第65話 獣人、希(こいねが)う
「う……にゅ……」
瞼を開く。
天井が見える、ベッドに寝かされているようだ。
はて……なんで寝てるんだっけ?
窓の外は夕暮れだ。
この時間帯にベッドに何でいるんだろ。
ぼんやりとした頭で思い出そうとする。
「ウルル!? 目が覚めたの!?」
いきなり視界いっぱいにボスの端正な顔が映る。
いつもながらものすごく整った顔立ちだけど、今は悲痛な表情だ。
ボスを悲しませているのが自分だと思うと、すごく申し訳ない気持ちになる。
ボスにはいつだって、笑っててほしいんだけどナー。
最近はよく笑顔を見せるようになって、嬉しかったんだけどさ。
あたしが悲しませちゃ世話ないよネ。
あぁ、思い出した。
あたし、倒れたんだったネ。
過去のトラウマで逃げ出したボスを、団員総出で探して。
あたしが頑張って見つけて。
手を繋いで、帰って。
宿で、倒れた。
抵抗できないほどの苦しみ。
これが枢機卿の言ってた「《《終わりの始まり》》」かぁと他人事の様に思ってたっけ。
そこまで思い出して、自分の体調の悪さも思い出した。
と言っても風邪ひいた時の苦しさとは全然違う。
痛いとかそう言うのじゃないんだ。
魂の痛み。
いままで大人しかった、あたしの勇者スキルが蠢いている。
騙し騙しやってたけど、もう限界らしい。
あたしから奪うものがないと気付いたんだろう、孵化を迎える雛鳥のように震えている。
間も無く殻を破るだろう。
それが意味するのは。
時間切れ。
んんんんんん、残念だなあ!
折角友達もできたのになあ!
もっといっぱい美味しい物食べたかったなあ!
団員のみんなと、遊びたかったなあ!
お兄さんたちと、お話したかったなあ!
ロッテちゃんと、お出かけとかしたかったなあ!
おかあさんと、もっと旅をしたかったなあ!
でも、もうおしまい。
夢から覚める時がきたのだ。
一族のみんなと終わるはずだったあたしが、ここまで生き残れた。
全てを失ったはずのあたしが、たくさんの新しいものを作れた。
悔いを感じるくらい、たくさんのやりたい事をつくれた。
それで、満足しよう。
だからちゃんと、お別れをしなきゃ。
たぶん、あたしは夜が明けるまで持たない。
きっと、あたしからすべてを奪った魔王が産まれちゃう。
枢機卿はそう言ってた。
こんな街中で、ロッテちゃんたちがいる場所でそんなことはしちゃだめだ。
だから。
「ウルル……? 辛いの?」
そっと額に手を載せられる。
ひんやりとして心地よい。
あたしの大好きな手だ。
ボス、ごめんねえ。
こんなこと頼んじゃってごめんねえ。
「ボス……いや、おかあさん。多分、あたしもう持たない」
目を見開くボス。
「このままだと、魔王が発生しちゃって沢山の人に迷惑を掛けちゃう」
震える手を伸ばして、ボスの手を握る。
ボスはあたしが何を言い出すか分かってしまったようで、いやいやと首を振る。
残酷だと思う。
でも、言わなきゃ。
「だからね、そうなる前に《《あたしを殺して》》」
「嫌よッ! 絶対に嫌よッ!」
あたしの言葉に被せるようにボスが叫ぶ。
パキン!
その時、ボスがつけていたイヤリングが弾けた。
あんまり装飾品を付けないボスが、いつの頃からか身に着け始めた品だったはずだけど。
確か、嫌そうに《《枢機卿》》から貰ったとか言ってたような?
ボスが呻いて頭を押さえ、よろめいて膝をつく。
「ボス?」
な、なに……?
何が起きたの……?
立ち上がったボスの表情が抜け落ちている。
整っている分、そうなるとひどく恐ろしく感じる。
その姿は異様としか言いようがない。
ボスはしばらくぼんやりした後、急に瞳に光が戻った。
「クソがぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあぁ! あの野郎! こんな言葉をキーワードにしやがってえええええええええええええ!!!!」
いきなりボスが激高した。
呆気にとられるあたしを尻目に、ボスは慌てたように腰につけた鞄を探る。
そして鞄に手を突っ込み、一本のスクロールを引っ張り出した。
「これかッ! クソッ! クソッ! なんでこんな回りくどい真似をッ!」
「ボ、ボス? そ、それは?」
私の言葉が聞こえていないかのようにボスはスクロールを開き、鬼気迫る表情で目を通す。
そして、スクロールを読みながら私に話しかけてきた。
「枢機卿《クソ野郎》に掛けられた暗示で……いえ、細かいことは省くけど、このスクロールには《《ある秘跡》》が封じられているの。それを使えば、あなたを助けられるはず」
丁寧にスクロールを巻きなおしながら続ける。
「あの枢機卿《クソ野郎》が言ってることが正しければ、だけど」
ボスは憎しみを込めた声で吐き捨てた。
「えっ」
この状態からあたしが助かる……?
そ、それは嬉しいけど……ボスの感情の揺れ幅に恐怖を覚える。
少なくとも普通ではない。
この僅かな時間に何が起きた!? 何があった!?
あたしには何ができる!?
こういう時、お兄さんたちが傍にいてくれれば!
「でもね、これを使うには少しだけ足りないものがあるの」
やさしく、やさしく。
どこか恐ろしい声で、ボスが言う。
優しくあたしの肩に手を置いて、幼子にするように目線を合わせた。
どろりと、腐った濁った瞳があたしを捉える。
息を飲む。
この目は、良くない。
いつものボスとかけ離れすぎている。
「あ、あのおかあ……──────」
さえぎるように、ボスが手を伸ばす。
「おかあさんね、真なる勇者にならなきゃいけないの」
話が支離滅裂だ。
あたしの頭を、優しく撫でる手。
「真なる勇者になって、秘跡を執り行って」
いつもはあんなに嬉しい手が。
「あなたを、助けるの。今度こそ、助けるの」
何でこんなに、怖いの?
「そのためには、魔王を斬らなきゃいけないの」
魔王……?
どういうこと……?
「ちょうどいいことに、怖い怖い魔王たちが今はこの町を離れているのよ」
ざわりと毛が逆立つ。
怖い魔王って……お兄さんとアリスさん?
「これは我らが神の思し召しに違いないわ」
謳うように、呟くボス。
うっすらと笑みを浮かべている。
止めなくては!
何をしようとしているか分からないけど、一つだけわかることがある!
おかあさんが、《《取り返しのつかない何かをやろうとしている》》!
「おかあさ……────────────」
必死に手を伸ばし、止めようと足掻く。
行かせちゃダメだ!
止めないと!
「だから、待っててね。リリィ」
頭をすっと撫でられ、あたしの意識は闇に落ちた。