右クリック
ほんの少しだけダークな部分があるかもしれません。
ぎし、ぎし。
背筋が伸びると言われた椅子に座り、脚をばたつかせる。
虹彩越しに見えるぼやけるブルーライト。ぼんやりと視界の端に映る英語で書かれた四文字の社名。
額に陣取っていたノンフレームの眼鏡をかける。
視界を遮っていた前髪をかき上げ、パソコンに向き直る。
開いた窓は5つ。ワード、youtube、お題サイト、そして――お気に入りのあの人のHP。
目の前の壁に貼った紙には、僕の乱雑な字で“0215 1000 締切”と書いてある。
そう、僕は新人賞に応募するために、今小説を書いている。
『――クレイオは淀んでいた。重力に反して飛び上がろうとしたが故に、彼はこうやって落ちている。堕ちている。無重力の世界を体感する暇もなく飛び上がった空気を吸う暇もなく水中に引き戻され、落ちていく。
「ああ、ヘリオス、」
呟いた言葉はごぼ、と鈍い泡になって消えていった。最早彼の眼に太陽の光など見えるはずもない。
見えるのはぼやけた自身の腕と、咽喉の奥から垂れ流れていく濁った赤。
左腰にある剣がやけに重い。だがクレイオはそれをしっかりと握りしめて離さなかった。
「もう一度、上がれるだろうか」
クレイオは腰枷を抜いた。ゆったりとした動作で。
「なあ、ヘリオス」
お前ともう一度肩を叩いて抱き合える日が来るんだろうか。いや、きっと、必ず漕ぎつけてみせる。
暗闇に沈んだ世界を切り裂く一閃の太刀。水中とは思えないほどの力強さで、渾身の力で、剣を振った。――』
これは“Rumpelstilzchen”というサイトのウェブ小説“Pandora”の一節である。
僕がこよなく愛している作品だ。
窓を閉じ、ワードを開く。
『――藤谷美咲は淀んでいた。時折音もなく彼女はこうやって暗闇に落ちている。堕ちている。無重力の世界を体感する暇も、飛び上がった空気を吸う暇もなく、水中に引き戻される。
「愛してたの」
呟いた言葉はごぼ、と鈍い泡になって消えていった。最早彼女の視界に太陽の光など見えるはずはない。
見えるのは霞むの彼女の腕と、のどの奥から吐き出された濁った赤。
左腰にある鞄がやけに重たい。けれど美咲はそれを決して離そうとはしなかった。
「もう一度、っ……!」
美咲は肩からかけていた鞄を外した。ゆったりとした動作で。行き場をなくした鞄はゆったりと沈んでいった。
「取り戻してみせる‼」
お前ともう一度肩を叩いて抱き合える日が来るんだろうか。きっと絶対に必ず戻って来る。
暗闇に沈んだ世界を切り裂く一筋の希望。光が差していた。美咲は水中とは思えないほどの力強さで、渾身の力で、水を掻いた。――』
これは、今僕が書いている小説、“泡沫少女といばら姫”だ。
ガタガタと音を立てて打ち込む。リピートされていた音楽が切れて、感覚が戻ってくる。
蝉の騒がしい鳴き声が鼓膜を強打する。
ヘッドフォンを付け直して、音楽をまたかける。ピコピコと鳴る電子音が心地いい。
パソコンの横の携帯がぼんやりと緑色の光を出した。高鳴る胸を必死に抑えつけながら画面を開く。
『返信遅れてごめんね! 原稿、どう?(´・ω・`)』
『うーん、計画通りで順調といっちゃ順調だけど、間に合うか心配』
こんなそっけない返事しかできない自分が嫌になる。もっとコミュ力つけておくべきだった。
彼女は可愛らしい顔文字を多用しながら僕をその気にさせる。本当、女の子って狡い。
数十分ほどメッセージをやり取りした後、持っていた携帯が震えた。アラームだ。
『学校行かなきゃ、またあとでね』
『うん、いってらっしゃい♪』
ああ、いい子だ。電源を落としてリュックに仕舞う。
テキストを詰め込んで、タブレットを押し込んで、自転車置き場まで降りる。
早く講義が終わればいいのに。今日は朝から晩までぎっしり詰め込まれている。小さくため息を吐くと学校に向かった。
*
それから二週間後、原稿が出来上がった。
*
『ただいま』
『おかえりなさーい!』
ああ、癒される。本当に。
『遅くまでお疲れ様です』
『ありがとう(*´ω`*)』
彼女の名前は、“もこ”。本名は、下の名前は“沙紀”というらしい。
多分女性。声を聴いたことはある。年齢は17歳。
