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屋上と令嬢  作者: しぐ
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屋上と鍵

「あれ? おっかしいなぁ。鍵は開いてるって聞いてたのに……」


 冷たい朝の空気が、階段を登る足元にまとわりつく。この時間帯の屋上には誰もいないはずなのだが、今日はどうにも聞き慣れた声が微かに響いてきていた。


 不意を突かれ、俺は思わず足を速める。いつもより少し遅れて屋上へ向かうと、扉の前で何やらガチャガチャと手を動かす小さな後ろ姿が見えた。見た感じ、かなり手間取っているようだ。


 まさか、こんな早い時間に彼女が来るとは予想外だった。俺のほうが早く着いて屋上で彼女を待つ、というのが当たり前だったのだが……。


「おう鷲宮。お前、何やってんだ?」


 その瞬間、彼女は肩をびくっと震わせ、驚いたように振り返った。その大きな瞳がぱちくりと瞬きを繰り返し、一瞬の沈黙の後、不満げな表情へと変わる。


「あっ、先輩!もう遅いですよ〜!いったい何してたんですか!」


「いや別に、普通に遅れただけだが……?」


「普通に遅れるってどういうことですか!待ちくたびれましたよー!」


 ひとつ下の後輩──鷲宮結奈わしのみやゆいなは身を小さく震わせながら、俺に詰め寄ってくる。その様子がなんだか小動物みたいで可笑しく、つい口元が緩んだ。


「なんだよ。相変わらず朝っぱらからずいぶん騒がしいな」


「騒がしいとは失礼ですね!これは元気と言ってください!」


「はいはい、元気元気。お前はその無駄に高いテンションだけが取り柄だもんな」


「ちょっと待ってください! いま『無駄』って言いましたっ!? それ全然褒めてないですよね!?」


 ムッとした表情のまま、再び扉をいじり始める。何かに集中しているときのこの異常な熱中ぶりが、彼女の特徴だ。


 普段は元気の塊みたいな鷲宮だが、こうして何かに没頭するときは意外と静かになる。もっとも、これが長続きすることはほとんどないのだが……。


「で、どうしたんだよ。扉が開かないのか?」


「はい、そうなんです!先輩は『屋上の扉は、基本開きっぱなしだ』って言ってたじゃないですか。でもほら、なんか鍵が掛かってて……」


「あーっと……。そうか、こりゃ面倒なことになったなぁ」


 今日は少し遅れて来たために、なかなか厄介なことになってしまっていた。遅れた日に限って鍵が閉まっているなんて、俺はどうも運が悪いみたいだ。


「あれ、先輩?どうかしたんですか?」


「……いや、なんでもない。どうせ、いつもみたいに建付けが悪いだけじゃないか?こう、上に持ち上げながら回すとか、そういう力技で開けられないか?」


「それはもうやりましたって!ほら、先輩も試してみてください!」


 押されるがままに俺も扉をいじってみるが、いつもと違いびくともしない。どうやら、これは本当に鍵が掛かっている感触だ。


「おお、確かに開かないな」


「だから言ったじゃないですか!」


 得意げに胸を張る鷲宮。別に威張ることでもないと思うが、これも彼女らしいといったところか。


「……まあ、こういう日もあるってことだ。仕方ない、今日はここで時間を潰すか」


「ええー!?ここ、階段ですよ!?なんか汚そうだし、人が通ったらすごい気まずいじゃないですか!」


 困ったように眉を寄せながら、周りをきょろきょろと見回す。確かにこの場所はあまり人が通らないとはいえ、完全に人目を避けられるわけではない。


「いや、俺も恥ずかしいんだが……。まあ、別にいいだろ。どうせお前は、こういうのあんまり気にしないタイプだし」


「ひどい!私だって一応、女の子なんですよ!人目以上に気にするものなんてないですよ!」


 彼女の真剣な抗議に、思わず笑いそうになる。


「じゃあ鍵持ってくるか?少し時間はかかると思うが……」


「いやー、それも面倒ですし……。ま、たまにはこういうのもアリかもですね。座りましょうか」


 彼女は突然吹っ切れたように笑顔を見せると、ひらりと階段の縁に座り込んだ。その心変わりの速さに驚きつつも、俺もすぐに隣に腰を下ろすことにした。


