第79話 エピローグ3 そして、始まる。
まさに小春日和であった。
雲一つない空から柔らかな光が降り注ぎ、心地よい風がゆるゆると吹いていた。
誰もいない野外修練場の片隅に設えられたベンチに、ロッテとウルルの二人は並んで座り、暖かな太陽の光を楽しんでいる。
これから気温は下がる一方で遠くに見える山は冠雪が確認された。
初雪が降る日もそれほど遠くないと予想されている。
雪に閉ざされる冬の始まりである。
まぁ、それはそれとして貴重な陽気を二人は堪能していた。
ヴァイスから今後の方針が示され、とりあえず旅の準備と休養を取ることになったのだ。
ヴァイスは何かとバタバタ動き回ってはいるが、それ以外のメンバーは久しぶりの休暇に各々羽を伸ばしていた。
ウルルはロッテの膝の上に頭を乗せうつらうつらし、ロッテは静かに本を読んでいる。
身体の大きさは違うが、実に仲の良い姉妹に見えた。
ペラリ。
ページをめくる。
ぴーよぴーよぴーよ……────
遠くでなんか変な鳥が鳴いている。
穏やかだ。
「ア、アリスちゃん! お仕事の邪魔しないで!」
「うるさいですね……」
唐突に2階にある開いた窓から、良く知った男の叫び声と女の声が聞こえる。
なにやってんだ。
「ふごッ!?」
急に聞こえた声に驚いたのか、ウルルが飛び起きる。
「あ、あぁ~ッ!」
「呼ばれて飛び出てわらわ参じょ……お主ら昼間から何やっとるんじゃあああああああああああああああああああああああああ!?」
「ヴァイス!?どうした叫び声をあげ……何やってんだお前たちッ! 3人でなんて不潔だぞッ!」
「えッ、わらわ関係ないよ!?」
なんか聞こえる。
「……お兄さんたち、なにやってんの?」
「アリスママがまとわりついて、そこに駄狐が出てきておたくのエルフがらんにゅうしたんでしょ、いつものことだよ」
ママと呼べと命令されて、嫌々そう呼ぶようになったロッテが軽くため息を吐く。
「……うちの母がご迷惑をかけているようで……」
しょんぼりして頭を下げるウルル。
言われてんぞ、ブランカ。
「まぁ、うちのふたりにはいいスパイスになったみたいだからいいんじゃない?」
投げやりなロッテ。
目の前でイチャイチャされる方としては、やっていられないのだろう。
血のつながらない両親のいちゃいちゃシーンなんて、誰が見たいのか。
「ンまァ、ほんとお兄さんとアリス姉さん仲いいよねェ~」
ウルルが大きく背伸びをして欠伸をしながら呟く。
ハラハラと毛が抜け落ちる。
換毛期だ。
「わるいより100ばいいいよ」
ぺらりと本をめくる。
それはそうである。
「とくにあのふたりがほんきでケンカしたら、どうなるかわかんないしね……」
世界の危機である。
「あ、そうだ。ちょっと小耳にはさんだんだけどさァ。このクランにお兄さんの元恋人が居たって本当?」
ロッテがピクリと反応し、本を捲る手を止める。
「うん、まぁほんとうだよ。あんまりアリスママの前でいわないようにね」
ちらりとウルルに視線を投げ、警告する。
「なんだかんだいって、モニカの事はせんせいけっこうひきずってるからね」
そう言ってため息を吐く。
「はァ~、そうなんだァ~。そりゃ、元カノの話とか嫌だよねェ。それで、どんな人だったの?」
完全に興味本位で尋ねるウルル。
なんやかんや言って、彼女もこういう話は嫌いではないのだ。
「ふつうのおんな」
ズバァ。
「わァ……ァ……」
微妙な顔をするウルル。
パタンと本を閉じて会話をする態勢を取るロッテ。
「べつにわるいいみじゃないよ。なんていうか、ほんとうにふつうなんだよ。なんでぼうけんしゃやってるかわかんないくらい」
「……なんで冒険者やってたの?」
首をひねるウルル。
冒険者はならず者であり、仕事としては下の下である。
チンピラに毛の生えた様な物であり、場合によっては毛が生えてない。
ただのチンピラである。
「たぶん、なんとなくながれでそうなったけっかだとおもう。ほんにんもそんなこといってたし」
「……なんとなくでやる仕事じゃないと思うんだけど!」
「まぁ、せんせいに手を引かれていったさきが《《ここ》》だった、それだけのはなしだとおもう」
そういってペシペシとクランハウスの壁を叩く。
「なるほどねえ……流されちゃうタイプかぁ。お兄さんともなんとなく付き合ってた感じ?」
ロッテはゆるゆると首を振る。
「わたしがみたかんじ、ちゃんとせんせいのこと好きだったとおもうよ」
ロッテはかつて二人が笑いながら話をしていた姿を思い出す。
幸せそうだった。
幸せそうにみえたのだ。
だが、人は好きという感情だけでその関係を維持することはできない。
「でもね、たぶん相性がわるかった」
「相性?」
首をひねるウルル。
ロッテはぼんやりと空を眺め、小さく呟いた。
「甘えることがにがてな人と、甘えるばかりだった人だとうまくいかないのはとうぜんだよ」
「くしゅん!」
モニカが大きなくしゃみをする。
「おやおや、風邪でも引きましたかニャ、モニカさん」
お付きのメイドとして旅に同行している猫獣人のリーゥーが、モニカに薄手の上着を一枚追加する。
「んん~、風邪じゃないとおもうんだけどなぁ。まぁ、それよりちゃんと計画立てないとね」
そう言ってランプに照らされた部屋で資料に目を通す。
遠く北の大地。
ここは早くも雪が降り、各地との人の行き来が難しくなっていた。
