第72話 司書、友を見舞う。
先生が魔王としての力を振るった瞬間、辺りは柔らかな黒の光に包まれた。
満月の夜でもなお暗く深い、あたたかな闇。
先生の膝の上にいる時にも感じた、心が落ち着く鼓動が聞こえた気がした。
その光も瞬き一つする間に消え失せ、そこに残ったのは先生と団長さんだけだった。
先ほどまで煌々と輝いていた満月も、まるで幻だったかのように消え失せて夕暮れの赤で空は染まっていた。
あぁ、先生がやってくれたのか。
日常が戻ってきたことに安堵して、倒れ伏している団長さんに視線を移す。
団長さんは一糸纏わぬ姿だった。
そりゃ、あれだけガッツリ変身したらそうなるよねえ!
いやただの裸より鎖が巻き付いてるからか、なんて言うかちょっと背徳感を醸し出していて趣深い。
エルフの裸体なんて見るのは初めてなので、しっかりと観察しておくことにする。
貴重な資料だ!
後世に遺さないと!(使命感)
……団長さんの母性(隠語)は割と控えめですね。
シンパシーを感じる。
いや、私はこれからだから!
成長期!
「う……」
団長さんが小さく呻く。
あ、目を覚ましそう。
裸の女とそれを眺める男。
このシチュエーションは!
……私、知ってる!
これ起き上がって裸ってことに気付いたら大騒ぎする奴だ!
そして先生が頬を叩かれたりするんだ!
私は詳しいんだ!
団長さんが裸という事に気付いた先生は、別に照れたりすることもなく、つかつかと歩み寄って腰の鞄から布のようなものを取り出した。
あれかな? シーツとかファッサーってやる紳士的な行動を取るのかな?
さすが先生!
なんだかワクワクしながら、アリスさまと一緒に先生の行動を見守っていると。
スキル「儀形」「衣装箱」
一瞬で団長さんが服を着せられた。
……思ってたのと違う!
そうか、こういうシチュエーション慣れてるから先手を打ったのか……。
相変わらず悲しい経験値を稼いでおられる。
「う……戻ってきたのか……」
団長さんがゆっくりと半身を起こし、辺りを見渡して呟いた。
……戻ってきた?
団長さんが着せられた服は、なんていうか品のいい素朴な服だった(オブラートに包んだ表現)
……先生、あの服鞄から出したよね?
持ち歩いてるの?
女物の服を?
というかあの服、先生の趣味なんかな……。
てか、団長さん胸元ぶかぶか……。
何かとは言わんがコンニチワしそう。
ん? 胸の大きな先生の身近な女用の服……?
という事は、モニ……──────
あっ(察し)
気付いてはいけないことに気付いてしまい、ちらりと横にいるアリスさまの方を見る。
目が合った。
にっこり微笑まれた。
目は、笑っていない。
私は黙って目をそらした。
私は何も気づかなかった、いいね?
そんなことをやっていると、先生は何事もなかったように団長さんに手を伸ばして声を掛けた。
「どうだ? かなりスキルを使ったはずだが、問題は無いか?」
団長さんは少しためらいながらもしっかりとその手を握り、立ち上がろうとして失敗した。
どうやら全身に力が入らないようだ。
「くっ……うぅ……」
「力が入らない、か。……時間が惜しい、すまんが少し触るぞ」
先生はそう言って、おもむろに団長さんを抱きかかえた。
「ふぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げる団長さん。
私知ってる!
これお姫様抱っこって奴だ!
思わず興奮してしまったが、隣にアリスさまがいる事を思い出してちらりと見る。
目が合った。
にっこり微笑まれた。
目は、笑っていない。
私は黙って目をそらした。
「アリス、ロッテ行くぞ」
あわあわしている団長さんを尻目に、先生は立ち上がり私たちに告げた。
「……どこへ?」
問うたものの、答えは分かっている。
分かり切っている。
この人なら、必ずそうすると思っていた。
迷いの消えた、輝くような意志で燃える瞳をこちらに向けて。
あぁ、私はこの目を知っている。
ずっとそばで見て来たのだから。
「《《お前の友達を救いに、だ》》」
そう言って、先生は不敵に笑った。
先生は団長さんを、私はアリスさまに抱っこされたまま町を走る。
目指すは教会騎士団の拠点、ウルルの所だ。
私は少し走っても息切れして死にそうになることは無くなったものの、依然として体力は無いのでアリスさまの小脇に抱えられての移動になる。
結構な速度で走ってる割に、全く揺れないので逆に怖い。
町の人たちから変な目で見られるが、先生が女を連れて街中を走るのはいつもの事なので「あぁ、またか」みたいな反応をされる。
さす先!
日頃の行いというやつだ。
日頃からやってるから刺されるんだぞ。
わかってんのか、先生。
「そ、それでお前の言っていた方法で何とかなるのか?」
先生の腕の中で揺られながら、居心地悪そうに質問をする団長さん。
お前、子供までこさえたのになんでそんなに男慣れしてないの?
反応がマルティナと変わんないんだけど?
というか、いつ話し合ったんだろ。
さっきまで先生は私から受け取った情報しか持ってなかったはずなのに、もう具体的な方法についてまで何らかの話し合いがもたれたような印象を受ける。
まぁ、いいか。
好奇心で心を読むのは出来たら避けたいからね、必要なら後で説明してくれるだろう。
人の心なんて見えないほうがいい。
そんな事、出来るようになる前から知っている。
「そうだな、直接診察してみないと何とも言えない部分もあるが、いくつか試してみたい方法はある」
さす先!
「本当か!? 信じていいんだな!?」
縋るような、必死な声。
「あぁ、任せろ。俺は、いつだって何とかしてきた」
そう言って自信ありげに微笑む。
その顔に安堵したかのように団長さんが涙ぐむ。
わかるよ、安心するよね、ほっとするよね。
だけど私たちは知っている。
あれは彼女を不安がらせないためのポーズだ。
私は、先生が彼女を抱くその手が少し震えていることを知っている。
心を読むまでもなく、先生が悩んでいることが分かる。
上手くいかなかったらどうしよう、と不安に思っていることも分かる。
でも、それを表に出さない。
必死に、歯を食いしばって見せないようにしている。
そう、だからこそ。
そんな弱くて強いこの人だからこそ、私はついて行こうと思ったのだ。
「ウルル! ウルル! ヴァイスを連れてきたぞ!」
団長さんが大声を上げて彼らの拠点の扉を叩く。
扉を開けて驚いた団員たちが次々に声を掛けてくる。
「団長どこ行ってたんで……お姫様抱っこ!?……なんかえらい可愛い恰好してますね」
「ウルルほっといてどこに行ってたんで……なんですかその服」
「団長かわいー」
気になるのはそこかぁ。
てか、みんなウルルが危ないのに呑気だな。
……もしかして、周知されてないのか。
まぁ記憶を読んだ限り、誰にも何も言わず出てきたみたいだからそれも当然か。
全部自分で何とかするつもりだったのだろう。
どんな人でも、一人では生きていけないよ。
難儀な人だ。
「服……? え、何この服!?」
いきなり騒ぎ出す団長さん。
気付いてなかったんかい。
「それより早くウルルを」
先生が真剣な表情で急かす。
一番この人が真面目だ。
そうだ、先生連れてきてなんか解決した気になってたけど、それが目的だった。
「この部屋だ!」
団長さんに案内され、ようやくウルルの元に辿り着いたのだった。
そしてベッドで静かに眠るウルルを見て、厳しい表情で先生は声を出さずに唇を動かした。
私にはその動きだけで、何と言ったか分かってしまった。
「まずい、時間がない」