第8話:ぴょんフェス開幕!
──Cafe Pyon、昼下がりの陽に照らされて、屋根のぴょん刻印がキラリと光っていた。
入口には、いつの間にか「ぴょんフェス開催中!」の手書きポスター。
筆跡はたぶんミウ。
その下に貼られたチラシには「踊ったら1ぴょん割引☆」の文字と₍ᐢ‥ᐢ₎マークが描かれていた。ゆうとはそれを見て言葉を失った。
「なぁ……この“1ぴょん”って、通貨になってないか?」
「ぴょん経済圏の始まりぴょん!」
「恐ろしすぎる世界線来たな……」
さらにその横には、小さなメモ書きが。
「今月のぴょん祝日は、25日♡ ケチャップ記念日!」
「誰が決めた!? しかも“今月”って何ヶ月ぴょん祝日あるんだよ……」
「月によって変動するの。ほら、ぴょんのリズムって不規則だから」
ゆうとはもう、頭を抱えるしかなかった。
「ぴょんオムライス2.0! ぴょんオムライス2.0入りましたああああ!!」
厨房の奥から、ゆうとの絶叫。
フライパンの上で踊る卵、揺れるケチャップボトル、
そして皿の上には美しく₍ᐢ‥ᐢ₎の刻印が浮かんでいた。
「今日の₍ᐢ‥ᐢ₎、左右対称じゃないわ」
「え、肉眼で分かる!?」
「ISOぴょん規格に違反してるの」
「そもそも何それ誰が制定した!?」
「うぉぉ……俺の手、もううさぎになりそう……!」
「それ、誉め言葉なのーっ!」
カウンター越しに、ミウがダンスを挟みながらぴょんポーズ。
すぐ脇で、マキが無言でトレイの位置を1ミリ単位で調整している。
「今日のぴょん、角度3度ズレてたわよ」
「そ、そんなぁ……」
だが、その程度ではミウの勢いは止まらない。
「ぴょんフェス開幕ぴょん!! 世界を、笑顔でぴょんにするの~っっ!」
「フェス、って言ったな?」
ゆうとは背後の棚にフライパンを滑らせながら振り返る。
「マジでやんのか。ぴょんフェス」
「やるぴょん!!」
「……なら、俺はぴょんオムライスの神になるしかねえな」
「信仰対象、増えましたね」
マキの声に、ゆうとは鼻で笑った。
だがその口元は、自然と綻んでいた。
──風が吹いた。
看板のうさぎがカランと鳴る。
その音が、まるでぴょんの鼓動のように──村に響いた。
*
広場では、すでにフェスの準備が始まっていた。
「右ぴょん! 左ぴょん! キラ☆キラぴょんっ!」
ミウが広場の中心で、手足を大きく振りながらダンスを指導していた。
その周りを、村の子供たち、エルフの若者たち、そしてぴょん感染済の村人たちが取り囲む。
「もう一回いくぴょん! ぴょんは心で跳ねるのっ!」
「ぴょ、ぴょんで跳ねる!? 心で!?」
「見たかこの跳ね、完璧な円運動だったぞ」
村のオヤジが真顔でぴょん分析を始め、マキが黙って横でトレイの角度を微調整していた。
「トレイの反射率、理想的な“ぴょん光”を確保」
「なんかもう、俺たち何やってんだろうな……」
ゆうとはそう言いながらも、笑っていた。
*
「ぴょんダンス、全国デビューぴょんっっ!」
ミウは踊りながら叫んだ。
「右ぴょん! 左ぴょん! キラ☆キラぴょんっ☆」
村の子供たちがぴょんぴょんと跳ね、エルフの若者たちも真剣な顔でステップを踏んでいる。
「#ぴょんダンス」「#フェスで跳ねろ」の札が風にはためき、
見えないどこかの世界でバズっている未来すら感じさせた。
一方、マキはトレイを手に、別の一団の前に立っていた。
「信仰は形に宿る。ここを見て、キラッと光が返る角度。これが“ぴょんの正中”」
村の姉ちゃん(第六)は真剣な顔で頷きながら、トレイに小さな花の装飾を加えていた。
「マキ姉……これって、もう芸術っすね」
「違う。これは、祈り」
カフェの看板が、ちょうどそのとき、風に揺れてキラッと光った。
「ぴょん刻印、完成」
そして厨房の奥では、ゆうとが₍ᐢ‥ᐢ₎ケーキの試作品を慎重に皿に乗せていた。
「この甘さが、絆なんだよ。どや」
子供がひとくち食べて、叫んだ。
「うまぴょんっっ!!」
──ぴょん文化、拡がっていた。
*
そのとき、店の扉が静かに開いた。
風に揺れるマントの裾、土埃にまみれた革のブーツ。
入ってきたのは、一人の少年だった。
年の頃は十七、褐色の瞳が警戒心と疲労で濁っている。
「……カフェ、だと?」
