白の章・その場所に続く道
リマは、まだ目を覚まさない赤い髪の少女を抱えながら、エイルと燃える空を見ていた。
「…なぁ、リマ…この子返したらさ、村に帰ろう?」
見上げると、栗色の瞳がリマを切なげに見つめている。
「なんかよく分かんないうちにリマは天使になっちゃってるしさ、ルマはルマで…」
その先は言葉にするのを躊躇って口を噤んでしまったが、リマにはよく分かっている。その気持ちはリマも一緒だから。
8年間行方不明になっていた双子の妹。8年ぶりに会った彼女は『魔王』になっていた。何故?どうして?一体彼女に何があったのだろう。魔物を連れて人里を襲っては消えていく。一体彼女の目的は何なのだろう…?もう村には帰ってこないのだろうか。あの、仲睦まじく笑い合った日々はもう帰ってこないのだろうか。
涙を滲ませた時、雨の中出会った旅芸人の女性に言われた言葉を思い出した。
『起きた悲劇を嘆く前に、今できる事をやらないと』
そう。そうだ。嘆くだけでは何も変わらない。今できる事を、やらなければならない事をやらないと。『魔王』になった理由が分からないなら聞けばいい。ルマがどこにいるのか分からないなら探せばいい。 ヴァルシータは言った。『真実』に辿り着くには『力』が必要だと。そこに至るまでに必要な過程がここにいる事であり、『天使』として戦争を止める事ならば、たとえどんなに苦しい思いをしても、どんなに身体が傷付こうとも、自分はやり遂げなければならない。
―――全ては、ルマに辿り着く為に…
俯いた後に上げた顔には、もう迷いの色は無かった。エイルを見つめる瞳に宿るのは『希望』だけ。
「私は、帰らない。ルマを探さないと。『魔王』じゃなくて、私は私の妹に会いたい。」
その瞳に宿る希望に、エイルはヴァルシータに言われた事を思い出す。『世界を希望の光で照らす者』―――嫌な予感がエイルを襲う。もしリマが光なら、ルマは…?ルマは闇だろうか…?光が世界を照らすなら、闇は…闇はどこへ行ってしまうのか…
「私、火を消しに行ってくるわ。早く消して、女王に会いに行かないと。」
思考の波にいたエイルを、リマの強い意志のこもった声が呼び戻した。
「消すって…どうやって…?」
赤い髪の少女を渡し、代わりにヴァルシータを手に取る。
「…どうしよう?ヴァリー。」
『空を 見てみろ』
苦笑いでヴァルシータに助言を求めると、珍しく素直に答えてくれた。見上げた空には、分厚い灰色の雲。
「ありゃ、雨雲か?まさか、雨が降るまで待てっつってんじゃないだろうな?」
訝しげにするエイルを横目に、リマは何かを思いついた顔をした。
「大丈夫!エイルちょっと待っててね!」
そう言うと同時に煌めく風がリマを包んだ。翼を広げ、煌めく軌跡を描きながら羽ばたいていくその姿は、愛しい少女の姿を見慣れたエイルの目にもとても美しく、思わず呟いた。
「…確かに…天使だ…」
上空につくと、リマは水の精霊を呼び出す言葉を紡いだ。…やはり、あまり集まってこない。この火の国の首都は、水の都が水の強い加護に守られてるのと同じように、火の精霊の加護が強すぎて他の精霊の力が弱いのだ。それでも、やらなければならない。こんな所でぐずぐずしている時間は無いのだ。こうしている間にも、ミネルス軍は火の国に向かって来ているかもしれない。
『魔法の強さは何で決まる?』
「…『言葉』と、使用者の『意思』の強さ。」
『そうだ 強く 強く 想え 全ての精霊の祝福が その身に宿るほど 強く』
リマは想う。人々の笑顔を。その素晴らしさを教えてくれた亡きミネルス国王を。涙で視界が歪む。歪む視界に映るのは、笑顔を忘れ炎から逃げ回る人々。無為に時間が過ぎれば、この炎は戦火の炎となり人々を襲うだろう。
―――力を。人々の笑顔を守る為の力を。その先にある、妹に続く道を切り開く為の強い、強い、力を…!!
唄うような、水面に広がる波紋のような、静かな、けれども確かに広がる声がカトの街に響き渡る。
『να Νёλλ ―――…』
逃げるのも忘れ、人々は空を見上げる。
『Ω κυ ―――…』
そこには、煌めく翼を背に、同じように煌めく金色の髪の毛を靡かせる少女。
『Ω Νёλλ ―――…』
少女が言葉を一つ紡ぐたびに、小さな淡い光が姿を現す。
『Εο Χηη ―――…』
やがて光は、大きな光となって少女を包み、その瞬間はじけるように大きな円となった。大きな円の中には、今はもうミネルス王家とリマしか知らない文字―――水の『神語』。
その上にある灰色の雲が、大きく、近くなってきた。少女が、最後の言葉を紡ぐ。
『Υγ Νёλλ ―――…』
強く、激しい雨が地上に降り注いだ。その強さに人々は目を開けれず、息をするのも困難だったが、雨は確実に炎を消していく。
どれほどの時間が過ぎただろうか。人々が目を開けて見たものは、火が消えた街と、聖獣と共に空を舞う美しい天使の姿だった。