第67話 団長と司書。
*時間が少し戻ります。具体的には「夜」が来る少し前になります。
カツ……カツ……カツ……
夕暮れの石畳の道を進む。
まるで夢の中のように、ふわふわした気分だ。
血のように赤い夕陽の光が満ちている。
私はこの赤色が嫌いだ、あの人を刺したときの事を思い出すから。
血にまみれた掌の赤さを思い出すから。
かなしいあのひをおもいだすから。
進む、進む、進む。
目指すは、フェアトラークのクランハウス。
私がやろうとしていることは果たして正しいのか?
何のために何をしようとしているのか?
頭の中に靄が掛かったようにはっきりしない。
『おかあさん、あたしを殺してください』
ウルルの言葉で枢機卿の暗示が解け、忘れていた……忘れさせられていた過去の言葉を思い出したのだ。
『────……おや、この記憶を思い出すとは! 素晴らしいッ! 貴女はウルルとそれほどまでの絆を築き上げたのですねッ! あぁ! 神よ!』
枢機卿《クソ野郎》が恍惚とした表情で聖印を切る。
おぞましい。
動作自体はよくある動きなのだが、酷く冒涜的だ。
『ワタシはね、そういう美しいモノが大好きなのです。美術品や宝石の美しさも良いものですが……母と子の愛! 麗しき友情! 固く結ばれた主従関係! そういうものを見るのが大好きなのです! 見えないからこそ、美しい!」
早口で聞き取りにくいはずなのに、不思議とよく通る声で一言一句きっちり理解できてしまう。
枢機卿《クソ野郎》は、その糸のように細い目をこちらに向け、微笑む。
温和に見えるその笑顔は、どんな魔物より醜悪に見えた。
『そして、なにより好きなのは《《それが壊れる瞬間を見る事》》なのです』
『貴女はこれからウルルを殺すのでしょうね、おそらくあの子が限界を迎えているのではないでしょうか? かわいそうですね。残念ですが、一刻の猶予もありませんね』
こちらに1本のスクロールを差し出してくる。
『この記憶を思い出せたご褒美です、貴女が欲しがっていた秘跡「神縛りの儀」のスクロールですよ』
外道が、嗤う。
『教皇選の支持と引き換えではなかったのかって? ハハハハハハハハハ! 貴女の支持などなくとも勝てますよ! でも対価無しだと貴女は納得しないでしょう? そうすることでこの暗示を受け入れる下地を作ったのですよ』
嗤う。
『これを貴女の鞄に潜ませておきましょう。これを受け取るとき、貴女が真なる勇者になっていれば自分の命と引き換えに、かわいいウルルを助ける事が出来るでしょう』
嗤う。
『なっていなければ助ける手段を持っているのに、自らの手でウルルを殺すことになるでしょう』
嗤う。
『あぁ! 貴女が苦悩する姿が目に見えるようだ! その場に居合わせる事が出来ない事がとてもとてもとても!!! 残念だ!!!!』
一際、醜悪に嗤う。
『貴女がどんな選択をしようとも、ワタシは祝福いたしますよ。それでは、良い最期を……──────────』
ブツリと記憶が、途切れる。
反吐が出る。
クソ野郎クソ野郎と普段から言っていたが、想像以上のクソ野郎だった。
全ては貴様の掌の上だったという事か。
だが、だが!
ウルルを助ける手段を用意していた事だけは感謝しよう!!
