白の章・ぼくの こころに さく はな (1)
ミネルス軍に占拠された街―――そこは、酷い有様だった。
焼け落ちた建物。今なお残る惨殺された人間の遺体。地に染みた赤い血…
リマは、口を押さえながらできるだけ見ないように、けれど『悪意』の犠牲になってしまった人々の冥福を祈りながら歩いた。
「リマ!!」
青みがかった銀髪の青年が、嬉しそうに両手を広げてこちらの方へ駆け寄ってきた。
「ああ、僕の天使!無事だったんだねー!」
青年がリマに抱きつこうとした、まさにその瞬間。エイルが無駄の無い動きで青年を蹴り飛ばした。
「オ・レ・が、きっちりと、ま・も・っ・た、ので、おかげ様で無事でしたよ~シフィアスさま~」
額に青筋を浮かべて爽やかな笑顔を浮かべるエイル。軍服に身を包んだミネルス国王の弟が、ゆっくりと立ち上がり、自分を足蹴にした生意気な赤茶色の髪の少年を睨む。
「…君…この前は黙って殴られてやったが、今日は許さないぞ…」
剣を抜こうとした時、シフィアスの服を掴んだ白く美しい手があった。
「シフィー…!無事だったのね…良かった…」
涙を滲ませるリマに毒気の抜かれたシフィアスとエイル。そこにファレグ女王の穏やかな声がした。
「お初にお目にかかります。わたくしは、ファレグ国女王エンカ・ヴァ・ファリータと申します。失礼ですが、ミネルス国王弟シフィアス様でおられますか?」
後ろの方にいた優雅な細工がされた輿から、しなやかな物腰で降りてきたエンカに、シフィアスは目を奪われた。
「…ああ、なんと麗しい…」
「………女なら誰でもいいんじゃねーか?」
小さい声で呟いたエイルの声にも気づかずに、シフィアスはエンカの手を引いて歩いて行った。
「私達も行きましょう?レンカ様。」
話しかけても返事は無い。どうしても自分も行くと頑として譲らずについて来ていたレンカは、その勢いはどこへ行ったのか、カトを出てから何かを考え込んでいるような感じで押し黙ったままだった。
連れて行かれた先は、物々しい兵士達に囲まれた三階建ての建物の中だった。破壊しつくされていた他の建物に比べ、そこは比較的綺麗で、三階の一番奥の部屋に案内される。
そこには、火の国特有の畳の上に座り、肘掛に優雅にもたれているミネルス現国王の姿があった。リマの背中に、ぞわり、と気持ち悪い感覚が走る。ルマの発する『闇』から感じる絶対的な恐怖と絶望とは違う、嫌悪感を抱く嫌な感じ。それを感じ取ったのか、ミネルス国王ヒューグは口の片端だけを吊り上げて嗤った。
「ようこそおいで下さいました。ファレグ国女王エンカ様。本日は、こちらの要求を受け容れて下さった…と思ってもよろしいですか?」
「本日は、弁解にあがりました…わたくし、及びファレグは、ミネルス国に対して敵意は無く、飽くまでも平和的解決を望むものです。確かにわたくしは前国王に親書を差し上げましたが、死の呪いは忍び込ませておりません。わたくしの母も同じ呪いによって命を落としました…魔王の手によって。」
ヒューグの片方の眉がぴくりと動いた。
「…それは…我が父は魔王に殺された…と、おっしゃりたいのですか?」
無言で頷くエンカにヒューグは声をあげて笑った。
「ははは!面白いことをおっしゃる!それをどのようにして信じろと?私にはただ、罪を魔王に擦り付けているようにしか思えませんね。」
狂ったように笑うヒューグを見て、エンカはやはりダメか…と諦めかけた時、リマが間に入ってきた。
「ヒューグ様!私が保証します!エンカ様は決してそんな事をする人じゃありません!」
「これは、これは。我が国を逃げ出し、『堕ちた天使』が何を言うかと思えば、またくだらん事を…」
嘲りの笑みを浮かべ、冷たく言い放つヒューグ。彼の弟が思わず声を荒げる。
「…兄上…!!その『天使』を侮辱する発言…とても『天使』に我が軍を預けようとした者のするものではありませんね…!!何度も申し上げたとおり、父が愛した国民を危険な目に合わし、その手を血に染めさせる事を、父は望んでいません!!ここにおります女王も同じのはず!ここは女王の、そして天使の話を真摯に受け入れるべきです!」
「お前に何が分かる!?」
いきなり激昂するヒューグの姿に、その場は静まり返った。
「お前に何が分かるというのだ。ミネルス国内しか見ていないお前に。どんなに平和を求めたとも終わらぬ戦争。父がしたのはただ、内にこもり、外で起きる事に目を逸らしていただけ。だが、私は違う。世界を一つに纏め、戦争を終わらせるのだ。そう、私になら救える。滅び行くファレグ国も、世界すらも!私にはそれを為す事ができる『力』があるのだ!!」
「それは、『魔物』の力でか?」
沈黙を守っていたレンカが口を開いた。冷静を保ってはいるが、ヒューグの瞳からは動揺を隠せなかった。
「…お前は…何を言っている…?」
「ミネルス国王…二の腕を見せては貰えないか?」
後ずさるヒューグ。厳しい瞳で詰め寄るレンカ。そこへ事態を飲み込めないエンカが妹に何の事かと聞いた。
「魔王が言ったのです。ミネルス国王に『魔の種』を仕込んだと。」
「…はは。君は、魔王の言う事を鵜呑みにするのか?」
「黙れ!身の潔白を証明したいのであれば、その腕を見せてみろ!!」
レンカの指先から燃える花びらが舞った。それはヒューグの二の腕部分を正確に狙い、花びらが触れた服を焦がしていく。
見るのもおぞましい『眼』が、こちらを睨んだ。
ヒューグの二の腕にある血走った『眼』。一つ…二つ…三つ…数える事もできないほど、二の腕にびっしりと埋め尽くされた『眼』が、そこにはあった。