第86話 穏やかな冬の日々 4 教導者、触れ合う。
着る事にすっかり慣れてしまった防寒着を身に着ける。
これで着るのは4回目だ。
装備を整え、扉を開き誰もいないことを確認する。
いや、別に悪いことをしているわけではないのだが。
右よし、左よし。
出る。
「旦那様」
「ぬあああああああああああああああああああああああ!?」
飛び跳ねてビビり散らかす。
「……なんだ、アリスか」
「なんだとは酷い言い草ですわね……」
ちょっと頬を膨らませたアリスが、扉の影に隠れるように立っていた。
まぁ、十中八九わざとだろう。
こうやって俺を脅かして、その反応を楽しんでいる節があるからな。
「んで、どうかしたか?」
面倒な手合いではなかったことに胸をなでおろして尋ねる。
……ある意味面倒な手合いではある。
「いえ、それを聞きたいのはわたくしのほうですわ……? なんでそんなに滅茶苦茶怪しい行動をしているのですか」
少し呆れた表情で聞き返されてしまった。
確かに客観的に見ると、怪しい事この上ないな……。
「いや、別に隠すつもりはなかったんだが、ここ数日出かけようとするとやたら呼び止められてしまってな。予定がのびのびになっていたんだよ」
先日から何か忘れてるなとずっと思っていたのだが、リケハナのモストル爺さんに顛末を報告することをすっかり忘れていたのを思い出したのだ。
もうかなり経つから、リケハナの冒険者ギルドでは死亡扱いされている気がする。
まぁ、別にそれはそれで構わないんだが、お世話になったモスケル爺さんに死んだと思われるのもちょっと申し訳ない。
そういうわけで、手土産の酒でも持って顔でも出そうと思った次第だ。
お孫さんのメイリアさんにもあいさつし損ねたし、春になったらまた忙しくなって当分それどころじゃないだろうことが容易に予想できるしなぁ。
「そういえば、ロッテ達の特訓の時もそんな格好してましたわね」
俺の服装に今気づいたように呟く。
「うむ、北国で雪が深い場所だからな……こっちよりもずっと冷えるから、きっちりとした服着ていかないと死ぬ……事は無いが、寒いのはしんどいからな」
そこで思いつく。
「そうだ、アリスも一緒に行くか? 俺が昔お世話になった人達に会いに行くんだけど」
世界のあっちこっちを観に行こうと言って連れ出したものの、俺の都合でずっとこの町にいるからな、たまにはいいだろう。
「んー、今回はやめておきます」
二つ返事で了承の言葉が返ってくると思ったのだが、予想外に断りの言葉が返ってきた。
「あら、そうか……」
しょんぼりする。
「あ、別に旦那様とお出かけがしたくないというわけではありませんよ!?」
珍しく慌てた様子で手をぶんぶん振っている。
そして、眉間に軽く皺を寄せて続ける。
「行きたいのは山々なのですが、日帰りとかそういうわけではないのですよね?」
「そうだな……多分何日かはあちらに滞在する形になると思う」
すぐ帰るって言っても引き留められることは想像に難くない。
酒も飲まされるだろうしな……。
「そうなるとですね、ロッテとウルルの訓練が滞ります」
「あー」
「わたくしたち二人が留守にすると、あの二人は絶対確実にサボります」
「ああー……」
うん、サボるね……。
嫌な信頼感だ。
「耳長に監督を頼むという手もありますが、あの女は基本的にダダ甘ですからね」
「ああ……うん」
凄く納得してしまった。
ブランカは基本的に小さい子供が好きだ。
ロッテやウルルをやたらと可愛がる。
お前キャラ変わりすぎだろ。
前はもっとキリッとしてただろ。
「今後の事を考えると、どれだけ鍛えても鍛えすぎという事はありません。ここで手を抜いて、それが原因であの子がいなくなってしまう事になったら、わたくしは自分を許せません」
真面目な顔で、きっぱりと言い切る。