 ◇ ◇ ◇


「ところで先輩、屋上に鍵がかかってることってよくあるんですか?いつも先輩が先にいたので、私は知らなかったんですが……」


 少し世間話をした後、篠宮が思い出したかのようにふと疑問を口にした。


 普段は開いているから、屋上の鍵という存在を意識することはなかったのだろう。こういう話をするのは初めてかもしれない。


「うーん、たまにあるとは思うが、それがどうかしたか?」


「いえ、普段閉まっていたらどうしているのかと思いまして」


「えーっと、そのときは普通に職員室に行って、『部活で屋上使うので、鍵を借りに来ましたー』って言うだけだな。別に大したことじゃない」


「はは、すごいですね。部活って、全くの嘘っぱちじゃないですか」


 鷲宮は呆れたように苦笑いを浮かべる。もちろん俺はどこの部活にも入っていないが、そんな事は些細な問題だ。


「しかし、どうして今日は鍵がかかってるんでしょう? 昨日何かあったのでしょうか?」


「そりゃあ、理由なんていくらでもあるだろ。例えばほら、地学部の天体観測とか。ああいうのって大概は屋上でやるもんだろ?」


「でも、昨日は一日中ずっと雨でしたよ?しかも結構強めで、風もビュービュー吹いていて……」


「ああ、確かにそうだったな。いやしかし、世の中には随分変わった奴らもいたもんだな……」


「いや、絶対やってませんって!雨の中で星なんて見えるわけないじゃないですか!」


 鷲宮は勢いよく否定する。適当な小ボケにここまでツッコんでくれるのは、正直言って気分がいい。


「それに、昨日って水曜日ですよ? 夜に残る系のイベントは週末にやるんじゃないですか?」


「うーん、それもそうだな……」


 すると、鷲宮はじっと俺の顔を見つめる。


「でもそうなると、一体どうして……?」


「いや、他にも理由なんていくらでもあるんじゃないか?例えば集合写真を撮ってたとか、美術部がスケッチしてたとか。それこそ、愛の告白に使ってたってこともあるかもしれない」


「愛の告白、ですか?」


「そう。土砂降りの雨の中、屋上に好きな人を呼び出して、そこで愛を叫ぶんだ。どうだ、ロマンチックじゃないか?」


「いや、最悪ですよ!ロマンチックどころか、ただの嫌がらせじゃないですか!」


「たしかに、そういう現実的な見方も一理あるか」


「そういう見方しか無いですって……」


 鷲宮の表情がまた真顔に戻る。そして小さく首をかしげた。


「でもやっぱり、何か変だと思いません?」


「変? どこがだ」


「あの雨の中、わざわざ屋上に来てまですることがあるようには思えないんです。いつもなら雨とか関係なしに、ここの鍵は開いてたんですよね?」


「ああ、開いてたな。つまり、鷲宮が言いたいことは、なんで雨の降る昨日に限って屋上を……ってことだよな?ほら、『鍵』だけに」


「えっと、あの……先輩?」


「おいおい、そんな冷たい目で見るなよ。別に、ちょっと面白いだろ?」


「いや、全然……。何を言ってるんですか」


 鷲宮の視線が容赦なく刺さる。さっきより周囲の温度が下がっている気がする、冷たすぎて凍えそうだ。


「まあまあ、冗談は置いといてさ。別に鍵がかかってたくらい、そんな深く考えることでもないだろ?」


「うーん、それもそうなんですけど……」


 鷲宮は口元に手を当てて考え込む仕草を見せる。その仕草に妙な真剣さが漂っていて、こっちまで考え込んでしまいそうだ。


「おっ、もしかしてそれ『私、気になります!』ってやつか?」


「えっ? まあ気になるというか、先輩なら何かわかるかなと思いまして。ほら、先輩無駄に頭いいですし」


「あっ!さては『私、きー になります!』ってことだったか?ほらこれも『キー』と『鍵』でかかってるんだけど……。というか、このかかってるってのも、鍵が『掛かってる』ってのと、奇跡的にかかってないか!?」


「……先輩、真面目に聞いてます?」


 今まで聞いたこともないような低い声と、刺さる視線は恐ろしく冷たかった。でも、思いついたら言わないといけないだろ。これはしょうがなくないか?


