子供に知ってほしい『妖怪』の知識
最近、『妖怪ウォッチ』というゲームが子供の間で大流行。
ゲームに出てくる『妖怪』を見てみたが、私が知る『妖怪』とはあまりにも異なっている。というかあれじゃぁ『妖怪』というより『ポケモン』だ。
私は思った、子供達は本来の『妖怪』をどこまで知っているのだろうか。ゲームのやり過ぎで本来とゲームとがゴチャゴチャになっているかもしれない。
そこで私はこの短編を書いた、少ないかもしれないが『妖怪』について子供達に少しでもいいからわかってくれたらうれしい。
では、始めよう。
ある所に『ヨシオ』という男の子と『カナコ』という女の子がいた、二人は友達でゲームの『妖怪ウォッチ』で遊んでいた。ある日の事、ヨシオのお父さんが言った、
「妖怪なんていないよ。」
ヨシオは。
「妖怪はいるよ!」
と言い、お父さんにアッと言わせるためにカナコといっしょにゲームに出てくるアイテム『妖怪ウォッチ』を模したオモチャを腕に巻いて出かける。もちろんカナコも妖怪はいると信じている。ゲームのやり過ぎで。
「さぁ、妖怪出てこい!」
近所の公園で妖怪を探す二人、はたから見たら『妖怪探し』という遊びをしている子供にしか見えない。
「妖怪出てきて!」
カナコも妖怪を探す。
「妖怪、出てこ…」
ドンッ
ヨシオは夢中になっていたため誰かにぶつかる。
「何やってんねや?」
その人は青年、全身黒い服を着た青年。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ヨシオは驚いた。
「く…『黒ずくめの男』!!」
「おい…それ、『名探偵コナン』やろ…」
と青年はツッコむ。
「お兄さん、誰?」
カナコは問う。
「わしは『夕夜』、君らは誰や?」
「僕はヨシオ!」
「あたし、カナコ!」
「元気やねぇ、で、何しとったんや?」
夕夜は問いかける。
「妖怪探してんだ!」
とヨシオは『妖怪ウォッチ』を見せる。
「……は?…」
目が点になる夕夜。
「あ、お兄さんも僕のお父さんみたいに『妖怪なんていない』なんて言うんだ!妖怪はいるんだ!僕はこの『妖怪ウォッチ』で探し出してやるんだ!」
「そうそう!妖怪はいる!」
ヨシオとカナコはかけ声を出す。
「おい、待て…わしが言いたいんわやな…」
「妖怪を信じない人の言葉は聞きません!」
「聞きません!」
「何やねん、この聞く耳持たぬ状態は…わしが言いたいのは…」
夕夜はヨシオが持っている『妖怪ウォッチ』に指差しながら言う。
「そんなオモチャで探すなんてムリやってことや…」
「何~!?お兄さんはこの『妖怪ウォッチ』のスゴさを知らないのか!」
「『妖怪ウォッチ』?…あぁ、あのゲームか…あんな妖怪、この世におるかいな、あれはゲームや、ゲーム。ましてやあんな『赤くて腹巻きしてる猫又』なんて存在してるわけないやろ。」
「『猫又』?」
二人は気になる言葉を言う。
「あ~…もしかして、知らない?…」
二人はうなずく。
「『猫又』はな、この世に生をうけ100年生きた猫が変貌した妖怪のことや、しっぽが2本になって又のようになるから『猫又』って言うんやで。」
「へ~」
二人は感動する。
「もしかしてお兄さんは妖怪に詳しいの?」
「普通の人より詳しいで、何なら教えてやろうか?」
「教えて♪教えて♪」
「よし、教えてやろう♪」
【『妖怪』とは何か…】
本来の妖怪はゲームに出てくるようなキャラクターじゃない、そもそも『妖怪』は古の時代、まだ『日本』という国が成り立っていない時のころからこの世に存在していたと言われている。
そして当時は『妖怪』ではなく『神』だったという。
例えば川には川の神、湖には湖の神、大木には大木の神、畑には畑の神がいる。
その土地その土地のあらゆる場所に神々は存在していたと当時の人々は信じていた、信仰というものだ。
しかし『日本神話』で有名な『天照大御神』とその配下の神々を信仰する『天皇家』が生まれ島国であったこの土地が『日本』という国として成り立った時、『天皇』が取り仕切る政府『朝廷』によって日本全国津々浦々に存在する『神々』を『正しい神』と『偽りの神』とで分別していった。
こうして『正しい神』として選ばれなかった『偽りの神』が落ちぶれて『悪しき霊』、即ち『妖怪』になったと伝わっている。
ただし、『妖怪』と言うがこの時はまだ姿形に名前、どこに何がいるかもまだ決まっていなかった、
ただ当時は『妖怪』とは目に見えないもの、怪しい気配、恐ろしい何か、を意味する言葉で『物の怪』と呼ばれていた。
その昔の人々は病気、ケガ、災害などが悪い事が起きた時これらは『物の怪』の仕業、タタリだと信じていたらしい。
今から約1900年も前、おそらく『邪馬台国』の女王『卑弥呼』の時代にやって来た中国人から様々な文献とともに姿形のある精霊や魔物の話が伝わり、
その話を元に日本の『物の怪』も姿形のある怪物『妖怪』へと想像を変えていったのだ。
想像され、まず出来上がった『妖怪』の絵図はたぶん『鬼』だろう、そもそも鬼とは目に見えない死者の魂『霊魂』を意味した文字であり大昔の日本では『物の怪』の『もの』は『鬼』と書いていた、
目に見えない怪しいもの『鬼』にまつわる話は中国人が同時に伝えた天竺、今のインドの宗教『仏教』と重なり『仏神』、例えば『千手観音』とか『毘沙門天』とか、そんな仏神と敵対する魔神として後世まで語り継がれるようになる、そのため『鬼』の顔は『仏神』のような穏やかな表情とは真逆の恐ろしい顔として描かれている。
その昔は『妖怪』といえば『鬼』、と人々は決めつけていたそうだ。
眼に見えない悪霊、闇に潜む恐怖が人々の間で『妖怪』という想像をさせた。つまり『恐怖』こそ『妖怪』と言えるだろう。だからこそ『妖怪』はおぞましく恐ろしい姿をしている、これは人々の恐怖の具現化ととってもいいだろう。
「っと言うわけで『妖怪』とは何か…わかったか?」
夕夜は聞く。
「ん~…わかったようでわからなかったような…」
「何か、難しい…」
と首を傾けるヨシオとカナコ。
「……やろな…」
夕夜は少しガッカリする。
「コホン…ともかく、目に見えない『何か』が人間の想像をくっつけて恐ろしい姿形を持ったのが『妖怪』や、そして妖怪に関する伝説は日本各地に存在するんや。」
「へぇ~。」
「じゃぁ次は『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』のアトラクション『セサミストリート・4D・ムービーマジック』であった想像力を使った映画のようにわしらも妖怪の世界へと旅立とうか♪」
夕夜がそう言いフィンガースナップをするとヨシオとカナコ、夕夜はいつの間にか。
深い森の中にある川の前にいた。
