第5話:ぴょんは、泣かない。
目を開けると、森の朝露が頬を冷たく撫でた。
あたしは、ゆっくりと身体を起こした。背中には湿った苔の感触。見上げた空は木々の葉に縁取られ、青く、どこまでも高かった。
「う……ん……ここ、どこ……?」
指先にまだ残る、あの光の余韻──
青白い幾何学模様。神官さんの声。「メイドの心を、世界に──」って、あれ、なんだったの?
目の奥で、チカチカと光が残ってる。
「夢……じゃないよね。転生って、ほんとにあったんだ……」
思わず口に出して、あたしは、胸のあたりをぎゅっと押さえた。
「マキ先輩……ご主人様……」
あたしの脳裏に浮かぶのは、先輩の涼しい声。
『次はこうね』って、ちょっとだけ得意げに笑って、紅茶を入れてた横顔。
そして、ご主人様の顔──「ミウ、すげえ!」って笑ってくれたあの表情。
ぽろ、と涙が零れそうになって、あたしは頬をはたいた。
「……泣かないのっ!」
ぴょん、と跳ねる。
そう、ぴょん! あたしの魔法。ぴょんって跳ねたら、元気が出る!
ここがどこだろうと、森だろうと、知らない世界だろうと……あたしはミウ!
「メイドの、ミウなんだから……!」
周囲を見渡すと、大きな木の根元に獣道のような踏み跡があった。
風が草を揺らす音。朝露に濡れた葉っぱ。リスみたいな動物がこっちを覗いては、ふっと逃げていく。
「うわ……可愛い……」
でも、その次の瞬間、ぐうぅぅ……とお腹が鳴った。
「……は、恥ずかしい……」
それでも、あたしは跳ねる。
ぴょん。ぴょん。
葉っぱがキラキラしてる。光の粒が朝日に透けて、すごくきれい。
「寂しいけど、泣かないの。ぴょん、ぴょん!」
跳ねて進むたびに、心が軽くなる気がした。
──あたしは、ひとりぼっちじゃない。
「絶対に、会えるもん! ご主人様にも、先輩にも……!」
声に出したら、不思議と少しだけ元気が出た。
森は、あたしのぴょんに答えるみたいに、ざわざわと揺れていた。
*
森の中を、跳ねながら進んだ。
木の根に躓いて転んで、でも、すぐに立ち上がって。
ぴょん魔法は、ちゃんと使えた。
「ぴょんっ!」と跳ねると、重たかった気持ちも少しだけ浮く。
「……ぴょん強化魔法、伊達じゃないのっ!」
ひとりきりの旅路は、長くて、静かだった。
そんなある日──
朝の森を進むと、小さな川が流れていた。
ごくり、と喉が鳴る。
しゃがんで手を浸すと、水は冷たくて気持ちよかった。
そのまま、両手で水をすくって、ごくごくと飲む。お腹の底まで沁みるようだった。
「ふぅ……生き返った……」
そのとき、ふと。
対岸の茂みが、かさりと揺れた。
何かいる──?
身を低くして、じっと目を凝らすと……。
そこには、小さな姿があった。
エルフの子供。
まだ幼い。金色の髪を結び、片手に木の枝を持って、こちらをじーっと見ていた。
「……こんにちはっ!」
あたしが笑顔で手を振ると、子供はびくっと跳ねた。
「だ、誰!? 怪しい人っ!?」
「え!? ち、違うのっ! あたし、ミウって言って……えーと、転移して、気づいたらここにいて……」
説明になってない説明をしていると、子供は目をまんまるにして言った。
「ぴょんって、さっき言ったよね……? なにそれ?」
「ぴょん? ぴょんはね、元気になる魔法のことっ!」
「……へんなの」
けど、子供は笑っていた。
その笑顔に、あたしの中の“ぴょん”が、また跳ねた気がした。
*
あたしは、その子──エルフの子、リリィと名乗った──と、森の中を歩いた。
「ねえ、ぴょんって、本当に魔法なの?」