「まあ実際、真実はなんだっていいんです。地学部が使ったからであっても、写真を撮ったからであっても……」


 彼女は眉を寄せながら話す。その表情はどこか釈然としないものがあった。


「でも、それじゃあ筋が通らないんです! 筋が通らないというか理屈に合わないというか……」


「納得いかない、か?」


「そうですね。それが一番しっくりきます」


「なるほどな」


 俺は小さくうなずいた。


 鷲宮の性格はよく知っている。彼女の性格だと、何かが腑に落ちないとずっとモヤモヤしてしまうのだろう。


 理詰めで迫ってくる割に、根っこは不器用で正直すぎるところが彼女らしく、俺はなんだか放っておけない気分になってきた。こういう姿を見ると、先輩として何とかしてやりたくなるのが人情というものだろう。


 ……ならば仕方ない。かわいい後輩のために、少しばかり頭を使ってやるとするか。


 なーに、言葉遊びは俺の得意分野だ。あたかも答えを導き出したかのように見せ、それが鷲宮にとって「納得のいく形」であれば、それでいいのだ。


「よし、わかった。俺がこの謎をパパっと解決してやろう。今日は特別だぞ?」


「ええっ、本当ですか!」


 鷲宮の目が驚きと期待で輝く。こういう素直な反応をされると、気恥ずかしいが悪い気はしない。


「ああ、任せておけ。こう見えて先輩は頭がいいんだ」


「嬉しいです! それにしても意外ですね、先輩がこんなやる気になるなんて」


 普段の態度とあまりに違う様子に、どうやら違和感を持ってるようだ。まあ、日頃の行動からして、信じられないというのも無理はないか。


「これは俺の居場所についての問題だからな。何かの拍子に使用禁止なんてことになったら、たまったもんじゃない」


「なるほど、そういうことでしたか。それでは私も、先輩と一緒に一生懸命考えますね!」


 そう言うと、彼女は少し安心したように微笑んだ。それでもその笑顔の奥には、わずかな疑念が残っているのようにも思えたのだった。



 今回の問題は『実際、誰がどう屋上を使ったのか』ということではない。どういった形であれ、彼女の思う理屈に合えばそれで問題はないのだ。


 詰まるところ問題は、『雨の日なのに、誰が、どうして屋上を使ったのか』これに集約されることになる。


 さて、どうアプローチすればいいものか……


「まず、前にも話した通り、この学校の屋上の鍵はいつも開いているってことは知ってるな?」


「確認したことはないですが、そうみたいですね。だからこそ先輩とこうやって毎朝話すようになりましたし。学校としてはだいぶ問題ありそうですけど……」


「まあそれは置いといてだ。じゃあ、逆に考えてみよう。いつも開いているはずの扉に鍵がかかっていた、これは一体どういうことだ?」


 俺の問いに、鷲宮は少し考え込んだ様子で答える。


「うーん、そうですね……。やはり屋上を何かで使った後にちゃんと鍵を閉めた、ということではないでしょうか? したがって鍵を掛けたのは、『先生などしっかりとした立場のある人間、もしくは単に几帳面な人物』そう推測できます」


「いやまあ、確かにそうなんだが。俺はそういうことを聞いているんじゃない」


「ええ、間違ってますか? じゃあ鍵を掛けたのは、屋上に幽霊が現れたから!みたいな?」


「おい、どんどんと遠くなってる気がするぞ。いいか、つまり俺が言いたかったことはだな……」


 俺は言葉を切って鷲宮の目を見据える。そして、少し真剣な声で言った。


「鍵を掛けたのは『普段屋上を使わない人物』だった、こう考えられるってことだ」


「普段使わない人……ですか?」


 鷲宮が不思議そうな顔をするが、それも無理はない。だから、少し補足を加えることにした。


「そうだ。鷲宮は新入生だから知らないかもしれないが、この屋上ってのは意外と色んな人に使われている。それでも、普段鍵が掛かっていることはほとんどないんだ」


「なるほど、暗黙の了解、ということですか。だからこそ私たちは、毎朝簡単に屋上に入れているんですね」


 鷲宮は納得したようにうんうんとうなずく。


「ああ。つまり地学部や美術部、写真部なんかの普段屋上を使っている連中には、鍵を掛ける習慣はないってことだ。わざわざそうする必要はないってことが、共通認識になってるからな」


「なるほど。つまり、昨日の鍵を掛けた人は……」


「屋上を普段使わない誰か、ってことになる。まあ、あくまで可能性が高いってだけだが」


 俺はそう付け加えた。この推理は状況証拠をもとにした仮説にすぎないため、誰かが単なる気まぐれで鍵を閉めた可能性もゼロではない。しかし、論理的な理由があるとするならば、この推測が最も妥当だろう。


