第95話 穏やかな冬の日々 13 教導者、選択を迫られる。
コツ……コツ……コツ……
石壁に足音が反射して空間に響き渡る。
場所が場所だけに湿度が高く、ところどころ水滴がぴたぴたと零れ落ちて水溜りを作っている。
現在俺は、今回旅の目的地である『武器庫』があるというヌース湖に来ている。
正しく言うと、ヌース湖最深部に通じる塔。
《《湖の底に伸びる塔》》。
空間がいじってあるらしく、上に登ると下に下るという不思議な塔である。
レイクサイド家の者にしか開かれぬ、その場所が通じるのは。
『武器庫』。
《《一番深い場所》》。
アリスから示された場所は、分かりやすいと言えばわかりやすいが、具体的にどこかは不明だった。
しかし、意外な人物がそれを知っていた。
リケハナ冒険者ギルドのギルドマスター、モストル・レイクサイドその人である。
「あ゛ぁ? 一番深いところだァ?」
ひとりでパパっと探して済ませるつもりだったのだが、妲己が俺の目的とかそういうものも全部暴露してしまったので、素直に相談することになったのだ。
結果としてはそれは大正解だった。
「教えてもらった情報がそれだけなんだよ」
朝食を食べ終え、食後のお茶を楽しみながら答える。
うむ、さすがいい茶葉を使ってるな。
ジャムぶち込んでるから台無しだけど。
甘ァい!
ちなみにメイリアさんは食事の片づけを買って出てくれて、エプロンを着けて台所に行っている。
妲己の助言を受けた後は、憑き物が落ちたように柔らかくなった。
少し心の余裕が出来たのかな?
「……それでおめえ、どうやって探すつもりだったんだ……?」
モストル爺さんがスプーンでカップをかき混ぜながら、どこか呆れたように言う。
アホを見る目である。
「いやあ、現地に行けば何とかなるかなって……」
現実改変能力を使えば何とかなるだろう程度の考えだった。
我ながら急いでいたとはいえ、適当すぎる。
「呆れた。ヌース湖はこの町の何倍も広いんだぜェ? ちょっとやそっと探したくらいでどうにかなる広さじゃねェぞ?」
うーん、そう言われると不安になってきたな。
そんなに時間をかける訳にもいかないんだが。
あまりここに長居すると、いつの間にか名前にレイクサイドがついてそうな気がする。
「だが、おめぇは運がいいな」
そう言ってにやりと笑うモスケル爺さん。
「俺に一か所、心当たりがある」
「! 本当か、モスケル爺さん!」
なんて都合がいいんだ。
日頃の行いが良いからだな!
この分なら、思ったより早く済みそうだ。
「だがなァ、悪いなヴァイス。そこはレイクサイド家の者以外は立ち入り禁止なんだ」
「はぁ!? そんな、なんでまた!?」
がたっと椅子を鳴らして立ち上がる。
そんな俺に掌を向けて制止し、爺さんは続ける。
「そりゃあ、用途不明の古い時代からの遺跡だからなァ。冒険者たちが勝手にいじくりまわして大事になったら大変だからだ」
「ぬ……」
言葉に詰まる。
モストル爺さんがいう事は、正しい。
そういった用途不明の遺跡は世界中に点在しているのだが、モスケル爺さんが言うように大きな災いをもたらした事例も結構多いのだ。
一番有名なのは、『研究所』だ。
便宜上そう呼ばれているだけで、正式名称はだれも知らない。
入口がなくて侵入も出来なかったのだが、とある冒険者が幸運なことに……いや、不幸なことに入れる場所を見つけてしまったのだ。
中に入った冒険者は宝がないか探し回り、瓶に入った何かを見つけて持ち帰ることに成功する。
美しいガラスで作られた瓶。
そして、それを錬金術師に売り払った。
買い取った錬金術師は、内容物を調べるために封を切った。
切ってしまった。
中に封じられていたのは『伝染病』。
それまでのどんな文献にも記されていない、強力な伝染力を持った病気。
後は言うまでも無いだろう。
対処法が見つかるまで数十年近くかかり、その国の住民の約1/3が死んだと言われている。
そう言った事例もあるため、用途不明の遺跡群は立ち入り禁止になっている場所がほとんどだ。
数年に一度調査隊が入ることがあり、クランベル領の遺跡群に俺も1度参加したことがある。
まぁ、その遺跡からリケハナに飛ばされたんだけどな!!
