元料理人の転生令嬢、親友への不当な断罪を「腐った嘘」と論破する
「フィナン=マドレーン! テラーセ=パルキシーア子爵令嬢への数々の悪行、もはや見過ごすことはできぬ! この場をもって婚約を破棄し、国外追放を命じる!」
煌びやかなシャンデリアの眩い光が照らし出す学園の卒業パーティー会場。芳醇なブドウ酒や豪華な料理の香りが漂うその中心で、時間が残酷に凍りつく。
そんな中で第一王子であるロリアン王子の声は、相変わらずよく通るだけのスカスカな声だ。元の世界で散々扱ってきた質の悪い炭酸みたいに、勢いだけで中身がない。
彼は自分が正義のヒーローにでもなったつもりなのだろう。勝ち誇った顔でフィナンを見下ろし、その目は「慈悲を与えてやっている」と言わんばかりの傲慢さに満ちていた。
「テラーセへの階段からの突き落とし、教科書の破棄、さらには夜会でのドレスへの汚損……。公爵令嬢であろう者が、これほどまでに醜悪な嫉妬に狂うとは。我が王家に泥を塗る存在め!」
ロリアンの冷徹な声が祝祭の喧騒を切り裂いた。彼は隣に寄り添う一人の少女を庇うように一歩前へ出ると、氷のような眼差しをフィナンに突き付ける。
その隣でしなだれかかっているテラーセ。彼女は王子の腕にこれ見よがしに指を絡め、潤んだ瞳でフィナンを見つめている。
「……ロリアン様、もう、それ以上は……。私さえ我慢すれば……っ」
ハンカチで口元を隠しながらわざとらしく肩を震わす。彼女の瞳の奥には、怯えなんて微塵もない。そこにあるのは、自分が陥れようとしている女が破滅するのを特等席で眺める、下卑た快楽だけだ。
(演技が下手すぎて、隠し味のバレた安物料理みたい。胸焼けがする)
私の名前は如月琥珀。この世界ではコハク=マドレーンとして生きているが、その中身は日本の料理人として「食」に全てを捧げていた記憶を持っている。学園入学前、フィナンの従姉妹であるこの身体の中で目覚めたのだ。
突然「人格が変わった」と周囲に不審がられないよう、振る舞いには気をつけてきたけれど、この世界で出会ったフィナンの優しさと、彼女が作るお菓子の繊細な味に触れ、私は彼女にだけは本当のことを話した。それ以来私たちは学園で共に過ごし、支え合ってきた。
「あ、ぁ……っ……。そんな、私、何も……」
フィナンの声は今にも消えそうだった。
彼女の指先は恐怖で小刻みに震えている。マドレーン公爵家の令嬢として清廉潔白に、それこそ丁寧に育てられた上質な麦ように真っ白な彼女だ。こんな泥を投げつけられるような事態に耐えられるはずがない。
今にも泣き崩れそうな親友の姿を見て、私の胸の内で、料理人としての誇りと怒りが静かに、しかし熱く沸騰している。
せっかくの卒業パーティー。
最高の食材と最高の料理で、みんながお腹を満たすべき夜。それをこんな低俗な茶番劇で台無しにされるなんて。
前世の私にとって、料理とは人を笑顔にするものであり、食べることは生きることそのものだった。だからこそ、今目の前で行われている「嘘」と「悪意」に塗れた茶番が、吐き気がするほど不味そうに思えてならない。
「やれやれ、メインディッシュの前に、随分と腐った前菜が出てきたものね」
私は手に持っていたグラスを近くのテーブルに置くと、震える親友の背中を守るように一歩前へと踏み出した。
「――はいはい、そこまで! 王子の権威をそんな『腐った調味料』みたいに安売りしないで頂けますか?」
静まり返った会場に、私の声がナイフのように切り込んだ。
凍りついたように動けなくなっていたフィナンが、弾けるように私を振り返る。その瞳には、絶望の淵で掴んだ藁にも縋るような光が宿っていた。
私は王子の前に悠然と歩み出ると、鼻をつまむような仕草をして見せた。
「殿下、あまりに話が『腐敗』していて鼻が曲がりそうです。そのテラーセ様という方の言い分、盛り付けばかりが派手で、肝心の具材が一切入っていませんよ?」