彼女とはかれこれ二年ほどの付き合いだ。同じオタク的な趣味を持つ、かなりマイナージャンルも網羅している人。僕が驚かされたことも数回じゃ足りない。
未成年に恋をしているなんて犯罪じみてるなあ、なんて思いながら、指を動かすと、飛び込んできたメッセージに目を奪われた。
『同人イベ参加しますよね? 私もなんです~! 今度どこかで会えませんか?』
おおおお‼‼ 喜んで‼‼
と返したいところだが、僕は生憎キモヲタ。しかも相手は未成年。これは犯罪じゃないだろうか。
いや、丁重にお断りするべきだ。……べきだ。
『いいですねえ』
とかうっかり返しっちゃった僕の指を今後一生呪いたい。
これじゃあキモヲタの上に出会い厨みたいじゃないか。気持ち悪いって思われないだろうか。いや絶対思われた。
『いつお時間取れそうです?』
『えーと…………』
と、とんとん拍子で話は進んだ。
結局僕らは今月、つまり8月の20日に会うことになった。
なんだか楽しみだ。浮かれる心を精いっぱい鎮めようとした。
いや、その前に選考結果がどうなるかが問題だ……。確か、選考作品がネット上に公開されるのが、今月の15日。
ああ、今月は浮き沈みが激しい月だ。
*
15日、午前三時。ネットを開く。
僕の作品が……公開されて、いた。よっしゃあああ‼‼‼
叫びだしたい気持ちを堪えて、携帯を開く。きっと彼女は寝ているだろうけど。
『選考残ってた! 嬉しい つURL』
ああ、早く彼女に会いたい。
家を出る前に携帯をチェックする。彼女からのメッセージが一つ入っていた。
『よかったですね! さっそく読んでおきまーす♪』
顔がにやけるのを止められそうにない。素早くポケットに仕舞って、駆け足で家を出た。
*
「こんにちは、はじめまして」
「あ、こんちは……」
“もこ”さんは、想像通り、可愛い子だった。と書くと犯罪臭が漂いそうだけど。
とにかくいい子そうだし……この書き方もアウト? じゃあしょうがない。
同志って雰囲気だった。これでどうだ。
「沙紀です。えぇと……“alter”さん? それとも、えぇと、“夜一”先生? それとも本名のが良いですか?」
「んー、本名で。僕は、沙紀さんって呼べばいいのかな」
「うん。えーと、じゃあ俊さん。どこ行きます?」
おお。なんだかカップルみたいだ。事実全然違うけど。
「ここら辺、聖地らしいし、巡ってみたいなと思うけど。どう?」
「いいですね!」
僕らが熱を入れているゲームの“聖地”。こんなに近くにあるとは、と思いながらも今まで廻ったことはなかったから、今回時間が許す限り楽しみたい。
それに横にこんなにかわいい子がいるんだ。楽しまずにはいられない。
「じゃあ、まずどこ行く?」
「えーと、ここの商店街ですかね、次はこの線路で……」
ぶらぶらと歩きながら、他愛もないことを話した。時折、ちらちらと僕を見上げてくる顔が可愛らしい。
お昼を済ませた後、この近辺で巡っていないところはないかと確認する。
携帯を覗き込む彼女が、ここからほど遠くはない一点を指差した。
「あ、あれも一応聖地ですよね。リア充のプレイヤーが行く」
「え、あ、あれ? ……あ、あぁ、そうらしいね」
彼女が指差した先にあるのは、……うん。つまりはそういう場所だ。
脱童貞していない僕にはいささかハードルが高い。いや、高すぎる。
青くなったり赤くなったりしている僕を横目に、沙紀さんは進んでいく。
「あそこです♪」
そこに辿り着くまでに小高い丘を登らないといけない。蝉の騒がしい鳴き声に遮られて彼女の声が途切れ途切れに聞こえる。少し歩くと、木陰にバス停とベンチがあった。
「ああ、ここですね……」
ちょこんと腰を下ろして、僕を見上げて笑う。それがなんだか年相応で可愛らしかった。
彼女は僕と、彼女の掌を交互に視ながら、何か言いたげな顔をしていた。
「どうしたの?」
「…………私が今日こうやって会おうと言ったのは、あなたにお話があったからなんです」
沈んだ顔。ぬるい風が吹いて、彼女の髪を揺らす。
どうしたんだろう。
「あなたの、“泡沫少女と眠り姫”読みました」
「ああ、ありがとう……?」
「最低」
普段の彼女とは想像もつかないくらい低い声が聞こえたような気がした。
見下ろすと、ぐっと僕を睨みつけてくる。僕は彼女に何かしたんだろうか?