「うん! ぴょんって跳ねると、心がふわって軽くなるの。元気が出るし、なんかね……お腹すいてても笑える気がするの」
「お腹すいてるの……?」
「さっき、水飲んだだけだから……」
「じゃあ、村に来てよ! ごはん、あるから!」
そう言って、リリィは手を引いてくれた。あたしの手、ちょっと震えてたけど、リリィの温度がそれを包んでくれた。
*
木々の間を抜けると、そこにはこぢんまりとした集落があった。
木造の小屋が並び、小さな畑と、囲いの中に動物がいた。
「ここ、リリィの村?」「うん! 森のなかの、ひみつの村!」
最初は警戒されてたけど、リリィの「この人、ぴょんって言うの!」でなんか受け入れてもらえた。
「ぴょん……?」「また新しい呪文かしら」「かわいらしい響きですね」
みんな、あたたかい目で見てくれて。
そして、翌朝──
「ミウ先生! ぴょんダンス教えて!」
「せ、先生!?」
いつの間にか広場に子供たちが集まってて、リリィが張り切って言った。
「ミウが言ってたの! ぴょんって跳ねたら、元気になるって!」
「いや、言ったけど……先生って……」
「いいから! せーの、右! 左! ぴょんぴょんっ!」
「わ、ちょ、待って、リズムがっ──」
見よう見まねで跳ねるエルフの子供たち。あたしも負けじと跳ねる。
「ぴょんぴょんっ! ほら、笑って、笑ってーっ!」
転んで、笑って、また跳ねて。
気づけば村のお姉さんたちも、「右、左……えい!」とぴょんぴょん。
「なんだか……楽しいな」「不思議と、気分が明るくなる」
「でしょっ!?」
あたしは思わず胸を張った。
「それが、ぴょんの魔法なのっ!」
*
その日の夕方には、「ぴょん」はすっかり村の中で通じる言葉になっていた。
「ぴょんでこんにちは!」「ぴょんのスープできたよー!」
エルフの子どもたちは木の実を集めてスープにし、仕上げにあたしがケチャップで₍ᐢ‥ᐢ₎を描くと、みんな目を輝かせた。
「ミウ、これ何て言うの?」「ぴょんごはん、なの!」
「ぴょんごはん!? かっこいい~!」
そのあとも、枝に紐をくくって「ぴょんステッキ」を作ったり、落ち葉に顔を描いて「ぴょんのお守り」を作ったり、あたしも子供たちも夢中になってた。
「ぴょんの呪文も作ろう!」
「呪文? たとえば……?」
「『にこにこ・ぴょん・ぴょこりん!』とか! どう!?」
「それ……ちょっとダサ……いや、すっごく可愛い!」
「えへへ~っ♡」
笑い声が広がっていく。村の大人たちも、子供たちと一緒に笑っていた。
「まさか“ぴょん”でここまで村が明るくなるなんてなぁ」
「この娘が来てから、子供たちの顔つきが変わった気がする」
夕暮れ、焚き火を囲んで、みんなでぴょんスープを飲んだ。
あたしの隣には、リリィがいた。
「ねぇ、ミウ。ぴょんって、ほんとに魔法だったんだね」
「うん。ほんとはね、魔法っていうより……心のチカラ、かな」
「じゃあ、あたしも“ぴょんの心”持てたのかな?」
「持ってるよ! もう、バッチリ!」
リリィはちょっと照れて笑ったあと、真剣な目で言った。
「ねぇ、また踊ろうね。いつか、ミウの“ご主人様”にも見せたいな」
あたしは、ふっと空を見上げた。
星が、森の隙間からこぼれていた。
──ご主人様。あたし、ちゃんとぴょんの魔法、広めてるよ。
*
その夜のことだった。
村の端にある見張り小屋から、警鐘が鳴った。
「魔獣だーっ!!」
焚き火のまわりにいた子供たちが、一斉に立ち上がった。
「リリィ! 中に!」
「ミウっ、あたしも……!」
「ダメ! 隠れてて、お願いっ!」
夜の森が揺れていた。
足音。重たい、地響きみたいな音。
(来る……何かが、来る……!)