 すると篠宮は「あれ?」と小さく声を漏らし、考え込むように俺を見る。


「……でも待ってください、先輩! 屋上から出るとき、もし鍵を持ってたら、普通は念の為に鍵を閉めたくなりませんか? 開けっ放しでいいと知っていても、私だったら何となくそうしてしまいそうなんですが……」


「おいおい鷲宮、何を言っているんだ?」


 俺は少し笑いながら、人差し指を立ててみせる。


「問題はそこじゃない。俺はそもそも『鍵を持っている』というその状況自体がおかしいと言っているんだ」


「……えっ?」


 鷲宮が驚いた顔を見せる。やっと核心に触れられたようだ。


「いいか? 屋上の鍵を持ってるってことは、裏を返せば、屋上が普段開きっぱなしだってことを知らない人物になる」


「あっ確かにそうですね、それは盲点でした」


 じっと話を聞いていた鷲宮は、驚いた表情で声を上げる。


「つまり、だ。昨日屋上に鍵を掛けた人物は、普段屋上を使わない人間で、何かしらの理由があって職員室にわざわざ鍵を取りに行き、そしてわざわざ鍵を掛けて出て行った。そういうことになる」


「なるほどなるほど。ということは……」


 鷲宮は一瞬、真剣な顔をして考え込む。そして次の瞬間、何かを閃いたように顔を輝かせた。


「あっ、わかりましたよ先輩! この事件の真相が!」


「お、おう。事件、なのか?」


 首を傾げながら応じたが、鷲宮の勢いは止まらない。


「ふふっ、聞いてください。鍵を掛けたある人物……ここでは仮にAさんとしておきましょう。そのAさんは屋上に何らかの用事があったんです。でも扉を開けようとしたら、なぜか開かなかった! そこでAさんは『あれ、鍵が掛かってる?』と思って、職員室までわざわざ鍵を取りに行ったんです。でも実際、扉の建付けが悪かっただけで、鍵なんて掛かってなかったんですよ!」


「随分と演技に熱がこもってるな……」


「そしてAさんは、鍵を持ってきて再び扉を開けようとした。でも、相変わらず建付けが悪くて開かない! しかし、それを知らなかったAさんは、鍵を開けても扉が開かないという謎の状況に陥ったんです。そして──」


「そして……?」


「えーと、屋上入れたのか諦めたのかは分かりませんが、念のため最後に鍵をしっかり閉めて帰ったんです! これで全て説明できました! どうですか、私のこの天才的な推理は!」