視線を巡らせ、看板の₍ᐢ‥ᐢ₎マークと“ぴょん”の文字列に眉をひそめた。
「なんだこりゃ……メルヘン村か?」
カウンターから、ぴょんとミウが飛び出す。
「いらっしゃいませっ! ぴょんフェスへようこそぴょんっ!」
「……」
「こちら“キュン☆セット”が人気です! ぴょんダンスをしてくれたら、割引も……」
「……オムライスに踊り? 金にならねえ冗談だな」
少年は乾いた笑いを漏らし、鼻を鳴らした。
「ぴょんはね……ハッピー、無料なの」
ミウは真正面から答えた。
「“気持ち”ってね、誰かに笑ってほしい時に出てくるんだよっ」
少年の目が、一瞬だけ揺れる。
「バカか……」
そう言いながらも、その目は店内の光と笑顔に、確かに惹かれていた。
そして、厨房でケーキを盛りつけるゆうとに目を留める。
「……なんだよ、あの……、温けぇな」
小さく呟いたその声は、
まるで何か、ずっと遠くに置いてきたものを思い出すようだった。
*
カフェの一角、窓際の席に案内された少年は、静かに腰を下ろした。
テーブルに置かれた水が、きらりと光を揺らしている。
その向かいでミウが、そっと小さなぴょんポーズをしてみせた。
「ご主人様が、疲れてる気がしたの。ぴょんは、ね、気配でわかるの」
「……どんな感知スキルだよ」
呆れたように呟いたけれど、その声にはもうとげがなかった。
窓の外では、子供たちが「ぴょんダンス!」と叫びながら跳ねている。
少年は、それをじっと見ていた。
「……昔、ああいうの、好きだった気がする」
誰にともなく、ぽつりとつぶやいた。
「でも、全部捨てた。笑ってる場合じゃなかったから」
ミウは、それに何も返さなかった。
ただ、彼の前に、ケチャップで₍ᐢ‥ᐢ₎を描いた小さなオムライスを置いた。
「……これ、注文してない」
「サービスです。今だけ、ぴょん記念日だから」
「……ほんと、意味わかんねえカフェだよ」
けれど少年は、スプーンを取った。
*
その夜、村の東門から荷車が出ていった。
荷台には、ぴょんオムライスの試作品と、
「ぴょんの呪文」と呼ばれる紙切れが数枚──
「ぴょんっ!って言うだけで、なんか元気になる」そんな説明が添えられていた。
それを見送るマキの隣で、エルフの子が言った。
「隣の村、きっと笑ってくれるよね」
「……笑いが届く距離なら、何度でも繰り返せる」
その言葉を遮るように、看板のぴょん刻印が風に揺れ、星の粒のように光を弾いた。
──希望が、広がっていた。
*
夜のCafe Pyonは、昼間の喧騒とはうって変わって静まり返っていた。
提灯の灯りが淡く揺れ、カウンター越しに小さな笑い声だけが漏れている。
外では子供たちが「ぴょん広場」で輪になり、火を囲んで歌を歌っていた。
ミウがそっと、ぴょんポーズを空に向けて取る。
「キラ☆キラぴょん……」
その指先が差した空には、無数の星──そしてそのなかに、
ひとつ、淡く青白く瞬く模様があった。
「……あれって」
マキが見上げる。
「また光ってる。第七の兆し……かもね」
ゆうとは火を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「何か来るな。今夜、ぴょんだけじゃ終わらねえ」
*
その瞬間だった。
森の向こうから、重低音のような唸り声が響いた。
「……来たわね」
マキの声が冷たく空を裂く。
木々を割って飛び出してきたのは、獣の群れ。
黒い毛並み、爛々と赤く光る瞳。第七の影、魔獣たち。
「フェスが……ぴょんが、危ないぴょんっ!!」
ミウが跳ねた。指先から星粒が溢れ出す。
「キラ☆キラぴょーん!!」
弾けた魔力が、光の花のように夜空を裂いた。
マキはトレイを構え、静かに言った。
「トレイ、シールド展開。矛盾すら防ぐ」
次の瞬間、彼女は一陣の風となって魔獣の前に立った。
トレイが風を切り、魔獣の爪を弾き返す。
「旋風・銀の皿!」
回転したトレイが光を放ち、闇の獣たちを次々に吹き飛ばしていく。
「俺もやるしかねえな……!」
ゆうとは厨房に走り、カートを押して戻ってきた。
「ケーキ、起爆装置付きだぞ! 甘党のツラしてんなら、食らいやがれぇ!!」
「ケーキ爆発ッッ!!」
