白の章・闇に咲く紅い華(2)
エイルは困っていた。いくら探しても、愛しい少女の姿は見当たらない。代わりに、『魔王』が捕まった…という噂を聞いただけだった。エイルの服のフードの中には泣き続ける桃色の獣。びしょびしょになって、そろそろ背中にも鼻水と涙が届こうかという時、ヴァルシータが言った。
『明日 正午 城の前の広場 そこに現れる』
その根拠はなんだ、と問いただしたいが、時刻はもう日が変わろうかというまでになっていた。そういえば、先程から泣き声の中に「お腹すいた~」というものが混ざっていた。しょうがなくその日は宿を探し、明日正午に広場に行ってみようと決めたのだった。
あれから、どれほどの時が経ったのだろう…暗闇の中、いまだぼんやりとする頭に、力の入らない身体。考える力も無く、リマは浅い眠りと、覚醒を繰り返していた。
一筋の光が暗闇に侵入してきた。同時に、甘い香りが広がって、余計に眠気を誘った。
「いつまで寝ている気だ?もう時間だぞ。起きろ。」
幼い少女の声がする。薄く目を開けると、すぐ前には綺麗な紫水晶。
「…本当に『魔王』か…これでは、普通の少女ではないか…」
赤い髪の少女は呟くが、リマの耳には届かなかった。
足の縄だけ解かれて、外に連れて行かれる。外の光を見た時に空を舞う言葉を紡いでみたが、風の精霊はやって来ない。どうやら、手に巻かれている赤い文字が書かれている細い布が、呪詛結界の役割をしているようだ。
太陽がリマの身を焦がすかのように照りつけた。目の前の広場には、大勢の人間が集まっている。何があるのだろうと、ぼんやりと考えるリマを、腕を掴んでいた男がリマに目隠しをつけて膝をつかせた。
目を隠された不安と、これから何が起こるのかという恐怖。それに身を震わし、心の中で愛しい少年の名を呼ぶ。
(エイル…助けて…!)
正午前、広場に来たエイルが見たものは溢れかえる人の海だった。何があるのだろうと無理やり前に押し入ると、現れたのは手を拘束されてふらふらと歩くリマだった。横にいた男が、リマに目隠しをして膝をつかせると、尊大な赤い髪の少女が大きな声を張り上げた。
「今より!我が母王を殺め!我が国を守護せし聖獣を虐殺した『魔王』の処刑を行う!皆の者!目に焼き付けるがいい!世界に混乱を招く邪悪な存在の末路を!!」
少女が、手を上げた。混乱しているエイルは咄嗟に、頭に乗っていたフォンを少女に向かって投げつけた。「ぼひゅぅっ」と間抜けな声をあげる少女。わなわなと震える少女の手が、顔に張り付いている何かを力強く掴むと、怒りの声を上げた。
「おのれ!!無礼者め………聖獣…?」
少女の手には怯えて震える桃色の獣の姿。獣は震える声で言った。
「ママを…ママをかえしてぇぇぇ!ぅわぁぁぁん!」
少女は混乱した。全滅したと思っていた聖獣がいきなり現れて、母を返せと泣き叫んでいる。「母はどこだ」と聞けば、震える小さな前足で『魔王』の方を差すではないか。
「…聖獣さま。あれは母ではありません。あれは、『魔王』です。」
「ちがうもぉぉぉん!ママだもぉぉぉん!」
戸惑い、ざわめく民衆。聖獣が母と呼ぶ人間が、魔王なはずが無い。そんな声まで聞こえだした。
「そうだ!その子は魔王なんかじゃない!オレの婚約者のリマだっ!!」
赤茶色の髪の少年が叫んだ。リマは、その聞きなれた声に身体が震えた。愛しくてたまらない少年が助けに来てくれた…その嬉しさが全身に広がっていく。
「黙れ。証人もいるのだ。この者は『魔王』。その事実は変わらぬ。…やれ。」
少女が手で合図すると、横で待機していた斧を持った大男がリマの首めがけて斧を振り上げた。
「リマーーー!!!」
場が静寂に包まれた。
斧が振り下ろされた先には、ヴァルシータで斧を受け止めるエイル。
「違うっつってんだろ!このクソガキ!!」
「…なっ!?くそ…?…おのれ!!おい!この魔王に組する邪なる者を殺せ!!」
屈強そうな武装した男達が現れて剣をエイルに向けて襲い掛かる。リマの叫ぶ声が聞こえた。しかし、それに気をとられている余裕は無い。村では、喧嘩は一番だった。だが、これは喧嘩ではない。確かな殺意を抱いた剣を、エイルは避ける事しかできなかった。
「クソ…っ!」
「ははは!偉そうに出てきた割には軟弱なヤツだな!?」
赤い髪の少女はエイルの逃げる姿を笑いながら見ている。悔しかった。ミネルス国王の弟に啖呵を切って来たのに、逃げるしかできない自分が情けなくて、憤りを覚えた。そして、強く思う。
―――もっと…もっと、力があれば…!!
『力を欲するか』
ヴァルシータが、エイルの心の叫びに応えるように言った。
『希望の光で世界を照らす者―――リマの傍らにあり続ける覚悟があるのなら 授けよう 迷わぬ者よ 力を欲するか』
「なんか、言ってる事よく分かんねぇけど…リマの側にいる覚悟は………生まれる前からできてるっつーの!!!」
瞬間、エイルの頭に知識が流れてきた。人間の身体の組織…どの臓器がどういう役割をしているのか。どういう動きをすればどの筋肉が動くのか。最小限の動きで、最大の力の出し方。そして…どこを攻撃すれば、人間は止まるのか。
エイルの腕が、足が、自分のものではないかのように動いた。しなやかに伸ばした腕は、男達の剣を次々と叩き落していく。静かに運ばれる足捌きは、男達を翻弄させる。そして、手刀を繰り出し、襲い掛かってきた男達を全員気絶させた。
成り行きを見ていた民衆は、感嘆の声を上げる。エイルは、苦々しい顔をする赤い髪の少女を横目に、リマの目隠しをとり、拘束していた不思議な文字の書かれた布を斬った。
リマは、愛しい少年の顔を確かめるように震える両手で包む。
「…ああ…ああ、エイル…本当にあなたって凄い…私が呼ぶと絶対に飛んできてくれる…エイル…」
清らかな涙を流し、その瞳に愛を宿す美しい少女。とても『魔王』には見えない姿に赤い髪の少女も、集まってきている人々も、困惑した。そこに、聖獣の泣き声が響き渡った。
「よしよし、フォン。寂しかったね、ごめんね…?」
「ちがうのぉ!黒い、怖いのがくるのぉ!」
黒い風が吹いた。
黒い風は、街中の聖なる火を消す。そして、深い、深い闇が空を隠した。禍々しい気配を放つ闇に、人々は恐怖し、ある存在を思い浮かばせる。
「うわっ!?なんだこれ!?」
闇がエイルに纏わりついた。払っても、払っても纏わりついて離れない。リマは、その闇の正体を知っていた。見るだけで絶望してしまう禍々しい闇。その声を聞けば、心が凍りついて息をする事すら忘れてしまう。
「やめてルマ!!エイルを離して…!!」
ゆっくりと、闇は形を変えて、『それ』は姿を現した。