「えぇ!?」
「どうしてあたし達ここにいるの!?」
二人は慌てるが。
「企業秘密♪」
と夕夜はふざけてごまかす。
「さて、今から紹介するのは妖怪の中でも最も有名な妖怪『河童』やな。」
「河童?頭に皿を乗せてる?」
「『妖怪ウォッチ』にも出てくるよ。」
「河童はな、日本各地の川や池に住む水生の妖怪。姿形もよく知られとる。河童は川の淵、池の底などに住んどるんや。やからこうした所を『河童淵』と呼んだりしとったそうや。」
「へ~。」
「なるほど。」
と二人は川の淵を見つめる。
「で、河童はどこ?」
ヨシオはそう言うと夕夜は釣竿を持ちキュウリをぶら下げる。
「これで釣る♪」
夕夜は釣り人のように座る。
「え~…」
「こうしとる間に河童について説明しとこか。」
【『河童』について…】
『河童』は日本で有名な妖怪、水の妖怪では一番有名だ。姿形もよく知られているものである、頭に水を貯める皿に背中にコウラ、鳥のクチバシのような鼻と口、水かきのある手足、身体は緑色、そして人間の子供ほどの大きさで人間の体に亀とカエルを混ぜた姿なんだと言う。特徴はキュウリが大好物でそれにつられて出てくる事もある。
伝承では河童は元は名も無き水神、名前どころか形でさえも無かった、よく知られる河童の姿ができたのは今から約400年も前、江戸時代になってから。誰が最初に考えだしたのかは定かではないが上記の通りの姿で伝わっている事が多い。
河童には他にも『川太郎』や『川小僧』といった呼び名もあり、河童の同族と言われている『川姫』や『一目入道』なんてのもいる。
『川姫』は高知県高岡郡、福岡県築上郡、大分県中津地方に伝わる美女の姿をした河童の一種でその美しさで男性を誘惑して男性の精気(人間の生命力、簡単に言えば寿命という意味)を吸い取る女の妖怪。
『一目入道』は新潟県佐渡島にある加茂湖に住んでいるという河童の一種、普通の河童と違い頭にあるのは皿ではなく大きな目玉があるという。馬で遊んで馬主に捕らわれ殺されそうになった時『毎日新鮮な魚を獲ってきますからお命だけはお助けくだせぇ』と命乞いをし馬主の家に毎日加茂湖で獲れた魚を届けた河童である。
河童には優しい河童、イタズラ好きな河童、そして人を獲って食う河童など様々だ。
人を獲って食う河童といえば江戸、今の東京で数々の人を獲っては食っていたという恐ろしい河童『水虎』が有名だろう。
もともと『水虎』とは中国の湖北省の川に住んでいた水の妖怪の名前で『虎』の文字が入っているのは虎と同じ爪を持っていたからだという。
その伝承が日本に入ってくると日本人は人食い河童を『水虎』と呼ぶようになった。普通の河童より獰猛かつ大柄、しかも子供ばかりを襲い食べてしまうという。また水虎は48匹の河童の親分であるとされている。
退治する方法はまず水虎に殺された人間の死体を葬らず畑の中に草庵(草で作った簡易な小屋)を作り、その中に遺体を板に乗せて置いておく。こうするといつの間にか水虎が現れてこの人間を殺した水虎は草庵の周囲をぐるぐる回り始め遺体が腐敗するに従い水虎の肉体も腐敗するとされる。水虎は透明になる術を使うため、姿を見せずに声が聞こえるのみだが、水虎の体が腐りきって死に至ると、ようやく姿を現すのだという。
なんとも不思議な話だ。
日本各地の川原には大抵河童を祭る神社『河童神社』というのがある、それがあるという事はそこに河童がいたからなのだという。
河童はいつの時代でも水の中から我ら人間の様子を見ているのかもしれない。
「……ちゅーこっちゃ、わかったか?」
夕夜は問う、がヨシオとカナコは無反応。
「あれ?…どったの?…」
「あの~お兄さん…」
「河童、逃げられてますよ…」
「え?……あ!?」
夕夜は今気づく、釣竿の釣り針に刺していたいつの間にかキュウリが無くなっていた。河童が取っていったのだ。
「やられた…」
落ちこむ夕夜。
「さぁ気を取り直して!」
夕夜は突如立ち上がる。
「次に行こうか♪」
夕夜はまたフィンガースナップをすると。
山の天辺にいた。景色は最高だが町や村が見当たらない。
「ここは?」
ヨシオは問う。
「どっかの山。」
と答える夕夜。
「今から『山の妖怪』について知ってもらおうか。」
夕夜は説明を始める。
【山は『妖怪』の巣…】
山は古来より神々が住む場所とされている、日本神話の『海幸彦と山幸彦』の山幸彦がそうだ、山幸彦は山の恵みを司る神である。そんな神聖な場所でもある山には多くの妖怪が住んでいる。そのほとんどは元は『山の神の成れの果て』だという。
まず話すのは『山童』、山童は河童と対となる妖怪、山の中に住んだ河童が変化したものだと西日本の伝承で記録されているが定かではない。河童と違い体中に細かい毛があり1つ目である。山に入った人間を迷わせ弱くなったところを食べてしまうらしい。
各地の伝承では時間帯が異なるが河童が山に入り山童となりまた川に戻って河童に戻るという。
必ずや河童から、で河童に戻るとされている。河童が主な姿のように伝わるのは何故だろうか。
次に『山姥』、山の妖怪の代表である妖怪、『山姥』は鬼のような顔をしているため鬼の一種だと勘違いする人もいる。
『やまんば』と言う名前のためか老婆と思う人も多いが山姥は老婆と限らず若い女性、しかも絶世の美女の姿をしているという伝承も存在する、その伝承で有名なのは『足柄山の金太郎』の知られる平安時代の武将『坂田金時』を育てた山姥はそれはそれはすごい美人だったという。
他にも『一本だたら』という妖怪もいる、この妖怪は丸くどでかい身体に人間の顔ほどに大きな目玉、大きな一本の足がありその大きな身体を一本の足をドシッ!ドシッ!と大きな音を鳴らして山の中を走り回る。
一本だたらの『だたら』とは『たたら師』のことでこれは『鍛冶師』を意味する言葉である、これは鍛冶師が重労働で片目と片脚が萎える事や一本だたらの出没する場所が鉱山跡に近いことに関連するとの説がある。また一本だたら自身も腕の良い鍛冶師だという説もある。
また富山県上新川郡、今で言う富山市、岐阜県北部の飛騨地方、岡山県都窪郡に伝わる妖怪で『雪入道』という妖怪もいる、この雪入道の特徴が一本だたらに似ているという。
こういった山の妖怪達、山は山の幸であるキノコや木の実などを人々に恵んでくれるが土砂崩れや遭難するなどで危険な場所でもある、その事に例えて山の妖怪が想像されたと思われる。
「…と山には妖怪がたくさんいるんやで。」
夕夜は説明を終える。
「わぁ…」
「どうりで…」
ヨシオとカナコは怖がって動けない。
「何や?どうしたんや?」
ヨシオとカナコが怖がっている理由。
ウケケケケケケケケケケ…
ウイヒヒヒヒヒヒヒヒヒ…
ドシッ! ドシッ! ドシッ! ドシッ! ドシッ!
