第94話 穏やかな冬の日々 12 教導者と孫娘
びりびりと空気が震えるほどの怒りを感じる。
モストル爺さんは非常に困った顔をして、何とか怒りを鎮めようとしたいようだが、肝心のメイリアさんが全く聞く耳を持つ様子がない。
「メイちゃん、待て! 怒るのは分かるが、とりあえずヴァイスから事情をな……」
「ガルルルルルルルルルゥ!」
怒りのあまり言葉すら失っておられる。
気が短いところも変わってねぇなぁ!
そこは変わっててもいいのよ。
しかし参ったな。
こうなることは予想しておくべきだった。
再会で気が緩んでいたな。
とりあえずこのままだと話にならないので、指を一つ鳴らす。
スキル「儀形」「正気」
弱体スキルなら弾かれる可能性があるが、強化に属するこれなら通る筈だ。
精神に冷や水をぶっかける様な波動が、辺りを満たす。
戦闘中に興奮しすぎたりした人間を、落ち着かせるためのスキルだ。
「ぅくッ」
額を押さえて、軽く呻くメイリアさん。
落差が激しいほど精神的に揺れるが、そこは許してほしい。
「落ち着きました?」
なるべく穏やかに声を掛ける。
やましいことなどないのだから、俺が動揺する必要など全くないのだ。
「……まァな。最低の気分だぜ……それで、何か申し開きはあるってェ事か?」
なかなか精神の揺れが収まらないようだが、それでも話を聞く気にはなったようだ。
とりあえず心の中で一息つく。
知ってる人間から、怒りの感情をぶつけられるのは慣れない。
慣れたくなんてないが。
しかし、説明か。
思わず心の中で呻く。
これさぁ、納得してもらえる為のハードル、かなり高くない?
実際問題、俺に妲己の匂いがついている事は間違いないのだ。
昨夜の出来事を整理しよう。
ずっと俺を視ている女の魔王が居て、俺の行動にダメ出しするためだけに空間移動して、俺の泊まる部屋にちょっとだけ滞在してた。
当然やましいことなど何もしてないし、帰りも空間移動で帰った。
匂いがついているのは、そいつが俺のベッドでゴロゴロしたからです。
……うん。
ねぇ、これ信じてもらえる?
何一つ嘘を言っていないのに、嘘くさ過ぎる!
嘘つくならもっと上等な嘘を吐けって俺だったら言うね。
くそ、相手がどうでも良い奴ならいくらでも丸め込める自信があるんだけど、それを身近な人間にするのは良心が咎める!
「どうした、言えんのか?」
半身を引いて、構えを取り始めるメイリアさん。
んんんんんんんんんんんんんーッ!?
早くも怒りのボルテージが急上昇!
くそ、玉砕覚悟で本当の事を言うか!?
いや、言って信じてもらえなかったら地獄が待っているし、信じられたら今度はメイリアさんのおつむの出来を疑う羽目になるし……!
そうやって逡巡していると、急に声がした。
「くふふ、そんなにこやつをイジメてくれるなよ、犬ッコロ」
俺を窮地に追い込んだ張本人が、俺の影からぬっと現れた。
こいつのせいであるのは間違いないんだけど、天からの助けのように感じてしまった。
また狙ってやがったな?
……これ、マッチポンプだよな?
「「ンなァ!?」」
余りの驚愕に、メイリアさんとモスケル爺さんの目玉は今にもこぼれ落ちんばかりに開かれていた。
びっくりするよねえ、いきなり出てくると。
俺はもう慣れちゃったけど。
「て……手前……いや、貴女は、一体……?」
動揺を隠せないメイリアさんが疑問の声を上げる。
「おうおう、そんなに怯えんでもよいぞ? 危害を加える気は更々ないのでの。ふふ、それにわらわが誰だろうと別に良いではないか」
そう言ってニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる妲己。
あー、これ最初に会った時使ってた「敵意を持てないようにする」何かの力を使ってるな?
あと、軽い「威圧」もかけてるっぽいな。
……何とか真似できないかな?
