屋上と部活動
四月も半ばを過ぎると、昼間の太陽は早くも初夏を気取り始める。じりじりと肌を焼くような陽光と、昼休みの喧騒から逃れるように、俺はいつもと同じ場所を目指していた。県立白鷺高等学校、その校舎の屋上。特に給水塔の裏にある日陰のベンチは、孤独な俺にとっての唯一の居場所だった。
ひんやりとした感触が、ベンチ越しに伝わってくる。これ以上の贅沢はない。目を閉じて、微かな風の音に耳を澄ませている、そんな時だった。
ガタンッ、と金属の軋む音がした。
静寂を切り裂くようなけたたましい足音と、それに輪をかけてやかましい声が、俺の聖域に土足で踏み込んでくる。
「あつーい! もう、なんなんですかこの暑さは! 四月だって油断させておいていきなり夏日とか、フェイントが過ぎますってー!」
声の主は考えるまでもない。立て付けの悪い屋上の扉を勢いよく開け、飛び出してきたのは一つ下の後輩、鷲宮結奈だった。
プラチナブロンドに染め上げた髪を揺らし、短く改造したスカートから伸びる脚は、眩しいほどに白い。その派手な見た目と天真爛漫な性格で、あっという間に注目の的となった、学年トップの美少女。そして、なぜか俺にだけ執拗に絡んでくる、少々厄介な女だ。
鷲宮は屋上をぐるりと見渡すと、日陰にうずくまる俺の姿をすぐに見つけ、ぱあっと表情を輝かせた。
「せーんぱいっ! やっぱりここにいたんですね。さっき電話したんですけど、気づきませんでしたかー?」
弾むような足取りでこちらに駆け寄ってくる。俺は閉じていた瞼を持ち上げ、やれやれとため息を一つ吐いた。
「はぁ、今日も変わらずやかましいな。お前が来たせいで余計に蒸し暑くなったじゃないか」
「ひどっ! 私のせいだって言うんですか!? 私、今日は爽やかなシトラスの香りのはずなんですけどー」
鷲宮は頬を膨らませながら俺の隣に腰を下ろすと、「ほらほら〜」とわざとらしく体を揺らし始める。すると、安っぽい香水とは違う、品のいい柑橘系の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「でもこんなに暑くなるなら、SPF50の最強の日焼け止め塗ってくればよかったなぁ。ちょっと油断してましたよ、春の陽射し」
「お前、そういうの気にするんだな」
俺が意外そうな顔をしていると、鷲宮は心外だと言わんばかりに声を上げた。
「何言ってるんですか! 陽射しは乙女の天敵ですよ! この白肌を維持するのだって、涙ぐましい努力の結晶なんですからね!」
そう言って、鷲宮は自分の腕をぷにっとつまんで見せる。確かに、その肌は太陽の光を知らないかのような白さだ。彼女は俺のような日陰に生息する人間とは対極の、生粋のギャルのはずなのだが……。
「そんなことより先輩。コレ見てくださいよ、コレ!」
唐突に、鷲宮がばさりと何かを広げた。俺の目の前に突きつけられたのは、新入生向けに配布されたであろう、部活動紹介のパンフレットだった。複数の色とりどりな写真をバックに、「最高の仲間と、最高の青春を!」なんていう、眩しすぎて直視できないキャッチコピーが紙面で弾けていた。
「一緒に見ませんか? 先輩、学校のこと詳しそうですし、色々教えてくださいよ」
「断る。俺は部活には詳しくないし、何より興味がない」
「えー、つれないなあ。じゃあ、私がここで見てるだけならいいですか? ね、いいですよね?」
上目遣いで小首を傾げる。そのあざとさを真正面から受け止めることができず、俺はふいと顔を背けた。
「……好きにしろ。ただし、話しかけられても答えないからな」
俺が素っ気なく返すと、鷲宮は「やった! じゃ、お言葉に甘えて……」と、隣でパンフレットを真剣な眼差しで熟読し始めた。
そうしてやっと静寂が戻ると思っていたのだが、そんな俺の淡い期待は、ものの数秒で打ち砕かれた。
「へえ、結構しっかり作られてるんだ、このパンフ。写真も綺麗だし、活動内容も丁寧で分かりやすい。うーん、でも迷うなあ。運動部もいいけど、文化部も捨てがたい……」
独り言にしては、やけに声量が大きい。明らかに俺に聞かせている。無視を決め込んでいると、さらに声のトーンが上がった。
「おっ、見てくださいよ先輩、チア部なんてあるみたいですよ! このユニフォーム、めっちゃ可愛くないですか?」
鷲宮はパンフレットの一角を俺の顔の前に突きつけ、目を輝かせている。写真の中では、笑顔の女子生徒たちがアクロバティックなポーズを決めていた。
