第77話 エピローグ1 陽の当たる場所で
気温も下がり冬の気配が少しずつ増していく中、クラン「フェアトラーク」内の療養所で一人の美しいエルフの女が半身を起こしてベッドで本を読んでいた。
最近は心労でやや窶れていた彼女であったが、ここでの療養生活でその肌は張りが戻り健康的な美しさを取り戻していた。
丁寧に手入れされた金の髪は絹糸の様に艶やかだ。
窓ガラスがあるおかげで外から差し込む陽の光で室内は明るく、寒さとは無縁だ。
柔らかく暖かな空気が部屋を満たしており、不満を感じることも無い。
おそらく何らかの魔術が使われているのだろう、贅沢なことだ。
こんな上等な療養所で過ごすことに彼女は戸惑ったが、数日でその快適さに慣れてしまった。
人は慣れる生き物である。
フェアトラークは絶賛解散手続き中で、ヴァイスに新しい就職先を斡旋してもらったメンバーはかなりの人数が旅立っており、クランハウスはその規模から見ると閑散としていた。
静かな環境を好む彼女としてはありがたくもあり、静かに備え付けの本を読んでいる。
子供向けに書かれたと思しき本ではあるが、挿絵も多く様々な色が使われており目を楽しませてくれる。
内容はこの町の歴史やクランの成り立ち、そしてヴァイス達の功績について分かりやすく書かれている。
著者名を見るとヴァイス&ロッテと書いてある。
あいつ何でもやってんな。
すでに何度か目を通してはいるが、飽きる事なく楽しそうに読んでいると扉のノックが聞こえた。
「おいすー、昼飯だぞー」
彼女が返事をする前にガチャリと扉を開け、料理の乗った盆を持つ一人の男……ヴァイスが入ってくる。
女がいる部屋に返事が返ってくる前にはいるなんて、相変わらずデリカシーのない男だ。
そんなんだから着替えシーンにかち合って、責任を取れとか言われるのだ。
「いつもすまないな、ありがとう」
それでも気分を害した様子もなく、笑顔で迎える女。
さりげなく髪を手櫛で整えたりしているのはご愛敬だ。
「今日は文献で調べたエルフの薬膳をアレンジしてみた」
そう言ってヴァイスは盆をベッドの隣のテーブルにそっと載せた。
相変わらず何でもできる男だ。
「や、薬膳かぁ……」
微妙に嫌そうな顔をする女。
里で暮らしている時、体調を崩すと必ず出てきた料理だ。
身体には良いが、心には悪い逸品だ。
「まぁ、薬膳ってのは美味しくないのが基本だからな。だけど、一応お前の好みに合わせてアレンジしているから多少はマシだと思う」
そう言ってお粥状の何かを匙に掬い、女の口元まで持っていく。
普通に一人で食べられるほど回復してはいるのだが、女が強硬に続けるよう願ったので初めの一口は食べさせて貰うように取り決められていた。
イチャイチャしやがって……。
「むぐ……うまい……だと……?」
覚悟を決めて口に入れた女が目を丸くして驚く。
この粥みたいな物の味は確かに里で食べさせられた薬膳と同じものだが、うま味というかそういったものが段違いであった。
里で食ってたのはカスだ。
「よかった、普段のお前が好んでいた料理の傾向から味付けしたが、正解だったな」
微笑むヴァイス。
その笑顔をみて『そんなに私の事を見ていてくれたのか……』と顔を赤くする女。
なお、ヴァイスは周りにいるすべての人間に同じことをして、同じことを言っている模様。
そういうとこやぞ。
「食事をしながらいくつか決めたことを聞いてくれ。一つ目は今後の俺たちの動きについてだ」
指を鳴らし、虚空から椅子を作り出してそこに座りながらヴァイスが言う。
「まず、大教会に向かう。これは決まりだ。元々アンナを知り合いの神父に預けるために連れていくつもりであったが、ほかにもいろいろやることが……やらなくてはならないことが増えた」
頷く女。
「正直、教会内のごたごたに関わる気はないんだが、件の枢機卿とやらの行いは目に余る」
真剣な表情で頷く女。
美味しいらしく手は止めない。
「一つ、気になることがあるんだ。《《その枢機卿とやらの名前はなんだ》》?」
「え? ……あ……」
《《思い出せない》》。
そういう存在から指示を受けていたというのは間違いないが、枢機卿のパーソナルデータが一切出てこない。
「顔は? どんな癖があった? 普段どこでどんな仕事をしていた?」
立て続けに尋ねる。
女は答えられない。
かろうじて柔和な顔立ちの糸目の初老の男という情報が浮かんだが、それすら曖昧だ。
「……お前もか。教会騎士団全員に尋ねてみたが、お前と同じ反応だった。そうなると、《《そいつが本当に枢機卿だったのかも怪しい》》」
絶句する女。
あいつは……あいつは一体何者だったのだ。
森から出てきた私を教会に誘ったあいつは、一体……何者だ?
