第73話 教導者、希(こいねが)う
「まずい、時間がない」
思わず呟きそうになったのを意志の力で抑えつける。
俺が今やるべき事はそんなつまらない弱音を吐くことではない、目の前にいる娘の友達を、友の娘を救う事だ。
ただ、思っていたよりずっと状況が悪いのは事実だ。
事実は事実として受け入れなければならない。
ウルルの身体の衰弱もかなりまずいが、何より限界が近いのは魂の器だ。
代償を払い続けてひび割れがひどい。
命にかかわる問題に対しては、楽観視は許されない。
動揺は見せるな、焦りを出すな。
負の感情は伝播し、それは絶望へつながる。
絶望は何処にもつながらない。
『もう駄目だ』
そんな思いなんぞ、させるものか。
俺は教導者、教え導き、先を示す者!
スゥー……──────
小さく深呼吸する。
俺はできる、俺にはできる、俺ならできる!
かならず、出来る! やるのだ!
やらねば、ならぬ!
パァン!
己の頬を叩き、気合を入れる。
「ルー・ガルー! この部屋に誰も入れるな! アリス! 結界を頼む、『殻』だ! ロッテ! 俺の思考を読んで術式補助を頼む!」
一気に指示を出し、精神を統一して魔力を練る。
やはりすっからかんか。
分かっていたが厳しいな。
だが、手加減してどうこうできる相手ではなかったから仕方がない。
魔王「鉄鼠」を砕いた分はすべて使い切った、俺自身の魔力も回復しきっていない。
とてもじゃないが、このままだとまともな処置を行うことなど不可能だ。
だからこそ。
再び、切り札を切る!
魔王「ウリエル」、貴様の力使わせてもらうぞ!
俺の魂の器で眠っている魔王の魂を、噛み砕く。
正真正銘最後の切り札だ!
だが、大事なところで使ってこその切り札だ、温存などするものか!
バキンッ!
『汝の行いを、肯定する』
またしても幻聴が聞こえる。
魂だけになった奴らには意志などないはずなのに。
ただ、少しだけ背中を押された気がした。
『弱きものに、救いを』
砕いた瞬間に何色にも染まらぬ白色の魔力が、間欠泉のように噴き出した!
…………!?
さっき鉄鼠の時とは比べ物にならない魔力だ!
なぜだ!? 何が違う!?
疑問を覚えるが、首を振ってそれを脳裏から消し去る。
今はそんなことを考えている場合ではない。
あとでいくらでも考えればいい。
今からやろうと思っている事を考えれば、魔力はいくらあっても足らない筈だ。
ならば好都合だ!
黒と白と銀の魔力を振りまき、空中にいくつもの魔法陣を描く。
描いては消え、描いては消えいつしか部屋の空気が変化してゆく。
古代魔術、秘跡、東邦秘術ありとあらゆる術を織り混ぜ行使する。
アリスは額に汗を浮かべつつ結界を維持してくれているし、ロッテも目を回しながら俺の術式を補助してくれている。
「ルー・ガルー、説明をしておく」
話しながらもひと時たりとも手を止めることは無い、思考分割を行い半自動的に体を制御して術式を展開し続けているのだ。
「争い無き世界で打ち合わせした対処法はどれも使えそうにない」
「そんな!? お前でもダメだというのか!?」
ルー・ガルーが悲鳴を上げる。
悲観的になるんじゃない。
お前が諦めてどうするんだ。
嘆くな、笑え。
無理矢理口角を上げ、笑う。
「いつ無理だと言った? 俺は助けるといったぞ! お前の願いを叶えると言ったぞ! 甘く見るな! 俺は有と無の境界を操る烏有の魔王だぞ!」
指を奔らせ、また一つ術を展開する。
世界を書き換える術だ。
「ウルルの状態が想定と違っていたんだ、当然対処法も違うものになる」
静かに眠る獣人の娘の魂の器を視る。
ひび割れた器に、黒々とした肥大した力の欠片が見える。
あれが彼女に宿った勇者の力。
魔王の力の成れの果て。
それは、彼女の魂の器の《《外側に寄生していた》》。
黒々と不気味に脈動し、浸食している。
あんなものが勇者の力の源だとはな。
勇者と魔王のスキルは、発動時に蛇口をひねる様に魂の器の内側から放出する形で使う。
だからこそ使用を制御できるし、抑え込むことができるのだ。
外側に在ったら、そりゃあ常時発動状態にもなるよなあ!