「先輩、どう思います? 超絶可愛くないですか?」
「ん? ああ、そうだな。世界一可愛いんじゃないか」
俺は視線も向けずに、生返事を繰り返す。どうせこいつのことだ。満足する答えを言うまで、この話題は終わらない。
案の定、彼女は不満そうに声を上げた。
「絶対見てないでしょ! ちゃんと見てくださいよー!」
「いやだから、興味ないって言ってるだろ……」
俺のうんざりした声などお構いなしに、鷲宮はぷうっと頬を膨らませる。
「じゃあ、先輩はどこも部活入ってないんですか?」
「入ってない。というか、俺がどこかのコミュニティに所属して、和気藹々と活動しているように見えるか?」
俺なりに最大限の皮肉を込めて返したつもりだったが、鷲宮には全く通じなかった。
「見えないです! だからこそ、私と一緒に入りましょうよ! 先輩、頭いいんだから文芸部とかどうです? それか、意外と写真部とか似合いそう! 屋上から風景を撮ったりして──」
「どっちも御免だ。勝手に俺のキャラクター設定を作るな」
「もう、なんでですか! 絶対楽しいですよ!」
「入らないって言ってるだろ。第一、今さら二年の俺がひょっこり入っても、馴染めるわけがない」
「そんなことないですって! 私がいれば、速攻で馴染ませてあげますから、ね?」
鷲宮は自信満々に胸を叩くが、このコミュ力お化けと一緒にされるのは御免だ。
「やめてくれ。想像しただけで鳥肌が立つ」
俺の言葉に、鷲宮は「もう、つまんないなあ」と唇を尖らせた。そうしてしばらくパンフレットをパラパラとめくっていたが、やがて何かを閃いたように、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ先輩、参考までに聞かせてください。私って、どの部活が似合うと思いますか?」
「……いや、別に帰宅部でいいだろ。毎日まっすぐ家に帰って、大人しくしてろ」
「それ部活じゃないですから。もー、真面目に考えてくださいよ。私のこのポテンシャルを最大限に活かせる部活は何か、っていう建設的な意見を求めてるんです」
俺は仕方なく鷲宮を見つめる。彼女は容姿が良いだけでなく、運動神経も抜群だし、頭の回転もかなり早い。どうせどこでも上手くやれてしまうのだ。
「お前に似合う部活なんて、俺が知るわけないだろ。大体、お前は中学の時は部活やってたのか?」
話を手っ取り早く終わらせるための、何気ない質問だった。しかし、その一言が、鷲宮の瞳に今までとは違う輝きを宿らせた。待ってました、と言わんばかりの、期待に満ちた輝きだ。
「やってましたよ、それはもうバリッバリに! なんたって私は、『西ノ森中学校』出身ですからね! 部活動に力を入れてることで有名な、あの!」
「あー、なんか聞いたことある気がするな」
西ノ森中学校──確か私立の中学校で、ちょっとしたお嬢様学校として有名だったはずだ。そこから県内トップクラスのご令嬢が、この白鷺に来るらしいという噂も、入学式の頃に耳にした記憶があった。目の前の鷲宮がその張本人なわけなのだが、およそ「ご令嬢」という言葉とはかけ離れた存在にしか見えない。
「そうなんですよ。水泳部とかハンドボール部とか、なんならアーチェリー部まで。中学校にしては珍しいのも結構あったんです!」
「なるほどな。じゃあ、高校でも中学の続きをやればいいんじゃないのか」
それが一番合理的で、手っ取り早い選択のはずだ。しかし、鷲宮は不満そうに首を振った。
「えー、でもずっと同じだとつまらないじゃないですか」
「そういうもんか?」
「そういうもんですよ。だって、せっかく新しい環境になったんだから、新しいことに挑戦したいじゃないですか。中学の時だって、今までにやったことがないことに挑戦したから、すっごく楽しかったんです。だから高校ではもっとこう、誰も想像しないような意外なチョイスで、周りをアッと言わせたいんですよね!」
なるほど。こいつの行動原理は、常に他人の注目を集めることにあるらしい。厄介極まりないな。
「……というか先輩」
不意に、鷲宮が俺の顔をぐっと覗き込んできた。長いまつ毛に縁取られた大きな瞳が、俺を真っ直ぐに見つめている。
「私の中学時代の部活、なんだと思ってます?」
その目は、ずっと俺からその質問が飛んでくるのを待っていた、と言わんばかりに不満気だった。どうやら俺が尋ねるまで、自分からは言わないつもりだったらしい。