テレポーターの一種なんだろうが、発動条件が分からないため今も封印されている。
「それじゃあ、俺はそこに入れないって事か?」
「んー、条件次第で入れてやってもいいが……おめぇには今すぐできる簡単な方法があるぞゥ?」
そういってモストル爺さんがニタリといやらしく笑う。
「……どんな方法だよ?」
ものすごく嫌な予感がするが、一応聞く。
「よくぞ聞いてくれたッ! それはなッ!」
ぐあっと近づいて、肩を抱かれる。
加齢臭がキツいから近寄らないで欲しい。
「メイちゃんを娶ることさァ……!」
「ぶゥ!?」
茶を吹く。
「おめぇが嫁を貰ったって話は聞いてるけどよォ……この町で届けを出したわけじゃねェだろう……? ならよォ、ちょっちょっと書類にサインするだけでおめぇも目出度くレイクサイド家の一員になれるんだぜェ……?」
爺さんが耳元で囁く。
やめて。
「いや、そういうのはちょっと……」
ン拒否するゥ!
ここで頷いたら、大事になって逃げられなくなるだろ!?
俺は詳しいんだ!!
仮の婚姻関係を、と言われて酷い目にあったのは1度や2度じゃないぞ!?
「まぁまぁ、そう言わずに……大丈夫だって、バレないバレない……ちょーっと書くだけで大手を振って行けるんだぜェ……! 先着一名様限定……! 誰も不幸にならない良い手だァ……!」
……ぐ! モストル爺さんがどんどん力を加えて動けなく……!
気付くとその手になにか紙切れを持っている。
……あれは、婚姻届だ!!
「や、止めろッ! 放せッ!」
何が悲しゅうて、禿の爺さんに婚姻届を書くことを強要されにゃならんのだ!
拳闘士スキル「潜在発揮」
あ、こいつスキルまで使いやがった!
モストル爺さんの筋肉が膨れ上がり、圧力を増す!
「抵抗するなッ! 孫の幸せの為だッ! そのためにはなんだってやるさァ!」
ギチギチギチチ!
「こ、こんなことをして、メイリアさんが喜ぶと思うのかッ!?」
説得にかかる。
このままだと力負けする!
「あの子は喜ぶね!」
……喜びそうだ!
「暴れるなよ、暴れるなよォ!」
「だ、誰か助けてーッ!」
「何やってんだよ、クソじじぃ」
ボグシャッ
片付けが終わったらしいメイリアさんが、横なぎの一撃でモストル爺さんをぶん殴った。
吹き飛ぶ爺さん。
「あの遺跡にはアタシがついて行けばいいだけの話だろ、鍵貰ったのもアタシだしな」
壁に激突して気絶したモスケル爺さんを見ながら、呆れたように言うメイリアさん。
「……助かったよ、姉さん」
軽くため息をついて礼を言う。
禿の爺さんに迫られた経験はあるが、慣れるものではない。
「こういう時だけ姉扱いか。ふん、まぁ今回は色々迷惑をかけたし、ついて行ってやるよ」
そう言いながら、モストル爺さんが落とした婚姻届を拾うメイリアさん。
それを手に取り、まじまじと見た後に彼女は俺をちらりと見た。
「……手前ェが良ければ、これを書いてくれてもいいんだぜ?」
彼女はそう言って、少しはにかんでニィと笑った。
「ははは……」
俺は誤魔化すように笑う事しかできなかった。
……アリスと出会う前だったら、多分受け入れていたんだろうなあ。
俺の前を尻尾をふりふり歩くメイリアさんの後ろ姿を見ながら、そんなことを思う。
結局はタイミングというやつなんだろう。
メイリアさんと共に歩む未来。
ありえた未来。
その未来だと、俺は幸せだったのだろうか?
「お、ついたぞ」
メイリアさんが足を止め、手に持ったランタンを掲げる。
そこには、白くつなぎ目のない素材で建てられた、謎の遺跡が静かに佇んでいた。
この世界の婚姻届はその町限定なので、他所の町で重婚しても気付かれません。
そもそも結婚するような人は定住してて、別の所に行くこともほとんどないんで。
あっちこっちを飛び回る甲斐性のある冒険者は、現地妻みたいなのを作ってるやつも多いです。
まぁ、婚姻届だすと税金取られるから、公的機関のお墨付きが要らない庶民は出しませんけど。