白の章・姉の想い、妹の想い(1)
「ミネルス国、王弟の言葉。しかと受け取りました。」
あの時、赤い髪の少女を抱きかかえていた女性―――火の国ファレグの女王、エンカ・ヴァ・ファリータがシフィアスからの書簡を手に、真っ直ぐとリマを見据えた。
「わたくしは、確かにミネルス国王に和平の為の親書を出しました。しかし、それに呪詛などかけてはいません。」
哀しげに瞳を落とす女王。彼女がため息を吐くと、甘い花の香りが広がった。彼女の膝の上には、丸まって心地良く眠っているフォンの姿。シフィアスの言ったとおり、慈悲深く温厚な性格が顔つきにあらわれている。
「おのれ、姉様の名を陥れる者め…地の果てまでも追って、血祭りに上げてやる。」
全身に紅い華を咲かせる少女、レンカが少し吊り上がった紫水晶の瞳をより吊り上げて、呪いの言葉を吐いた。
「しかし誰が…天使よ、わたくしは確かにそのようなおぞましい事は致しておりません。ですが、潔白を証明する証拠もございません…」
確かに、女王が言うように「自分はしていない」という言葉だけですむのなら、この世に戦争というものなど存在しないだろう。
「女王様…前国王様のご遺体には、赤い文字…火の『神語』が刻まれていました。『神語』を使える人に心当たりは…?」
リマの言葉に、女王は首を横に振る。
「いいえ、存じません。今の世に『神語』は、王家に伝わるのみ…」
「…母様の怨念がなしたものかもしれんな…」
レンカの言葉に、女王の優しい顔つきは険しくなる。
「レンカ!滅多な事を申すものではありません!!………母様…?…いや…でも、しかし…」
「…姉様?」
「レンカ、貴女は見ていませんが、1年前我が国に『魔王』が現れ、母様を殺めた時…母様の遺体には火の『神語』が刻まれていたのです。その時は、『魔王』に対抗した結果、身に余る火を出してしまい焼かれてしまったのだと思っていたのですが…」
その言葉の続きをヴァルシータが継いだ。
『ここに 王家以外に『神語』を扱う存在がいる 魔王が『神語』を扱えたとしても 不思議では無い』
喋る剣に赤い髪の姉妹は目を丸くしたが、『天使』が持っている剣だ。そういう事もあるのだろうと無理矢理納得した。
「…じゃあ…国王様を殺したのは、『魔王』…だと言うのね…?」
リマは俯いて呟いた。心優しい、深い海の瞳の前国王。大好きだった人を、大切な妹が殺した。その事実はリマの心に暗い影を落とした。影がリマを飲み込もうとした時、暖かい手がリマの手を包んだ。
「まだ、その可能性があるってだけだ。それが事実かは分からないけど、それを理由に戦争を食い止める事はできるんじゃないか?」
エイルの優しい眼差し。この少年は、困った時、悲しい時、何かあった時はいつもリマを救ってくれた。そして今も、リマの心を救おうとしてくれている。それがよく分かり、その手を強く握り返して微笑んだ。
「…そうね。事実はどうであれ…止めなきゃね。戦争。」
慌ただしい足音が木張りの床を鳴らした。そして、老獪の高官が慌てた様子で入ってくる。
「何事か。」
レンカが訝しげな顔で見下ろすと、高官は震える手で持っていた書簡を差し出した。
「国境近くの街が、ミネルス軍に占拠されましてございます。このまま、軍を引き上げる条件をこの書物にたしなめておると…ミネルス国王が…」
リマ達は驚きで目を見開く。確かにヒューグは一ヶ月以内に…とは言っていたが、まだリマがネルサスを出てから二週間も経っていない。
「…早すぎる…前国王は攻める為の軍は作っていないと聞いていたが…現国王が、前々から用意していたとしか思えんな…して、姉様…現国王はなんと?」
女王の華奢な手が震え、顔の血の気が引いている。レンカが心配して姉の顔を覗き込むと、か細い声で内容を語った。
「…全面降伏し、ファレグ国女王…わたくしを、ミネルス国王の妃とする事で…撤退すると…拒んだ場合、捕虜となった者達全員の命は無く…また、ファレグ全土に攻め込み、ファレグ国の血を引くもの全てを…根絶すると…」
そのあまりにも非情な脅迫のような内容に皆絶句した。その中で、怒りをあらわにするレンカ。
「おのれ…おのれミネルス…っ!!姉様を妻にだと…!?そのような下衆の妻になどさせるものか!!全面交戦だ!!卑しいミネルス国を根絶やしにしてくれる…っ!!」
「待って…!待って下さいレンカ様!これは全て誤解から生まれた争いです!誤解さえ解ければ…」
リマがレンカをなだめようとするも、その怒りは収まらない。
「何が誤解か!これは全てミネルス現国王の策略に決まっておる!でなければ、こんなにも速く動けるものか!!」
「静まりなさい。」
女王は静かに立ち上がり、猛る妹をいさめた。立ち上がった事で床に転がってしまったフォンは、それでもまだ眠っている。
「わたくし自らが赴き、ミネルスの誤解を解きましょう。それが叶わなかった場合…わたくしはミネルス国王の妃となります。」
レンカは絶句した。目の前にいる敬愛する姉が何を言っているのか理解できないのだ。
「レンカ。貴女もこの国の現状は理解しているでしょう。昨年の魔王襲撃以来、度重なる大型の魔物の襲来、地の国からの激しい攻撃に我が軍は既にして壊滅状態。そのような状態で、わたくしが嫁ぐ以外にどうやって我が火の民を守る事ができましょう。」
「でも…でも、姉様…」
その大きな瞳に大粒の涙を溜めて、姉に縋り付くようにして着物を握り締める。それを女王は抱きしめ、優しく柔らかい声で言う。
「愛しいレンカ。貴女はわたくしの誇り。きっと、わたくしなど到底及ばないほどの立派な女王になれる。」
姉の胸から無理矢理脱し、堪えきれない涙を見られたくなくて、レンカは俯いたまま走って去って行ってしまった。それを、切なげな瞳で見送った後、女王は毅然とした態度で高官に命令した。
「今より使者を出しなさい。明後日、占拠された街にて談合を求めると。」