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Take On Me 4   作者: マン太
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8.壱輝のこと

 物心つく頃には、夫婦関係が破綻していた様に思う。

 父親は好きな山ばかりに熱中し、四六時中、家を空け家庭を顧みない。母親は自立した人で、そんな父でも働きながら支えていた。

 結婚した当時、父親は大学生だった。母親は既に働いていて。それでもいいと、頑張って。

 けれどそれも長くは続かず。母親は何年経っても家庭を一向に顧みない夫に嫌気が差し、職場で共に人生を歩めるパートナーを見つけ、妹を生んで一年経つか経たないうちに父と離婚した。

 親権は当時父方の祖父母の強い勧めで、父が持つことになり。母とはそれっきり。

 始めの頃こそ、手紙やプレゼントが届いたが、次第に回数が減り、いつしかなくなった。祖父母の話では、新たなパートナーとの間に子どもができたらしい。

 ようやく一歳を迎えた妹は、祖父母の協力のもと、七歳になるまで、大病することなくすくすくと育った。

 壱輝はと言うと、なんとなく母親がいなくなったことを理解し、妹と同じく祖父母の元でつつがなく成長するはずだった。

 が、事件が起こる。小学生二年の頃、学校帰り変質者に襲われたのだ。

 見知らぬ男に腕を掴まれ、ひとけのない物置に連れ込まれ、男は壱輝に暴行を働いた。

 自分の身に何が起こっているかなど分からない。ただ恐怖と混乱に包まれた。未遂ではあったが、それは幼い心に大きな傷を残し。

 気の済んだ男の手から逃げ出し、泣いて歩いていた所を近所の人に助けられ。

 住民はすぐに警察に通報し、その後、駆けつけた警察官によって、付近に潜伏していた男が捕まった。前科のある変質者だった。

 父は家にいない。代わりに祖父母に慰められたが、傷は癒えることはなかった。

 成人男性に対して、恐怖をいだくようになったのはそれからだ。二人きりになったり、身体に触れられたりするのが怖かった。

 その事件と母と父の離婚が尾を引いたのか、すっかり内にこもる少年となっていき。中学生になる頃には、いわゆる不良連中とつるみ、道を外れていた。

 壱輝としては、ただ周りの甘ったれた連中と一緒にいるのが嫌だったのだが、気がつけば同じくはみ出した連中とつるみ、まっとうと思われる道を歩む人間が周囲にはいなくなっていた。

 金髪もピアスもその頃。人と一緒が嫌で、金にしたり銀にしたり。髪型もコロコロと良く変えた。

 兎に角、自分らしくありたかったのだ。他に表現方法を知らなかったのもある。自分はここにいるのだと、誰かに知らせたかったのかもしれない。それは父親に対してだったのかもしれないが、今はもうどうでも良くなっている。

 周囲には煙たがられ。唯一、祖父母だけが変わらず接していてくれたが、それも中学一年の頃、相次いで亡くなり。当時小学二年の妹と二人、世間に放り出されることになる。

 父はいるにはいたが、たまにしか帰って来ず、一向に家庭を顧みない。

 実家暮らしで光熱費その他公共料金に関しては、父親の口座から引き落とされていた為問題はなかった。

 他はリビングのテレビ台の引き出しに入れてあるお金から引き出し、好きなもの──出来合いのものやインスタント食品──を買って口にしていた。

 しかし、そんな生活をしているのを知った近所のおばあさんが、見るに見かねて夕飯だけ作ってくれるようになり。彼女は祖父母の友人だった。

 出されるのは茶色の煮物に、味噌汁、ご飯、佃煮、漬物。そこに煮魚や焼き魚が付く。気を使って時折ハンバーグや生姜焼きになるときもあった。それでも質素なことが多い食事だったが、壱輝は文句も言わず食べた。

 いつか、お金を渡そうとした事があったが、自分が食べるついでだからと受け取らず。この人だって大して収入がある訳ではない。七十才はとうに過ぎているのだ。それを、ただで食べさせてくれている。

 文句など言えるはずもなく。そう言うことはよく分かっていた。

 そんな壱輝だったが、ますます私生活は荒れていった。

 中学で煙草もアルコールもすでに経験し、関係をもつ女友だちは日替わりでいる。付き合うのはすべて年上の女性だった。母性本能をくすぐられるらしい。かわいいと良く言われた。

 高校に上がってもそんな日々は変わらず。

 ある日。よくつるむ連中が慕うという男を紹介された。ヤクザの下っ端だ。

 初めは薬をやらないかと誘われ断った。そこまでは落ちたくなかったのだ。しかし、やたら男に気に入られ、部屋に呼ばれることも多くなり。いい加減、会うのは止めようと思い始めたいた矢先、それは起こった。

 ある日、夜遅くに男の部屋に呼ばれ、他の連中とともにアルコールをかなり飲み、騒ぎ、そこへ寝込んでしまったのだ。その壱輝に、気が付けば男が跨っていた。

 何が起ころうとしているのか理解し、さっと血の気が引く。周囲を見れば誰もそこにいない。皆、何が起こるか知って助けず去っていったのだ。

 必死に抵抗したが、男は無理やり壱輝を暴行し、一方的に満足して、その場を終えた。

 恐怖と気持ち悪さと、不快感と痛みと。後で知ったが、アルコールに薬を仕込まれていたらしい。言われてみればずっとふわふわとして、感覚が浮遊している様でおかしかった。抵抗しようにも力が入らず。