「何か、不気味な音が…」
「するんです…」
これらの音は先ほど話した妖怪達の鳴き声と声と足音だ。
「なるほどなぁ。こういった音を使って人を脅かす妖怪もおるんやで。」
【『音』の怪…】
人は恐いと考えると幻聴が聞こえてくる、なんて話を聞いたことがある。人の恐怖心が聞こえないハズのモノを聞こえるようにしてしまう。
また怪奇現象からも音が聞こえてくる。
こういった音も昔の人々は『音を使う妖怪』の仕業だと考えていた。
代表とするのはやはり『小豆洗い』だろう、その名の通り小豆を洗っている音を発する妖怪。
人が川辺に行くとどこからか…
ジャリジャリ… ショキショキ…
といった小豆を洗う音が聞こえてくる、そして歌まで聞こえてくる。歌詞はこうだ。
『小豆洗おか、人獲って食おうか、ショキショキショキ♪』
歌詞にある通り小豆洗いは人を獲って食べる妖怪と信じられているが音だけなため人を食べている様子もわからないし人を食べる時の音もしない。
想像上では小柄なおじいさん、また老婆、もしくは子供の姿をしていると伝承はバラバラ。
川といえば『川赤子』も音だけだ、川や池、沼を歩いているとどこからか…
オギャー… オギャー…
と赤ん坊が泣き声がする、これは川赤子の泣き声だとされている。
『今昔画図続百鬼』によると葦の葉の茂った川辺から上半身のみ姿を現した赤ん坊の姿で描かれている。
山では『がしゃどくろ』という妖怪がいる、この妖怪は戦死者の遺体が埋葬もされずそのままにされると骨が1つとなり大きなガイコツになると言われている。がしゃどくろは草原か山の中を歩く人に向かって…
ガランガラン!!… ガランガランガラン!!…
と大きな音を立てて人を脅かす、しまいには殺してしまうとも言われている。音をたてる妖怪にしては姿形ははっきりとしている、ただ単にどでかいガイコツの姿で描かれている。これはこれで恐ろしい妖怪だ。
山や川だけでなく家の中でも音の妖怪はいる、例えば『静か餅』がそうだ、栃木県益子町と大阪府に伝わる音の怪奇。
ペタン… ペタン… ペタン… ペタン…
静かな夜中に遠くの方で餅をつく音がする、しかもその音は移動している、だんだんと近づいてきてしまいにはその音を聞いた人を『静か里』という別世界に引きずりこんでしまうと言われている。
音だけでも人は恐れるものだと私は思う。
ほら、闇夜の中にいれば聞こえてくる。
………何か……不思議な……音が………
「どうや、音だけってのも恐いもんやろ。」
夕夜はヨシオとカナコに聞くが。
カチコチカチコチカチコチカチコチ
「何や?この『カチコチ』っていう音は?…」
この音はヨシオとカナコが怖がって固まっている音です、さっきから『妖怪』の音を聞いて恐がっているのだ。
「お~い!!」
パンっ!!
夕夜は手を叩いて音を鳴らしてヨシオとカナコを正気に戻した。
「わっ!?」
「さ!『音の怪』はもう終わりにして…」
夕夜はパチンッとフィンガースナップをまたする。
町中にいた、時代劇で視られる町だ。
夕夜とヨシオとカナコはこの町の真ん中に立っていた。
時間帯は夕方。
「何で!?夕方!?」
ヨシオは叫ぶ。
「驚くところソコかい……太陽が沈む時間、昼から夜に変わる時、つまり夕方は『不吉な時刻』やて昔の人はそう思っとったらしいんや、こういう時間帯は妖怪が出やすいんやで。ちなみに昔は夕方を『逢魔時』、『黄昏時』なんて言うとったんやで。」
とウキウキしながら答える夕夜。
「ひえぇぇぇぇぇぇぇ~……」
ゾ~っと背筋が寒くなるのを感じる二人。
「さぁ、耳をすましてみ。」
言われた通りに耳をすますヨシオとカナコ。
カタ コト カタ コト
ジャリジャリ ジャリジャリ ジャリリリ
コテン コテン コテン
ガタガタガタガタガタガタガタガタ!!
町中の家々から不気味な物音が聞こえてくる。
「なななななななななな!?…」
ヨシオとカナコは歯をカチカチ鳴らしながら恐がる。
「この音は文字通り、『物音』や♪」
「も……『物音』?……」
恐がりながら問いかけるヨシオとカナコ。
「物が音を鳴らしてんねや、物が『勝手に』音をな、先に言うけど『ポルターガイスト』やないで。」
【ちなみに…】
西洋では物が勝手に動き出し宙を浮く怪奇現象を『ポルターガイスト』と呼び幽霊の仕業と恐れているが、日本でも物が勝手に動く怪奇現象はあるが日本の場合は『ポルターガイスト』と呼ばず『家鳴り』と言い、こちらは幽霊ではなく『小鬼』が家の下から揺すっているのが原因だと思っていた。この『家鳴り』に関しては江戸時代の書物『太平百物語』や明治34年の『日刊新聞』の記事にこの怪奇現象が実際に起きた事が記録されている。
「ポルターガイストじゃなかったら何さ!?…」
ビクビクしながら問いかけるヨシオ。
「これはな、『付喪神』が動いとんのや。」
【『付喪神』の誕生…】
『付喪神』とは使い使われ数十年、数百年と使われ続けた『物』に神や霊魂が宿り自由に動き出すという『民間信仰』の一つだ。
『付喪神』と書かれているが実は『付喪』という字は当て字で正しい字では『九十九』と書く、この『九十九』は『長い時間』こと『99年』、『多種多様の物』こと『99種類』を意味していると言われている。
何故『付喪神』という妖怪が想像されたのか。
第一に古代の日本人は森羅万象、万物(あらゆるもの、宇宙に存在するすべてのものという意味)には『八百万の神』が宿ると考えており古くなった物、使われ続けた物ほど神聖で神々しく思っていた、つまりそういった考えから『付喪神』という妖怪が想像された。
また第二に『感謝』という理由もある。これは道具などに『大切に扱い手入れを絶やさぬように』という教訓が使い使われてきた『物』が『感謝』の気持ちとして動き出し大切に使ってきた人間に幸福をもたらすと考えていたのだろう。それが『付喪神』の想像の一つ。
第三はおもしろい理由だ、人々は『物がもし人格を持ち動き出したらどうなるか』をふと考えた。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて描かれたという『日本最古の漫画』と言われる絵巻物『鳥獣人物戯画』(作者不明)ではウサギやカエルなどの動物が人間のように二本足で立ち巻物を読んだり相撲をしたり動物が人間にしたらどうなるかを考えて描かれた、いわゆる『擬人化』だ。この『鳥獣人物戯画』を元に考え出し想像し人々の間に広まったのが『付喪神』だ。