 得意げな顔でこちらを見ている。なんだこの自信満々な顔は。思わず笑ってしまいそうになる。


「……まあ、悪くない推理なんじゃないか?」


「ありがとうございます! やっぱ私、探偵向いてるかもしれませんねー」


「いや、向いてるかはわからんけど……」


 満足げに胸を張っている。それを見て俺は、思わず小さく溜息をついた。


 ……彼女の推理が全くダメだ、と言うつもりはない。むしろ、この場にある情報を元にしてそれなりに筋が通っている。


 しかし、これだとまだ説明がつかないところがある。言う必要はないのかもしれないと分かっていながらも、思わず指摘せざるを得なかった。


「でもな鷲宮。その推理だと、Aさんは結局、なんで屋上に来たんだ? お前の中では、目的はそんなに重要じゃないのか?」


「えっ……」


 はっとした顔をして口をつぐんだ。そして少しすると、明らかに気まずそうに口を開く。


「……根本的な理由、忘れてました」


 さっきまでの勢いはどこへやら、急にしょんぼりとした様子になっていた。


「屋上に来た理由……。うう、思いつきませんー! 先輩、教えてください!」


「お前な。俺も何でも答えを知ってるわけじゃないからな……」


 俺は彼女の困った表情につい笑みを浮かべる。鷲宮のこういう無邪気なところには、つい心を和ませられるのだ。


「まあいい、少し整理してみるか」


「はい! お願いします!」


「まず、雨の屋上っていうのは普通、人がわざわざ来る場所じゃない。だから考えられることの一つとしては、人目を避けたい理由があったってことだ」


 鷲宮は頷きながら、俺の言葉をじっと聞いている。その目は真剣だが、どこか楽しんでいるようにも見えた。


 やはり、彼女はこういう推理じみた話が好きなのだろう。


「例えば、何かありますかね?」


「まず思いつくのは酒かタバコだな。未成年じゃ禁止されてるし、誰にも見られたくないだろ?」


「お、なんか急にきな臭くなりましたね」


 鷲宮は目を輝かせて言ったが、俺はすぐに首を振った。


「だが正直、わざわざ屋上の鍵を借りるほどの理由じゃない。かえって足がつく可能性があるからな。もっとやばい行為、例えば薬物や脅しなんかも同じだ」


「そうですよね。よくそういうのは屋上で……とか聞きますけど、鍵を借りてまで屋上でやるようなことではないですよね」


「その通りだ。それに、雨の日にわざわざそんなことをする意味も薄い」


 俺は頷いてから、さらに別の可能性を挙げてみた。


「あと考えられるのは、雨の日にしかできないこと。例えば、理科系の人物が実験をしていたとか、雨の中で撮影したかったとかだな。あるにはあるんだが、これも可能性は低いだろうな」


「普段使っている部活動を除くとなると、簡単には思いつきませんね……」


 鷲宮は腕を組み、少し困ったように唸る。


「じゃあ、一体何なんですか?」


 眉をひそめながら、じっと見つめてきた。彼女の目には疑念が浮かんでいる。


 そんな視線を受け止めつつ、どこか余裕を漂わせるように微かに笑みを浮かべた。


「……実は、俺も思いつかないんだ」


「ええっ!? 何だったんですか今の時間は!」


 鷲宮は俺の目を見てムッと睨みつける。


「おいおい、そう焦るなって。考えてもみろ。こうやって全然理由が思いつかないってことは、逆に一つ、別の可能性に説得力が生まれるんだよ」


「別の可能性? いったいそれは何ですか?」


 篠宮の目が期待に満ちる。俺は少し間を置いてから答えた。


「つまり『特に屋上に用はなかった』、ということだ」


「えーっと、もしかしてバカにしてます?」


 彼女一瞬、訝しむような顔をする。


「簡単な話さ。単純に鍵を持っていたのは、鍵を閉めるためだったんだよ。ほら、昨日風が強かったって言ってだろ?」


「はい、言いましたけど……」


「おそらく、建付け悪いこの扉が、昨日の風でガタガタと揺れていたんじゃないか? そして、見回りの人が音で開いてることに気がついて、マスターキーかなんかで鍵をかけた。それだけのことだったとしても、不思議じゃないだろ?」


「え、マスターキー……」


 繰り返すその声は、微妙なトーンだった。意外そうでもあり、納得しきれないような響きでもある。


「少し雑だが、この可能性が一番普通で、尚且つ一番説得力がある気がする。鷲宮が言ってた『屋上に何かをしに来た』みたいな理由は、きっと考えすぎなだけさ」


「う、うーん……」


 彼女は呆然とした表情を浮かべる。そして、考え込むように眉間にシワを寄せていたが、やがてポツリと呟いた。


「確かに、それなら話が繋がりますけど、ホントにそんなオチなんですかね? 推理小説だったら、叩かれるレベルですよ」


「いや叩かれるって……。お前は一体、何を期待してたんだよ」


 俺の言葉に、鷲宮は悔しそうに唇を噛む。


「だって、先生がただ鍵をかけただけなんて、そんなの普通すぎてつまらないじゃないですか! ほら、生徒が何か重大な秘密を隠すために閉めたとか、そういう展開のほうが面白くないですか!?」


 こういう好奇心旺盛なところに、俺はいつも振り回されている。突拍子もない発想力は彼女の魅力だが、正直困惑させられることも多い。


「なんだ、まだ納得いかないか?」


「いえ、しました。納得したはずです。一番理屈にあってますし、何より自然な行為ですから……」

 

