第89話 穏やかな冬の日々 7 孫娘、走る。
パチ……パチ……暖炉の薪が音を立てて燃えている。
そろそろ冬の寒さも本格的になり、町の外はすっかり雪に覆われている。
こうなると外からの人間もほとんど来なくなり、町の活気も控えめとなる。
つまりは、暇だ。
暖炉の前で、アタシ────メイリア・レイクサイドはボンヤリと暇つぶしに興じていた。
はァ……。
知らず知らずの内にため息が漏れる。
ヴァイスの野郎、どこに行きやがったんだ……。
じじぃはすぐ帰ってくるとか言ってやがったが、ちっとも帰ってこねぇじゃねぇか……。
ギルドのボケどもは「可哀想ですが、あの状況だとおそらく……」とか言ってやがったが、アタシはあの野郎が、そう簡単にくたばるたぁ思わねぇ!
ぜってぇ生きてやがるはずだ。
あいつはアタシが認めた男だ。
とぼけた顔してひょっこり戻ってくるにちげぇねェ!
アタシやじじぃが信じなくて、誰が信じるってんだ。
そう考え、自分の中の不安を塗りつぶす。
震える指を、握りしめて誤魔化す。
ごちゃごちゃ考えているせいで、趣味の手芸もあまり捗らない。
元々指先は不器用なんで、集中しないといけないんだが……どーもこーも落ち着かない。
妙に胸騒ぎがしやがる。
クソッ、茶ァでも淹れるか……。
そう考え立ち上がろうとしたとき、いきなりドアが叩かれた。
ドンドンドンドンドン!
「お、お嬢ゥーッ! てぇへんだァッ!」
「なんでェ!? 討ち入りかッ!?」
壁に立てかけておいた獲物を手に取り、臨戦態勢を取る。
「違うよ、お嬢! 来た! 来たんだよ!」
「おぅおぅおぅ! ちぃとも要領を得んぞ、ハッチッ! 簡潔に言わんかぃ!」
声の主がじじぃの部下のハッチであることに気付き、警戒しながらもドアを開ける。
随分と急いで走ってきたようで、汗まみれのハッチがそこにいた。
小汚いから近寄らないで欲しい。
アタシは匂いが強い奴はキライだ。
「それで、何が来たってンだ?」
獲物をポンポンと肩に当てながら尋ねる。
こいつの様子を見るに、ただ事じゃないようだ。
「ギルドに来たんだよッ! 女誑しがッ! 《《女誑しのヴァイスの野郎がッ》》!」
アタシはその言葉を聞いた瞬間、獲物を投げ捨てて表に飛び出した。
スカートを翻し、走る、走る、走る。
吐く息が白く後ろに流れてゆく。
町の人間が驚いたようにこちらを見ているが、無視だ。
ケープをたなびかせて、走る、走る、走る。
見慣れた景色が、後ろに流れていく。
水の中を走っているかのように、身体が重く感じる。
走る、走る、走る。
寒いはずなのに、気にならない。
あぁ。
あァ!
あぁぁぁぁぁ!
ヴァイス……ヴァイス……ヴァイス!!!!
黒髪黒目の異邦人!
ある日突然現れて、突然いなくなった男の子!
どれだけたってもアタシの心に居座って、いなくならない女誑し!
こっちの言葉も話せず、不安そうに笑っていたあの日の彼を憶えている。
ものすごい速度で言葉を覚え、会話が出来るようになったあの日を憶えている。
町で一緒に買い物をして、お祭りを楽しんで。
《《突然いなくなった、彼の事をアタシは憶えている》》。
忘れられるものか!
あの笑顔を、忘れてなるものか!
走る、走る、走る!
急げ! 急げ!! 急げ!!!
角を曲がると、見慣れた建物が目に入る。
あぁ、見えた。
見えた見えた見えた見えた!!
じじぃの職場、冒険者ギルドが見えた!
あそこに彼がいるという。
会いたくて、会いたくて仕方がなかった彼が!
《《ピンと立った自慢の耳》》に、建物内の喧騒が聞こえる。
なんだか騒ぎになっているようだ。
「神妙に御縄につけッ!」
じじぃの声が聞こえる。
なんだかギルドの入口から中を覗き込む野次馬が沢山いるが、無視だ無視!