「さあな。知らん」
思わず息を呑み、視線を逸らして誤魔化す。
「だーかーらー、当ててみてって言ってるんです! いつもみたいに推理してくださいよ」
「……お前、自分の話をするのが本当に好きだな」
「いいから、早く!」
せっつかれ、俺は仕方なく思考を巡らせる。ギャル、お嬢様、美少女、そしてうるさい。このイメージから連想される部活か……。
「ええ……じゃあ、バレーじゃね? お前うるさいし」
「ブブー、違いますー。てか偏見ひっどいですね! バレー部も別にそんなうるさくないですよ!」
「じゃあ分からんな、正解はなんだ?」
「もう、ほんとにちゃんと考えました? ほら、もっと私の人柄とかこの身体つきとかから、ちゃんと推理してみてくださいよ!」
鷲宮はそう言って、わざとらしく胸を張ってポーズを取る。俺は言われるがままに、その姿を改めて観察した。
陽の光を弾く白い肌、細く引き締まった手足、そして何より、整いすぎた顔立ち。数秒間眺めてみたが、頭に浮かんでくる言葉は「可愛い」の三文字だけで、推理の役には到底役立ちそうになかった。
「……降参だ。さっさと教えてくれ」
「えー、もうですか? すぐ教えてもいいけど、それだとつまんないしなぁ」
鷲宮は楽しそうに口元に人差し指を当てて、小悪魔のように微笑んだ。完全に俺で遊んでいる。こうやって、いつもこいつのペースに乗せられてしまうのだ。
「そうだ、せっかくだし問題にしましょう!」
「問題?」
「そうです! 今から、『はい』か『いいえ』で答えられる質問を三回までしていいことにします。それで私の部活動を当ててみてください!」
めんどくさい。心底めんどくさいが、ここまで来ると、少しだけ気になってきたのも事実だ。それに、三回までならどんな質問をしてもいい、ということか。
「……まあいいよ、付き合ってやる」
「よしきた、どーんと質問しちゃってください! 先輩に私の秘密が暴けるかなー?」
鷲宮は挑戦的に笑う。俺は腕を組み、今までの会話の中に何かヒントはなかったか、と静かに思考を巡らせた。
──そして、考えること数十秒。
断片的な情報が頭の中で繋がり、俺はひとつの仮説を導き出した。
……もしかしたら、質問は一つで十分かもしれない。
俺は組んでいた腕を解き、真っ直ぐに鷲宮の目を見据えた。
「一つ目の質問だ、鷲宮」
「はい! なんでしょう?」
ごくり、と彼女が息を飲む。
「お前がやっていた部活は、『球技』か?」
「……え?」
その瞬間、鷲宮の表情がわずかに凍りついた。彼女の大きな瞳が一瞬宙を彷徨い、そしてすぐに慌てて俺に戻ってきた。
「あー、はい。そうですね……球技、です」
声がほんの少しだけ上擦っている。動揺を隠そうと取り繕った笑顔は、いつもよりぎこちなく、引きつっているようにも見えた。
それで十分だった。
俺の仮説は、確信に変わった。
「てことはお前、バドミントン部だな」
「──ッ!」
鷲宮の目が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれた。整った唇が何かを言おうとして、はくはく、と微かに動く。
「……うそ、うそうそうそ! なんで分かったんですか!? まだ一回しか質問してないじゃないですか!?」
彼女はベンチから勢いよく立ち上がると、俺の肩を掴んでガクガクと大きく揺さぶった。こうも感情を剥き出しにしてくれるのは、やはり少しだけ気分がいい。
「おい、落ち着けって。お前が今までの会話でヒントを出しすぎただけだ」
「私が? どこでですか!? 部活のことなんてほとんど何も言ってないですよ!」
食い気味に問い詰めてくる鷲宮に、俺はやれやれと首を振る。自分から推理をひけらかす趣味はないが、こうなっては仕方がない。
「……あーもう、分かったよ。説明してやる」
そう言うと、彼女は「本当ですか!?」と目を輝かせ、尋問官のように前のめりになって俺の隣に座り直した。
「じゃあ、最初から教えてください。まず、なんで運動部だって分かったんですか? 私、文化部でも全然ありそうなキャラじゃないですか?」
いや、どうみても文化部には見えねえだろ。そう一言であしらおうとも思ったが、鷲宮はこう見えて論理的でないと納得してくれない。俺は記憶のピースを拾い上げるように、ゆっくりと話し始めた。
「簡単なことだ。お前はパンフレットを見ているとき、口では『文化部も捨てがたい』と言いながら、明らかに運動部のページを熱心に見ていた。西ノ森中の部活としてあげてた例も、全部運動系だったしな」
