに留まれるはずだ。僕は、もう現実で目覚めたくない。

 そんな言葉とともに私に向けた彼の思いつめた瞳が――怖くて、悲しくて、嬉しくて、彼にそんなことして欲しくなくて、初めて彼とケンカしました。


 でもこの先、彼が思いとどまらないとも、わかっていました。

 ほんとうに、夢のなかの私は何でも知っていたみたいです。

 なので私は彼を助けるための手立てを考えました。

 彼を止めるために――――彼が無謀むぼうな行いをする前に、今度は私が彼の夢のなかへ行こうと決心したのです。

 彼自身の夢のなかでなら、きっと彼も夢のできごとを覚えていられるはずです。記憶さえ残れば昼間の彼は自殺まがいの行いなどしないはずです。

 それに私のことも、少しは忘れずにいてくれるでしょう。


 

 でも…………私は覚えていないのです。あのときの私の決心は計画は、きちんとげられたのでしょうか。

 おそらく、いえきっと、私は彼の夢のなかへ行けたのです。…………そう思います。

 なぜなら昏睡こんすいから目覚めた日を境に、私も夢を見なくなったからです。彼と同じように。

 彼を止めるために彼の夢を訪れたから、彼に起こった現象が、私の身にも起こったのではないでしょうか。


 

 いいえ、空想が過ぎましたね。元々、夢は夢です。

 現実に起こったことでは、ありません。私が考えだした幻です。

 彼は夢のなかの登場人物で実在している人ではありません。お姉ちゃんもそうです。実際の私に姉妹はいません。

 空想のなかの人たちが現実の私の記憶に影響を及ぼしているはずがないのです。

 空想を空想で説明しても意味がないと、そう思ってはいます。でも……夢のなかの思い出を捨てることも私には、できそうにありません。

――――毎日のように、あの夢について考えます。

 すると、相反あいはんする思いで頭がいっぱいになります。いくら考えても、考えがまとまらないのです。

 こんなにも考えることができないありさまでは元の仕事にまた戻れるものだろうか、と不安になる日も増えました。


 

 心がみだれたときも、日課の散歩に行くと気分が落ち着きます。行き先は決まって近所の森林公園でした。

 この場所に来ると、どうしてだか懐かしくて、そして少し悲しくなります。

 私は、ここが夢のなかで過ごした森を思い描く元になったのではないかと思っています。

 日が落ちるまでの間、夕日に輝らされた遊歩道を歩いていると、いつも気持ちが穏やかになるのでした。

  

 それにしても、昏睡から目覚めてからの私は、いったいどうなってしまったのでしょう。

 あの夢を思い出すたびに、夢のなかの情景はどんどん薄らいでいきました。

 今では夢の備忘録に目を通すと、書き留めた夢の情景は他人がつづった物語の一場面みたいに感じています。

 私のなかで僅かに残った記憶の跡さえ、どんどん削られていくようです。

 いまにもかき消えてしまいそうな微かな記憶なのです。

 でも文字を目で追うだけで、胸が締めつけられます。

 夢の終わり方に心残りがあったからかもしれません。

 いいえ、なにより――夢と現実との大きな違いが私を苦しめているのでしょう。


 