「道を開けろッ! 邪魔だァ!」
アタシの声を聞いて、慌てて道を開ける野次馬共。
《《スンスンと鼻を鳴らすと》》、懐かしい匂いがする。
あぁ、あぁ!
間違いない!
この優しい匂いは!
喜びが胸を満たす。
ギルドの扉を力一杯開く。
バキンッ!
少し立て付けが悪く、力がいるが気にしない。
メリメリ……
金具が悲鳴を上げ、へし折れたが気にしない。
バァン!
扉が吹っ飛ぶが、気にしない!
アタシの目に、彼が映る。
「モストル爺さんっ!? 話を、話を聞いてくれッ!」
「大人しくお縄につけッ! オメェ、何で鳩尾殴ったのにピンピンしてやがンだ!? 今回逃がすとヤベェんだよォ!」
あぁ。
あぁ。
視界が滲む。
やっぱり、死んでなんていなかった!
死ぬはずなかったんだ!
「……! あッ!? メイリアさん! モストル爺さんを止め……─────」
他の人の視線からアタシに気付いたヴァイスが、ぱっと笑顔になってこちらに顔を向けた。
「隙ありァッ!」
そして、じじぃに吹っ飛ばされた。
「げうッ!」
宙を舞うヴァイス。
アタシは吹っ飛ばされたヴァイスに飛びつき、抱きとめて着地する。
「おめぇ、来て早々になぁにやってんだよゥ!」
ついついそんな言葉が出てしまう。
違う! こんな悪態をつきたい訳じゃないのに!!
「いやぁ、モストル爺さんってば問答無用でして」
そんなアタシの内心を他所に、はにかむヴァイス。
アタシの腕の中に、確かにいる。
最後にあった時より、身体つきががっちりしてる。
すっかり大人の男になっちゃってまあ。
嬉しくなって、思わず《《尻尾が揺れ動く》》。
あぁ、何から話したらいいのか!
いつ来たのか、何をしていたのか、どうしていたのか。
あれもこれも聞きたい!
「メイリアさんもお元気そうで。すっかり大きく……なってないですね」
抱きかかえられたまま、アタシの身体に目をやってそんなことを言う。
シツレーなヤツ!
頭に血が上る。
でも、ウレシイ! ウレシイ! ウレシイ!
尻尾が勝手にぶんぶんと動く。
確かにアタシは、彼と初めて会った頃から身長は伸びていない。
でも、それは種族的なもので、今は亡きオヤジから受け継いだ性質だ。
アタシは人間の母上と獣人のオヤジのハーフ。
オヤジが小柄な犬獣人だったから、その血を濃く受け継いだアタシも小柄なわけだ。
目算でアタシの頭がヴァイスの腹ぐらいだから、前よりずっと身長差が大きくなってしまっている。
「でも、相変わらずしっかり手入れのされた尻尾は素敵ですよ」
そう言って笑うヴァイス。
大きくなっても、あの頃と変わらない柔らかな笑み。
こ、このヤロー!
嬉しくなってしまい、尻尾が再び勝手にぶんぶん動く。
こ、こら! 止まれ!
必死に尻尾を止めようとする。
それを見て生暖かい笑みを浮かべるヴァイス。
分かってて言ったなこいつッ!
照れ隠しで力一杯ヴァイスを壁に向かってブン投げる。
「おらァッ!」
「おおっと!」
ヴァイスはくるりくるりとよくわからない動きをして着地した。
相変わらず変な動きをする奴ッ!
「ふう、お元気そうで安心しました」
パンパンと身体の埃をはらいつつ、何事もなかったように挨拶してくる。
「……むう、色々言いたい事はあるけど!」
ビシ!と指さす。
「とりあえず、よぅ帰ったなヴァイスッ!」
「ええ、帰ってきましたよ、メイリアさん」
「ちげェだろッ! オマエ、アタシの事はなンて呼ぶんだっけ!?」
尻尾を振りながら、牙をむく。
うー! かみつくぞっ!
それ見て、ヴァイスはそうでしたねと笑って答えた。
「ただいま、《《姉さん》》」
犬耳ロリべらんめぇ美少女(年上)。
イメージとしては豆柴です。