2.食卓にて
夕飯はさっぱり系だ。胸肉のトリハムの野菜添えと、なんちゃって揚げ豆腐──なんちゃってなのは、フライパンで揚げ焼きするからだ──のエノキあんかけ、きゅうりの漬物、後は舞茸の炊き込みご飯とあげ、ワカメ、ネギの味噌汁だった。
壱輝はどう出るかと思ったが、出されたものには何も言わず、がつがつと食べ、その流れのままさっさと席を立とうとする。俺は『?』となった。
「どこ行くんだ? 壱輝」
驚いた俺が声をかければ、ムッツリした表情のまま。
「…人と会う。もともとその予定だったから。帰りは朝になる。朝ごはんは要らない」
勝手に予定を連ねると席を立つ。色々聞き捨てならない内容を耳にした俺は、慌てて引き止めた。
「って、おい、待てって! 朝って何だよ!」
これから会うって、もう夜九時過ぎだし。下手すれば十時だ。朝帰るって、意味が分からねぇ。しかも、朝ご飯をいらないだと? ありえねぇ!
しかし、壱輝は。
「俺の事、気にしなくていいから。適当にしといてもらえれば。じゃ」
軽い感じで片手をあげて、さっさとリビングを出ていく。
俺の中で、何かがフツフツと煮えたつ。
「大和──」
岳が制止の声をかけたが、止まれない。
俺はリビングを飛び出すと、玄関から出ていこうとする壱輝を追いかけ、飛びかからんばかりに──いや。若干、飛んでいた──腕を掴んだ。
「んだよっ」
「まだ、未成年の子供がこんな時間に出歩くな! 何かあったらどうする?」
すると壱輝は鼻先で笑って、
「何かってなに? こっちが聞きたいよ。今どきなに言ってんの? てか、うざいんだけど。手、離せよ。あんた俺のなに? 親じゃないだろ?」
「親じゃなくたって、言うことは言う! 必要もないのにこんな時間に出歩くな。それに、こんな時間に呼び出すような相手とも付き合うな。子どもは風呂にはいって勉強して寝る時間だ。だいたい、俺が預かったんだ。責任がある!」
「あーもー。うぜー。今日あったばっかの他人の癖になにいってんだよ。あんただって、俺みたいなのがいたら面倒なだけだろ? 放っておけって。おやじには何も言わないからさ」
ゴゴゴと何かがせり上がってきて、とうとう爆発寸前となる。
「…ンの、クソガキ」
「それ、本音?」
ニッと口の端を吊り上げた壱輝の言葉に、俺は漫画の描き文字の如く、プチンと何かが切れる音を聞いた気がした。実際そんな音がしたらヤバイだろう。
「この──おま!」
と、掴みかかろうとした俺より先、壱輝の肩を掴んだものがいた。
「壱輝、話しを聞け」
ただ肩に手を置いただけの様に見えるが、圧が違う。
「岳─…」
「俺たちは君等の面倒を見ると円堂先輩に申し出た。大和の言うように、君たち二人に対して責任がある。ここにいる間は、俺たちを親だと思って言う事に耳を傾けてくれ。…今だけだ」
「……」
がっしり岳に肩を掴まれた壱輝は、それまでの気勢がどこへやら、急に大人しくなって。
「…わかった」
しおらしく素直にそう口にした。まるで借りてきた猫のよう。実際、借りた事はないが、きっとそうなるに違いない。大人しい。
俺との差はなんだ? おい。
「大和。そう言うことだ。今日は許してやってくれ」
「…わかった」
岳にそう言われれば溜飲を下げるしかない。
岳は壱輝の肩から手をを離すと、次に俺の背をぽんぽんと叩く。見上げれば、優しい眼差しがこちらを見下ろしていた。お疲れさまと言っているよう。岳は全て分かってくれているのだ。
壱輝はそのまままたリビングに戻って行った。それを見送った後、
「大和。少し大変になるが、いいか?」