なぜそうなったのか、いくつか理由は考えつくが今はそんなことはどうでも良い。
全てが終わった後、じっくり考えればよいことだ。
今やる事はただ一つ。
救済だ。
ウルルの肉体を保護する術式を幾重にも掛ける。
正直気休めにしかならないが、やらないよりましだと思いたい。
初めて会った時から彼女に力の在り方には違和感を感じていたが、関係を深める気がなかったからスルーしていたのが祟ったと言えよう。
「当初のプランだと勇者の力を俺が切り取る事を検討したが、ウルルの魂の器にしっかり根を張ってしまっている。引き抜けばどうなるか分からない」
嘘だ。
無理矢理引き抜けば魂の器は壊れ、彼女は死ぬだろう。
時間をかけて丁寧に取り除こうにも、時間が足りない。
身体が先に死に至る。
待つのはいずれも死だ。
そんな手を取るわけにはいかない。
真っ青になったルー・ガルーを他所に、別の方向から声が掛かる。
「ならばどうするのですか、旦那様」
そう言いながら、アリスがこっちを見ている。
言外に諦めろと、お前にできる事はもうないと言っている。
もうお前は十分やったと。
馬鹿にするな、俺はあの時誓ったはずだ!
傷つくことを厭わずに人を助けると!
そんな俺を、お前に見せると!
だから、黙って、見ていろ!
初めて出会ったときから変わらない、紅い瞳で俺を見ている。
その目が微笑んでいる。
そうだ、それでいい。
ルー・ガルーからウルルを奪うのか?
否!
娘から母を奪うのか?
否!
家族を失ったもの同士が、家族を得たのだ!
哀しい想いなど、させてたまるか!
最後の術式を完成させる。
魔力がさざなみの様に走り、行き渡る。
きらきらと可視化された魔力が輝きながら漂う。
まるで満天の空のようだ。
魔力が満ち、《《あの場所》》の再現が成った。
しばらくは安定する事だろう。
これでようやくスタートラインだ。
今ならわかる、《《あの場所》》は《《これ》》を行う為の神殿でもあったのだ。
「これは……! 旦那様、一体何を……」
アリスが目を見開く。
驚くのも無理はない、彼女にとっては慣れ親しんだ空間だろう。
そんなアリスの反応に満足しつつ、問う。
「ルー・ガルー! 最後の質問だ! ウルルを助けるためなら、大切なものを失う覚悟はあるか!?」
ここから先は後戻りが出来ない。
だから。
答えが分かり切った質問を投げる。
分かっていても、聞きたいのだ。
「もちろんだ! 《《命でもなんでもくれてやる》》!」
叫ぶ、ルー・ガルー。
その言葉が聞きたかった。
俺は笑った。
「馬鹿野郎、死んだらウルルが悲しむだろうが!」
絶対に、救ってみせる。
俺は欲張りなんだ。
二兎を追って、二兎を得てやる。
その為なら、いくらでもどんな苦労でも背負ってみせよう!
右手でルー・ガルーの手を優しく取る。
左手でウルルの手を柔らかく取る。
「接続」
俺を経路として、二人のパスが繋がった。
「これは……」
ルー・ガルーが慣れない感覚に戸惑うようにつぶやく。
「そうだ、お前とウルルの魂の器を連結した」
あの日を思い出しながら魔力を編む。
遠い昔のように思える、俺とアリスが出会ったあの日を。
ここに再現したのは、《《ジズの結界》》。
無限の魔力が満ちる、異界ともいうべき空間。
我らにとって最も存在が安定する空間。
「発想を変えたんだ。ウルルの魂の器はもう限界だ。どうやっても助からない」
できるだけ不敵に見えるよう、笑う。
「ならば、《《器ごと作り替えてしまえばいい》》」
静かに、発動する。
「旦那様!? まさか!? 無茶です!!」
アリスが悲鳴を上げる。
俺は以前、視たことがある。
力を受け渡して、《《極致》》に至らせる儀式を。
ルー・ガルーの力を、ウルルに受け渡して極致に至らせる!
二人の力を一つに!
それが、俺の答えだ!
魔王スキル・模倣「再現・華燭の典」
黒い光が、部屋を満たした。