白の章・希望の光
蛇の魔物を倒して三日。リマは心底疲れていた。
あの時、一部始終を見ていた騎士達がシフィアスを筆頭に、リマを天使だ天使だと騒ぎ立てたのだ。それに触発されるかのように、城の前に非難していた者達も騒ぎ立て、リマは一躍天使として有名になってしまった。それからというもの、昼は街で天使様のお披露目的な祭りが催され、夜は城で天使様の為の宴が催され、流されるまま三日が経ってしまったのだ。
さすがにもう昼間は街も日常に戻ったようで、リマは城の庭園でぐったりしていた。
「こんな所にいたのかい?探したよ、僕の麗しい天使。」
シフィアスがどこからともなく現れて、リマの絹のような髪をひと掬いして口付けた。疲労感がより増して、リマは苦笑いをする。
「シフィアス様、何度も言うようだけど、私は天使なんかじゃないわ。」
「リマ。僕も何度も言っているじゃないか。シフィーと呼んでくれと。さあ。」
わざとらしく悲しそうな表情を作って、せまるシフィアス。いつもは、笑ってごまかしていたのだが、今日は逃げられる雰囲気ではない。仕方なく諦めて、
「………し、シフィー…」
それを聞いたシフィアスは、頬を紅潮させながら笑顔を浮かべて、リマを横に抱き上げてくるくると回り出した。
「ははは、僕はなんて幸せ者なんだ!きっと、今世界で一番幸せなのは僕だな!ははは!」
…名前を呼んだだけなのに…何がそんなに嬉しいのか分からないリマは、お姫さま抱っこされながら回されているこの状況が恥ずかしくてたまらない。近くを通りかかった貴婦人方は、「まあ、仲むつまじい事、ほほ」と微笑みながら去って行く。それが更にリマを恥ずかしくさせて、シフィアスに降ろすように言うが、聞いてくれない。そこに天の救いのような人間が現れた。
「ははは、シフィアス。天使様が困っているじゃないか。降ろしてさしあげなさい。」
「僕の至福のひと時を邪魔するなんて、いくら父上でも無粋ですよ。」
現れたのは、ミネルス国国王。シフィアスと血の繋がりを感じさせる青みががった銀髪と、海のような深い碧の瞳。すっと伸びた背筋と、年の割にはしっかりとした筋肉がついていて若く見える。はっきり言って、リマはこの国王の事が凄く好きだった。シフィアスが父王に言われて渋々降ろすと、リマはそそくさと国王の後ろに隠れてしまった。
「はっはっは、天使様は私の方がお好きのようだ。さあ、天使様。私と散歩にでも行きませんか?」
「はい!喜んで!」
嬉しそうに元気良く応えたリマを見て、シフィアスは人生初めての敗北感を味わった。うな垂れているシフィアスを横目に、国王はリマの肩を抱いて通り過ぎる間際に。
「ああ、シフィアス。そういえば、ネダアーチでの報告書がまだあがってきていない。叶わぬ恋に現を抜かす前に、やる事はきっちりやれよ。はっはっは。」
「うっ…は、母上に言いつけてやるからなー!」
まるで子供のような捨て台詞を吐いて走り去って行くシフィアスを、国王は高らかに笑いながら、リマもそれにつられて微笑みながら見送った。
午後のネルサスの街。水路で水遊びをする子供達。木陰でゆったりとした時間を過ごしている老人。人生で一番楽しい時間を過ごしている若者達の笑い声。その中を、国王と二人でのんびりと歩く。一国の王がこんな風に気軽に出歩いて良いのかとリマは聞いたが、国王は笑って良いのだと答えるだけだった。そういえば、シフィアスもネダアーチで一人でぶらぶらしていたな、と思い出し、そういう家風(?)なのだと納得した。
「おや、見てごらんリマ。可愛らしく描かれているじゃないか。」
国王が指差した方を見ると、路上で似顔絵描きをしている若者。その前には、見本としてリマの顔が描かれていた。しかも、絵を買っている人間達は自分の似顔絵を頼んでいるのではなく、こぞってリマの絵を頼んでいるではないか。
「はっはっは。天使様は人気がおありのようだ。」
「もう!からかわないで下さい!…ホント、なんでこんな事になってしまったのかしら。」
ため息をつく。あまり嬉しそうにしていないリマを見て、国王は少し困った顔をして笑った。
「こんな時代だからね…50年も続く戦争。ここ、ネルサスはまだ平和だが、それでも戦争に行って帰らぬ者はいる。しかもここ数年は各地で天変地異がおこり、更には『魔王』の出現。皆が皆、この世界の行く末に不安を感じている。」
『魔王』という言葉にリマの胸は軋む。あの魔物を倒してからは、めまぐるしい忙しさに忙殺されて、一人で考え込む時間は無かった。それが幸いしたのか、元の元気を取り戻せたが、やはり『魔王』という言葉を聞くと泣き出しそうになる。
「そんな中、君が現れた。煌めく美しい翼を広げ、奇跡の力を使う天使。この暗闇のような時代に差した、君はまさしく一筋の光なんだ。」
「………そんな…私はそんな大層な存在じゃありません…」
俯き暗い顔をするリマの肩を抱き、国王はリマの不安を吹き飛ばすかのように高らかに笑う。
「はっはっは!そんなに深刻に考える必要は無い!誰も君に『魔王』を倒せと言っている訳じゃあ無いんだ!見てごらん、あの人々の顔を。」
顔を上げ、絵を買う人々の顔を見る。絵を買う人も、絵を見るだけの人も、皆笑顔だ。その顔には不安や絶望といった感情はなく、あるのは未来への希望。
「君には感謝しているよ。こんなに活気のある街を見るのは久しぶりだ。この人々の笑顔をもたらしたのは紛れも無く君だ。先程も言ったが、何も君に『魔王』を倒せとは言わない。私は、君が少しばかり強い力を持つだけの普通の少女だという事は知っている。君に辛い事を背負わせたりはしない。でも、この人々の笑顔を絶やさない為の『希望』の象徴としていて貰いたい………ダメかな?」
リマの顔を困ったような感じの顔で覗き込む。その瞳は、海のように深い、深い碧…この瞳を見ると、不思議と安心して、固くなっている心が柔らかくなるのを感じる。
「あっ!天使様だ!」
水遊びをしていた子供が、リマに気づいて駆け寄ってきた。子供の声で周りの人間もリマの存在に気づく。子供達はリマに抱きつき、大人達はリマに触ろうと握手を求め、老人達にいたっては手を合わせ拝んでいる。大勢の人間に囲まれてリマは困惑したが、寄って来る人間達の表情を見て思う。
『希望』の象徴…それに自分がなるのはおこがましいかもしれない…でも、それで皆の笑顔が作れるのなら、受け入れても良いのかもしれない…
そう思い、リマは人々の期待に応えるように、花のように微笑んだ。




