白の章・赤い世界、舞い降りる天使(2)
艶めく漆黒の髪を靡かせて、鮮血のような赤い瞳で妖しくリマを見つめる。真っ赤な服の、袖と膝まであるスカートの裾についたレースをひらひらさせながら、生気を感じられないほどの白い手でリマの頬を撫で、滴る血のような唇でもう一度自分の姉の名を呼んだ。
「…リマ…」
リマも震える声で、同じ顔をした少女の名を呼ぶ。
「…ル…マ…?」
これは、夢だろうか…振り向いたら、そこには8年間生死の分からなかった双子の妹。『魔王』は、どこにいるのだろう。勘違いだったのだろうか。しかし、確かにおぞましい気配を感じる。他でもない…この、同じ顔の少女から。
「どうしたのリマ?そんなに怯えちゃって?8年ぶりに会ったのに、嬉しくないの?」
嬉しいに決まっている。…いや、そうだろうか?嬉しいのなら、何故こんなにも自分の身体は震えているのだろう。何故、こんなにも絶望を感じているのだろう。8年ぶりに会った嬉しさか、それとも恐怖からか、リマの瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
「…ふふ、あいかわらず臆病で、泣き虫なのね?あの時も、ただそうやって泣いていただけだったわ。」
「…ぁ…ぁの…時…?」
声を振り絞り、聞き返す。ルマは、赤い唇を三日月のように曲げて笑った。
「あら、忘れちゃったの?―――私が、お父さんと、お母さんを、殺した時の事…」
リマは、頭に鈍い痛みを感じた。何かが脳裏を過ぎるが、無意識のうちにそれを拒絶して、内からこみ上げてきた気持ち悪いものを昼間食べたものと一緒に吐き出した。
「やだ、汚いわねぇ。そんなにショックだった?ふふ。…私、そろそろ行かなくちゃ。ペットと散歩中なの。じゃぁね。」
「ま…待って…っルマ…!!」
黒い霧のような闇がルマを包む。リマは手を伸ばした。ルマを闇に連れて行かれないようにと。だが、それは叶わず、ルマは闇と共に姿を消してしまった…
ルマが姿を消すと共に、呪縛から解けたように震えが止まった。
「ねぇ、ヴァリー…教えて…あの子は…ルマは…」
『あれは 魔王だ』
何の冗談だろうか。8年間行方が分からず、いきなり現れたと思ったら、『魔王』になっていただなんて。急すぎる展開に頭がついていかず、ルマが消えた方向を向いて呆然と立ちすくむ。
―――キュギィィィァァ
魔物の不快な鳴き声が耳を突く。どうやら、すぐそこまで来ているようだ。応戦しているのであろう人間の声と、それを指揮しているシフィアスの声も近くで聞こえてきた。
「これ以上先に行かせるな!何としてもここでくい止めろ!!」
物陰から覗いてみると、そこには3階建ての建物と変わらぬ大きさの羽根の生えた蛇のような魔物。くすんだ青い鱗をぎらぎらとさせ、昆虫のような羽根で飛びながら騎士達を威嚇している。
『あれは 水の魔物だな 水属性の魔法はあまり効かない そのせいで水の国の戦士達は苦戦しているようだ』
確かに、魔法は防御の為だけにしか使ってないようだ。剣や矢で攻撃しているも、鱗がぬめっていてあまり効果的な攻撃はできていない。このままでは消耗するだけで、魔物を倒すのは難しいだろう。
『どうする?』
ヴァルシータは問う。リマにしてみれば、その問いはあまりにも白々しい。
「どうするも、こうするも…行けって言ってるんでしょ?」
リマは、空を舞う言葉を紡ぐ。
『να Ρα ―――…』
リマの周囲に煌めく風が巻き起こった。次に、風は背中に集束されていき、それは煌めく翼になった。翼を広げ、空を舞う。そして、一気に魔物の頭上に躍り出て、頭めがけてヴァルシータを突き刺した。だが、やはりぬめりのせいでかすり傷をつけただけで剣筋は軌道を逸れてしまった。魔物がリマに気づき、追いかけるように飛んでくる。鋭い牙で襲いかかってくるのを、かわしながら火の魔法をぶつけるも、思ったような力を発揮できない。
「ヴァリー!なんで魔法がちゃんと出ないの!?」
『ここは 水の精霊の加護が強すぎて 他の精霊はあまり入ってこれないのだ』
それでは、どうすれば良いのだろう?迷いながらも、攻撃をかわしながらヴァルシータで少しづつ傷をつけていく。その姿を、見ている者達がいた。先程まで魔物と戦っていた者達だ。
「なんだあの女の子は…?」
「羽根が生えてるぞ…」
いきなり現れた年端もいかぬ少女。煌めく翼を広げ、果敢にも魔物と戦っている。加勢しようにも、手の届かない空にいるので見守る事しかできずにいる騎士達。勿論その中にはシフィアスもいた。
「…ああ、なんて事だ。リマ、君は天使だったのかい…」
戦うリマの姿に見とれて呟くシフィアス。その呟きを聞いた周りの者達がざわめき出す。確かに、翼を生やし、その姿は遠目に見ても美しい。騎士達は、天使の姿を目に焼き付けるように無言で見上げた。
『リマ 見ろ 首の横の部位 少し色が違う所があるだろう そこを狙え』
「ええっ?あんなに素早く動き回ってるのに見える訳ないわ!」
『なら 動きを止めればいい』
簡単な事のように言い捨てるヴァルシータ。だが、その方法をリマは思いつかない。
「…止める?…猫だまし…いやいや…足を引っ掛け…ぁ、足が無い………ああ、もう!とりあえず羽根を切ってしまおうかしら。」
より高く舞い上がり、煌めく軌跡を描きながら魔物の背後に回った。その姿はまさに天使。その美しい姿は見ている者達の心を奪う。リマは、魔物が振り向く前に素早くヴァルシータを横に薙いだ。薄く濁った羽根は魔物の身体から離れ、魔物は不快な声を出しながら落ちていく。地面が大きな音を立てて、土埃が巻き上がった。
「ああっ!これじゃ見えないわ!」
『凍らせろ』
ああ、その手があったのかとリマは素直に水の精霊を呼び出した。そして魔物がいるであろう位置に向けて放ち、急速に水の温度を下げる。土埃が晴れて、姿を現したのは魔物と共に氷漬けになった街の姿。少しやりすぎてしまったと反省しつつ、この中に誰もいない事を祈った。
氷の中にいる魔物に近づき、首の横を確認すると、確かにそこだけ黄色くなっている。氷を溶かせられる程度の火の精霊をヴァルシータに纏わせ、その部位めがけて突き刺した。すると、魔物はどろどろと溶けていき、黒い液体になった。それを確認してからため息をついた。…世界にはまだまだ沢山の恐ろしい魔物がいる。その魔物を支配するのは『魔王』。その、『魔王』の名は―――…
その日、首都ネルサスに天使が現れた。煌めく翼で空を舞い、傷つき嘆く者には癒しを。邪悪な存在には裁きを。その姿は神に愛された美しさ。見る者全ての心を奪うと言う。
その噂は、瞬く間に広まっていった。