暗がりの向こうに、光る目があった。
赤い、ふたつの目。
ゆっくりと姿を現したそれは、黒い毛並みに包まれた、熊のような四足獣だった。
大きな爪が、地面をえぐるように前に出される。
「っ……あれ、無理……」
膝が震えた。
耳の奥で、自分の鼓動が爆発しているみたいだった。
魔獣が、一歩、また一歩と近づいてくる。
「ミウ……っ、怖いよ……」
背後で、リリィの震える声。
「……だいじょうぶ」
口が勝手に動いた。あたしの声じゃないみたいだった。
「ぴょんは……泣かないのっ!」
立ち上がる。
膝は震えてたけど、足元の土が踏みしめるたび、力が戻ってきた。
「いま、守るから……!」
その瞬間だった。
あたしの中のどこかで、なにかが弾けた。
【スキル:ぴょん強化魔法 起動】
足元に、小さな光がぱっと広がった。
魔法陣──⁉︎
跳ねた。
「ご主人様の笑顔、ご主人様の“ミウ、すげえ!”──あたしは、あたしなんだからっ!」
両手を広げて、ぴょん、と跳ねる。
「キラ☆キラぴょんっ!!」
魔獣の目の前で、まばゆい光が爆ぜた。
星粒のような光が、あたしの身体を包む。
その光が、魔獣の動きを一瞬止めた。
「今……!」
ミウは跳ねた。
ぴょん、と一歩。もう一度、ぴょんっ、と踏み込む。
そのたびに、光の粒が足元に弾けるように咲き、宙へ舞う。
「ぴょん魔法、フルパワーなのっ!」
森の木々がその光に照らされて、葉がざわりと揺れた。
魔獣が、呻き声をあげて前脚を振り上げる。
「やらせないのっ──キラ☆キラぴょん・シュート!!」
両手からほとばしる星粒が、閃光の矢のように魔獣へと放たれた。
命中。
轟音とともに、魔獣の咆哮が森に響いた。
「ひ、ひいいい……っ!?」
リリィが叫ぶ。
でも、ミウはもう一歩も退かない。
「泣かないの……あたし、泣かないって決めたの!!」
魔獣の足元に残っていた光が、まるで地雷のように爆ぜた。
ドン、と音がして、魔獣がたじろぎ、そして……崩れるように、倒れた。
大地に沈む巨体。
リリィが駆け寄ってくる。
「ミウっ、すごい! すごいよ! ヒーローだよっ!!」
「えへへ……ちょっと、やりすぎたかも……」
どっと膝が抜けて、その場にぺたんと座り込む。
星粒が、まだ宙にゆらゆらと舞っていた。
──静かになった森のなかで、火照った身体に、ようやく夜風が心地よく触れた。
*
焚き火の火が、ぱちぱちと静かに揺れていた。
リリィがあたしの隣にぴたりと座って、木の実のスープを分けてくれる。
「ミウ、今日は……すっごくかっこよかった」
「えへへ……ありがと」
「でもちょっと怖かった」「……うん、あたしも、ちょっと、じゃなくて、すっごく怖かった……」
二人で顔を見合わせて、くすりと笑った。
火の粉が、ふわふわと空へ昇っていく。
あたしは、星空を見上げた。
さっきの魔法の残光が、まだ空気の奥で揺れている気がした。
その向こうに、見えた気がしたんだ──
あの光。
遠く、山の向こう、暗い森の向こう。
ぼんやりと揺れる、あたたかい灯り。
(あれって……カフェの、明かり……?)
──“Cafe Pyon”
ご主人様が、待ってるの?
マキ先輩が、コーヒー淹れてるの?
心の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
「ぴょんはね……泣かないの」
小さく、つぶやく。
「泣かないで、笑って、跳ねて……絶対に、また会いに行くの」
リリィが、あたしの手を握った。
「うん。きっと、会える」
──ありがとう。あたしに、居場所をくれて。
あたしに、“ぴょん”を信じさせてくれて。
夜空に向かって、もう一度だけ。
あたしは小さく、ぴょんと跳ねた。
*
──その夜、村の広場に敷いた毛布のうえで、リリィと寝転がって星を見ていた。
焚き火の残り香が、ふたりの間にふわりと漂っていた。
「ねぇ、ミウ」
「んー?」
「“ぴょんの星”って、あると思う?」
「ぴょんの星?」
「うん、空にも“ぴょん”があったらさ。世界中、ぴょんだよ!」
あたしは空を仰ぎながら、声を立てて笑った。
「すごい発想……でも、好き」
「このへん、星いっぱい見えるでしょ? なんか、キラキラして……ミウの魔法みたい」
「えへへ、それ、ちょっと嬉しいかも」
「ほら、あれ、あの三つ並んだ星、ミウの“ぴょんジャンプ”に似てる!」
「ほんとだ……右、左、そして“ぴょん”だね!」
リリィとふたり、星を指差してぴょんぴょんしていた。
「でも……あたしは、ほんとは魔法少女でも何でもなくて」
「え?」
「ちょっとドジで、よくこけて、泣き虫で……」
「そんなの、関係ないよ」
リリィがまっすぐこちらを見た。
「だって、ミウの“ぴょん”は、みんなを笑顔にする魔法だもん」
「……リリィ」
あたしの胸が、ほわっと熱くなった。
「そっか……ぴょんは、魔法なんだね。やっぱり」
「うんっ」
ふたりの指が、夜空で重なった。
その先には、小さく、瞬く星。
「ねえ、あれが“ぴょん星”ね」「うん、“ぴょん座”にしよう!」
こうして、あたしとリリィの夜は、やさしい光に包まれて更けていった。
森の中で泣きそうになったとき、ミウは自分に言い聞かせました。
「ぴょんは、泣かないのっ」
幼く聞こえるその言葉が、
どうしてこんなにも胸に残るのでしょう。
笑顔という魔法は、何も解決しないかもしれない。
それでも誰かが跳ね続ける限り、
世界は少しずつ明るくなる──
私はそう信じて、今日も“ぴょん”を書いています。