第6話:メイド騎士、辺境にて無双す
──光が弾けて、すべてが白く染まったあと。
目が覚めたときには、もう砂まみれだった。
「……うっわ。なにこの粉っぽさ……」
「砂埃で目がシパシパ…ゆうとのメガネなら即死だな」
喉が、すぐに乾く。視界が霞む。砂煙がずっと舞っている。
目を細めて前を見れば、ぽつんと小さな村があった。
「……ハズレ、引いたな」
青白い光、神官の声──「メイドの心をこの世界に」?
何言ってんだよ、って思いながらも、あたしはこうしてここにいる。
森でも山でもなく、よりによって、乾いた荒野の村。
(ゆうとがここ来たら、三秒でぶっ倒れてんな……ミウの“ぴょん”は、間違っても出ねえ)
皮肉めいた笑みを口元に浮かべながら、カーディガンの袖で額の汗を拭った。
──けど。
焦げた柵。折れた井戸。土に埋もれた看板。
誰かが住んでいた痕跡は、確かにある。
家屋の隅に置かれた木製のバケツの底には、まだ微かに水滴が残っていた。
(……ここ、死んでるわけじゃない)
遠くで、赤子の声のようなものが聞こえた。
それが幻聴じゃないとわかったとき──
「……あーあ。立て直すしかない、か」
足元に、トレイを召喚する。
カンッと鳴って、銀色の輝きが手に馴染んだ。
「メイドは、心で動く。まずは……水回りだな」
*
井戸の木枠は半ば崩れていたが、ロープと滑車は奇跡的に無事だった。
水を汲むと、濁っていたが──飲めないほどではない。
「……フィルターくらいなら、なんとかなるか」
布を数枚重ねて簡易ろ過装置を作る。埃っぽい水が、ゆっくりと透き通っていく。
「ま、あの男ならここで“水と火は命だ”とか言い出すな」
あたしはひとりごちて、次に崩れかけた柵を見た。
釘は錆びていたが、使えないほどじゃない。
拾った板を手に、トレイを金槌代わりにカンカンと打ちつけていく。
「メイド流・柵補修。精度95%、効率100%──ってとこか」
屋根の隙間に布を詰め、戸の傾きを直し、ひとつ、またひとつと手を入れる。
その作業の合間、廃屋の奥から、ぼそぼそとした声が聞こえた。
「……あの、お姉さん……誰……?」
振り向くと、子どもを抱えた女性が立っていた。
痩せてはいたが、目には確かな光があった。
「旅のメイド。見ての通り、臨時で修繕係もやってる」
少しの沈黙ののち、その女性はぽろりと涙をこぼした。
「ありがとう……誰も、もう、来ないと思ってたから」
「……水は、飲めるようにした。風通しも、多少はマシになったはず」
「はい……ほんとに……ありがとう」
小さな声が、確かにそこに在った。
マキはそれを背中で受け止めると、もう一度、トレイを持ち直した。
──守る理由が、またひとつ増えた気がした。
*
その日の昼下がりだった。
村の入り口から、砂煙を上げて何人かの影が近づいてきた。
「……来たか」
マキはトレイを背負い、静かに立ち上がった。
粗末な鎧、錆びた剣、だが目つきは鋭く──まごうことなき盗賊だった。
「へぇ、こんな僻地にまで客が来てたとはな」
先頭の男が笑う。片目に眼帯を巻き、顔には古傷。
「悪いが、そこの村、今夜からは俺たちのものだ。反抗すんなら……死ぬぜ?」
村の人々が物陰に身を潜める。震える手、飲み込めない息。
マキは、村の中心に一歩だけ前に出た。
「掃除の時間だな」
盗賊のひとりが吹き出す。
「掃除? なに言って──」
「《装備展開》」
マキの足元に、魔法陣のような光が広がる。
風が巻き、彼女の姿を包み込む。
黒いカーディガンの下、純白のエプロンが煌めき、銀のトレイが空中で回転する。
同時に、背に現れるはホウキ型の長槍。
「……なんだよ、あれ……」
盗賊たちがたじろぐ。
「メイド騎士装備──展開完了」
マキの瞳が鋭く光る。
「この村は、清掃対象。不要物は──排除」
次の瞬間、マキが風を切って駆けた。
盗賊の一人が剣を抜くが、マキのトレイが風を巻くように回転し──
「トレイ・スピンブロック」
剣先をはじき返し、反動で男の腕を持ち上げた。
その隙に、足払い。
砂煙が上がり、男が地面に転がる。
「なっ、なんだコイツ──っ!」
「次」
槍──いや、ホウキ型の長槍をマキが水平に構える。
「メイドは、隅まで掃除するのが礼儀」
突き。受け身をとる間もなく、二人目の男が吹き飛ぶ。
三人目が背後から斬りかかる。
マキは振り向きもせず、後ろ手でトレイを翳す。
ガギンッ!!