 鷲宮は困惑しつつも、一応は納得したと口にする。それでも、どこか引っかかるものがあるのか、目線がふらついていた。


「だろ? これが現実的な推論ってやつだ。物語みたいな大事件はそうそう起こらない。実際のところ、大抵の謎っていうのはこんなもんだよ」


 俺は自分の結論に満足しながら、自慢げに適当な話をしてみた。だが、鷲宮は小さく頷くものの、その表情には微妙な曇りが見え隠れしていた。


 少しの沈黙の後、彼女が口を開いた。


「でも、理屈には合うのに、やっぱり真実ではない気がするんです。なぜかはわかりませんが……」


 その言葉に、俺は意表を突かれた。


 鷲宮のこういった直感は侮れない。普段の天然っぽい振る舞いからは想像しにくいが、彼女には妙に鋭い洞察力がある。


「さあな、俺は手元にある情報をそれとなく結びつけただけだ。間違っている確率の方が高いだろうさ」


「そうですね、これ以上は新しい情報でもない限り難しそうです」


 鷲宮は何か考え込むようにしていたが、やがて小さく頷いた。


「はい、今日のところは納得しました。先輩、ありがとうございました」


「別に大したことはしてないっての。まあ、真実はまた鍵がかかってたりしてたらわかることかもしれないな」


「そうかもしれませんね。それまで気長に待ちましょうか」


 鷲宮は小さく息をつくと、ふと我に返ったようにスマホを取り出して時間を確認した。そして、突然慌てたように声を上げる。


「あっ、すみません先輩。次の時間、体育だったの忘れてました! 私、これで失礼しますね!」


「そうか。じゃあ、またな」


 鷲宮は急いで荷物をまとめると、軽やかに立ち上がりこちらを振り向いた。


「それじゃまた明日です、影浦かげうら先輩!」


 明るい声で挨拶すると、彼女はそのまま階段へと駆け出していく。その足音が徐々に遠ざかり、静けさが戻ってきた。


 俺は肩の力を抜いて、深く息をついた。



 ――ふう、なんとか切り抜けた。


 あいつは意外と頭の回転が速い上に、観察力も鋭い。普段から何気ない行動や、些細な変化によく目を留め、そこから疑問を見つけ出してくる。


 ここで話すようになったきっかけも、彼女のそういった性格が原因だった。彼女の疑問に適当に返していたらいつの間にか気に入られてしまったのだが、あのときも随分と鋭かった気がする。


 だが、今日の彼女はいつも以上に厄介だった。やはりどこかに違和感を感じていたのだろう。なんとか誤魔化すことができたが、一歩間違えば激詰めされていたに違いない。


 ……さて、鷲宮が感じていた違和感の正体だが、おそらく大きく分けて二つある。


 一つは、扉の建付けについて。


 これは無意識のうちに、矛盾があると見抜いていたのかもしれない。というのも、考えてみれば風が強く吹いた日は昨日だけではない。もっと強風の日だって何度かあったはずだ。


 それなのに、どうして昨日だけ鍵が掛けられたのか。


 鍵をかけたのは、風のせいではない――その結論に鷲宮がたどり着くのは、時間の問題だったろう。体育がなければ、今頃聞かれていたかもしれない。


 そして、それがわかれば次に来る疑問は『本当に普段、屋上の鍵は開いているのか』ということ。つまり、俺が嘘をついているのでは? という話になっていただろう。


 そしてもう一つは、俺の態度だ。


 普段の俺は仕方なく付き合う程度なのに、今日はやけに積極的だった。自分から推理らしきことを披露したことは今までになかったから、それは彼女にとって不自然だったのだろう。鷲宮の推理を誘導したい、という俺の意図が透けて見えていたかもしれない。


 その証拠に、彼女が去る前に見せたあの表情――あれは間違いなく、疑問をぐっと飲み込んだ顔。完全には納得していないのは明らかだった。


「まったく。こういうこともあるから、次からはもっと早く来ないとな……」


 ふっと息をつき、俺は立ち上がる。そしてポケットに手を差し入れると、指先に冷たい金属の感触が触れた。


 ──取り出したのは、自作の屋上の合鍵だった。


 これがバレたら面倒なことになるかもしれないので、鷲宮にはまだ言えていない。


 というのも、彼女はああ見えて意外と正義感が強いやつなのだ。この存在がバレたら厳しい顔で問い詰められるだろうし、知らず知らずのうちに自身が学校のルールを破っていたとわかったら、彼女はショックを受けるかもしれない。


 それだけならまだしも、鍵を取り上げられたりでもしたら、流石の俺も悲しいという騒ぎではない。鍵がなければ、心の拠り所ともいえるこの場所に自由に来られなくなってしまうのだ。それだけは避けなければならなかった。


「悪いな、鷲宮」


 俺は合鍵を鍵穴に差し込み慎重に回すと、カチッという解錠音が階段に響いた。そして、いつものように扉を押し開けると、屋上の爽やかな風が俺を迎え入れてくれた。


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