気遣う岳に俺は胸を張ると。
「おう。俺の臨戦態勢は整った。いつでも準備オーケーだ。岳」
尾尻を振って獲物を狙うネコ科動物の気分だ。コツメカワウソと言われ続けている俺だが、やる時はやる。
「…ちょっと、違うんだけど。まあいいか」
額に手をあてた岳は、首を振った後、
「真琴にもフォローを入れさせる。面倒が起こってもひとりで解決しようとするなよ?」
「ん。ありがとうな」
岳の申し出はありがたいが、真琴を頼り過ぎないようにするつもりだった。
ただでさえ仕事で忙しいのに、あんなヤンキー崩れの世話などさせられない。俺はひとり奮起した。
+++
リビングに戻ると、携帯端末片手に不貞腐れた様子の壱輝がソファに座っていた。初奈はキッチンで夕飯をひとりもくもくと食べている。
岳も再び席に着くと、食事を再開した。時折、初奈に父親円堂の事や、学校の様子を聞いている。
俺は食べ終わっていた為、壱輝がテーブルに置いたままだった食器をシンクに持っていきながら。
「壱輝! 明日から食べたらシンクの中に食器、入れておいてくれ。これはここでのルールだ。初奈もな?」
壱輝は画面から目を離さず、
「…ん」
初奈は神妙な面持ちで。
「はい…」
それぞれの返事が返ってきた。俺は食器をかるく洗いながら食洗機に突っ込んでいく。
「二人とも、今更だけど、食べるものでアレルギーはあるのか?」
初奈は首を傾げながら。
「果物…。リンゴとか、モモとか…。生のは喉が痒くなる…」
「そっか。わかった。ありがとな? 壱輝は?」
暫くの沈黙の後。
「…ない。シイタケは嫌い」
ふんふん。初奈は生の果物で、壱輝はなしか。俺の脳内メモに書き加えられる。シイタケは──まあ、考えておこう。
「そう言えば、学校は給食か? 弁当か?」
「私は給食…」
初奈が答える。壱輝はいい加減、面倒くさそうに。
「給食じゃない…。購買とかコンビ二で買うからいい。学食もあるし」
ふーん。
「じゃ壱輝、明日お弁当作るな。てか、今まで食事はどうしてたんだ?」
聞いた雰囲気だと、父親が食事を作っていたようには到底思えない。すると壱輝は。
「近所のおばさんが作ってくれてた。…夕飯だけ」
「あー。なる。わかった」
持つべきものは優しい隣人か。俺だって隣のばあちゃん、ふくには本当に世話になった。しかし、壱輝は。
「…弁当いらない」
「ええ? 大した手間じゃないし、金も浮くからいいだろ? 持ってけよ?」
「……」
聞こえているだろうが、壱輝は返事をしなかった。いらない、という意思表示なのだろう。
が、どうせ作れば持っていくはず。構わず壱輝の弁当を作ることにした。
夕食を片付け終わると、岳はリビングで食後のカフェオレを飲む。その間に、俺は既に準備を終えていた部屋へ二人を案内した。
二人の部屋は同室にした。ひとりきりでは初奈が心細いだろう。
まあ、三カ月だしな。そこは壱輝には我慢してもらうか。
二階の奥から二番目のゲストルームだ。二階にはもう一つ、角にあるがそちらは狭い。俺は一気に必要事項を伝える。
「ここを使ってくれ。トイレはここの廊下の突き当りにある。浴室は下の階にあるから自由に使ってくれていい。電気がついてたら誰かが入ってる。洗濯物は洗濯機横のかごに入れておいてくれればいい。下着と服は別な? あと、ここの家には、俺と岳の他に、岳の弟の亜貴と友達の真琴が住んでる。亜貴は大学生だ。真琴は岳と同じ年で仕事は弁護士。二人とも忙しくて日中、家にいることはないな。会ったら挨拶な?」
一通り話し終えて、俺は二人を見る。