「……教会関係者であるのは間違いないだろう、所属しているかどうかはわからんがな」
一つ溜息をつく。
そして、目をしっかり見据えてヴァイスは告げた。
「何とかしたいと思う。しなければならないと思う。余りにも怪し過ぎる。排除を含めてあらゆる手段を念頭に置いて動くつもりだ」
つまりは暗殺することも考えているらしい。
驚く女。
まぁ、普段から話し合おう、話し合えと言っている男の口からそんな言葉が出るとは思わなかったのだ。
その反応を見て、ヴァイスは小さくため息をついて続ける。
「経験上、美学や信念で動いている連中は説得なんてできない。理屈じゃないからだ。人に迷惑をかけないならそれでもいいが、すでに実害が出ている上、これからどれだけ被害が出るか分からないからな。アンナを預けるとなると放置もできない。なにより、そこまで情報を隠して動く奴がまともな奴とは思えん」
そう言ってはにかむように微笑み、付け加える。
「……お前たちの帰る場所だからな、少しでも過ごしやすくなって欲しいという思いもあるよ」
その言葉を聞き、女はほろりと涙を零す。
あぁ、大事にされているのだと実感したのだ。
ちょろい女である。
「な、泣くなよ!? 泣くほどの事か!?」
そういってハンカチを出してそっと拭う。
そういうとこやぞ。
「二つ目は一つ目と絡みそうなんだが、白の聖女の事だ」
「あぁ、あのアホ狐が言ってたアレか」
知り合った全員に馬鹿にされている魔王 妲己。
残念ながら当然とも言える。
「そうだ、噂の村に行ったんだが間違いなく面倒なことが起きている。情報は今も集めてはいるが、どうにもこうにもきな臭い」
ヴァイスは再び村を訪れたときのことを思い出す。
先日の事件が終わって数日後に、もう一度例の村をアリスと共に訪れたのだが予想外の状況になっていたのだ。
《《村から人がいなくなっていた》》。
一人残らず、痕跡も残さず。
ヴァイスとアリスに逃げられて、村の状況がバレたと思い逃げ出したのかもしれないが、それでもその行動力と団結力には恐怖すら感じる。
「正直死ぬほど関わりたくないんだが、白の聖女とやらが知り合いの可能性があるんだよ……」
大きくため息をつくヴァイス。
「……お前の元恋人という女か」
やや声の硬い女。
それに気づかず、軽く肩をすくめてヴァイスが答える。
「そうだな、と言っても別に未練があるわけではないさ。それでも同じ村から出てきた幼馴染だからな。変な方向に進んでいっているなら止めてやりたいと思うんだよ」
「……お前は優しいな」
匙を置いて、女もため息をつく。
ただし、ヴァイスのため息とはいささか意味合いが違うが。
「その優しさで勘違いするのだぞ、自重しろ」
半眼で睨みつける。
「そ、そうか? まぁ気を付けるさ」
恐らく何もわかっていないヴァイスに対して再びため息をつく女。
「私たちも大教会には戻るから、同行しよう。白の聖女の問題は私達も看過できないからな」
「人数がいれば色々楽になるから歓迎だ、よろしく頼む」
他愛のない会話をしながらも食事を終え、その食器を片付けるためにヴァイスが立ち上がる。
「うむ、全部食べたな。よしよし、良い子だ。あと数日すれば問題なく動けるだろう。これから雪が降り、道は閉ざされる。敵も大きく動く事はないだろう。俺も色々準備を整える。焦ることなく、春が来るまで体調を整えてくれ、ルー・ガルー」
「まて、ヴァイス」
手を上げて制止する女。
「なんだ?」
手招きをする女。
「ちょっとこっちに近寄れ、話したい事がある」
「?」
無防備に近づくヴァイス。
馬鹿め、そこは死地だ。
彼女は、耳元に口を近づけ小さく囁いた。
「もう人狼はいなくなった。私の事は、《《ブランカと呼べ》》」
そう言って、そのままヴァイスの頬に小さく口づけを落とした。
アリスに言いつけるのはやめろ、やめてあげてください。
ほっぺにちゅっ!くらいみんなやるやろ!
俺はやらない。
されたことも無い。