第一話 あずき裏殺し
妖怪あずきぎらいというのが、いる。
こう書くと、何やら大仰だが、べつに角が生えているわけではない。
町なかにまぎれて歩いていても、そうとは気づかぬ。
ただ、祝いの席に赤飯が出ると、胸のうちで何かが煮え立つ。
それだけのことで、妖怪になってしまう人間も、世の中にはいる。
子どものころ、誕生日になると、お母さんが赤飯を炊いてくれた。
小豆の赤はつやがあり、湯気はやさしく立った。
あれを食うと、自分も世間に迎え入れられているような気がしたらしい。
いま、そのお母さんは病院にいる。
しかも、因果なことに赤飯が食えぬ。
食わせたいものを食わせられぬというのは、案外、人の心に澱をつくる。
その澱が長う積もると、妙なかたちで吹き出す。
妖怪あずきぎらいは、夜はパン工場で働いている。
人づき合いは薄い。
暮らしは地味で、無駄づかいはしない。
それでも、胸の底には、祝いの赤に対するわけのわからぬ執念が残っていた。
卒業式の給食に赤飯が出ると聞いた朝、
妖怪あずきぎらいは、町はずれの公衆電話へ入った。
なぜ公衆電話か。
そんなことは、本人にもよくわかるまい。
ただ、こういう手合いは、妙なところだけ慎重である。
手袋をはめ、深呼吸を三つした。
そして、受話器を取った。
「いつもお世話になります」
入りはていねいである。
こういうところが、かえって気味が悪い。
相手が出ると、妖怪あずきぎらいは低い声でいった。
「今日、そちら、赤飯を出しますよね」
向こうは少しためらったようであったが、役所らしく、当たり障りのない返事をした。
「いまは卒業の時期ですので、各学校でお赤飯を出しております」
すると妖怪あずきぎらいは、
「だから」といった。
「お祝いってものを、考えたことがありますか」
これである。
話は赤飯のはずなのに、急に祝いの本質へ話を持ってゆく。
本人は深いことをいったつもりなのだろう。
しかし、受けるほうはたまったものではない。
受話器の向こうで、職員が口を押さえ、隣を見た気配がした。
同僚は、ああまたかという顔で、ゆっくりうなずいたろう。
だが、妖怪あずきぎらいは、それを
自分の言葉が相手の胸にしみたと受け取ったらしい。
電話を切ると、狭い電話ボックスの中で、斜めに天を仰いだ。
英雄気取りなのである。
顔はあずきのように赤かった。
頭から、ほうっと湯気が出た。
一本、二本、三本。
その湯気は思いのほか勢いがあり、やがて電話ボックスのガラスを白く曇らせた。
外から見れば、だれかが中で何かを蒸しているようにしか見えぬ。
通りがかりの男が一人、足をゆるめたが、
この世には見ぬが花ということもあると心得ているらしく、そのまま行ってしまった。
しばらくして湯気がひいた。
妖怪あずきぎらいの姿は、もうなかった。
あとに残っていたのは、ざるに盛られた小豆である。
ふっくらと、つやよく、ちょうどよく蒸し上がっていた。
人間というものは、おかしなもので、
長いあいだ憎んでいるものに、いつか似てくる。
妖怪あずきぎらいも、そうであったのだろう。
祝いを憎み、赤飯を憎み、小豆を憎みつづけたあげく、
しまいには自分が、いちばん見事な小豆になってしまった。
春先のやわらかな日が、電話ボックスの床にさしていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
人の心のよどみやこだわりを、妖怪の姿で書いていく短い話です。
また読んでいただけたらうれしいです。
このお話をもとにした短い動画もあります。
ご興味があれば、ご覧ください。
https://www.youtube.com/shorts/oI9sl5QU88Q