ごっこ遊びかと思ったが、しっかりと母親してるんだよなあ。
「まぁ、別に合わせる機会が今回が最後という事もないし、気にするな。また時間を作って行けばいいんだよ」
そう言ってアリスの頬を撫でる。
「色々考えてくれてるんだな、ありがとう」
「いえ、家族ですもの」
そう言って目を細めるアリス。
初めて会ったときに比べて、本当に表情豊かになったなあ。
最初会ったときは表情筋死んでたけど。
「目的地は北の方の国でしたっけ?」
「うん、リケハナって言うんだけどね。豪雪地帯で、空気も凍るというとんでもない土地さ。でも、その凍った空気が太陽の光を浴びて、キラキラして綺麗なんだ」
軽くアリスの綺麗な髪を撫でる。
「いつか、お前にも見せてあげたい」
この子には、沢山の美しいものを見せると約束したのだ。
「……約束ですわよ?」
うっとりと微笑む。
しばらく髪を梳いてあげていたのだが、アリスが突然声を上げた。
「あ、もしかしてその場所は、近くに大きな湖とかあったりしますか?」
付近の地図を思い浮かべる。
「あー、確かデカイのがあったはずだ。この時期は凍り付いていると思うが」
ヌース湖だったかな?
謎の首の長いドラゴンが、住み着いているとかいないとかいう噂があったはずだ。
その名もヌッシー。
「そこがわたくしの知っている場所ならば、その湖の一番深い場所に《《武器庫》》がある筈ですわ」
「武器……庫……?」
首をひねる。
そんな話聞いたことがない。
「もしかして古代魔法文明の……?」
「……まぁ、そんな感じですわ」
どうとでも取れる曖昧な笑みを浮かべる。
……ちょっと変な反応だが、多分聞いても答えてくれない類の話なんだろうな。
アリスはたまに、こういう反応をする。
ほんの少しもどかしくもあるが、いつかきっと話してくれるはずだと思いたい。
……しかし、武器庫と来たか。
正直かなり興味深い。
先日の戦いで、ドラゴン殺しを始めとした武器を多数失ってしまったからな。
自分で作れる分は少しずつ自作しているが、さすがに多重にエンチャントが掛かったような代物はそんなに簡単に手に入るものではない。
どこかでメインウェポンとなるようなものを、調達する必要があると感じてはいたのだ。
アリスの事だ、俺のそういう考えを読み取った末の助言なのだろう。
「ただの武器庫ではないので、多少は苦労するかもしれませんが、旦那様ならきっといい訓練になると思います」
「うーん、その言葉で一気に行く気が削られたぞぉ」
こいつの言う「多少」は全くあてにならない。
多分とても面倒くさい目にあるのだろうことが予想される。
「でもまあ、必要であることは間違いないんだ。その武器庫とやらに向かってみるよ。ありがとうな、アリス」
「ええ、アリスはいつだって旦那様のお役に立ちたいと思っておりますよ!」
そう言うと照れ隠しなのか、頭をぐりぐりと胸元に押し付けてくる。
最近やらなくなった行動である。
最近はロッテやらブランカやらが近くにいることが多くて、直接的なスキンシップが少し減っていたからな。
アリスもきっと寂しかったのだろう、俺も少し寂しかった。
ハグなどの軽いスキンシップを交わした後で、動き出すことにする。
「じゃあ、行ってくるよ」
微笑む。
「はい、行ってらっしゃいませ」
思わず見とれそうなほど、綺麗な微笑みが返ってくる。
スキル「儀形」過負荷
あの場所をもう…………────
「あ! 先生ここに居た!」
「先生、ちょっと手伝ってッ! ロッテ達が脱走したのッ!」
マルティナとアンナが息せき切ってこっちにやってきた。
「……うん、じゃあ探そうか」
旅立ちは再々再々再々延期され、翌日に回されるのであった。
なお、ロッテ達は屋根裏部屋に隠れていたところを確保された模様。
イチャイチャしとらんで、はよ行け。