「コ、コハクか! フィナンの従姉妹だからと庇い立てするつもりか!」
ロリアン王子の顔が怒りで赤くなる。
そんな茹でたタコのような王子を無視して、王子の腕にしがみついているテラーセをじろりと睨んだ。
さて、お掃除の時間だ。
端正込めて育てられたフィナンという素材を、こんな腐敗した連中に台無しにさせてたまるものか。
「テラーセ様、まずは階段の突き落としの件から、発生したのはいつでしょうか? 場所と時間など詳しく教えて頂けますよね? 教科書の破棄と、それから夜会でのドレスへの汚損についても詳細を教えてください」
「……えっ? あ、あの、それは……」
ロリアン王子の腕に縋り付いていたテラーセの顔が一瞬で強張った。まさかこの場で具体的な状況説明を求められるとは思っていなかったのだろう。
私は一歩、また一歩と優雅に、けれど逃げ場を塞ぐように彼女へと歩み寄る。
「テラーセ様、どの校舎のどの階段から突き落とされたのですか? いつ? 何段目? そして何よりあなたはその前に何をお召し上がりになっていた後ですか?」
「な、何言ってるの……? 食べたものなんて関係ないわよ……」
「関係大アリですよ。人間は食べたものでできていますので。動揺すれば消化に影響が出るし、嘘をつけば味覚すら濁る……」
私は冷ややかな視線で彼女を射抜き、更に追求を続ける。
「では、教科書の破棄について、フィナンが捨てたというのなら、どこのゴミ箱で、何時何分に、誰がそれを見つけて回収したの? それから夜会のドレスへの汚損、汚されたのはワイン? それともソース? 銘柄や料理名が分かれば、それが過失か故意か私ならすぐに判別できるわ」
「そ、そんなの覚えているわけが……! ロリアン様ぁ!」
助けを求めるテラーセに対しロリアン王子の顔が益々真っ赤になり、怒鳴り散らしてきた。
「コハク、貴様! 私のテラーセを尋問するつもりか! 彼女は傷ついているのだぞ!」
「傷ついている? 笑わせないで」
私は王子の言葉を鼻で笑い、会場全体に響く声で言い放った。
「殿下、料理の世界では隠し味に毒を混ぜても、優れた料理人にはその違和感がすぐに分かるんですよ。今の彼女の証言は、賞味期限切れの食材を香辛料で誤魔化しただけの、最低な代物。……生きることは食べること。料理を愛する者から言わせてもらえば、人を貶めるために吐く嘘で塗り固められたご飯は、さぞ不味いでしょうね」
「黙れ従姉妹風情が! 王族である私の決定に異を唱えるか!」
吠える王子を冷めた目で見つめながら、私は頭の中で計算を弾く。
そもそもフィナンと茹でダコ王子の婚約は単なる若気の至りではない。マドレーン公爵家と王家の太いパイプを維持するための、国家レベルの正式な契約だ。
「お忘れですか殿下。フィナンとの婚約は国王陛下とマドレーン公爵が両家の繁栄と国の安定を願って結ばれたものですよ。それを正式な審議も、有罪の確たる証拠も、そして何より国王陛下の裁可もなく、このパーティー会場という『遊び場』で独断で破棄なさるというのですか?」
周りの貴族たちがざわつき始める。
そうだ、この国の法律では、上位貴族同士の婚約破棄には正当な理由と書面による手続き、そして王の許可が必須。
いくら王子とはいえ、卒業パーティーのノリで勝手に宣言して良いものではない。
「手続きを無視した独断は王家に対する背信行為。まるで火加減も知らずに高級食材を台無しにする未熟な見習いシェフのようですね。そんな荒っぽいやり方で、美味しい結果が得られるとお思いで?」
私は震えるフィナンの手を力強く握りしめる。彼女は公爵令嬢という最高級の素材でありながら、この愚かな男に煮え湯を飲まされ続けてきた。