だが、もし。
もし、ウルルを救えず私が生き残るようなことがあれば。
私が、お前を、縊り殺してやる。
フェアトラークのクランハウスに到着した。
夕暮れのせいか、入口付近に人影は無い。
中に入ると受付に座っていた受付嬢と目が合う。
彼女はにこっと微笑み、頭を下げた。
「あら、団長さんじゃないですか。何か御用ですか? マスターは奥さんとお出かけ中ですよ」
何度か顔を合わせている受付嬢だったので、面倒なことにならなくてほっとする。
「あぁ、今日はちょっと違う用事でね。ロッテちゃんはいるかい?」
出来るだけ不自然にならないように笑顔を作る。
不審に思われてはならない。
「ロッテ、ですか? 居ますよ。……もしかして、あの子がなにか失礼な真似を? あ、あの生意気な態度は、あの子なりの親愛を示す態度なんで、許してあげてくれませんか!?」
なにか勘違いして慌て始める受付嬢。
「違う違う、そういう事じゃないよ。ちょっとウルルが寝込んじゃってね、ちょっとお見舞いに来てもらえないかと思ってね。寂しがってるんだ」
あらかじめ考えていた言い訳をしておく。
いろいろ考えたがこれ以外なにも思いつかなかったのだ。
そう聞いて胸をなでおろす受付嬢。
「な、なぁんだ……よかったです。あの子最近特に生意気になってですね……あ、いやそんなことは別にいいですね! ちょっと連れてきますね!」
良くしゃべる子だ、受付嬢をやるくらいだから人と話すのが好きなんだろう。
だが、きっといい子なのだろう。
騙すことに少し心が痛む、もしこのままロッテが居なくなってしまったら彼女はきっと悲しむだろう。
「あぁ、大丈夫さ。場所さえ教えてくれれば私が迎えに行くよ」
なるべく人の目に触れたくない。
いずれバレるだろうが、発覚はできるだけ遅らせておきたい。
「それならさっきは食堂に……──────────────」
そう彼女が言いかけた時、足元から声がした。
「なにか、ごようですか」
灰銀の髪と紅い瞳を持つ幼女がそこにいた。
「!?」
気付かなかった!
気が急いていたとはいえ、私が気付かないなんて……。
「あら、ロッテちゃん! ちょうどよかった、団長さんがね……───」
「じつはさっきからきいてた」
受付嬢の言葉に被せるようにロッテがしれっと言う。
「……このクソガキ……」
受付嬢が小声で何か言ってるが、まあいい。
この警戒心の強そうな小動物を上手く連れ出せれば……。
なんとか上手い言い訳はないだろうか。
そう考えていると、ロッテは紅い瞳をこちらに向けて言った。
「もんだいない、すぐにいく」
「え……?」
予想外の言葉に、思わずそんな声が出てしまう。
「ウルルがよんでるなら、すぐにいく」
小さな体躯に似合わず、力強くきっぱりと言う。
「そ、そうか。ありがとうね」
すんなりいってしまい、拍子抜けする。
力づくで攫う事も考えていたのだが……いや、すんなりいってよかったと思おう。
……だけど、本当にウルルの事を友達と思ってくれているのね……。
ズキリ。
心が、痛む。
私は娘の友達に何をしようとしているのだ?
それであの子が喜ぶとでも?
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ! 考えるな!
考えたら、とてもじゃないけど、●せない!!!
内心の葛藤をおくびにも出さず、手を伸ばす。
「暗くなってきてるから、手を繋ぎましょうね」
にがさない。
「ん」
そう短く答えて、ロッテが私の手を無防備に握る。
よし。
「じゃあ、少しお借りします」
受付嬢にぺこりと頭を下げる。
「ロッテちゃん、いってらっしゃーい。晩御飯までにもどるんだよ~」
のほほんと手を振って見送る受付嬢。
なんの心配もしていないようだ。
「ん」
ロッテはやはり短くそう答えて、受付嬢に手を振って歩き始めた。
そして、10分ほど無言で歩いた時。
「《《にげないから、しんぱいいらないよ》》」
ロッテが、そうボソリと呟いた。
「ッ!?」
予想外の言葉に思わず反応してしまう。
「そんなに剣呑なくうきだしてたら、だれでもきづくよ」
やれやれと言った風に肩をすくめる幼女。
……受付嬢は気づいてなかったが。
「あれはアホだから。まぁ、そういうとこがいいとこなんだけど」
私の考えなどお見通しといった風にそう答える。
そして、ロッテがこちらも見ずに腕を引く。
「こっちにひとめにつかないひろばがあるから、そこではなそう。ウルルについてなんでしょ?」
……小さくても、やはり魔王か。
油断していた。
そうだ、あのヴァイスとアリスの娘なのだ、この子は。
ぞわりとうなじに悪寒が走る。
ただの子供のはずが、ないのだ。