第84話 穏やかな冬の日々 2 重戦士ゴメスの憂鬱
人が少なくなり、以前と比べると閑散としたクランハウスの廊下で、人を探しながら歩く。
冬の日差しは寒々しく、その風景をより一層際立たせているように感じる。
騒がしかった空間を思い出し、やや感傷に耽っていると先の曲がり角からワシが探していた人物が現れた。
「おお、ゴメスか」
そう言って手を上げる先生。
「あ、先生ィ……ってその恰好は何ですかィ?」
先生は防寒着で全身を固め、普段より一回り着膨れしていた。
まんまるである。
どこかに出かけるのだろうか?
外は寒いが、そこまでガチガチに固めるほどではない筈だが。
「ん、まあちょっとな。悪いが何日かクランハウスを留守にすることになると思う」
首回りが気になるのか、襟をくいくいと調整しながら先生が言う。
「ヴぇ!? この寒さの中ですかィ!?」
ちょっとだけならともかく、数日という事は町の外に行くという事なのだろう。
結構雪も積もってきており、街道以外はまともに進むことは難しいだろうし、街道を行くにしてもいつ吹雪に見舞われるかも分からず、一人で行くというのなら自殺行為に近い。
「大丈夫大丈夫、ちょっとした方法で移動するから。それよりなんだ? もしかしてお前、俺を探していたんじゃないのか?」
やはりこの人には隠し事が出来ない。
「まァ、そうなんですけど……そんなに急ぎじゃないから帰ってきてからでも……」
相談の内容を思い返してつい腰が引ける。
いかんなァ。
「何言ってるんだ。自称:急ぎではない相談が急ぎじゃなかった事なんてほとんどないぞ? 俺も今すぐ出る必要があるというわけじゃないからな、遠慮するな!」
そういってカラカラ笑って背中を叩かれる。
「すンません……」
ぺたりと頭に手をやって詫びる。
この人には本当に頭が上がらない。
「いいって事よ! 出発は明日に延ばす。あ、でも服は着替えさせてくれ。さすがにこのままだと暑い」
そう言ってワシの恩師は肩をすくめた。
先生の執務室に通され、お茶まで用意してもらう。
室内に紅茶の芳香が漂い、気負った身体から余分な力が抜ける。
今日はアリス姐さんは居ないようだ。
「ほれ、飲むといい。マリアベル様からパチって……貰った高いやつだぞ、味わって飲め」
そう言ってティーカップに注いでくれる。
わざわざ保温の魔術まで行使し、紅茶の香りが一層強くなる。
「……マリアベル様が飲んでる奴なら、マジで高いやつじゃァ?」
「おう、マジで高い奴だぞ」
一口含むと花の香りのような柔らかな香気が広がる。
「……すごいですなァ……」
ワシは酒が飲めない分、お茶とお菓子にはちょっと煩いのだがこれは凄い。
ここまでのは飲んだことがない。
高ければいいというわけではないが、高いといいものである確率が上がるというのがお茶の常識だ。
「そうなのか? 俺はよくわからん!」
そういってニコニコ笑ながらカップに口を付ける先生。
あ、この人は何でも美味しいって言う人だったな。
マズいとか言ってるの見た事ねぇわ。
たまにモニカが淹れてた、殆どお湯みたいなのも喜んで飲んでた。
……あれは気を遣ってたのかねぇ。
「んで、話したい事ってぇのはなんだ?」
軽く他愛もない話をしてから、先生が切り出した。
「ぬゥ……」
少し躊躇う。
「……ふむ」
先生はそんなワシを見て一つ頷き、指を鳴らした。
四方に不可視の壁が貼られ、音がさえぎられる。
「遮音結界だ。誰もお前の話を聞くことはできない。安心して、ゆっくり、落ち着いて話せ」
そう言って先生は笑った。
あァ、そうだったな。
聞いてほしくて、相談したくて来たんだったなァ。
頭をぺたりと撫で、意を決して話す。
「教会騎士団のメリッサさんのことですわィ」
教会騎士団からウチのクランに派遣されてきた女性。
初対面では少し見下されているようで、あんまり印象が良くなかった。
しかし、こちらの対応を見て態度を改めて、謝罪までしてもらえた。
教会騎士団と冒険者では明確に立場の差がある筈なのに、その誠実な態度に好感を抱いた。
お茶やお菓子が好きという事で話もしやすく、何度かお茶に誘ったり誘われたりしていたのだが。
先日、何か大きな問題が起きたらしく、すっかりふさぎ込んでしまっていた。
教会騎士団の団長さんがケアに回ってくれているが、以前のように笑顔を見せてくれることも無くなっていた。
ワシになにかできることは無いのか?