江戸時代に『鳥山石燕』が描いた妖怪画集『百器徒然袋』に『付喪神』の姿が多く書かれている。
『付喪神』の中で主な妖怪はおそらく『傘化け』だろう。傘に大きな目玉と下があり柄の部分が一本脚になっているとても有名な妖怪だ。
『傘はいらんかえ?』
と言って人間の頬を舐めて驚かすという、よくあるおどかし方だ。
実は『付喪神』で有名になっているのは傘化けくらいでその他は存在すら知らない人が多い。
では特長のある『付喪神』を紹介しよう。
『白うねり』という付喪神はボロ布でできた龍の姿をした付喪神。何回も床などを掃除し汚くなった雑巾が誰も汚れを落とさずほったらかしにするとこの妖怪、付喪神になると言われている。
かなりの悪臭で人を気絶させるという。
『経凛々』という付喪神は不用となり捨てられてしまった仏教のお経が書かれた巻物が変異した付喪神。大きく開かれた巻物にクチバシがついた独特なデザインが特長。
『雲外鏡』という付喪神は古びた鏡に神か精霊が宿り付喪神化したもの。鏡には古来より神が宿る、神と接触できると弥生、古墳時代の時から信じられていた。その信仰がゆえにこのような付喪神が想像されたのだろう。姿形は不気味な顔が映っている丸い鏡のと大きな鏡をお腹にくっつけた狸の両方の姿が伝承に残されている。
『鈴彦姫』は鈴が変化した妖怪。頭に鈴が頂いた美しい女性の姿をしている付喪神だ。大和や飛鳥の時代から鈴は神霊を天から下ろすための道具とされていて、そのための鈴が付喪神となったのが『鈴彦姫』だ。
『瀬戸大将』という付喪神は特に伝承は無く、ただ『百器徒然袋』に画かれていた付喪神だ。瀬戸物の顔に武士の鎧を身にまとった付喪神だ。
『物』が動き出す、これは愉快と思う人もいるかもしれないが恐ろしいと思う人の方が多数だろう。
「へぇ~…」
ビクビクと怖がりながら感心するヨシオとカナコ。
「『付喪神』もなかなか奥が深い妖怪やろ、さっきもいったけど『妖怪』は『神々』の成れの果てや、『付喪神』もまた『神々』の成れの果てなんかもしれへんなぁ。」
夕夜はうんうんと頷く。
「さて、この家で休ませてもらおか。」
と夕夜は堂々と他人の家に入る、ヨシオとカナコも一緒に。
「…い……いいんですか?……」
「……かっ…勝手に……上がりこんで……」
ヨシオとカナコは歪んだ顔をしながら問いかける。
「ええんや、ええんや♪この家は空き家やし、それに…」
夕夜は家の中を見渡す。
「この家には人間やのうて『妖怪』が住んどるからなぁぁ…」
と夕夜の言葉で。
「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!……」
怯え悲鳴を上げるヨシオとカナコ。
【家中に潜む陰…】
山、川、沼、森など大自然の中に妖怪がいる、というのは勘違いだ、妖怪は至る所にいる。人間達が自分達の住む村や町をどんどん増やしていくと自然の中にいた妖怪達も行き場を失い人間の家や村々の中に住み着いてしまう事がある。もしくは人間が妖怪の住む場所にまで村々を造ったから妖怪が村や家の中に現れるようになる。
家の中に住まう妖怪で有名なのは『ろくろ首』、首が長くなる女性の姿をした妖怪だ。『ろくろ』とは傘の柄についてある傘を広げるための部品の名前でその『ろくろ』が上がるにつれてのびていくように『ろくろ』は首を長くのばすからこの名がついた
首を長くして灯りを灯すための油を舐める他、男の首筋の油も舐める、何故か舐められた男はその晩の事、首筋を舐められた事をスッキリと忘れてしまう。何故そうなるのにこうして伝承が残っているのかも不思議だが。
町中に出没する妖怪といえば第一に思いつくのは『一つ目小僧』だろう、町で人に出会い自分の顔、つまり大きな『目玉』を見せて驚かせる妖怪だ。これは『一つ目小僧』が好奇心が旺盛だからとも言われている。比較的無害な妖怪であるためか描かれる絵はほとんどかわいらしく描かれているのも特長的である。
『一つ目小僧』と似た妖怪で『豆腐小僧』という妖怪も町中に現れる妖怪だ。この妖怪は人前に現れて手に持っているお盆の上にある『豆腐』を食べてほしいと迫ってくる。この豆腐を食べた人間は身体中からカビが生えて死んでしまうと言われている。その豆腐は美味なのか不味なのかはわからないが食べようとは思えないだろう。
家中、町中で最も不気味な妖怪はやはり『ぬらりひょん』だろう。どこからともなく家の中に現れては勝手に上がり込む妖怪、『ぬらりひょん』が入った家にいる人間は誰一人気づかない、が誰かが気づいているからこそ『ぬらりひょん』の伝承があったのだろう。もしくは『ぬらりひょん』の気まぐれで人間の前に姿を現したのかもしれない。
見た目は商人か僧侶の格好をしている、妖怪には見えないが頭がブヨブヨとでかくて干し柿のような形になっている。
そして妖怪については世界一よく知っている妖怪研究家でもある漫画家『水木しげる』先生はこの『ぬらりひょん』こそ全妖怪達の総大将だという説をしている。この『ぬらりひょん』が出てくるフィクションでは『水木しげる先生』著作の『ゲゲゲの鬼太郎』では主人公『鬼太郎』の敵役、『椎橋寛』著作の漫画『ぬらりひょんの孫』では主人公『奴良リクオ』の祖父として出てくる。そういったフィクションに影響を与えるほどの妖怪だ。
妖怪はどこにでもいるしどこにでも現れる、まさしく神出鬼没な存在だということを忘れないでほしい。
もしかしたらあなたの家中にもう住み着いているのかもしれない。
「家中にも妖怪はおる、気ぃつけろや、もしかしたらおめぇらの家の中にすでに妖怪がおるかもしれへんでぇぇ……」
夕夜は不気味な声でヨシオとカナコに話しかける。
「は……はい……」
「わ……かり……ました……」
ヨシオとカナコはまだ怖がっている。
「あ、ぬらりひょんの大将!」
と夕夜が言いバッと後ろを見る二人、しかしそこには誰もいなかった。
「ちょっと、ジョーダンは止めてよ!」
ヨシオが言っている時に夕夜はフィンガースナップをする。
ザッパァァァン!!