 そうです。私は、とても大事なことを書いていませんでした。

 夢のなかの私と、現実の私は全然違う人生を送っています。

 現実の私に身寄りはありません。もちろん恋人もいません。

 きっと私は夢のなかで現実の人生で欲しくて得られなかった姉と恋人を思い描いたのでしょう。

 思えば、哀しいものです。

 でもなにより、意識が戻ってから心を傷めたことは――――

 夢のなかで二十歳になったばかりだった私が……

 目覚めてみたら還暦かんれきを過ぎた高齢の身になっていたことでした。


 そう言うと、事実とは違ってきますね。

 正しくは、老人が自分の若いときの姿の夢を見たのでしょう。

 年老いた私が夢のなかで現実の人生で欲しかった姉と恋人を思い描いたのでしょう。

 よく考えたら、本当は喜ばないといけないことかも知れません。

 老いた自分が一時でも、また若く快活な時代に戻れたのですから。

 人生で得られなかった家族と恋人を夢のなかだけとはいえ、持てたのですから。

――――でも悲しくなるのです。

 わかっています。夢は現実ではないから、意味がないのだと。気にするだけの値打ちがないのだと。

 空想に心を痛めるのは愚かだと、わかっていて――悲しくなるのです。

 備忘録のページに彼と姉の面影を追ってしまうのです。


 

