第1話:ぴょん、という名の初恋(未満)
むかしむかし──「ぴょん」という魔法があったそうな。
その言葉は、悲しい心を跳ねさせ、
トレイは傷ついた人を守り、
オムライスは絆をつなげていた。
でも、時代が変わって誰も信じなくなった。
けれど──ひとりの少年が、ふたたびその扉を開けた。
俺の人生は、ある日突然、跳ねた。
しかもメイド服を着た少女の「ぴょん!」によってだ。
……いや、マジで。
信じられるか?
──俺の名前は、ゆうと。
アニメとゲームが好きで、秋葉原の裏通りをふらつくのが趣味みたいな、まあ、いわゆるオタクだ。
あれはたしか、何年前だったっけな。秋葉原をふらふら歩いてたんだよ。メインの通りじゃなくて、ちょっと横に入ったところ。akibaカルチャーズZONEとかコトブキヤとか、あと何故かいつも油のにおいが濃いケンタが並んでる、あの一帯。夕方だったかな、ビルの影がえらく伸びてて、「あっ俺、影の領域に入ったな」とかひとりで思ってた。
で、だ。
ふいに聞こえてきたんだよ。ちっちゃい声。「チラシってのはな、こうやって渡すんだよ」とかなんとか。見れば、メイド服の先輩と後輩っぽい子がチラシ配りの練習中。後輩ちゃん、まだ顔に幼さ残ってて、制服のリボンなんかピコピコ直してる。
そしたら先輩が急にこっち見て、「はい、実践!」みたいな感じで後輩を送り出すわけ。
そんで後輩ちゃん、やったよ。
ぴょーんって跳ねて、俺の前に来て、超ハイトーンでこう言ったんだ。
「ご主人様っ! もらってくださいぴょん!!」
うさ耳でも見えたんかと思ったね、ガチで。
思わず「えっ!?」って声出たし、顔が引きつった。でもまあ、愛想笑いみたいなの浮かべて、チラシは……受け取らなかった。いや、なんかタイミング逃したっていうか……。
で、それだけのことなんだけど──
なんか、いまだに忘れられないんだよな。なんでだろうな、ほんと。
てなわけで、チラシは受け取らなかった俺。
けどさ、目の前で「ぴょん!!」とか言われて、何も感じずにスルーできるほど、俺は仙人でも石像でもないわけで。
…なんか、ずっと引っかかってたんだよね。あの声。あの跳ね方。あの圧倒的₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎感。
で、気づいたらさ──
歩いてた。Uターンしてた。
「いや別に、もっかい顔見に行くとか、そんなんじゃなくて。な? あれだよ、チラシもらわないと失礼かなって、な?」とか言いながら。
でももう、さっきの場所にはいなかった。
さっきの後輩ちゃんも、先輩メイドも、どこ行ったのか、シュッて消えてた。
えっ、何? 俺、幻でも見てた? メイドのサービスタイム、幻覚生成まであんの?
いや違う、ちゃんといた。あの「ぴょん!!」の破壊力は、現実のものだった。
そんなことを心でごちゃごちゃ言いながら歩いてたら、ふと、目の前のガチャガチャコーナーの奥にあるカフェの看板が目に入った。
そこに──いた。
あの後輩メイドが、休憩中っぽく、店の前でスポーツドリンク飲んでた。
で、気づいたら……俺、声かけてた。
「さっきの、うさ──チラシの、うまかったね」
……何言ってんだ俺!?!?!?!?
「うまかった」って何だよ!?!?!?
なに?チラシの味知ってんの?俺!?!?!?
俺、頭の中で緊急会議開催。
『ゆうとA:いや、だって、ぴょん!のインパクトが! アニメのOP一話目並みの衝撃!』
『ゆうとB:でもそれ、口に出す言葉じゃねえ! せめて「可愛かった」とかだろ!?』
『ゆうとC:いやいや、そもそも声かける必要あった!? 俺、ただの秋葉原徘徊民だぞ!?』
脳内の俺たちが喧嘩してる間に、後輩ちゃんはキラキラした目でこっち見てて、俺、完全にHPゼロ。
やばい、この子、アニメのヒロイン特有の「好感度急上昇イベント」持ってるタイプだ…!
後輩ちゃん、すんごい笑って、
「ほんとですか!? えへへ、あれ、練習したんです!₍ᐢ‥ᐢ₎」って。
そのあと先輩も出てきて、「ほら見ろ、効果あったろ」ってニヤニヤしてて、なんかもう、完全に俺、餌付けされた人みたいになってた。
──で、そのあと、流れでそのカフェ入ってさ。
「こ、こんにちはっ! いらっしゃいませ、あの、えっと……!」
彼女は慌ててメニューを手渡してきた。
震える指。揺れるリボン。変わらず、ぎこちない。
「えっと……ミウですっ! 新人メイドの、ミウっていいますっ!」
──ああ、なるほど。
これが“自己紹介イベント”ってやつか。
「ゆうとです。メイド喫茶、初めて来ました」
「そ、そうなんですかっ!? は、初めての人には、特別な魔法、かけちゃいますっ!」
言ってから、ミウは顔を赤くした。
俺もたぶん、似たような顔だったと思う。
注文を終え、彼女が厨房に戻るのを見送ってから、
俺は、なぜかひとつ深呼吸した。
“ぴょん”は、たしかに俺の世界を跳ねさせた。
……たぶん、これからもっと大変なことになる予感しかしない。
メニュー見たら「萌えドリンク(魔法付き)」とかあって、迷ったけど注文した。
ミウがドリンク持ってきたとき、なんか妙に緊張してるのがわかった。トレーに乗ったグラス、微妙にカタカタ鳴ってるし。
「お、お待たせしました! ご主人様の、萌えドリンク…で、ですっ!」
そんで、彼女、意を決したみたいに両手をグーにして、こう。
「このドリンクに、ミウの…魔法を、かけちゃいますっ! ぴょんぴょん! ハート、きゅんきゅん! ₍ᐢ‥ᐢ₎♡」
最後、めっちゃ小声で「…やった、言えた…!」って呟いてたの、俺、絶対聞いた。
俺も俺で、「お、おう…サンキュー…」とかしか言えねえ。だって、目の前でリアルタイムで「萌え魔法」見せられたら、誰だってこうなるって!
ドリンク見たら、クリームの上にチョコペンで「₍ᐢ‥ᐢ₎ ♡ぴょんぴょん」って描いてあって、なんかもう、芸術点100点。
いや、うん。そうだよな。
お前のテーマ、それだもんな。
飲むの、ちょっと勿体ねえな…とか思いつつ、俺、完全にこのカフェの沼にハマってる自分を感じてた。
俺はドリンクを見つめながら、思った。
この日が後に「俺のオタク転生元年」と呼ばれるようになるとは、
このときの俺は──まだ、知らない。
第1話、お読みいただきありがとうございました。
メイドカフェ、異世界転移、チラシ配り、オムライス、そして──ぴょん。
いったい何の話なんだ、と思われた方もいるかもしれません。
けれど私は、このふざけた一歩が、
きっとどこかで「あなたの明日を笑顔にするもの」へと繋がっていくと信じています。
たった一言の“ぴょん”が、誰かの心を跳ねさせる。
そんな物語になればいいなと思っています。
次回も、どうぞお付き合いください。
夜の片隅に、そっと灯るぴょんを。