気づけば三人は砂浜にいた。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!またぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
二人は叫ぶ。
「山や森、川や沼に妖怪がおるんやったら海にもおってもおかしくないやろ?」
夕夜は背伸びをしながら言う。
「海は神秘の世界、海に関する伝説は世界中のあちこちにある。まぁ今回は日本の海の妖怪の話やけどな。」
夕夜は双眼鏡を取り出して海を眺める。
【海の妖怪…】
山や森といった地上に妖怪がいるように海にも妖怪はいる。そもそも海は未知なる世界、ギリシャ神話では船乗りを襲う鳥人『セイレーン』、大昔の船乗り達の間では大きなタコかイカの姿をした巨大な怪物『クラーケン』に名前の通りの巨大な蛇『大海蛇』など世界各地に海の伝説はある。それは日本も例外ではない。
有名どころからまず紹介しよう、まずは『海坊主』、海の巨人とも言える巨大な海の妖怪だ。突如海の中から姿を現し船を沈めてしまうという。その姿は巨大でどす黒い、絵には海から現れる大きな二つの目玉がついた山のような姿、もしくは巨人のような半魚人の姿形で描かれている。
似たような妖怪で『海座頭』という妖怪もいる、『座頭』とは眼が見えない人のことをさすその昔の障害者に対する用語で琵琶を弾く『琵琶法師』をさす言葉でもある。『海座頭』は『海坊主』の仲間と言われており琵琶法師、もしくは盲人(眼の見えない人のこと)の姿をした巨人で船の前に現れては大きな波を起こして船を沈めてしまうという。
船を沈めてしまう妖怪では『船幽霊』というのもいる海難で水死した人間の怨霊か海の神々の成れの果てと伝承は様々、大きな柄杓(湯や水をくむ道具)で海水をくみ上げて船の上から海水をかぶせ沈め水死した船乗りを自分達の仲間に引きずりこもうとする。『船幽霊』から船を守るためには海にオニギリを投げ入れるか底の無い柄杓を用意するか、という方法がある。
現れるのは大雨の夜か満月の夜など様々だが必ず夜に現れる。『船幽霊』自体光っているため闇夜の中でも不気味な光を見つけたのならばそれが『船幽霊』だ。
海上だけでなく海岸にも妖怪が現れる、『牛鬼』がそうだ。非常に獰猛かつ凶暴で口から吐く『毒息』で人を殺し肉を食べてしまうという。『牛鬼』という名前の通り頭が牛で胴体が鬼というギリシャ神話に出てくる『ミノタウロス』と似たような姿をしているがその逆で顔が鬼、胴体が牛という場合の伝承もある。しかし伝承の中には牛と鬼を合わせたような顔に蜘蛛の胴体という恐ろしい姿で画かれていることもある。
近畿地方に四国地方、九州地方のあちこちに伝承があり福島県にある観音寺には『牛鬼』の手と伝わる『ミイラ』が保管されている。
恐ろしい妖怪としては『トモカヅキ』という妖怪が恐い。この妖怪は海中に潜み、海の幸を捕る海女の前に現れる、しかもその姿はその『トモカヅキ』を見た海女とそっくりなのだという、つまり『トモカヅキ』は海中にいる『もう一人の自分』という事だ。『トモカヅキ』とは『同一の潜水者』という意味の方言である。このもう一人の自分に会うと暗い海底に連れていかれて命を奪われると恐れられてきた。
見分け方にはその海女の姿での鉢巻の先が異様に長いという唯一の違いがある。『トモカヅキ』から身を守るための魔除けに『五芒星』が使われる。
『骨鯨』というその名の通り骨だけの鯨の妖怪もいる。まだ日本海でも多くのクジラが獲れていたころの時代、出雲国、今で言う島根県北部の島根半島に伝わる妖怪。とある漁師が白い鯨が泳いでいるのを見つけ銛をたくさん打ちこんだけど何故か一本も当たらず近づいてよく見るとその鯨は骨だけで肉も皮も何も無かったという。しかしこの妖怪は海上に現れるだけで何もしないらしい。
1983年の4月辺りに石川県鳳至郡、今は珠洲郡との境界線が消滅した事で合併して鳳珠郡となった群の穴水町の前波漁港で沖合い500メートル先で巨大な骨格らしい物体が引き上げられ『骨鯨』と呼ばれマスコミに報道された事例もある。この骨格らしき物が『骨鯨』だったかはまだ判明されていない。
海には数々の伝説、伝承がある。それは海こそ神秘の世界だと主張しているのだからかもしれない。
「海は広いな~♪」
と夕夜は双眼鏡で海を眺めている。
「はい、そうですね……」
ヨシオとカナコはテンションの低い声を出す。
「ん?どないしたんや?……わぁ…」
二人は岩のハリボテで身を隠している。
「おまえら何しとんねや!!」
「だって、砂浜に『牛鬼』が出るって話をするから!」
「襲われないように隠れてたの。」
「あのな~…」
夕夜はガクッと肩を落とす。
パシャン!
何かが海に落ちる音がした。
「お、現れたか!?」
夕夜は双眼鏡で海を見る。
「え!?何が!?」
二人は問いかける。
「『人魚』や!『人魚』!」
と夕夜は答える。
「あはははははははははははははははははははは!!」
二人は笑う。
「どないしたんや?…」
「だって、『人魚』って下半身が魚になってるアレでしょ!?」
「それって『人魚姫』に出てくるヤツでしょ!?」
「そんなのイギリスにいるアレでしょ!」
「『ぴちぴちピッチ』に出てくるヤツでしょ!」
「日本に『人魚』いるわけないじゃん!!」
まだ爆笑する二人。
「ハァ…」
夕夜はため息をつく。
パチン!
夕夜はフィンガースナップをする。
すると海の中にいた。
ブクブクブクブクブクブクブクブクブクゥゥゥゥ!!
二人は溺れている、というより泳げる人でもいきなり海中にワープになったらこうなる。二人はすぐに海上に出る。
「ブハぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ハァ、ハァと息継ぎをする二人。近くにあった岩の島に立ち寄る。
「『人魚』の事をバカにした罰や……」
怒ってる夕夜。先に岩島に上がっていた。
「えぇか、『人魚』はな、欧州(ヨーロッパのこと)だけの伝承ちゃうぞ、海の伝説には大抵は『人魚』の伝説が出てくる。もちろん日本にも『人魚』はおる。」
【日本の『人魚』…】
『人魚』と人が聞けば思いつく姿は『上半身が人間で下半身が魚の尾びれ』という想像絵。
これは人々が海に対する神秘の擬人化、もしくは人と魚を『ギリシャ神話』に登場する半人半馬の亜人『ケンタウロス』のようにくっつけただけの遊び心のある想像だと考えられる。
もしくは本当にこんな海の生物がいたのではと考える人もいる。
しかし今の時代で知られている『人魚』の姿は上記に書かれた『上半身が人間で下半身が魚の尾びれ』。これはヨーロッパに伝わる姿形。
何故この姿が人々の想像図として定着しているのかと言うと、やはり原因はデンマークの童話作家『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』が書いた『子どものための童話集』にある一作『人魚姫』だろう。世界的に有名な悲恋物語でこの作品をもとに書かれた人魚を題材にした作品はたくさんある。例えば『横手美智子』と『花森ぴんく』作の少女漫画『ぴちぴちピッチ』、『ジブリシリーズ』の映画『崖の上のポニョ』だ。
例を出したがこの二作品は共に最後は『ハッピーエンド』となる作品、『人魚姫』は最後は人魚姫は王子と結ばれることもなくあの世に行ってしまう話、『バッドエンド』である。これは何度も失恋を繰り返した果て生涯を独身で通したアンデルセンの想いがこめられているのだと解釈されている。私はそう考えている。
話がズレた。今の人々はヨーロッパの『人魚』が『人魚』と思っているかもしれないが『人魚』はヨーロッパだけではなく中国やパプアニューギニア、そして日本にもいた。
中国の『人魚』は古代中国から伝わっており人の祖先と考えられていた、一種の『海棲人類』だと思われていた。この考えは他の国々には無く、これは古代中国独自の『進化論』である。