 その日の夕方も森林公園に行きました。

 遊歩道を歩いている私を呼び止める声がします。

 笑顔で立っているのは本を持った女性――知人ではないと思います。ええ、このとき初めて見た方です。

 サインをして欲しいと言われました。

 文筆に携わっていても、私の出した本はいくらも売れてはいません。残念ながら著名な作家というわけではないのです。出版物に著者近影を出すこともお断りしてきました。

 もしかしたら数年前に地元のミニコミ誌にインタビューを載せていただいた際に添えられていた写真をこの方は見られたのでしょうか。

 ただあれも懇親会での撮影で大勢の人のなかのひとりとして写っていたので、私を見分けられたとも思えません。

 そんな次第ですから、小説家としての私を知っている人に道端で会ったのは今回が初めての経験でした。ましてサインを求められるなんて……


 戸惑いながらも了承りょうしょうし、彼女から手渡された本に目線を落として――――立ちすくみました。

 自然と書名が口をついて出ます。


「……夢だけ知らない」


 私が書いた本。

 どうしていままで気がつかなかったのでしょう。忘れていたのでしょう。

 夢のなかにあった世界は自分が読んだ物語のままなのではなく、自分が書いた物語のまま、だったのです。

 驚きのあまり呆然と立ち続けていると、

「――――イチエちゃん」

 そう、私の名前が呼ばれました。ペンネームではなく本名です。

 本名ですが……親しい間柄の人でさえ、誰もそんなふうに私を呼ぶ人はいません――――いませんでした。

 夢のなかにいた、お姉ちゃんの他には。


 彼女がお姉ちゃん――なのでしょうか。姉は実在したのでしょうか。

 しかし目の前にいる方は見たところ三十歳になっているかどうかで、私よりずっと年下の女性です…………でも間違いないのです。この人は…………

「……お姉ちゃん?」

 私の呟きを聞いた目の前の女性は、嬉しそうに頷きます。

「良かった、わかるの?」

 夢のなかにいた人が実在している。そんなことがあるのでしょうか。

「夢じゃ……なくて、ほんとうに…………」

「いたよ。ずっと公園に通っていたよ。イチエちゃんをずっと探していたんだから」

 懐かしい声。この人はお姉ちゃんです。間違いありません。

 お姉ちゃんが本当にいたのです。


 でも、やっぱりありえないことです。事態をよく考えないといけません。なのに両手は勝手に伸びていきます。

 お姉ちゃんと手を取り合ってしまいます。でも、身体はすくんだまま。嬉しいのに言葉がでません。


「どうしてここがわかったの……見つけてくれたの」

やっと口を開くと、お姉ちゃんは少し微笑んで……

「――――不思議な夢を見ました。わたしが見る夢のなかには、以前読んだことのある物語のままの世界があってそこで自分が物語の登場人物の一人になっているのです」

「…………」

 お姉ちゃんが口に出したものと同じ言葉が、私に差し出されたタブレットの上にも映しだされています。

「……これって……」

 画面に表示された言葉は――私の書いた長い夢についての備忘録の冒頭と同じです。

――――そして同じ文章がお姉ちゃんのコメントの冒頭として載っています。


 日付を確認すると、コメントは私が備忘録を書きはじめる前の日に投稿されていました。

 もちろん私は自分が書く前にお姉ちゃんのコメントを読んではいません。電子機器は苦手なのです。

 内容は、お姉ちゃんの視点から見た〝私のみた夢〟と同じ内容の夢の話です。そこには彼のことが、現実と夢の両方で書かれていました。


「私のメモは誰にも見せていないのに、どうしてお姉ちゃんは自分のコメントと同じ文章だとわかったの……」

「夢でイチエちゃんに聞いたもの。わたしはイチエちゃんが彼と夢で繋がれなくなった後に繋がったんだよ。でもいまだってイチエちゃんとは夢で逢っているんだよ。イチエちゃんは覚えていないだろうけれどね」

「……どうして私が夢のなかだけの人じゃなくて、実在するってわかったの?小説書いているってことまで、わかったの?」

「それはね、話せば長いことだけど、わたしは最初にイチエちゃんの彼と現実で会ったんだ。それで夢のなかのみんなは実在するかもって、思ったの。そうしたら、イチエちゃんが昔書いた小説――――この本〝夢だけ知らない〟のことを思い出したの。だって夢のなかの物語って、あの話そのものだから。なんですぐに気がつかなかったのかって思うぐらいに、そのままよね。わたしが読書家でラッキーだったよね。そうそう、彼も同じ題名の話を小説の投稿サイトにあげていてね……」


 お姉ちゃんの言葉が通りぬけていきます。

 やっと思い出しました。かねてから夢のなかで疑問だったことがわかりました。

 夢のなかで過ごしていた世界は、私が以前書いた短編小説の物語そのままなのでした。

 だから、私と彼が逢えなくなるのを知っていたのです。

 だから、夢での暮らしに強く惹かれたのです。


 いいえ。もしかしたら……

 お姉ちゃんは驚いて言葉もない私に、さらに息が止まりそうな話を続けます。


「……あ、わたしこの地域のミニコミ誌の編集をしているんだけど、バックナンバーにイチエちゃんのインタビューをみつけて、当時の担当の人から所在は調べられたんだけど、まさか突然自宅に押しかけて〝わたしがあなたの夢のなかのお姉ちゃんです〟とか告白しても……イチエちゃん、信じないでしょう?お巡りさんとか呼びかねないでしょう?だから機会をうかがっていたのよ」

「…………お姉ちゃん、らしいのね」

「苦労したのよ。ほらアナタ夢のなかの森を、毎日散歩してるでしょう?インタビューでも同じように、この公園を散歩するって言っていたから、ここにくるだろうって目星をつけて、それでイチエちゃんの彼にも来てもらって手分けして、今日もこの公園を本を持って探していたのよ。こういう出会いは切り出し方が大切だからね」


――――彼。

「…………彼が、来ているの…………」

「え、うん。もうここにくるよ」

 ああッだめ。ここに来るなんてッ。

 顔を伏せます。しゃがみ込みます。自分の両肘を強く掴んで縮こまります。

「お願いこのまま――――このまま帰ってもらってッお願い!」

 きつくまぶたを閉じると、身体が震え出しました。

 目を開けるのが怖いのです。

 彼のがっかりした顔をみたくない。

 夢のなかで一緒だった彼に現実に逢える嬉しさよりも、彼を失望させる怖さで、息が詰まりそうです。

 こんなおばあちゃんの私なんて、見てほしくありません。


 足音が近づきます。何も考えられません。声も出せません。

 どれほど時間が過ぎたでしょう、五分?二十分?

 ふいに彼の声が聞こえました。

「ぼくだって同じだよ。イチエ、ほら見てごらんよ」

 息を呑んで顔をあげます。

 視界には、覚えているよりもずっと渋みを増した彼の顔が滲んで見えていました。


 


 これもきっと夢なのでしょう。私はもう一度、不思議な夢を見ているのです。

――――でも良いのです。

 こんなにも胸が熱くなっているのですから。

 前の夢よりもっと、すてきな夢なのですから。


 


 


 



 


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