「水泳、ハンドボール、アーチェリー……あっ、確かに」
鷲宮は自分の言動を思い返しているのか、こくこくと頷く。
「それに決定的だったのは、鷲宮自身の言葉だ。俺が部活を当てようとした時、『この身体つきから推理して』なんて言ってただろ。文化部で自分のフィジカルを引き合いに出すやつは、まあいない。これだけでも運動部に絞られるってわけだ」
「うわぁ、それは完全に無意識でした……。でも、じゃあなんで屋内だって分かったんですか? テニス部とか陸上部とか、外の部活だってたくさんあるじゃないですか」
「それも、お前を見れてば分かる。まず第一に、鷲宮は異常なまでに肌が白い。屋外で活動してたなら、どれだけ対策しても多少は焼けるもんだ。正直、外で部活してたようには見えん」
「それは日々の努力の賜物なのに……」
そう唇を尖らせるが、その反応を無視して俺は続ける。
「それだけじゃない。お前は『陽射しは乙女の天敵』とまで言って、日焼けを過剰に気にしていた。普段から屋外で活動してたならそこまで神経質にならないだろうし、春の陽射しを油断するなんてこともない。屋外スポーツをやってるなら、四月でも紫外線が強いことを知ってるからな。それを忘れてたってことは、つまり陽射しを気にする必要のない環境だったってことだ。違うか?」
そう言って顔を見ると、彼女は「うっ……」と言葉に詰まり、自分の白い腕を見下ろしていた。その反応だけで、俺の推理が的を射ていることが分かる。
「ぐうの音も出ないですね。確かに、中学の時はほとんど体育館にいましたから……。でも、屋内の運動系の部活って他にもいっぱいありますよね? バスケとかダンスとか、あと剣道とか。なんでそこからバドミントンに絞れたんですか?」
「そこからは消去法だ。まず、俺が部活を当てようとして適当に『バレー部』と言った時の反応を覚えているか?」
「え? えーっと……『偏見ひどい』とか、そんな感じでしたっけ?」
彼女は自信なさげに首を傾げる。
「大事なのはそのあとだ。『別にそんなうるさくないですよ!』って、妙に具体的に反論しただろ。あれは、普段からバレー部の練習を間近で見ていたって証拠だ。つまり、体育館をバレー部と共有して使っていたと推測できる」
俺の言葉に、鷲宮はハッと息を呑む。
「はい、そうです。確かにコート半分こでやってました。先輩には何でもバレちゃいますね……」
観念したように呟く鷲宮に、俺はさらに追い打ちをかける。
「これで体育館競技に絞られたことになる。そしてさらに言えば、バスケ部である可能性も低い。『今までにやったことがないことに挑戦した』って言ってただろ? バスケなんて小学校の体育の授業でもやるし、『初めてやった』という新鮮味のある挑戦にはなりにくい」
「そ、そこまで読んでたんですか……?」
「まあな」
鷲宮は完全に顔が引きつっている。その表情が面白くて、俺は思わず口元が緩んだ。
「じゃあ、最後の質問です! 体育館種目でも他に卓球とか、もしかしたらダンス部とかもあったかもしれないじゃないですか! なんで、バドミントンだって言い切れたんですか?」
半ばヤケになってきた鷲宮が、最後の抵抗とばかりに声を張る。俺はそんな彼女をなだめるように、静かに答えた。
「そこからはある程度の推測と、お前の母校の特性を考慮したんだ」
「特性……?」
「そうだ。西ノ森中学校は、それなりの金持ちが通うお嬢様学校だろ? てことは、それなりの設備が整っているはずだ。だとしたら、ダンス部には専用のスタジオが、卓球部には専用の卓球場があったとしてもおかしくない。わざわざ他の部活と共有してるイメージがわかなかったんだ」
「……ありますね。ダンススタジオも卓球場も」
彼女の声は、もはや感嘆のため息に近かった。
「だろ? そうなると、体育館をバレー部と共有するのはかなり絞られてくる。そしてまあ、最終的な決め手は……」
俺はそこで少し間を置き、とどめを刺すように軽く笑ってみせた。
「お前みたいな陽キャがやるのは、地味な卓球より、華やかなバドミントン。相場はそう決まっててんだ。ま、偏見だけどよ」
「またひどい偏見だ! 卓球部の人に謝ってください! ……でもまあ、それで当たりです」
一通り説明し終えると、鷲宮は悔しそうにしながらも、どこか納得した様子だった。だが、彼女はすぐに新たな疑問を思いついたのか、ハッと顔を上げる。
