番にも良いところはありますから
ヴィクストリア王立病院――――――。
はい、エディオン・ミュイラー子爵令息と、リリメラ・プイメリー男爵令嬢ですね。どうぞお入りください。
ええ、プイメリー嬢はそちらの席に。私の位置からは離れていますし視線も合いませんから、ミュイラー令息はどうぞご安心くださいね。
お二人は”番症”で受診されたわけですね。かかりつけの医院ですでに診断は受けたのですね。二年前?なるほど。発症したのもその頃?
あぁ、受診されるまでに半年かかったのですね。いえいえ、責めているわけではありませんよ。なかなか診察を受けるのは勇気のいることでしょうから、一年以上かかる患者さんもおられますよ。
今のお気持ちは。気分が高揚しているとか、反対に憂鬱だとか?
えぇ、えぇ。お二人はお幸せなのですね。それは何よりです。互いに幸福を得られるのは素晴らしいことです。人が愛し合うことはね本来、自然なことですよ。それこそ神メドウォのご恩情ですから。
それで‥‥今回、エナ区画の‥‥路上で事件を起こしたのですね。思いつくことからで結構ですから、そのときのお気持ちや考えていたことを説明していただけますか?
そうですね、花祭りの日でしたね。気分が高揚していたと。なるほど、祭りとは非日常ですからな。お酒は?そうですか。どれくらい飲んでいらした?‥‥ふむ、酩酊されるほどではなさそうですね。気分が悪くなったりは?
あぁ、大丈夫ですよプイメリー嬢。ミュイラー令息、ハンカチをお渡しいただけますか?えぇ、ハンカチで拭うのですよ。
ここには誰もあなた方を責める者はおりません。私は出来事と、その時のお二人のお気持ちや状態を確認するために質問しているのです。事前の問診票にも記載がありましたが、ここでの発言が理由で憲兵に追加の捜査や処分を受けることはありませんから、ご安心くださいね。
落ち着かれましたか?それではお聞きしますが、お二人は花祭りの日に路上でわいせつ行為に及び逮捕されたのですね。間違いないですか?えぇ、えぇ。大丈夫ですよ。単純な事実確認です。その時のお気持ちを説明できますか?
相手を求める気持ちが押さえられなかったと。ふむ。何かきっかけがありますか?ふむふむ。酒を飲み、ダンスをして、そういう気持ちになったと。なるほど‥‥。
ミュイラー令息、落ち着いてください。先ほども言いました通り、私はお二人を裁いたり罰する立場ではありません。どうか座って。
えぇ、あなた方にも人権がありますよ。人権は誰しも保障されるものです。体質は関係がありません。
もしよろしければ、後ほど番症の人権保護団体の連絡先をお伝えします。それから私からの提案としては、番症の自助グループと連絡を取ることもおすすめです。あなた方のように番症による衝動行為と闘う方々のお話を聞けると思いますよ。
そうです。衝動を抑えるのは簡単な事ではありませんよね。えぇ、それは当事者にしか分からないほどの辛さであることは間違いありません。公の場であっても突如として性衝動が沸き起こるというのは、日常生活を送るうえで大変な苦しみでしょう。
え?番症の診断基準ですか?諸説ありますが、一番分かりやすいものは『日常生活に支障をきたすほどの依存性があるか』です。
えぇ。性衝動自体は多かれ少なかれ皆持っています。しかしそれが日頃の生活に支障をきたすほどとなると、対処が必要です。
重ねてお伝えしておきますが、性欲は悪ではありませんよ。番症でない人にも性欲はあります。そうでなければ子を為すこともできませんから。
‥‥そうですね、番い番うことが人間の自然な姿という考え方もあるでしょう。ミュイラー令息とプイメリー嬢が周囲とも良き関係性を築き、円滑な社会生活を送るのであれば、お二人は素晴らしいカップルとして尊重されることでしょう。
社会は番に優しくない?それはそうかもしれませんね。ただ、迷惑行為が番症への悪い印象に結び付いているのは確かです。路地裏で性行為を行った際に、それが他人に迷惑をかけるという認識はありましたか?もしかしたら人が通りかかって、不快な思いや怖い思いをさせるかもしれないとは考えませんでしたか?