いつもより早く冷え込む中、人々は飢えと寒さに身を潜めて冬が過ぎるのを祈るばかりであった。
誰が悪いというわけではない。
しかし、小さなほころびが幾つも重なり大きな問題となっていた。
ほんの少し上がった税、ほんの少し出来の悪かった農作物、いつもより大きかった野盗の被害。
それが複合的に噛合い、この地に飢饉という形で表れていた。
雪で足止めされたモニカは大きな町にとどまり、この地方の問題を知った。
問題を知ったからには動かねばならない。
何故なら彼女は「《《白の聖女》》」だからだ。
そう望まれた存在だからだ。
助けを求められた手を振り払えるほど、彼女は強くも弱くも無かった。
溜め込んだ資材を惜しげもなく放出し、各地へ施してゆく。
その行いに賛同した商人たちから寄付を受け、それを使いさらに各地に救いの手を伸ばしていった。
もうスキルは使っていない。
スキルよりも「白の聖女」という名前の方がずっと強くなっていた。
彼女は自分がやっていることは、善行であると確信していた。
決して間違った行いでないと思っていた。
それは確かにそうだ。
悪い筈がない。
善行だ。
但し。
《《そこに、悪意が混じらなければ》》。
一滴の悪意は、善意を染め上げてゆく。
「リーゥーさん! 各地に送る物資についての打ち合わせ、よろしくね!」
さらさらとペンを走らせ、書類にサインをしていくモニカ。
「はいですニャ」
リーゥーは静かに微笑み、そう答えた。
最近のモニカはスキルの影響を恐れ、ほとんど他の人に直接会うことがなくなっていた。
何か依頼する際は、《《必ずリーゥーを通して》》行うようになっていた。
彼女にはスキルの影響が見られなかったからだ。
「それでは、辺境の地への配給をよろしく頼むのニャ。聖女様からの直接のお願いなのニャ。くれぐれもそれを忘れないようにするのニャ」
選抜された信者たちに指示を出して回るリーゥー。
「はッ! 全ては聖女様の為に!」
綺麗に整列した数千の白の聖女の信者たち。
彼女の行いに救われ、涙し、集いし狂信者たち。
「傾国」は人から人へ伝播する。
それの本質は、《《王国を持つ魔王の打倒》》であるがため、止まる事を知らない。
モニカの知らないうちに、組織が着々と組み上げられてゆく。
各地より集められた信者たちにより、町が要塞と化してゆく。
村々が砦と化してゆく。
練兵が行われ、村人が兵士となる。
いたるところで、戦争の準備が行われている。
戦が、始まる。
モニカの知らぬところで、事態は大きく動こうとしていた。
「あぁ、それと伝言ニャ。『《《蜂起は春》》。力を蓄えよ』聖女様のお言葉ニャ」
どよめく声が上がる。
熱気が渦巻く。
その熱気と狂気を感じて、リーゥーは満足げに頷く。
そこにはモニカに見せていた、人のよさそうな獣人の姿は無かった。
そこにいたのは、復讐の狂気に蝕まれた獣だった。
(あぁ、一族のみんな。これであいつらに復讐できるよ)
リーゥーは最後の生き残りである。
(アタシたち一族を死に追いやった、教会の連中どもにあっと言わせてやる)
誇り高き獣人の一族の最後の生き残りである。
魔王「ジェヴォーダンの獣」の棲む山に追い立てられ、滅んだ一族の最後の一人である。
(アタシたちの身体をいじくりまわしたあいつらに復讐できる!)
魔王との戦いで傷つき救出されたものの、助けられたはずの教会でリーゥーを待っていたのは人体実験だった。
(ルーウもジェルもギウーもガウイも《《ウルル》》も、天国で見ていてくれ!)
枢機卿とやらが主導したその実験は、魔王の力を移植して《《人工的に勇者を作り出そうとするもの》》であった。
すぐに死ぬもの、苦しみ抜いて死ぬもの、人ではなくなるもの。
地獄がそこにあった。
リーゥーは死んだと思われて投棄され、目は見えなくなってしまったが命からがら逃げ出すことができたのだ。
逃げ出したその日から、ずっと復讐を誓い生きてきた。
彼女にはそれしか残っていなかったのだ。
辿り着いた町で上手く領主の一族に取り入ることができたのは僥倖だった。
復讐の機会を狙い、静かに潜み。
出会った。
出会ってしまった。
紹介された「白の聖女」とやらは普通の女であった。
善人ではあったが酷く俗っぽく、人間臭い女であった。
正直リーゥーとしては嫌いではない。
欲望に忠実なところなどは好感さえ覚える。
出会いさえ間違わなければ、きっと善き友にもなれただろう。
だが、そうはならなかった。
ならなかったのだ。
この女は、使える。
リーゥーはそう判断して彼女が望むように振舞い、あっさり信頼を勝ち取った。
拍子抜けしたほど簡単だった。
なんて愚かで、なんて甘ったれた女なのだろうか。
哀れだ。
リーゥーは全てを、任された。
あとは、やりたい放題だった。
白の聖女の名前を使って金を集め、人を集め、力を集めた。
いよいよだ、いよいよ春には始められる。
この女を使って、復讐を成す。
この世に、地獄を生み出してやる。
アタシたちを排除し、のうのうと生きている奴らを全て踏みにじってやる。
リーゥーは静かに微笑んだ。
歴史に刻まれぬ些細な出来事で、世界が動き出す。
善意と悪意が交じり合い、狂気となる。
狂気は更なるうねりを呼ぶだろう。
それでも人は進まねばならぬ、それが生きるという事だから。
この世界に生きる者たちよ。
君たちの進む道は暗く、険しい。
だが。
隣を見よ、君は一人ではない。
二章 完