剣が砕け、金属音が村に響き渡った。
「……さすがにもう少し、まともな刃物持って来なさいよ」
軽く一歩踏み込み、柄の底でアゴを撃ち抜く。
男が膝から崩れ落ちた。
「ひ、一人でやべぇぞこいつ!!」
残る数人が、一斉に後退りする。
マキの表情は変わらない。
「戦い方は教えた。次、学びたいのは?」
トレイをくるりと回し、肩に担ぐ。
風が、静かに吹き抜ける。
そして、最後の男が震えながら訊いた。
「……な、なんなんだお前……」
「臨時派遣、清掃担当──」
マキは一歩踏み出し、
「──メイドです」
その言葉とともに、砂嵐が吹き荒れた。
マキが静かに地を蹴る。
そのときだった。
盗賊たちが、四方から一斉に囲むように詰め寄ってきた。
「くっ……!」
トレイを横薙ぎに振って一人の剣を弾き飛ばし、後方の足音に合わせて身体を沈める。
だが、背中が、空いた。
(……トレイ一枚じゃキツいか)
刃の気配が、真後ろから迫る。
瞬間、マキは息を吸い、右手を空へかざした。
「……いや、メイド舐めんな」
【召喚──メイド騎士装備・第二展開】
光が再び走り、背中に収まる形でホウキ型の長槍が出現する。
柄を掴み、くるりと背後に回す。
ガギィンッ!!
迫ってきた剣が、槍の柄で弾かれた。
「掃除用具は、一本じゃ足りないのよ」
そのまま足元を払うように横一閃。
二人の盗賊が地を滑り、砂煙とともに吹き飛ぶ。
再び立ち上がったマキの影が、砂嵐に滲んだ。
「掃除の仕上げは──トレイ回転掃討」
彼女の手元で、銀のトレイが円を描く。
空気を裂いて飛び、逃げようとした盗賊の背後に回り込むように弧を描き──
カンッ! と金属音とともに、盗賊の足元へ叩きつけられた。
衝撃でバランスを崩した男が盛大に転倒し、顔から砂に突っ込む。
「……完了」
マキは無言でトレイを手元に呼び戻した。
空気の張り詰めた村の広場。
誰も動かない。
マキは一歩、砂を踏んで言った。
「次にこの村を狙ったら、トレイじゃ済まさない。──以上」
その言葉は、炎よりも鋭く、氷よりも冷たく、村人と盗賊の心に刻まれた。
*
盗賊の一団が縛られ、村の外れにうずくまっている頃──
マキはトレイを脇に置き、井戸の横にしゃがみ込んでいた。
「……ふぅ」
戦闘の余韻が残る指先を、冷たい水で流す。
砂埃が、ようやく静まった気がした。
そのとき。
「お姉さんっ!」
さっきの母子が駆け寄ってきた。
「あなたが、助けてくれたんですね……」
「……うん。大丈夫だった?」
「はい、あの、これ……」
差し出されたのは、よく冷えた水の入った木のカップ。
マキは一瞬だけ目を細めて、それを受け取った。
「ありがとう」
村の空気が、少しだけ、変わっていた。
*
翌朝。
マキは村の通りで、ほうきを手に掃除をしていた。
「マキ姉!」
元気な声とともに、少年が駆け寄ってくる。
「今日も一緒にお掃除していい!?」
「道具は持った? 軍手、ちゃんとはめて」
「うんっ!」
くしゃくしゃの笑顔が、太陽よりまぶしい。
そこへ、昨日の母親が現れた。
「……マキさん」
「ん?」
「子供を……守ってくれて、本当にありがとう」
深く、頭を下げる彼女に、マキは肩をすくめた。
「当然のことをしただけ。あなたがあの子を守ろうとしてたから、私も動けた。それだけ」
「……あなたのような人がいてくれて、本当に救われました」
少し離れたところで、村の老人がしみじみとつぶやいた。
「昔の村にも、いたな。皆を守ろうとする変わり者が……。久しぶりに、背筋が伸びた気がするよ」
マキはほうきを止め、そっと微笑んだ。
「変わり者で、結構。メイドってのは、昔からそういうもんです」
朝の陽が、村の屋根をやわらかく照らしていた。
子供が、ほうきを掲げて「マキ姉、出動~!」と叫ぶ。