「でも待ってください! そこまで分かってたなら、なんで質問は『それは球技か?』なんて曖昧なものにしたんですか? もっと確実な聞き方があったはずじゃないですか!」
核心を突く質問だった。やはり彼女の目の付け所はいい。俺はこの推理ゲームの最後の仕掛けを明かすために、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ああ、あれか。あれは単に事実を知りたかったんじゃない。お前の反応を見たかったんだ。そして、もし俺の推理が外れていたとしても、無駄にはならない最善の一手を選んだんだ」
「えっと……どういうことですか?」
いぶかしげな顔をする鷲宮に、俺はゆっくりと種明かしを始める。
「バドミントンが使うのはボールじゃない、シャトルだ。他の球技とは少し違う。だから唐突に、『球技か?』なんて聞かれたら、誰でも一瞬迷うはずなんだ。『これって球技って答えていいのか?』って具合にな」
「あっ……!」
「そうだ。お前は案の定、一瞬戸惑ってた。あの反応で、俺の推理は確信に変わったんだよ」
鷲宮が息を呑む。まさか、そんな細かい心理の揺らぎまで読まれていたとは思ってもいなかったのだろう。顔が驚きで染まっていくのがわかる。
「それに、あの質問には保険もかけてある。もしお前がバドミントン部じゃなくて、質問に全く躊躇せずに『はい』と即答したとしても、逆に『いいえ』と答えたとしても、俺には問題なかったんだ。つまり、鷲宮がどう答えようと最低『球技かどうか』はわかる。それなら、候補は十分に絞り込めてるだろ? 推理が当たっていれば確信に変わり、外れていても次の一手に繋がる。あれ以上に効率的な質問はなかったんだよ」
俺が全てを語り終えると、屋上には心地よい春の風だけが吹き抜けていった。騒がしかった思考は静まり、代わりに奇妙な達成感が胸を満たす。
鷲宮はしばらく呆然とした顔で俺を見つめていたが、やがてその表情が、じわじわと感嘆の色に変わっていった。
「先輩、凄すぎます! 私の何気ない発言だけじゃなくて、そんなことまで考えてたなんて……」
「別に。お前が分かりやすいだけだ」
「もう、そこは素直に褒められてくださいよ。でも、本当にすごい。私の何気ない一言を全部覚えてて、そこから答えを導き出すなんて。そういうとこ、素直に尊敬しちゃいます」
鷲宮はそう言うと、少し照れたようにふわりと笑った。その笑顔は、普段のからかうようなものではなく、心から笑ってるように見えた。その不意打ちのような純粋な表情に、今度は俺のほうが動揺してしまう。
彼女は十分に満足したのか、「よーし、じゃあ改めて部活決めよっと!」と気持ちを切り替えるように、再びパンフレットに視線を落とす。その横顔は、先ほどよりもずっと晴れやかだった。
だが、俺は忘れていなかった。
このゲームには、まだ続きがあることを。
「おい、鷲宮」
「はい?」
パンフレットから顔を上げた鷲宮が、不思議そうに首を傾げた。その無防備な表情に、俺はにこりと笑ってみせる。ここから攻守交代の時間だ。
「まだ終わってないぞ。なんたって、質問はあと二つ残ってるだろ?」
「……え?」
俺の言葉に、鷲宮の顔からさっと血の気が引いた。彼女は設定したルールをようやく思い出したようだった。
「確か、『はい』か『いいえ』で答えられる質問なら、三回までなんでも答えてくれるんだったよな?」
「なんでもっ!? あ、いや、そんなこと言ってないです! 当てられちゃったので、もうゲームは終わりですよ、終わり!」
「おいおい、ルールはルールだろ? それに、俺はお前の要望に応えて、ちゃんと推理を披露してやったんだがな……」
「うぐっ、そ、それはそうですけど……。じゃ、じゃあ二回だけ! 二回だけですよっ!」
鷲宮は慌てて両手を胸の前で構え、警戒態勢に入る。その必死な様子が面白くて、俺は思わず声を出して笑った。
──こいつには謎がいくつもある。
なぜお嬢様学校の西ノ森中から、この平凡な県立高校に来たのか。そして、なぜ数いる生徒の中から、俺にだけこうして付きまとうのか。
彼女は『はい』か『いいえ』としか答えない。
そして、質問のチャンスはあと二回。
だが──ふたつも聞ければ、それで十分だ。
俺は目の前で怯えた子犬のように固まる後輩を見据え、口の端を吊り上げてにニヤリと笑った。
さあ、ここからが本気の推理の時間だ。