妲己から放たれている力を読み解こうとする。
「おい、そこ! お主を助けるためにきたんじゃから、本題そっちのけで能力の解析するのやめぇ!」
びしッ!と扇子で頭を叩かれる。
「はッ!?」
いかんいかん、つい。
「……知り合いなのは間違いなさそうだァな」
ボソリとメイリアさんが呟く。
「じゃからそう言っておるではないか。昨夜はこやつに忠告に来たのはわらわよ。耳年増の犬ッコロの思っとるような関係ではない。安心せよ」
「……本当、ですか?」
やはり犬ッコロ呼ばわりは思う所があるらしく、歯切れの悪いメイリアさん。
いや、耳年増とか言われてイラっとしてるのか。
「おうおう、《《少なくとも》》昨夜はなんもしとらん」
そう言ってニヤニヤと笑う。
それを聞いて、涙目でキッとこちらを睨むメイリアさん。
「ふざけんなよお前ェ!? ないよ! ないない!」
慌てて否定をする。
「お前は誤解を解きに来たのか!? 誤解を増やしに来たのか!?」
叫ぶ。
「くふふふふふふ! 面白いのう! じょーだんじゃよ、じょーだん!」
コロコロと笑った後、妲己は少し口調を変えて諭すように言う。
「犬ッコロ、嫉妬して怒るのもほどほどにせよ。多少の嫉妬はスパイスになるが、度が過ぎるとお主自身を焼き尽す炎になるぞ。自分の好いた相手であろう? もう少し信じてやれ」
「う……」
急に正論を言われ、しゅんとするメイリアさん。
「焦るな。大丈夫じゃ、お主の気持ちはきちんと伝わっておる。どんと構えておけ。お主の考えている方法で間違っておらん」
妲己がスタスタとメイリアさんに近寄り、頭を撫でる。
……思ったより気にかけてるのな。
「今回はわらわも悪かった。匂いくらい消しておけばよかったの。でも、どうしても翌朝の修羅場が見たかったのじゃ」
「お前、いい加減しろよ」
「おお、怖い怖い」
「……分かった。信じる。ヴァイス、ごめんな。でも、あんまり誤解させるような事はしないで欲しい。アタシはすぐに頭に血が昇っちまうし……」
そう言って頭を下げるメイリアさん。
尻尾も萎れている。
「いや、俺も悪かったよ。9割不可抗力でこのアホが悪いけど」
俺も頭を下げる。
「くふふ、これで仲直りじゃの! よかったよかった、解決じゃ!」
そう言ってくるくる回る妲己。
腹立つ。
「あ、そうじゃ。犬ッコロ、これをやろう」
そう言って妲己が、メイリアさんに何かを投げた。
……小さな、金属片?
ぱし、と受け止めたメイリアさんが受け取ったものをまじまじと見つめる。
「……鍵?」
それは銀色に輝く、見たことがない形式の鍵だった。
「そうじゃ。それは、ヴァイスが向かうつもりである『武器庫』の鍵じゃ。ともに行くが良い」
「え!?」
「え、鍵必要だったの!?」
メイリアさんと俺が同時に驚きの声を上げる。
まぁ、驚きの内容は違うけど。
俺はアリスからそんな情報もらっていない。
「銀色は知らなかったから許してやれ。お主が武器庫の入口で呆然とする絵を見た後、渡しに行くつもりではあったぞ!」
「悪趣味すぎる……」
「これでわらわの用事は終わりじゃの。それじゃあ、ヴァイスと犬ッコロ、仲良くせよ」
そう言って微笑んだ後、妲己の姿は掻き消えた。
「「「……………………………………………………………………………」」」
沈黙が満ちる。
「とりあえず、朝飯食べません?」
提案する。
アイツの行動には俺が一番慣れてるから、立ち直りも早かったのだ。
「お前も大概大物だァな……」
割と空気だったモスケル爺さんが、疲れたようにぼやく。
「……ヴァイス、ごめんね。キライになった?」
泣きそうな声でメイリアさんが小さく囁く。
「なるわけないでしょ、大丈夫ですよ姉さん。俺たちはこの程度で険悪になるような仲でしたっけ?」
笑顔で返した。
そもそも誤解なんだ、お互い気に病む必要なんて、どこにもないんだ。
「ううううううううううううううーッ!」
メイリアさんは呻いた後、俺の腹に顔をうずめてぐりぐりし始めた。
ゆっくりと頭を撫でる。
…………なんとかなった!
乗り切った!
「……孫のラブロマンスを見せられるのも、ちっとキツいものがあるのゥ……」
こういう時は見ないフリするもんでしょ、モスケル爺さん。
やっと『武器庫』に行ける……。