 男の煙草とアルコールと体臭、身体にまとわりついた汗の感触を今でも覚えている。それはふとした瞬間に思い起こされ、壱輝に恐怖と嫌悪感を抱かせた。

 壱輝はそれ以降、男の家には行かなかった。幾度かあった呼び出しも無視していれば、そのうち、連絡は途絶えた。そうして今に至る。高校一年になりたての、つい最近の話だ。

 だから、父親に言われてよそへ預けられると知った時、先に恐怖がたった。男ばかりの家なのだという。

 岳という男は悪い人間ではなさそうだったが、やはり不安でしかなかった。


+++


 岳らの家は海に面した丘の上にあって、和洋館とでも言うのか。古いけれど趣のある、豪奢な家だった。庭木もよく手入れされている様で。

 壱輝の住む古びた家とは違う。岳の派手な見た目から、どんな金持ちで高飛車な人物が現れるのかと思ったのだが。

 出迎えた大和を見た途端、拍子抜けした。

 待っていたのは、ふわふわと髪の跳ねる、きょとんとした表情を持つ青年だったからだ。

 岳は何か底知れない威圧感があって、反抗してはいけない相手だと感じる。そう言う連中を時折見かけた。アンダーグラウンドの世界に属する人間。自分を襲った男と似たような影があった。

 対して大和はそう言った威圧感や影は全くない。見た目から言えば、下っ端の下っ端。てんで弱く見える。少し間が抜けて見えたと言ってもいい。同級生といる感覚と似ていた。小柄だった所為もあるかもしれない。

 ちょこまかと動く姿が、何かのマスコットにいそうだと思ったが、それが何か思いつかなかった。小動物を連想したのは確かで。

 けれど、時折何かのきっかけで雰囲気が鋭くもなる。壱輝の分析結果は変な奴、だった。

 とにかく、大和が壱輝が苦手とする成人男性ではなかったのは確かで。


 次の日、無理やり持たされた弁当は、壱輝の顔に似せたキャラ弁だった。

 まったく理解できない。

 でも、口にした弁当は軽い見た目に反して美味しかった。どうせ不味いと思って口にしたせいで、余計にそう思ったのかもしれない。

 それでも、少し甘めの卵焼きに、錦糸卵に、おかずの牛肉のしぐれ煮に。間違いなく美味しいと思った。傍らにいた翔が面白がるような顔をしてたのが、少々勘に触ったが。

 結局すべて食べ終え、空になった弁当箱を返した。素直になれず、美味しかったなどとは言えない。

 空の弁当箱に気付いて嬉しそうな顔を見せた大和が、妙に心に留まった。

 その夜、水を飲みにキッチンへ向かえば、まだリビングに電気がついていて。リビングへと続くガラス戸の向こうで、亜貴と大和が楽し気に話しているのが耳に入ってきた。


 べたべたして、気持ちわる。


 ドア越しにリビングでの会話が漏れ聞こえてきた。なんとなく、何があったのかわかる。しばらくすると亜貴が出てくる気配がして、思わず階段側へ身を隠しやり過ごした。どうやら浴室に向かったらしい。

 その時、亜貴の整った横顔が見えた。モデルや俳優でも通るくらいに見える。

 ここの連中は誰も彼も、目立つ連中ばかりだ。岳を筆頭に真琴も亜貴も。その辺に歩いていれば、皆一度ならず振り返るだろう。

 大和以外は。

 改めてリビングを訪れると、大和が声を掛けてきた。壱輝は水を飲み終え嫌味を言う。

 すると何を思ったのか、キッチンのシンク前に立つ壱輝に、大和が抱きついてきたのだ。

 不意に背後から抱きしめられ、咄嗟にその腕を振り払った。これは過去のトラウマによる条件反射だ。

 思った以上に強く振り払ってしまい、大和はよろける。後ろの食器棚にぶつかると思ったその時、誰かが腕を伸ばした。

 いつからそこにいたのか、それは岳だった。

 岳は自分の大切なパートナーを邪険に扱ったのが気に食わなかったのだろう。壱輝のトラウマを見抜いた上、鋭い視線を投げかけてきた。

 やはり、普通の人間のそれではない。

 壱輝は岳の指摘に素直に頷き認めると、そこを後にした。


 大和がどうであれ、どうしても成人男性に触れられるのは怖い。突き飛ばしてしまうのは止められなかった。

 あのまま背後にぶつかっていたら、戸棚のガラスが割れ、大事にいたる可能性もあった。

 岳はそれを分かっていたから、尚の事、凄んで見せたのだろう。悪気がないのは分かっていても。

 ふと、そんな風に守られている大和が羨ましいと思った。自身に危機が迫った時、そこには誰もいなかったのだから。

 自分を抱きしめた大和。ふんわりと抱きしめてきた腕は温かかった。

 あんな風に抱きしめてくれる存在があったなら、もう少し、マシな人生を送っていたかも知れない。

 壱輝は深いため息をついた。



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