白の章・選択の日(2)
ルマは、扉の前で膝を抱え込むようにして座り込んでいた。
ルマは知っていた。リマの気持ちも。エイルの気持ちも。エイルがリマに何を渡そうとしていたのかも。
「…何でリマなの?おんなじ顔なのに…」
ルマも、エイルに想いを寄せていたのだ。リマが大好きな気持ちと、リマへの嫉妬の気持ちの間に挟まれてうずくまっていた。
まだ6歳になったばかりだが、意識はもう立派な女性。しかし、6歳にあったばかりの少女には、このやり場の無い気持ちをどうすればいいのか分からない。
そんな時、優しく暖かい手がルマの頭を撫でた。
ルマが驚き、顔を上げるとそこには一人の人間がいた。
真っ白なローブのフードを深くかぶり、顔ははっきりとは分からないが、整った鼻、唇、輪郭などから美しいのが分かるが、男か女かは分からない。フードからこぼれる白に近い銀髪も神秘的で美しい。薄く、赤く色づいた唇から、やはり性別が判断しがたい不思議な、けれども美しい声がこぼれてきた。
「黒髪の少女よ。貴女に全ての『真実』を見せましょう。
『真実』を見て、『力』を欲するのならば授けましょう。
『力』を得たならば、貴女は二つのうち一つを選らばなければならない。」
そう言った後、この世のものとは思えないほどに白く透き通った手をルマに差し出した。この不思議な人が何を言っているのかは理解できなかったが、差し出された手が酷く魅惑的に感じた。
ふと、扉を見ると、少し開いているのが見えた。ルマは直感的に感じた。この人は、あのどこにも続いていないはずの扉から出てきたのだと…
「ルマー!」
遠くから聞こえてくるリマの声に目を見開くルマ。リマの声から逃げるように、差し出された美しい手を見る。
この手をとると、あの扉の中へ連れて行かれるのだろう。
あの中には何があるのだろう。
どこに繋がっているのだろう。
戻ってこれるのだろうか。
「ルマー!どこー!?」
だんだん声が近づいてきた。この手をとるのは怖い。でも今は、大好きだけれど憎い、リマの顔を見たくは無い。
―――ルマは、差し出された手をとった―――…
「ルマ!?」
リマは扉のあった場所へ来た。しかし、そこにはルマの姿どころか、昨日あったはずの扉までもが無かった…
不思議に思ったが、今はそれどころではない。昨日通ってきた道を念入りに探しながら来たのだが、どこにもルマがいないのだ。堪えていた涙がついには我慢しきれずに溢れ出してきた。
リマは酷く後悔した。あの時、手を離さなければ良かった…と…
空を見れば、今日もまた太陽が隠れる時間になっていた。もしかしたら、もう家に帰っているかもしれない…そう思い、リマは走って家に向かった。
家を見ると、まだ灯りはついていなかった。まだ夜ではないが、灯りをつけないと部屋は薄暗いのに…と不思議に思うリマ。
…どうか、ルマが帰っていますように…と、ドアノブに手をかけた。
―――嗅いだ事の無い異臭が鼻を刺した。
顔をしかめ、違和感を覚えながら家に入る。夕日が射し込む赤い部屋を見ると、小さい影が立っているのが見えた。
「ルマ!」
自分の半身が無事だった事に喜び、駆け寄ろうとしたが、
――― ビチャッ !
何故か床が濡れていて、足を滑らせて転んでしまった。
「フフ…リマったらホント、ドジなんだから…」
転んでしまったリマには見えなかったが、ルマは幼い少女とは思えないほどに妖艶に微笑んでいる。
リマは、転んでしまった原因になったものを見た。赤い液体が床を濡らしている…
床には、他にも壊れた食器。父親が祝いの席にいつも買ってくる鳥の丸焼き。母親が二人の為にと心を込めて作った料理の数々。ケーキに刺すのであろうロウソク。
『幸せ』の形が、そこには散らばっていた。
「…ねぇ、リマ?私、パパが世界で一番強いと思ってた…けど…ぜぇんぜん、そんな事なかったぁ。」
クスクスと笑うルマの様子がおかしい事にようやく気付き、リマは顔を上げる。
夕日が射し込んで赤いと思っていたルマの純白だった服が赤く、赤く、染まっていた。
床も、壁も、ルマも、何もかもが赤く染まって、まるで違う世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。赤いものが何なのか分からないまま、ルマの手に持たれている『モノ』に気がついた。
目を見開き、苦悶して顔が歪んでいる父親の―――首から下がなくなった『モノ』を持っていた。
「………ッッ!!」
リマが声にならない叫び声を上げた。小さい身体が恐怖で震え、動かない。必死の思いでルマから遠ざかるように尻をついた状態のまま後ずさると、何かが手にぶつかった。
―――母親が、いつも大切そうにしていた…父親から貰った指輪をつけている手だけが転がっていた…
小さく悲鳴を上げるリマ。ようやく気付く。この赤いものは、大好きな父と、母の、血なのだと―――…
恐怖と、哀しみが混ざった雫がリマの大きく見開かれた瞳から零れ落ちる。
そんなリマの様子にもかかわらず、クスクスと笑いながらルマは言う。
「私ね、知ってしまったの。世界の『真実』を。そして分かったの―――この世界は、なんて、くだらない… だからね、この世界を壊すの…『魔王』になって。」
目の前にいる自分の半身が何を言っているのか理解できない。が、これだけは分かる。
ルマが、ルマじゃなくなった―――…
では、一体何になったというのだろう。目の前の黒髪の少女は、確かに双子の妹の姿をしているというのに。
リマは、混乱して何も考えられない。脳に届くのは、父と母が流した血の臭いと、血で真っ赤に染まった閉鎖された小さな世界だけ。
放心状態のリマには、「…じゃあね」とルマが哀しそうな目で呟いた事すら気付かない。
―――ゴトンッ… と、何かが落ちる音が聞こえた。ルマの足元には、父親だったモノが転げ落ち、霧のような闇がルマの周りを包んでいた。
リマは、無意識に手を伸ばす。ルマを闇から助け出そうと、ルマが闇に連れて行かれないようにと…
しかし、それは叶わず、ルマは闇に呑み込まれ、リマの前から姿を消した…
後に残ったものは、『幸せ』の残骸。
翌朝、エイルがリマの家を訪れるまで、リマは赤い、赤い部屋で、父親だったモノを抱え、母親だったモノを、ただ、ただ、見つめ続けていた―――…