色々考えてみたが、どうしていいか分からない。
分からないならどうする?
人に聞けばいい。
「なんとか彼女の力になってあげたいんですわィ」
「……なるほど」
静かに、真剣に聞いてくれる先生。
「アンナやマルティナに相談してみようとも思ったんですが、あいつらはちょっと違うかなって思いましてのゥ……」
「あぁ、なんか相談そっちのけで質問攻めに合いそうだな」
「そういうのちょっと避けたくて」
「わかる」
そう言って先生は深く頷く。
別に色恋沙汰って訳でもないのだから、深く突っ込まれても困るというか……。
囃し立てられるのは、少し嫌だ。
「とりあえず、人間関係に関しては明確な正解というものは無いという事を言っておく」
頷く。
そりゃそうだ。
「その上で言おう」
先生が穏やかに微笑んで言う。
「そのままの気持ちを彼女に伝えろ。お前がいかに心配しているかを」
「ワシの気持ち……」
「そうだ、人間ってのはなかなか難儀な生き物でなあ。どれだけ心配して、どれだけ悩んでも1/3も伝わらないんだよ」
先生がそう言いながら、空になったワシのカップにお代わりを注いでくれる。
「前も話したろ? 言葉にして、伝えるんだ。押しつけがましくなってはいけないが、それでも言葉にしないと伝わらないんだよ、ゴメス」
先生は軽く苦笑して続ける。
「俺も伝えているつもりが、うまく伝わってなくて苦しんだからな。お前にそうはなってほしくないんだ」
あー、モニカとか大将の事かねェ……。
「東には『魚心あれば水心』という言葉がある。好意を示せば、自然と相手も好意を返してくれるという意味だ。つまり、示さねば何も起きないんだよ」
「…………」
「だから、伝えろ。言葉にしろ。私は、あなたの事が心配ですと口に出すんだ」
「伝える……」
「なーに、大丈夫だ。根拠はないがな!」
そういって、カラカラ笑う先生。
「無いんですかィ!?」
ワシも笑う。
力が抜ける。
イカンなァ、ちょっとビビりすぎておったのゥ。
人に嫌われることがこんなに怖いことなんて、久々に思い出したワィ。
ゆっくり立ち上がる。
「行くのか?」
「善は急げ、と言いますからのゥ」
いかねば。
「その行動力は見習わないとなあ。よし、これもってけ」
そう言って先生が何かを投げる。
慌てて受け止めると、それは袋に入った焼き菓子だった。
「俺が焼いたやつだ、お茶も入れてるから一緒に飲むといい」
うーん、マメな人だ。
配るために用意してたんだな。
「ありがたく頂きやす」
軽く一礼して、ドアに向かう。
「あ、ダメだったら言えよー」
ワシの背中に向けて、とんでもないことを言う先生。
驚いて思わず振り返ると、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
「残念会、開いてやるからさ」
それに対してワシは軽く肩をすくめて小さく笑った。
扉の前に立つ。
軽くノックをする。
「……はい」
沈んだ声。
声を上げる。
「メリッサさん、お茶でも飲みましょうや」