パプアニューギニアの『人魚』は二つの伝承でそれぞれで伝わっている。まずニューアイルランド島の東に住む民族『ナケラ族』の間では『リー』という『人魚』の生物の伝説がある。また『イコン村』に住む民族『ススルンガ族』の伝説にも『イルカイ』と呼ばれる『人魚』の伝説が伝えられている。
日本の『人魚』はヨーロッパのと少し似ていて『人間の上半身に魚の尾びれの下半身』であるが『身体全体が魚じみている』という違いがある。日本で初めて『人魚』の存在を確認したのは619年の摂津国、今の大阪府で漁師の網に人魚が捕えられたという記録が『日本書紀』に書かれている。
『聖徳太子』が近江国、今の滋賀県に訪れた時、聖徳太子はそこでとても弱った『人魚』に出会ったという、その『人魚』は『殺生を繰り返した漁師の生まれ変わり』だと言いそのせいで苦しんでいたという、聖徳太子に『葬ってほしい』と懇願した後死んでしまった、聖徳太子はその人魚が不敏に想い、自作の『千手観音』を祀った『観音正寺』を建設させ『人魚』を手厚く弔ったという。
鎌倉時代の『古今著聞集』には、日本の『人魚』と『魚の身体に人間の頭』の姿だとされていたが、江戸時代後期にはヨーロッパ同様『人間の上半身と魚の下半身』と伝えられるようになる。これは『黒船』でヨーロピアンがヨーロッパの『人魚』の姿を伝えたからだと思われるが『黒船』が来た時点でパニックとなりそんな妖怪の話など広がらないと思われるためその線は薄い。
日本の『人魚』はどれもこれも『恐ろしい』ものとされている、江戸時代の越中国、今の富山県では角を持った全長11メートルの恐ろしい『人魚』が人々を食べていたと伝わっている。若狭国、今の福井県南部、漁師が岩の上に寝ていた人魚を殺した、その後村では海鳴りや大地震が頻発し『人魚』の祟りだと恐れられその『人魚』を殺した漁師を生け贄に悪霊退散を行ったという。このように人魚が恐れられたのは、中国の『山海経』に登場する、赤子のような声と脚を持つ人魚の影響を受けたためといわれる
そして『人魚』の肉には『不老長寿』、つまりかなりの長生きができる養分があるという伝説がある。
これで有名な話が『八百比丘尼』だ、『やおびくに』もしくは『はっぴゃくびくに』とも呼ぶ。『比丘尼』とは仏教での女性の僧侶『尼さん』のこと。『八百』は文字通り『800』のこと。
ある男が見知らぬ男に誘われ宴会に招かれ、そこで宴会の主膳に『人魚の肉』が出されたのを見てしまい気味悪がって食べる気を無くす。勧められるが食欲の無い男はそれを土産として持って帰ることにした。そして男が家に帰ると男の娘がその肉が『人魚の肉』とも知らず食べてしまった。そして娘は不老長寿を得た、しかし何年も生き幾人もの夫や子供に先立たれ不老長寿の運命に苦しんだ娘、娘は『尼』となり諸国を転々と周り木々を植えて行った、そして娘は『800歳』まで生きた、という話が『八百比丘尼』だ。
『不老長寿の運命』、それは長生きしても周りが変わっていき自分自身が孤立してしまうということだ。
日本の『人魚』の伝説はこの他にも人間の運命を預言する顔が鳥みたいな『アマビエ』、赤ん坊を抱いている『磯女』、ヘビみたいな胴体を持つ『塗れ女』という『人魚』もいる。
『人魚』はヨーロッパ『だけ』の伝承、という考えは捨ててください、日本にも恐いが立派な『人魚』の伝説はあります。
「……ということや、わかった!?」
と夕夜は言う。ヨシオとカナコは珍しく。
「そうか、日本にも『人魚』がいたのか…」
「ちょっと感動…」
感心している。
「………何や今まで無かった反応で拍子抜けるわ…」
夕夜はコケッと転ける。
「さて、えらい長々と話してもうたわ。」
「え?…」
「おまえら、家に帰らなアカン時間やで。」
と夕夜はフィンガースナップをする。
ヨシオとカナコはいつの間にか元いた公園に戻っていた、ヨシオとカナコはさっき海に落ちたのに服は全く濡れていなかった。
そしておかしな事に、夕夜がいなかった。二人は自分達は夢でも見ていたのか、そんな気分だった。
トボトボと家に帰るヨシオとカナコ。ヨシオの家に向かう、カナコは今日の事についてヨシオの家で二人っきりで話し合おうと。ヨシオとカナコはやっぱり『妖怪』はこの世にいるんだ、と信じてしまっていた。
「ただいまー……」
「おじゃましまーす……」
二人はヨシオの家に到着。
「おかえり。カナコちゃん、いらっしゃい。」
ヨシオの母が明るく出迎える。
「早く部屋に行って、お父さんに『お客さん』が来てるから。」
ヨシオとカナコはしぶしぶ部屋に入った。
そしてしばらく沈黙だった。
今日はいろいろあった、不思議なお兄さん『夕夜』から妖怪を教わり、川に行ったり、山に行ったり、不気味な音を聞いたり、昔の町中で『物』が動いたり、家に潜んだ妖怪に会ったり、海に行ったり、海に落ちたり。
「今日は変な一日だったね……」
カナコはボソッと言う。
「あの夕夜って人、『妖怪』だったのかな?…」
ヨシオもボソッと言う。
「………かもね……」
カナコはまたボソッと言う。
「…『妖怪』にしては、いろいろ教えてくれた…」
ヨシオはボテッとベッドの上に倒れる。
「何が目的で『妖怪』の話を?…」
「わからない…」
「だよね………」
ヨシオとカナコはこんな不思議な体験をして、ちょっとだけ大人になったような気分だった。
ガチャンッ!
「ただいまー!」
お父さんが帰ってきた、ヨシオに向かって『妖怪なんかいない発言』をした人だ。
「おかえり。お父さん、『お客さん』が来てますわよ。」
「お客さん?」
ドア越しから聞こえる会話、ヨシオが思う『父の客人』、それは仕事関連の人が多い、そんな印象しかなかった。お父さんと『お客さん』の会話を聞く。
「お待たせさせたようで申し訳な……」
父の声が止まった。
「おまえは!?…」
父のおどろいた声。
「何や、何やぁ?つれへんなぁ、せっかく『昔なじみ』がやって来たんやでぇ。」
父の声の後に聞こえてきた関西弁で聞き覚えのある声。
「この声!?」
ヨシオとカナコは急いで部屋を飛び出し父と『客』がいるリビングに走る。そしてそこにいたのは父と『夕夜』だった。
「夕夜さん!?」
ヨシオとカナコはやっぱりだと思い大声を出す。
「よ!ちゃんと帰ってたか!」
夕夜は陽気にあいさつする。
「な!何でおまえが息子のことを知っている!?」
お父さんは問いかける。
「あぁ、さっき公園で会うて『妖怪』を探してるとか言うとったから『妖怪』についていろいろ教えてあげたんや。昔の『トンちゃん』みたいになぁ♪」
と夕夜はニコニコ顔で答える。
「『トンちゃん』?……」
夕夜は指差す、お父さんに向かって。
「『八坂藤吉』、あだ名が『トンちゃん』や♪」
夕夜はニコニコしてる。
「それよりも、何でおまえがここにいる!」
「何でって、トンちゃんに会いに。」
「おまえは『山の中』にいるんじゃないのか!」
「前にも言うたやん、『わしら』はどんな場所でも生きれるって。」
「ねぇ、お父さんと夕夜さんは知り合いなの!?…」
「あぁ、昔トンちゃんが山に『妖怪探し』に来た時に会ったんや。」
「おい!…」
「そんで、『妖怪』についていろいろ教えてやったんや、ちゃんと教えたのに『妖怪はんかいない!』はひどいやろ。」
夕夜はヤレヤレとなる。
「せやからトンちゃんと同じように『妖怪探し』をしていたトンちゃんの子供に同じように『妖怪』のあれこれを教えてあげたんや、またそんな事言わさへんためになぁ♪」
夕夜はまだニコニコ顔。
「けど、どう見ても同い年とかに見えないですね。」
とヨシオの母が言う。たしかに夕夜は20代の顔。お父さんは35歳だ。
「『妖怪なんていない!』はひどい、ひどいわ。」
またこの言葉を言う夕夜。
「現にこうして、『目の前におる』のになぁ…」
と夕夜はニコニコをやめて衝撃的な言葉を発する。
「えっ!?」
ヨシオとカナコはおどろく。
バサァッ!!