魔獣の足元でケーキが爆ぜ、煙と蜂蜜の香りがあたりに充満する。
そしてその隙に、少年がひとり、叫んだ。
「ぴょん……守るって、そういうことかよ!!」
彼は倒れそうになった村人の前に飛び込み、盾となった。
*
しばしのあいだ、夜の広場は煙に包まれていた。
甘い香りと焦げた風、爆ぜたケーキの残骸が風に舞う。
魔獣たちは、星粒と回転するトレイ、
そして突如現れた蜂蜜の爆発に翻弄され、
やがて──静かに、その気配を断った。
「……終わったか」
マキが一歩踏み出し、トレイを肩に戻す。
ミウは星粒の残滓を手のひらですくいながら、
「ぴょん、守れた……」と小さく呟く。
ゆうとは腰に手を当て、カートの残骸を見下ろす。
「もはやケーキ屋じゃねえな、俺……」
そして、村人たちの歓声が、ようやく上がり始めた。
「バカじゃねえかよ……」
煙の向こうで、少年がぽつりと呟いた。
「魔獣にケーキぶつけて、笑顔で守って……それでいいのかよ」
その手のひらには、崩れかけの₍ᐢ‥ᐢ₎ケーキがひとつ。
ゆうとがそっと隣に立ち、言った。
「バカじゃなきゃ、ぴょんなんて言わねぇよ」
ミウが笑った。
「でもね、バカでも、守れるの」
マキがトレイで、ぽん、と少年の背中を軽く叩いた。
「迷ったら、盛り付けから始めるといい。道は、盛りつけの向こうにある」
少年が──ふっと笑った。
「……ぴょん、悪くねえな」
その声を合図に、村人たちが拍手を送り、
「ぴょん、ぴょん!」「ケーキ! ケーキもう一丁!」
歓声が波のように広がっていく。
ぴょんダンスを再び踊り始めた子供たち、
崩れた飾りを立て直すエルフの青年、
「ケチャップ持ってこーい!」と叫ぶ村の姉ちゃん。
笑顔が、あたり前のように戻ってきた。
少年がその光景をじっと見つめ、そっと呟く。
「なんだよこれ……まるで、前からここにいたみたいじゃねえか」
その瞳には、もう警戒も疑いもなかった。
エルフの子が「フェス再開だー!」と叫んだ。
提灯が再び灯り、音楽が戻ってくる。
*
その夜遅く──
Cafe Pyonの裏手にある崖の上に、
ふたたび、あの光が浮かび上がった。
淡く、青白く、脈を打つように模様が広がっていく。
それはまるで夜空に刻まれた、誰かの意思のようだった。
──メイドの心を、世界へ。
どこからともなく、神官の声が響いた。
──試練は、まだ始まったばかり。
その声に呼応するかのように、遠くの山々の闇が震える。
そして、ひとつの影がゆっくりと浮かび上がる。
角のあるシルエット、黒いローブ、そして──
「ぴょん……など、幻想にすぎぬ」
その囁きは、夜風と共に消えた。
*
朝日が差し込むカフェのカウンター。
ミウ、マキ、ゆうと──三人は並んで、ぴょんオムライスを盛り付けていた。
「ぴょんでハッピーぴょん!」
「トレイで信仰を守る」
「カフェで世界を繋ぐ」
三人は同時に手を止めて、拳を合わせた。
その拳の中心に、小さな光が灯ったように見えた。
「キラ☆キラぴょん、次いくぴょんっ!」
ミウの声に、笑いながら頷くゆうと。
マキはそっと呟いた。
「試練だろうが何だろうが……掃除対象が増えるだけさ」
「そのあとで、オムライス出してやればいい。ぴょん付きでな」
そのとき、扉の下から一通の手紙が滑り込んだ。
封筒には、見知らぬ紋章。
「隣国の村からだ……“ぴょん、助けて!”だと?」
三人は顔を見合わせた。
「行くしか、ないぴょんっ!」
「ぴょんの布教活動、ってわけね」
「Cafe Pyon、出張営業だな」
三人の背中を朝日が照らす。
──新たなぴょん伝説が、今、始まる。
ゆうとが、ケチャップでぴょん刻印を描きながら言った。
「オムライスで、世界変えようぜ」
あの夜の広場にあった光は、火ではなく、声だったのかもしれません。
誰かの「好き」が跳ねて、誰かの「笑ってほしい」が広がっていった。
そんなささやかな火花が、村という夜を照らしてくれたように思います。
「ぴょん」という語尾は、冗談みたいで、子どもっぽくて、どこか心を油断させる響きです。
けれど、時にそれは──剣よりも盾よりも、誰かの心を守るものになる。
笑ってください。跳ねてください。
それが「希望」になることもある。
そんな物語を、私は信じてみたいのです。