「はいはい、じゃあ今日も“索敵モード”ね。逃げたゴミは見逃さないわよ」
笑い声が広がった。
マキはそっとトレイを手にし、笑顔の輪の外側から、その景色を見守っていた。
*
午後から、マキは村の復興を手伝うことになった。
「釘打ちはこのトレイで。ほら、反動も少ないし、何気に精密なんだよ」
「メイドって、そんな道具も使えるんですね!」「……用途が違うけどな」
壊れた柵は整備され、倒れた看板には再び“ようこそ”の文字が描かれた。
「掃除はね、索敵と一緒。隅から順に、塵ひとつ残さず──それがメイドの誇り」
子供たちが、ほうきを振り回して「メイドアタックー!」と騒ぎ出す。
「ちょっと、武器じゃないからそれ」
マキが苦笑して言えば、子供たちは「はーい!」と元気に返した。
村の広場では、ひとりの老人がマキに言った。
「若いの、あんた……何者なんだね」
「ただの、メイドだよ」
トレイを背に、空を仰ぐ。
そこには、風に揺れる洗濯物と、穏やかな陽射しがあった。
メイドのトレイは、戦うためのものじゃない。
でも──
守るためなら、何度でも振るう。
それが、あたしの“誇り”なんだから。
*
その夜。
村の広場に、大きな焚き火が組まれた。
「はいはい、火の周りには寄りすぎないこと。木の配置は三角形に、通気を意識して。火の管理も──」
「メイドの基本ですねっ!」
子どもたちが声を揃えて叫ぶ。
「……まあ、そういうこと」
笑いが起きた。
焚き火を囲む村人たち。子どもたちは手を繋いで輪になり、「メイド音頭」と勝手に名付けた踊りを披露している。
「マキ姉ちゃん、踊らないの?」
「いや、私は見てるだけで──」
「ほらほら、手ーっ!」
小さな手に引かれて、トレイを片手に、マキも火の輪に加わる。
火の粉が宙に舞い、笑顔が輪になって広がっていった。
「こういうのも……悪くないか」
マキが呟いたそのとき、どこかでホウキが倒れる音がして、子どもたちがまた笑った。
「次は“ぴょん踊り”にしようよ!」「“キラ☆ぴょん火”とか!」
「それ、危ないからな」
夜の空に、トレイの銀色がやさしく反射していた。
*
マキは焚き火の前に腰を下ろしていた。
火がぱちぱちと鳴り、赤く揺れる。
星が、どこまでも深い空に散らばっている。
「ふたりとも……どこにいるんだか」
トレイを膝に乗せて、ふうと息を吐く。
風が頬をなでる。
その風の中に、ふと小さな声が混ざったような気がした。
──「ご主人様っ、オムライスですっ! もらってくださいぴょん!!」
「……ぴょん、ね」
マキが小さく笑った。
近くにいた村の少年が言った。
「マキ姉ちゃん、そういえばさ」
「ん?」
「西の村で、ケチャップでなんか描いてる“オムライス屋”が流行ってるって話、聞いたよ」
「……」
「あと、北の森の方では、“跳ねる魔法使い”が現れたとか。跳ねるだけで元気になるんだって!」
「……あのふたり、派手にやってんな」
マキはトレイを手に取り、空へかざすように掲げた。
「ゆうと、ミウ──お前ら、見えてんだろ」
星の瞬きが、トレイの銀面に映る。
「メイドのトレイは、守るためにある。今度はあたしが、お前らを迎えに行く番だ」
静かに立ち上がり、夜空に向かってひとつ深呼吸した。
「待ってろよ。次は、三人でカフェやるんだから」
──そして、マキはまた一歩、夜の砂漠を踏みしめた。
掃除とは、壊れたものを片付ける行為ではなく、
誰かが安心して生きていける場所を、もう一度整えることなのかもしれません。
トレイは武器になり、盾になり、時に心の支えになります。
そしてマキにとって、それは“誇り”そのものでした。
この世界がどんなに砂埃に覆われても、
誰かが信じた“メイドの心”が、ひとつの灯りとしてそこにあることを──
あなたの記憶の片隅に、そっと残りますように。