2-水底のシグナル
君は元気かな、エテルナ。体調は……良くなることは、ないかもしれないけれど。気持ちだけでも、明るくなってくれたら嬉しい。
そんなことを言って、こんな旅路を綴るのは我ながらどうかと思う。ただ、旅に苦難は付き物じゃない?
隠したり、誤魔化したりして、綺麗な部分だけ送るのも違うと思うから。この物語を君に捧げるよ。
優しい君は、心を痛めてしまうかな。でも、きっと最後には心躍る手紙になってくれると、信じてる。
さぁ、これはどんな旅でも直面する、水にまつわる物語。
呼び声を辿った、ある命の咆哮だ。
【水底のシグナル】
実際に旅をしてみて、家から出てみて、実感したよ。
この世界は本来、想像してたよりも過酷なんだってね。
水道があって、井戸があって、タンクがあって。
どこにでも水があって、生存が整えられた人里は、どれだけ恵まれた場所だっただろう。
つまり、ぼくは手持ちの水を飲み切ってしまって、渇きに渇いていたんだ。
「あ゛ー……」
ぼやける視界を懸命に維持して、ぼくは歩き続ける。
川や湧き水を見つける以外で水を得るのは諦めた。
少しかじった程度だからか、植物などからはろくに採れやしない。それに何より――
「あ゛っつ゛ー……」
ひたすら、暑かった。これじゃ、いくら水を作っても足りる訳がない。とにかく速く、この森から出ないと干からびる。
それか、川か湧き水を見つけるか。
どちらにしても、歩き続けないと。
「はぁ゛……」
歩く、歩く、歩く。いつからこんな暑かったっけ?
いつから水がなくなってたっけ?
見た目は普通の森なのに、とんでもない場所に来た。
「水ぅ゛……」
出口か、水か。出口か、水か。
それだけを求めて、目と耳を研ぎ澄ます。
一瞬でも見逃せない。見逃したら死ぬ。
見逃さないために、場所を変え続ける。
『――』
誰かの声が、聞こえた気がした。
無意識に目が見開かれ、伏せていた顔を上げる。
景色は変わらない。木々があり、岩があり、土がある。
水はない。だけど、どうしてかな。
ぼくは今、呼ばれている気がする。
「っ……」
進む。気力を振り絞って。
希望を見出したからか、不思議と体は力を取り戻していた。
『――』
捉えた。コブみたいな岩の陰に、光るものが見える。
あれがぼくを呼んだもの。活力を蘇らせる、命の源流。
「あった、水!!」
岩陰にあったのは亀裂だった。
地下水なのか湧き水なのか、数メートル下には波紋の広がる水面が輝いている。小さいけど、人が滑り込めるくらいのサイズはある。飲もうとしたら、飛び込むしかないけど。
「これ、出口って……」
一瞬、躊躇する。水を飲めても、外に出られないなら結局は死ぬだけだ。ただ、諦めても他に水場がなければ死ぬ。
どうせ死ぬなら、より可能性のある……今生き延びられる方を選ぼう。
「ふっ……」
荷物や服を置いていくことも考えたが、取れる選択肢が増えることを考え、全部持って落ちることにする。意を決して、滑り落ちるように飛び込む。
迫る壁には逆らわない。
息が詰まる衝撃の後、無理せず浮力に従って水上へ。
呼吸をし直してから、やっと存分水を飲む。
生き返った。力が抜けて、水に浮かぶ。
「ぷはぁ、生き返るー」
天井には落ちてきた穴。光が差して、水中を照らす。
息を整えてから、辺りを見回した。
「水上に出口はない、か」
水中も同様。やけに明るい水に顔を突っ込んでも、穴などは見当たらなかった。とはいえ、壁に穴はないだけで、水自体には何かありそうだ。下の方から、キラキラしたものが浮かんでくる。
「……潜ってみる、か」
思い切り息を吸い込んでから、意を決してまた水に潜る。
先ほどと変わらず、出口はない。光の粒だけが、少しずつ近づいてくるのが見えた。