彼女とのやりとりや本名や、その他色々な個人情報を掻いた覚えはない。
「あんた最低ね。全然違うジャンルにしたらばれないとでも思ったの?」
最低。違うジャンル。ばれる。何のことだ。
「私の小説、パクりやがって」
「なっ…………!」
さっと血の気が下がった気がした。
「“泡沫少女”のは“Pandora”でしょ。それから“鬼”、“彼氏の正しい殴り方”、“Someday”、……数えきれないくらいだけど」
「そんな、僕は、……」
口だけで、どうしてと呟く。彼女は鼻で一笑した。
「どうしてわかったかって? 読者さんが教えてくれたの。あたしのサイト、閲覧者数表示してないし掲示板も置いてないしで小規模だと思ったんだろうけど残念。大外れ」
「僕は、そんな、パクリとか、してない」
「ああそう。そんなパクリ駄作者にひとついいお知らせ。これあげる」
彼女が封筒を取り出した。
震える指で封を開けると、そこには一枚の紙。
「な……選考作品は、作品として不十分でしたので、取り消す…………⁉」
「じゃあね。盗作者さん。あんたのサイト、今頃炎上してるよ」
かっとなった。それからは覚えていない。
そんな供述をする気にはなれなかった。だが、この女だけは許しておけないと思った。直感だ。
背を向けて歩き出した彼女の手首をとっ捕まえる。
「離せよ。変態野郎。盗作者の上に出会い厨なんて最低」
「取り消せ。僕は盗作なんてしてない。ただ記述が似てるだけだろ。ジャンルも違うし!」
「記述が似てる? は、よく言えるね。アクセス解析位できるのよ私。あんたが来た日には小説が更新されてた。あたしの小説とよく似た書き方のね。それに全部そのままのところもあったけど」
「ふざけんな。ただの被害妄想じゃないか」
掴んだ腕に力を入れる。
「ただの被害妄想でこんなことができると思うほどバカだったとはね。私があんたに絡んだのは二年前だよ。察しろ」
「なっ…………」
僕がサイトを開設したのは、二年半前。ということは、二年近く、僕を盗作者として、ずっと監視していたというのか……⁉
「もういいでしょ。じゃあね、頭弱い盗作者さん」
まるでゴミでも見るような目で僕を睨みつけ、腕をやすやすと振り払うと僕を地面になぎ倒した。
*
僕の叩かれ様は凄まじかった。
サイトは勿論、出没しているブログやツイッター等は全て炎上。垢BANされまくりの嵐。
彼女以外の創作者に伝えたことのないネトゲもログインするのに一苦労し、カンスト状態だった。
彼女の連絡先もすっかり消えていた。
僕をこんなにした彼女を恨んだ。恨んで恨んで恨んだ。
にちゃんねるを検索する。まとめサイトで僕のことがさんざんに書かれていた。
僕は僕の足跡をすべて消し去った。
それから、一からまたすべて作り直した。
次はばれないように、もっとうまく振る舞えばいいんだ。
今度のターゲットは――、サイト名“軍艦刑務所”、主“月夜”だ。
読んでいただいてありがとうございました。
タイトルの意味は、皆さんご自宅のパソコンで右クリックをしていただければわかるかと思います(笑