白の章・桃色の獣
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大きい影が村の広場を隠し、甘い花の香りが広がった。
見上げると、桃色の毛をした空を飛ぶ獣から小さい影が飛び降りてきて、鬼ごっこに夢中になっていたシフィアスの上に着地した。その小さい影は、勢いよく潰されたシフィアスを見ると、紫水晶のような瞳を細めてころころと笑った。
「ははは、なんだシフィアス、その無様な姿は。」
真紅の髪を靡かせて、シフィアスから降りる少女。また汚れてしまった高そうな白い服を、今度はそのままに少女に詰め寄る。
「レンカ…君の素行は、よ~く姉君に伝えておくよ…」
「ならば、わらわも姉様に伝えておこう。婚約者殿は今も天使の尻を追い掛け回していると。」
悔しそうに唸るシフィアスに赤い髪の少女は、またころころと笑った。
少女の名は、レンカ・ヴァ・ファリータ。火の国の次期女王である。姉の現女王エンカは、シフィアスと婚約しており、正式な婚姻と共に女王の座を妹に渡す予定である。
「レンカ。来てくれたのね。今は色々と忙しいんじゃないの?」
「ふふ、わらわはそこの水の国の王と違って優秀故な、臣下に仕事を押し付けずとも2、3日あけてもどうとでもなるのだよ。」
まだ12歳の幼い少女は、大人びた表情で微笑んだ。この少女も随分と雰囲気が柔らかくなったものだ。出会った当初は、自分の姉以外は全て敵として見ていた。リマも例外ではなく、危うく殺される所だった…
◇◇◇◇◇
分厚い雲が空を隠し、激しい雨がリマの身体を打ちつける。立ち止まり見上げてみると、まるで空が泣いているように見えた。
「お嬢ちゃん、こんな所でどうしたんだい?ずぶ濡れじゃないか。ほら、こっちへおいでよ。」
旅の芸者一行が心配そうに声を掛けてきた。もうすぐ夜になろうという時間。人があまり通らない山道で、雨の中呆然と立っているのだ。よほどの非情な人間で無い限り心配になるだろう。
恰幅の良い初老の女性がリマの手を引く。リマはなされるがまま、馬車の中へと入った。ずぶ濡れのリマを、女性が柔らかい布で拭いてくれた。
「おや、まぁぁ…よく見ると、随分綺麗な子じゃないかい。」
女性の言葉で、馬車の中にいた人間達がリマの周りに寄ってきて、感嘆の声を漏らす。その中の幼い少年が、何か思いついたように荷物の中をあさって、一枚の紙を取り出してきた。その紙と、リマを見比べて少年は呟く。
「天使様だ。」
他の人間達も、その紙に描かれた『天使』と、リマを見比べて騒ぎ出す。
「あぁら、まぁ!天使様を拾っちまったよ!はっはっは!」
皆が騒ぐ中、一人浮かない顔をしているリマ。その様子に気づいた芸者達も静まりだす。
「…天使様…泣いてるの…?」
リマの顔を覗き込む少年。まだ穢れを知らない純粋な少年の瞳は、リマの後ろめたい気持ちを刺激する。
生まれて初めて目の当たりにした『悪意』。恐ろしくて、見たくなくて、逃げ出した。…傷ついたシフィアスを残して…
なんて卑怯なんだろう。自分の事に精一杯で、傷ついた人間を見捨てて逃げるなんて。悔しくて、情けなくて、自然と涙が零れ落ちた。
天使の様子に、何かあったのだろうと察した恰幅の良い女性は、ふくよかな胸にリマを収め、幼子をあやすかのように優しく言った。
「何か辛い事があったんだねぇ?ここは大丈夫だよ。皆気のいい連中で信用できるヤツばかりだ。何かあったんなら、安心して話してごらん?気持ちが軽くなるよ?」
女性に、村の人々と同じものを感じた。優しく、温かい『善意』。今は遠く、懐かしいもの。それに安心して、リマはぽつぽつと話し始めた。
国王が崩御した事。その原因が火の国かも知れない事。その報復戦争が起ころうとしている事。そして、その軍を天使に率いらせようとしている事。現国王の弟がリマに書簡を渡し城から逃がそうとした時、国王に見つかり弟を刺した事。そして…それを見捨てて、一人逃げ出してしまった事………
聞き終わった女性は、神妙な面持ちだった。一番の理由は、また戦争が活発化する事。ミネルス前国王の代になってからは、危ないのは国境だけで国内は比較的安全だったのだ。それがまた活発化する事によってどれほどの悲劇が起こるか…
「…天使様。それは何がなんでも火の国に行かなくちゃね。だってそうだろう?こんな所でうじうじしてる間にも兵は進軍するかもしれない。戦争を止められなかったら、その国王の弟さんの想いは全て無駄になる。刺され損だ。起こってしまった悲劇を嘆く前に、今できる事をやらないと現状は何も良くならないんだ。不安なら、おばちゃん達がついて行ってあげるからさ。だから、ね?行こう?」
優しい声に、リマの涙は止める事ができなかった。ふくよかな胸に顔を埋めて大きな声をあげて泣き、そのまま泣きつかれて眠ってしまった。
昨日の雨が嘘のように、空高く太陽が輝く日だった。
「本当に一人で大丈夫かい?」
少し不安だったが、リマは太陽と同じように輝く笑顔で頷いた。そして、「ありがとうございました」と言い残し、煌めく翼を広げて飛び立っていった。それを見上げながら芸者達は、天使に光溢れる未来を祈った。
何日か過ぎ、国境の町を越えた場所にある森にさしかかった時だった。黒い煙が上がる場所があった。そこへ近づいてみると、木々は見るも無残に焼け焦げ、地には大きい生き物だったものの亡き骸が数十はあろうかと思われる数が転がっていた。
「…酷い…何があったのかしら…」
その問いには無視して、ヴァルシータは淡々と言う。
『このもの達は 聖なる火の守護獣 火の国の聖獣として崇められている そこの下にあるもの以外は 全滅したようだな』
言われるままに焼け焦げた大きい獣の身体を上げてみると、そこには赤ん坊ほどの大きさの卵があった。その卵は、少しヒビが入っている。
『産まれるぞ』
「えぇっ!?」
いきなり告げるヴァルシータにリマが戸惑っている間にも、卵のヒビは音を立てて広がっていく。そして、それは姿を現した。桃色の毛をべったりと濡らし、産まれたての犬のような顔をしている。よろよろと卵から這い出し、ふんふんと鼻を鳴らしながらリマの側に寄って来ると、その目を少しづつ開けた。目が合うと、少し笑ったような気がした。
震える短い足で立ったかと思うと、背に張り付いていた桃色の翼が広がった。そして嬉しそうにリマの周りを飛び出した。
『お前を 親だと思っているようだな』
「え…えぇ~!?」
『刷り込み というやつだ』
誰もそんな事は聞いてない。と心の中で突っ込みながら、嬉しそうに飛び回る犬のような桃色の獣を呆然と見た。突然できた子供。我が子と思ったら急に可愛く見えてくる。
「私がママなら、パパはエイルね。」と、頬を赤らめながらもじもじと一人呟いた。
その後に、不意に寂しさが襲う。故郷に置いてきた愛しい少年。今頃どうしているだろうか。きっと怒っているだろう。愛想を尽かされていなければいいが…故郷と繋がっている空を見上げながら、愛しい少年を想った。