夕夜の背中から大きな黒い翼が現れた。黒い羽が夕夜を包みこむ。
「うえっ!?」
「何!?」
黒い羽で一瞬目を閉じたヨシオとカナコ。またまた目を開けるとそこには。
バサッ! バサッ! バサッ! バサッ!
大きな黒い翼が背中から生やした黒い鳥『カラス』の『妖怪』がいた。
「わしは『鳥天狗』の『夕夜』、久しぶりに名乗ってみたわ……」
夕夜は正体を現す。夕夜は『妖怪』の中でもトップクラスの妖怪の一つ『天狗』だ。
「じゃ、最後のお話といこうか、最後は『天狗』の話や……」
【大妖怪、天狗……】
『日本三大妖怪』といえば『鬼』、『河童』、そして『天狗』だ。
『天狗』は河童や鬼と同様によく人々の間で知られている妖怪だ。
『天狗』は二つの姿で知られている、一つは大きな身体に赤い顔に特徴的な長い鼻、大きな翼に山伏の服を着用した姿の『鼻高天狗』。もう一つはカラスの顔に大きな翼という『インド神話』に出てくる『ガルーダ』のような『鳥人』の姿の『烏天狗』の二つ。ちなみに『鳥人』はハワイ諸島にまつわる伝説でもある。
『天狗』という言葉は元は中国にあった古い言葉で凶事を知らせる流星を指す。それが上記の同じ通りに卑弥呼の時代にいろいろと中国の伝承の中にこの『天狗』のことも記載されていた。
それが徐々に変わっていき平安時代初期には『鳥天狗』のような姿、江戸時代中期のころに今知られている『鼻高天狗』の姿に変わったと伝わっている。
『天狗』の正体は上記にあった『正しい神』に選ばれなかった『偽りの山の神』、または『偽りの風の神』だとも言われているが本当のところはハッキリしていない。
『天狗』の正体は『人間』が変貌したものだという記録もある。そしてその『天狗』に変身した『人間』はほとんどが仏に仕える者、つまり僧侶か坊主が傲慢になったから、また『外道』に落ちた人間がなるという。『鼻高天狗』の鼻が長いのは傲慢、いばっているからだという。
『天狗』になった人間で有名なのが平安時代後期の『崇徳天皇』である、1119年7月7日に『第74代天皇』の『鳥羽天皇』と中宮の藤原璋子との間の第一皇子として生まれ、1123年にわずか4歳で次の天皇『第75代天皇』として即位した。
しかし父の鳥羽天皇には忌み嫌われていた。原因は嘘か本当か崇徳天皇は『第72代天皇』で鳥羽天皇の祖父『白河法皇』と璋子が密通して生まれた子だかららしい。その事を知り、しかも白河院によりムリヤリ譲位させられ『天皇』から『上皇』に変えられた鳥羽院の怒りは凄まじく、それが崇徳天皇を嫌っていた理由なのだという。
そして周囲からも嫌われ続けた崇徳天皇、その後に鳥羽上皇によりムリヤリ譲位させられ鳥羽上皇の時と同じく『天皇』から『上皇』へと変わった。次の天皇は崇徳天皇の異母弟の『第76代天皇』の『近衛天皇』。
しかし近衛天皇は病弱で17歳という若さで死に、その後は『第77代天皇』で近衛天皇の異母兄で崇徳天皇の異母弟の『後白河天皇』が即位した。
1156年7月20日、鳥羽上皇が死に、崇徳上皇が動き出し政の全権を握ろうとし後白河天皇と対立する、そして起きた戦が『保元の乱』である。
この戦いに敗れた崇徳上皇は流罪となり讃岐国、今で言う香川県に流された。
その後、今までの恨みを晴らすため不気味な陰陽術や呪文を唱えて京の都や自分を『保元の乱』で打ち破った武士の家系などに『呪い』を撒き散らした。
その時の崇徳上皇の姿は白い髪が足下にまで伸び、爪が異様に伸び、痩せ細った骨のような身体で恐い目付きをしていた。まるで生きた『怨霊』のようだったと伝わっている。そして崇徳上皇は『天狗』になったという。
恨みつらみが人を変えると言われるがそれを強く表現しているのがこの『崇徳怨霊伝説』だと考えられる。
『天狗』は人間には使えない様々な不思議な『術』を持っている。
『天狗』がよく使う『術』、それは『天狗礫』。山を歩いていたら上から石が落ちてくる、立ち止まってみると石は一つも見当たらない、川や池にも石が落ちてポチャンという音や水しぶきはあがる、しかしこっちでも石は見えない。
また山道で頭の上を大きな石が飛びかう『天狗礫』もある、この大石に当たると病気にかかり運が良ければ回復するが悪ければ死んでしまう。この大石に当たらないようにするにはただ地面に伏せるだけでいい。
『天狗』は『火』を操ることもできる、それが『天狗火』だ、山から丸い火が舞い上がり飛び回って人に近づいて来る。この『天狗火』を見た人間には『災い』が起きる。また星空の下でたき火のような火が突如現れ、動き回り、増えたり一つになったりする。
こういった『天狗火』もある。山の奥地、遠くに出ている火なのに呼ぶとすぐ目の前まで飛んでくる。この『天狗火』を見ると病気になるので上記の『天狗礫』のように地面に伏せて見ないようにするのが良い。
『天狗笑い』という術は山道を歩いていると。
わははははははは!!
笑い声が聞こえてくる、ただそれだけではない、笑い返すとさらに大きな笑い声が聞こえてくる。それだけでも人をおどかす事はできる。
『天狗囃子』、これは雨が降った日、霧が出た日にどこからともなく。
ピィィィィヒャラララァァァ♪ ドンドンドン♪
笛や太鼓の音が鳴り響く。また晴れた日の山でこの『天狗囃子』の太鼓が鳴るとその日はどんなに晴れ渡った空でもたちまち雨となる。また山でどこからか鳴り響くほら貝の音を聞くと幻を見せられて山の中で遭難してしまう、これも『天狗囃子』である。この『術』と『天狗笑い』は上記に出た『音の怪』と同じものである。
『天狗』の『術』で一番不思議な『術』が『天狗倒し』である。夜、山中にある小屋やお堂に泊まっていると外の闇の中から。
シャーコ シャーコ コーン! コーン! メキメキメキ!