壱輝は視線を逸らしている。波奈は聞き漏らすまいと、緊張した面持ちで小さく頷いて見せた。
「じゃ、明日の朝ご飯は、七時だ。学校に間に合うように起きるようにな?」
「はい…」
やはり、壱輝は黙ったままだった。
+++
その晩、岳はベッドに入ると、俺を腕の中に引き寄せながら。
「本当は…今回、大和を連れて行くつもりだったんだ」
そう口にして俺の前髪にキスを落とした。くすぐったい。
シャワーを浴びたばかりの岳からは、俺と同じボディソープの香りがした。でも、いつのまにか岳の香りになっているから不思議だ。
「へ?」
俺は驚いて声をあげる。岳はそのまま、俺の髪を指先で弄びながら。
「ヒマラヤでの撮影だからな。長期間だ。俺自身、大和なしでってのはちょっときつくてな…。険しい山は無理だけど、ベースキャンプまでならついてこられるだろうし。助手もかねて、そう思ったんだ。けど…」
「あいつらか?」
岳は頷く。
「円堂先輩に、先輩がいない間の家族の事を尋ねたら、子どもを預ける先はないって、三カ月くらい、何とかなるだろうって言ったんだ。けど、流石にな…。先輩、これから準備で忙しくなるから、出発まで家を空けるって言うし。それに…」
岳は言葉を濁す。
「なんだ? なんか他にあるのか?」
「その、大和と重なってな…」
「俺と?」
岳は頷く。
「俺は大和の昔を知らない。けど、そいつらの向こうに、幼い頃の大和が見えた気がしてな。なんだか、放っておけなくなって…」
「岳…」
じんと来るではないか。
「それで、家で預かろうと思ったんだ。で、大和を連れて行かれなくなった。本当に連れてきたかったんだけどな…」
岳は意気消沈した様子。俺は岳の頭をよしよしと撫でながら、
「今回はここから応援してる。ちゃんと行き先の詳しい経路と地図、スケジュール置いてけよ? それを見ていれば一緒に行ってるのと一緒だ」
「…チケットだって、もう用意してあったんだ。驚かせたくてさ。直前まで黙ってて。なのに…。自分で決めたこととは言え、大和にニカ月近く、会えないのはな…」
それは、俺だって同じだ。
岳と長期間会えないのは辛いし寂しい。それに、行き先はヒマラヤ山脈。危険だって伴うだろう。相当の腕があっても、ちょっとしたミスで滑落や遭難はする。幾ら撮影とはいっても、登山と変わらない箇所もあるだろう。
せめて何かあっても、すぐに対応できるように、傍にいたい。出来れば、近くにいて助けたい。そう思うが。
今回は──だめだ。
壱輝と初奈の顔が浮かぶ。
未成年の子供を放っておくのはいただけない。というか、自分の経験上、それは良くないと思った。やはり傍で見守る大人が必要だ。
「岳。俺、ここで待ってる。だから絶対、無事で帰って来いよ。…岳がいなかったら生きていけない…」
撫でていた手を止めて、頬に滑らせる。岳以外の前ではこんな弱音は吐かない。
岳だから、言うんだ。
素直に。岳の前でなら、何も隠さなくていい、演じなくていいのだ。
岳はそんな俺を真剣なまなざしでじっと見つめていたが。
「…置いてかない。ひとりになんかさせない。大和がいなかったら生きていけないのは俺も一緒だ。それに、ひとりにしたら、きっと大和は誰かに持っていかれる…。そんなの、許すはずないだろう?」
大きな手のひらが頬を滑り、引き寄せキスしてくる。
「──大和は俺だけのものだ。誰にも渡さない…。だから、大和を置いて何処かに行くことは絶対ない」
「ん」
頭ごと引き寄せられ抱き抱えられる。
その後、いつもにも増して情熱的な岳に、俺は全身でその熱を受け止めた。