「フィナンは、あなたがいつか自分を見てくれると信じて、お茶会の菓子一つ、夜会の献立一つにまで心を砕いてきました。その真心のスパイスを殿下、あなたはドブに捨てるんですね」
「……くっ」
喉の奥で苦虫を噛み潰したような音を漏らす王子。その隣で勝ち誇ったように笑っているテラーセの顔も、周囲の貴族たちの冷ややかな視線に気づいて引きつり始めている。
「コハク、もういいの」
「フィナン……?」
不意に震える手が私のドレスの袖を引いた。隣を見るとフィナンが泣き出しそうな、それでいてどこか吹っ切れたような表情で私を見つめている。
「ありがとうコハク、私のために怒ってくれて。でもね、もう十分。……この方は、どれだけ手を尽くしても『味』の分からない方だったのよ。そんな方の食卓に、私の人生を並べ続ける必要はないわ」
彼女は私から手を放し、一歩前へ出た。その背中は、今までのどの夜会よりも凛として美しかった。
「殿下、いいえ、ロリアン様。あなたが私ではなく、その不味い腐った嘘を選んだというのなら、私は喜んでこの婚約を解消いたします」
「な、何だと……!?」
驚愕する王子を尻目に、フィナンは凛として頭を下げた。そして私の方を向き、ふわりと微笑んだ。
「私、国外追放を甘んじて受け入れるわ。コハク、あなたの隣で世界中の美味しいものを知る旅に出たいわ。料理人として世界を巡るっていうコハクの夢に、私も付いて行きたい」
「フィナン……」
私は一瞬目を見開き、そして愉快そうに口角を上げる。最高だ。不純物の混じった王宮の食事に未練などない。
私の親友は、ついに自分自身の人生を「味わう」ことを選んだのだ。
「一緒に行こうフィナン。腐りきったこの場所を離れて、世界中の『本物の味』を探しに」
私たちは呆然と立ち尽くす王子や貴族たちに背を向けた。
これから始まるのは、誰にも邪魔されない最高のフルコースだ。
「まずはお腹を空かせた私たちが最初に食べる、最高に美味しい朝食を探しましょう」
ドレスの裾を翻し、私たちは会場を後にする。
背後で聞こえる王子の狼狽した声も、今はもう隠し味にすらならない雑音に過ぎなかった。
馬車に揺られながら、私は隣に座るフィナンに語りかけた。
「フィナン、食事の味を左右するのは空腹具合だけでなく、結局のところ心の状態だよね」
「ええ、本当にそう思うわ」
フィナンは私の言葉に深く頷く。
「今まで殿下のためにと無理して美味しい食事を用意しても、喜んでもらえないどころか、心はいつも空っぽだったもの」
窓の外に広がる見知らぬ土地の景色を眺めながら、私は更に言葉を続けた。
「他人を犠牲にしたり、誰かを傷つけたりして手に入れた成功や充足感は一次的なものに過ぎないよ。あのテラーセ嬢の顔は未だに忘れられないわ。満たされているどころか、常に何かに怯えていたもの」
「そうね……。あの人たちは……、いつかその空虚さに気づけばいいわね」
「うん、そうだよね」
前世では包丁を握り続けていた私の手。この手があれば、どこでだって生きていける自信がある。大切な人を笑顔にする料理を作ることができる。
「後ろめたさや罪悪感を抱えながら食べる豪華な食事よりも、誠実に生きて、誰かと笑い合いながら食べる質素な食事の方が、ずっと心を満たしてくれるんだよ」
「誠実に生きて、笑い合いながら食べる食事……。それこそが、私が一番欲しかったものかもしれないわ」
私はフィナンと顔を見合わせて笑い合った。
国境を越えれば、そこはもう名誉も身分も関係ない世界だ。
「さあ、まずは明日の朝食だね。自由という最高のスパイスをたっぷりと効かせた、とびっきりの一皿を作ってあげる。これから世界中の『美味しい』を味わう私たちの旅の始まりだよ」
馬車は希望を乗せて、国境へと向かって走り出した。
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