ドシイィィィィィィィン!!
刃物をとぐ音が聞こえたり、木を切り木が倒れる音がする。朝起きて、音がした方へ行って見てみると、木は一本も倒れていない。
他にも木を倒す音がして遠くにいると大きな木が倒れるのが見える、しかし近くまで来てみるとその大きな木は倒れていない。
そして『空木返し』、またを『空木倒し』という『天狗倒し』の一種もある。こっちは斧の音がして木が倒れる音はするのだが。
カコーン! カコーン! カコーン!
バキィ! メキメキメキィ!!……………………
ドシイィィィィン!!という地面に倒れる時の音がしない。
中でも恐い『術』が『天狗攫い』、またを『天狗隠し』である。これは『神隠し』の一種で『天狗』が原因だとされている。これは江戸時代から伝わる伝承で子供が山中で行方不明となる原因は『天狗』とされていた。『天狗』が子供を誘拐し数ヶ月、または数年間『天狗』が棲家に連れて行き『天狗』は一緒に空を飛んで日本各地の名所を見物させたり『天狗』の様々な知識や『術』を教えたりなどしてから元の家へ帰すのだという。ヒドい事、悪い事は全くしないそうだ。
この『天狗攫い』、主に長野県や兵庫県で起きていたらしい。
他にも『天狗』には『隠れ蓑』という道具があり、これを身に纏えば姿を消す、つまり透明になれるという。ようするに『透明人間』になれるということだ。
『天狗』の中でもさらに強い『天狗』を『大天狗』という。『大天狗』は善悪の両方を持つ『天狗』で神として崇める人もいる。日本の中世、平安時代初期の頃には『大天狗』は日本の『大魔王』とされていた。
『大天狗』は中国の『仙人』のように様々な偉業を為したり仏教に対抗したりしていた。場合によっては国家を揺るがし神仏の力をもってしても倒す事のできない大妖怪とされていた。
『天狗』といえばやはり『団扇』だろう、鳥の羽根で作った団扇。その羽団扇で突風、疾風、強風、竜巻、鎌風といった多種の風を起こす事ができる。
『天狗』の羽団扇が風を起こすのは有名な話だが実は『天狗』の羽団扇は風だけでなく飛行、縮地、分身、変身、雨天、火炎、折伏など様々な力を起こす事ができる。
ただ持っているだけで妖魔退散の効果があり武器として敵に使うこともある。
また『大天狗』を祀る神社の紋には団扇の形をしているものが多いが、ほとんど棕櫚の葉の紋であり、『天狗』の羽団扇とは関係がない。『天狗』の羽団扇と混同されがちなので注意が必要である。
『天狗』の羽団扇の羽の数は奇数で束ねられていて11枚とされることが多いが神社によっては9枚、13枚とされている所もある。
もし『天狗』などにあったら失礼の無いようにしてほしい、『天狗』は神々しくとてつもなく強い『大妖怪』なのだから。
「………どうや?思い出したか?…トンちゃん?…」
と鳥天狗の夕夜は問いかける。
「というか、おまえと再会した時点でいろいろと思い出した…」
藤吉はおびえながら言う。
「へへ、わしら『妖怪』にとってなぁ、嫌われるよりも殺されかけるよりも『イヤな事』があんねん、わかるか?」
と夕夜は問いかける。
「わからない…」
とヨシオとカナコは言った。
そして夕夜はこう答えた。
「『忘れられる』…ことや……」
ヨシオとカナコは気づいた、夕夜が悲し気な表情をしたことに。
「『妖怪』は名前と姿を知られてこそ価値があんねん、忘れられたら終わり……『死んだ』も同然や……トンちゃんに忘れられて、わしは悲しかったわぁ…」
夕夜は続いてヨシオを見る。
「……でトンちゃんに『妖怪』のことを思い出してほしくて、ちょうど『妖怪』を探してたトンちゃんの子のヨシオ君使ぉて、というか『天狗攫い』して『妖怪』のこといろいろ教えてトンちゃんにも伝わるようにって思ったけど、やっぱ自分で会いに行こって思ったってワケや。」
となにやら自分勝手な部分が多い理由を話す夕夜。
ヨシオとカナコが川や山や昔の町にワープしてたのは、あれは『天狗攫い』だったのだ。
「ま、ムリヤリやったけど、わしのおかげで『妖怪』の知識手に入ったやろ♪♪」
急に明るくなる夕夜。そしてヨシオとカナコに言う。
「ヨシオにカナコ、おまえら子供が『妖怪ウォッチ』っていうゲームをやるのは構わん、けどなこの世に存在する真の『妖怪』の事は忘れんといてくれや。さっきも言うたけど『妖怪』は忘れられるのがむっちゃキライなんや。そこんとこ頼むわ。」
と夕夜は翼をバサバサとはばたかせながらお願いする。
「トンちゃんもやけど、また『妖怪』のこと忘れられたらまたわし来るからな!」
と笑いながら怒鳴る夕夜。
「さて、わしはもう帰るわ、時間やから。また会いに来るかもしれんからな。また言うけど『妖怪』忘れんなや。んじゃ、バイバ~イ♪」
と夕夜は羽団扇を取り出しブンッと振るい風を巻き起こす、ビュウゥゥゥゥっと風が夕夜を巻きこむ。すると夕夜は風と共に消え去った。
ヨシオとカナコ、藤吉はまるで嵐が過ぎ去ったかのような気分になっていた。
「帰っちゃいましたね。」
と言うヨシオの母。
その後、ヨシオとカナコはたまに『妖怪ウォッチ』をやり、主に『妖怪』関連の本を読んでいる。
藤吉ももう『妖怪』について『夕夜』について忘れないように読書の本を『妖怪』関連の小説を読んでいる。
ヨシオとカナコ、藤吉はしばらく『妖怪』の事は忘れないだろう。
私は『しばらく』と言った…
これは人間は忘れる生き物だからだ…
時間が経てば忘れる…
そして、忘れてたら…
『彼』がまたやって来る…
自分を忘れてほしくないから…
覚えていてほしい……
少しでもいいから……
そして忘れないでほしい……
決して……
そして……
子供に知ってほしい『妖怪』の知識……
読んでくださった方々、ありがとうございます。
私は最近の子供達を見ているとゲームのやり過ぎで『妖怪』に関して誤解をしていると危機感を持ち、この小説を1ヶ月かけて書き上げました。
図書館とかに行って『妖怪』の伝承とか調べて大変でした。
私は『妖怪』をこよなく愛しています。
だから今の子供達にもわかってほしいのです。『妖怪』の知識を。
そして『妖怪』からの催促なのか、今日(10月19日)にパソコンの前で休憩しようと思い立ち上がったら、『コツンッ』と左に置いてあった本に『石』が落ちたような気がしたんです。けど落ちた後もなければ『石』も無い。
で私は思った、これは『天狗礫』だ。『天狗』や『妖怪』が早く書け、と催促してるんだって思いました。
でもう急いで書き終えました……
この小説を読んでくださった人へ。
感想聞かせてください。
お願いします。