03
愛理の家の前で、愛理の部屋を見上げる。日が落ちる時間なのにカーテンが閉まって暗いままだった。不在でないなら、心配だ。
意を決してインターホンを押す。面識はあるが、この状況は大変気まずかった。なので、自分は追い返されないように正しいと思える選択肢を選んだ。
「阿智字久成です。愛理さんの体のことで来ました」
「……阿智字くん、か。入りなさい」
居間に通されると、無言の圧力を感じる。別になんてことない圧力だったが、愛理のお母さんが台所でお茶をいれてくださっているので、まだ話し始めない。
「どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとうございます」
愛理のお母さんは愛理が年をとって、さらに大和撫子になればこんなだろうと言う上品な人だった。出されたお茶を一口飲むと、緑茶の豊かな甘味と心地よい苦味が口中に広がった。粗茶どころかとても高い茶葉だろう。
湯飲みを置いた音が、合図だった。
「愛理は昨日から部屋に閉じこもって出てこない」
「理由を聞いても教えてくれなかったけれど……」
今は聞かなくてもわかる、と言う言葉は必要なかった。
「自分は昨日殺されかけました。毒で……それを愛理が飲んだんです」
「あの子……!」
口元を手で押さえて息を飲む愛理の母親は、心なしか青ざめて見えた。父親は自分を睨みつけた。そもそもなぜ君が、毒殺されるんだ? と聞きたいのだろうが、そんなことを話しにきたのではない。
「愛理さんがなぜ不死なのか、ご存知ですか?」
「その話しを聞いてどうなさるんですか?」
母親の本能だろうか。厳しい眼差しで自分を見詰める。
「……なぜかなんてどうでも良いことですが、原因によっては自分のつてで治せるかもしれないと思いました」
愛理のお父さんは咳払いをした。この人は愛理をとても可愛がっている。猫可愛がりではなく、親としてだ。愛理の性格というか感じ方や考え方は、父親譲りなのだろうと思う。
「君にはどうにもできないだろう。愛理の不死は生まれつきだ。富士家の女性はごくまれに不死の者が生まれる」
富士が不死と通じる言葉というのは昔からあるが、女性……嫌でも富士山の木花咲耶姫と岩永姫の神話を思い出す。
「そうですか。ありがとうございます」
「それでは単刀直入に訊こう。なぜここに来たんだ?」
「心配なんです。それに……自分は昨日、愛理さんに酷いことを言ってしまったので、謝りたいです」
「あの子は不死です。本当に心配ですか?」
朗らかそうな笑みとは裏腹に、自分を厳しく査定しているのがわかる。娘の秘密を知って尚、傷つける者は許さない。そんな母親の姿に見えた。
「例え体が不死でも心はそうじゃありません。自分は逆に愛理は……愛理さんは傷つきやすい方だと思っています」
「確かに。だが君はあの子が不死だと知って、それでもあの子に関わりたいと言うのかな? このまま愛理の前から消えたいとは、思わないのかね?」
この質問にはさっき答えを出してきた。自分は間断なく、淀みなく答えた。
「思いません。謝りたい気持ちを抜きにしても、自分はまだ愛理さんが好きです。だからここまで来ました」
二人は顔を合わせた後、頷いて立ち上がった。合格、なのだろうか?
「愛理に呼びかけてくれるかしら? 昨日から食事もとらないので心配しているの」
階段を上って愛理の部屋の前に着くと、お父さんがノックをした。お母さんと同時に呼びかけるが、全く反応はない。
「愛理! 自分だ。開けて欲しい」
廊下には冷めた食事が乗ったお盆がそのまま出されていた。
「愛理、起きているのか? 食事もとらないで……阿智字くんが来ているぞ?」
繰り返し言葉をかけるが、物音がしない。気配がなければ死んでいるのかと思うところだ。昨日の毒で。
「あの……自分に任せてもらって、良いですか?」
二人は仕方ないと言うように頷いた。昨日もずっと呼びかけていただろうから、自分たちでは無理だとわかっているのだろう。
二人が階段を下りたのをしっかりと確認して、愛理に呼びかけ始める。今からが本番だ。
「愛理? 聞こえているか? ……自分には何もかも、わからないことが多すぎるけど。それでも愛理が好きだ。手首が切断されても自分を助けてくれたり、苦しむとわかっていても毒を飲んでくれたお前が好きだ。……昨日愛理に言ってしまった言葉は取り消せないけれど、自分が悪かった。お前が不死でも、今のお前が好きだ」
部屋の中で人が蠢く音がした。ぺたっという足音が、ドアの前で止まる。
「ウソ」
今まで聞いたことのない、氷塊のような一言だった。まるでいつかの自分を思い出す言い方。
「ウソじゃない」
そうは言っても愛の告白は棒読みだったし、否定する言葉からは誠意、のようなものさえ感じることができない。