「!」
やがて、それらは泡だとわかった。
深くなり、水の色が濃くなっても、光る気泡のお陰で暗さは感じない。宇宙みたいだ。言葉にせず、胸の内でつぶやく。
『――』
呼び声が聞こえる。言葉はわからない。けれどどうしてか、『あなたは理解してくれるの?』と、言っているような気がした。
真横に泡が来る。映っているのは、見覚えのない景色。
人々が暮らしている、金属でできた街が見えた。
手を伸ばすと、耳障りな破裂音が鳴る。
――水中なのにはっきりと。
夢だったものが、ぱちり、ぱちりとはじけていく。
――まだ触れていないものまで、次々と。
「ッ!!」
突然、全身を鋭い痛みが襲う。目が何かに抉られているように痛い。堪えるために噛んだ唇の端から、色鮮やかな球体が舞う。
敵だ。この宇宙は、水は、泡は。
それがわかっていても、目も、耳も、口も。情報を得るために、元の機能から、痛みによって閉じられない。
すべてが痛みに晒されている。
バッと頭上を見上げると、天蓋の穴は消えていた。
「い゛ッ、たいッ……!!」
息ができていることに気がついた。
でも無意味だ。敵は今、ぼくを包み込むすべてだから。
水を飲んだからか、体内までもが痛い。
五臓が蠢く、囁く、響く。吐き出して、捨ててしまいたい。
むしろ、そうしろと誘導されているようだ。
血肉がお望みかい? 君は。
「ぐ、ぅ゛」
新しく昇ってきた泡が、周りを包んでいる。
それらは様々な世界を映し、色を宿す。
虐められる亀。森を歩く人間。燃え上がる海。
まるで、世界を内包した奇妙な果実。
食べた報いか、これが? 責めるように見ないでほしい。
ぼくはただ、渇いていただけなんだ。
「喉、渇いた……!!」
湧き上がる欲望を振り払い、泡を遠ざけたくて水を掻く。
剥がれない。耐えれない。なのにまだ、満たせない。
「……」
気づいた時には、さらに深く沈んでいた。
この死に方は、予想してなかったなぁ。
『生まれ変わりたい』
この死に方は、流石に嫌だなぁ。
『許せない』
いや。息ができる以上、苦しいだけで死ねないのかな。
『壊れたい』
其処に辿り着いたぼくは見た。
形のはっきりしない何かが、蠢いているのを。
「はは……」
思わず、力ない笑みが漏れる。
その目でぼくを見ないでくれ。
暗い楽園の主に、そう願う。
ぼくももう、君の夢を観ないから。
『……』
ピシリと、何かが破れた音がした。
視線を上げると、ぽたり、ぽたりと気泡が落ちてくる。
違う。ぼくが昇っているんだ。痛みはもう、なかった。
「……!!」
息ができない。水中だからか、水圧のせいか、わからない。
でも、いい。地上に戻れるなら、あの虚像の森を歩けるなら、この苦しみも終わる。
閉じていた天蓋は、入った時よりも大きな口を空けていた。
「ぷはぁっ!!」
水流に押し出され、ぼくは森の上空に出た。
丸っこい森の外は、ほんのすぐ近くに見えた。
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手紙を閉じ、上下する胸を落ち着ける。
手紙が書けて、送れてもいるんだから、無事なのはわかっていたんだけど……途中から、心臓が痛かった。
「はぁ……」
心配だ。私はあの子についていけないどころか、外にも出られないけれど。今すぐ追いかけていきたい気分。
「うっ……」
頭痛に呻いて、ベッドに倒れ込む。
でも――
「血を吐かなかっただけ、成長した……のかしら?」
お返事も、前より長くちゃんとしたものが書けるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませ、私はまたベルを鳴らした。