そうです。そのような冷静な部分を奪ってしまうのであれば、番は危険な存在になってしまいます。お二人は花祭り以前にも自宅付近の路上で似たような騒ぎを起こしていますね。初回であったから前科にはならなかったそうですが、記録には残っています。偶然他人の性行為を目撃してしまったあの親子は苦しんだそうですよ。
はい、性衝動を緩和する薬は処方できます。基礎的な薬剤を処方しておきますから、薬師の指示に従ってください。
性衝動を押さえればそれで安心かというと、残念ながらそうとは限りません。えぇ。先ほどから子息が、私の視線からプイメリー嬢を遮り度々私を睨みつけているように。番症の患者は敵対意識や加害意欲が旺盛な特徴があります。
え?暴力はふるっていない?もちろん分かっておりますよ。ただ、診察に不自由が生じるのは確かです。お二人はこれまでも”嫉妬”で周囲に気を遣わせたり、迷惑をかけてしまうこともあったのでは?
令息が?令嬢のご家族を威嚇して?あぁ、異性の兄弟との触れ合いが不快に感じられたのですね。それも番症にはままある症状です。
一つミュイラー令息に注意させていただくと、パートナーを通常の人間関係から遠ざけることは、孤独感や不安感を助長するおそれがあります。ですからその感情にもじっくり対処していきましょうね。
プイメリー令嬢は「嫉妬は愛情の証だ」で済ませるのではなく、客観的に見て適切な振る舞いかを考える癖をつけましょうね。それが互いのためになりますよ。
それからお二人は”発情休暇”と称して仕事を欠勤することが度々ありますね。‥‥えぇ、えぇ。怠惰からくる欠勤でないことは職場の事も重々承知のようです。令息の所属する騎士団も、プイメリー嬢の出仕する王宮も番症には理解がある職場ですからね。直属の上司から聞き取った報告書も受け取っていますよ。いずれもお二人を心配し、さまざまな調整をしてきたと。
「サボっているわけではないのに」‥‥そうですね。怠惰な欠勤ではないのに、融通を利かせているのだという前提を持たれるのはお辛いものですね。番症の患者の多くが柔軟な働き方のできる職種に就くのも自然なことだと思います。お二人のように常勤のお仕事を継続するのは大変な事でしょう。
え?誰かが代わってくれる?社会は対応すべきだ?
そうですね、第三騎士団も王宮の縫製部も、お二人の欠勤を調整してカバーされているようですよ。ただそれは、周囲の方の協力があって初めて実現することです。
たとえば医師や商人であっても同じです。急な欠勤で予定していた診察や商談ができないとなるとさまざまな支障が生じます。それが愛し合う行為のためのやむを得ない欠勤だとしても、です。むしろ、それが理由であるからこそ、と考える人もいます。いえ、どちらが正しいということではないですよ。摩擦が起こることはやむを得ません。あるがままに受け留めましょう。
そう、診察だけでなく薬代にも国からの補助がでますからね。後ほど申請してくださいね、負担額が1割になりますから。
どうすればいいのか‥‥というのは、私がこの仕事で問われる一番の難問です。一つ言えるのは、番症は長く付き合っていく症状です。急に何かを変えることや、症状を一切無くすことはできません。少しずつ少しずつ工夫して症状と上手くお付き合いすることを考えましょう。これは番症以外のほとんどの病症に言えることでもあります。
そうです!そうですよ。お二人が出会えたことは、神メドウォの思し召しです。番症は決して悪いことばかりではありません。番症だからこそ得られる幸福もあるのですから。ミュイラー子爵令息、プイメリー男爵令嬢。お二人で力を合わせて、健やかな人生を送っていきましょう。とにもかくにも焦らずに。ええ。
+++++++
ふぅ、お疲れ様。カルテはあとで見返すので、そこに置いておいてもらえますか?えぇ裁判所に送る前に不備がないかと。
番症ね。良いとか悪いとか語ることがそもそもの間違いですよ。幸か不幸かを議論するのも違います。本人たちだってなりたくてなっているわけではありませんしね。世間の目が厳しいのは確かですが。それに大昔はそれこそ、舞台作品になるほど尊ばれていたわけですからね。国民の大半が罹患していた時代だってあるんですよ。まぁいつの時代も人間は性欲というものに特殊な感情を抱くという事でしょうね。
ちょっと、話が長いだなんて失礼な。君の奥さんに言いつけますよ、まったく。
―――――神メドウォが守る国ヴィクストリアで、”番”が消失する、およそ80年前の出来事であった。
ありがとうございました。




