白の章・清らかな水の都
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ミネルス国王が現れて、名も無い小さな村は一瞬騒然としたが、すぐに元の楽しげな雰囲気になり、シフィアスが連れて来たお供の騎士数人も混じって祝いの席を楽しんでいた。
場を盛り上げようとする笛や、太鼓の音。至る所で聞こえる楽しそうな笑い声。
リマは、微笑みながらその光景を見ていた。しかし、リマの心はそこには無い。
音楽が、笑い声が、全ての音が、遠くで聞こえる感じがする。自分がどこに立っているのか分からない、ふわふわとした感覚。自分が今、どんな顔をしているのかもリマは分かっていなかった。
その様子に気づいたのか、エイルは横に立ち、リマの肩を強く抱いた。
「…無理しなくていいんだぞ?家に帰ろうか…?」
リマは弱弱しく微笑み、首を横に振る。
「皆の気持ちを無駄にしたくないから…」
シフィアスもリマの様子に気づいたのだろう。近づいてリマの頬を優しく包む。
「…リマ。僕は、穢れを知らないかのような、清らかに微笑む君の笑顔が好きだった…僕の力が足りなかったせいで、君に全てを背負わせてしまったのを、今もまだ深く後悔している…その償いは、生涯をかけてでも償うよ…だから…そんな哀しそうな顔しないで?」
少し垂れた碧い海色の瞳から、涙を零すシフィアス。
「………ふふっ。シフィーが泣いてどうするの?」
誰かの為に人前で泣くのをいとわない心優しい王。胸から溢れ出すものが瞳から零れてしまいそうになるのを堪えて、心優しい王の為に心からの最高の笑顔をプレゼントする。
普段は、軽薄の一言に尽きるシフィアスだが、不思議と人の心を癒す力がある。彼の父―――今は亡きミネルス前国王もそうだった。きっと、シフィアスは前国王のように国民に愛され、素晴らしい国を作るのだろう…
リマは、亡き国王を想いながら、そう思った。
◇◇◇◇◇
リマが無理やり馬車に乗せられて約三日。首都ネルサスに着いた。
『水の都』と言われているだけあって、街は透き通る水で溢れている。所々に大きな噴水があり、高いところで噴き出した水は滝のように壁を流れ落ち、そして街中に張り巡らされている水路へと流れていく。水路の横には、清らかな水を吸って青々と生え並ぶ木々。人が多い場所はどうしても空気が淀んでしまいがちだが、清らかな水の流れと、生き生きとした木々のおかげだろうか。ネルサスの空気はとても澄んでいて、リマは故郷の森にいるような気分になった。
街の中を馬車はゆっくりと進んで行く。やがて、街の中心にある城へと着いた。
城の前には、大きな門。大きな門は、大きな扉で閉ざされている…リマは、その大きな扉を見た事があるような気がした。しかし、初めて訪れる地。見た事あるはずが無い。
門番が馬車に気づき、門を開ける。ゆっくりと開く扉を、リマはぼんやりと眺めていた。大きな扉の先には、城へと続く道。
リマは、違和感を覚えた。大きな扉のその先には、どこにも続いていないような気がしたのだ。
扉があるのだから、先には建物があって当然なのだが、リマは『いつか見た景色』と重ね合わせていた。しかし、いつ、どこで、それを見たのかは思い出せないまま、城の中へと入って行った。
リマは、部屋の中をうろうろとしていた。案内された応接間は、豪奢の一言。リマの家の居間よりも5倍ほどある空間にぶらさがるシャンデリアは繊細な硝子細工で、陽が当たりキラキラと揺れている。壁の前には高そうな彫像や壷。部屋の中心にあるテーブルや椅子はシンプルだけども、細かい所に繊細な細工がされており、平民には近づくことさえ躊躇ってしまう雰囲気を醸し出している。
場違いな自分が居たたまれなく、じっとしていることができずに、うろうろしているのだ。
「あぁ~…シフィアス様早く来ないかしら…」
少し間違えば恋する少女の台詞だが、勿論そんな事は無い。ひとまず、ここで待っていてくれと言われ、有無を言わさずこの部屋に押し込められたが、リマとしては早く城を出てルマを探しに行きたいのだ。
もう一時間ほど待っただろうか。まだ、シフィアスが来る気配は無い。代わりに、先程から外では何やら騒々しい様子が窺える。何かあって来るのが遅れているのだろうか…と危惧していると、扉をノックする音が聞こえ、女性が入って来た。
「リマ様でいらっしゃいますね?私、女官長を務めておりますダニュエラ・コースと申します。しばらくリマ様のお世話を任される事になりました。宜しくお願いいたします。」
「あ、宜しくお願いします。…って、え?お世話?え?」
しばらく…という事は、しばらく滞在するという事になっているのだろうか…いよいよ、冗談にならない展開になってきているのでは…と、うろたえるリマの様子に構わずに、ダニュエラは「こちらへどうぞ」と部屋を出る。
慌てて後を付いていくリマ。来た時は、すました感じの人間が、優雅に歩いているだけだった廊下。だが、今は武装した騎士たちが走り回っている。
「…あの、何かあったんですか?」
ダニュエラに聞くと、はい、と返事が返ってきた。
「街の東部に、大きい魔物が出たそうですわ。苦戦しているらしく、シフィアス殿下も自らお出になられまして…お寂しいでしょうが、しばらくお待ち下さいませね。」
ふふ、と意味ありげに笑うダニュエラ。やはり、シフィアスが何か言ったのだろう。間違った認識をしているようだ。………いたたまれない…!そう強く感じたリマは、この場から逃げ出したい一心で、
「あ、あの…!私も行って来ます!」
「は…?行くって…東部にでございますか?」
頷くリマ。ダニュエラは、リマを普通のか弱い少女だと思っている為、青ざめる。
「い、いけません!危のうございます!」
「大丈夫ですから!お願いしますから行かせて下さい!」
リマはただ逃げ出したいだけなのだが、ダニュエラの目には愛しいシフィアスの身を案じて駆けつけようとしている健気な少女に見えて、涙を浮かべている。
「ああ、こんなに愛されてシフィアス殿下も幸せ者ですわ…ああ、でも、いけません!いけませんわリマ様!貴女様の身に何かあったら、シフィアス様に顔向けできません!」
「いや、ちが…」
余計に勘違いされてしまったようで、リマはもう泣きそうだ。ついには追い詰められて、ダニュエラが止めるのも聞かずに走って逃げ出した…