「私は、そんな簡単に“許してもらえる存在”じゃないんだよっ!」
大人しい愛理の感情の吐露をまっすぐ受け止める。かつて、何度自分をそう思ったかしれない。だからこそわかるんだ。
「いいや。愛理がどう思っていても自分はそう思わない。お前には言ったことがあるはずだ。この世の全てが存在するのは、全てが許されてるからだって」
そう思えるようになったんだって。
「きゅーくんはなんでこんなとこに来たの!? 私のことなんか気持ち悪い化け物と関わってしまったって、逃げて忘れてしまえば良かったのにっ。ぅう~~~…っ!」
「ウソ、だったのか?」
「そんな言葉で惑わされたりしない。帰って! 私は不死身の化け物なんだから!!」
その激情と拒絶には、明らかな痛みが含まれていた。
他の誰かが愛理に化け物と言ったことがあるのだろうか? きっと言われなくても、自分の頭の中で聞こえてくるのだろう。お前は化け物だと。
やはり人間一度くらいは、自分が特別で普通じゃない存在だと認識することがあるらしい。
「自分のことを生きたいほど愛していると言ってくれたのに、愛理は食事もしない。もう自分のことを嫌いになったのか? それとも生きたいという言葉はウソだったのか?」
しばらく泣き声が聞こえて、とうとう愛理がドアを開けた。顔が青いしやつれているし、目は真っ赤だった。
「ウソじゃない、ウソじゃないよ……? 前にも言ったよね? きゅーくんに出逢えて私の人生は始まったんだよ」
「それなら自分にとって、愛理との出逢いは今まで頑張ったことのご褒美を貰えたってことなんだろうな」
「きゅーくんは、今までいっぱい頑張ってきたけど人間だよ。普通じゃないかもしれないけど、こんな小さなことからは逃げても良かったのに」
それは色々と含み過ぎていて、自分の過去がわからない人にはまるでわからない言葉なのだけれど……自分に伝わればそれで良かった。
「自分がもし逃げていたなら、自分が頑張ってきたこと全てを無駄にするってことだと思う。そして向き合う方が逃げるより簡単だとわかっているんだから、逃げないよ」
そして自分は愛理を抱きしめた。愛理はただでさえ赤い目からさらに涙を流した。
「わ、私なんて、きゅーくんに好きでいてもらう資格ないんだよ?」
「違う。資格があるとしたら、死ぬほどの苦しみも耐えて自分を助けてくれたお前だけだ」
「格好良すぎるよ」
愛理が困ったように呟いた言葉尻をとらえた。
「お前は可愛すぎるな」
普段自分はこんなこと、口が裂けても言わない。それだけに愛理が喜んだのがわかった。
愛理が笑う、それだけで自分はほっとした。恥ずかしい思いをしただけのことはあった。
「私の家まで来てくれるなんて、思ってなかった。きゅーくんなら、私の返信を待って……そのまま待ち続けるかもしれないって」
確かに待つことを考えなかった訳ではない。けれど昔の思い出に足を止めて涙するよりも、今行動を起こして伝えないと、自分の言葉で伝えないといけないんだと、思った。
過去を繰り返さないために、繰り返しそうになる欲求を断ち切ったんだ。
「後悔したくなかった」
「……サークルで声をかけてくれた時と同じだね」
あの時は、寂しそうな顔で俯く愛理がどこか自分と重なった。それで声をかけたんだった。
「ああ。きっと愛理を好きでいるために、何もかもを乗り越えてきたんだと思う。ずいぶん辛い試練だったが」
その平坦な口調が、何よりも奇跡を表している。愛理にキスをして、抱きしめた腕をほどいた。
「生きたいほど愛してるの」
「なら自分の為に、生きてくれ。誰の為でもなく、愛理と自分の為に……」
「うん、私ときゅーくんの為に!」
愛理のことは大好きだ。
しかしまだ愛してはいない。こんな時に思うことではないと思うけど、真実だ。
好きだからと言って、世界の命運を簡単に預ける訳にはいかない。
だけれど、この温もりに出会えたことを喜べるくらい、自分は自分で居られている。
「愛理、“俺”を好きで居てくれ。何があっても」
「? もちろん! ずっと大好きだよ。きゅーくんのこと♪」
さて、この物語はなんてことのない恋愛小説だ。ハッピーエンド。
けれど自分には過去も未来もある。過去に自分が別の世界を救って、滅ぼしかけた話は語らない。
いつか振り返ることができるだろうか? けれど今の俺たちには必要のない話。
普通の大学生は毒殺されそうになったりしないよな。やっぱり。
……よく、人を好きになれたよな。自分。
この話はこれで終わりだ。自分に付き合って最後まで読んでくれてありがとう。
願わくば、もう二度と自分が語る日が来ないことを……。
〈終わり〉
読んでいただき、ありがとうございました。




