第61話 教導者、情報を得る。
「白の聖女……?」
確か330年ほど前に民衆に救いを与え、支持を受け、腐敗した教会組織の改革を成し遂げたとされるあの聖女か?
正直、胡散臭いことこの上ない。
というのも、白の聖女を名乗る人間は定期的に現れるのだ。
そして往々にしてそれは偽物である。
詐欺師であるパターンも多い、というかペテン師しか見たことない。
それでも困窮する地方では待ち望まれた存在であり、そういう我々を救ってほしいという民衆の願望の表れと言えよう。
手軽に民衆の支持を得ようとするなら、第一候補に出てくる名前である。
以前、偽聖女を捕まえたことがあるが、あれはただのアホだったな。
ただ、アホではあったが人の役に立ちたいという志は持っていた為、おとがめなしで放逐した覚えがある。
あいつ元気かな。
『覚えてなさいよ!』と元気よく逃げていく後姿が妙に印象に残っている。
それはそうと、白の聖女か……。
実在の人物かどうか怪しい部分も多く、幾人かの功績をまとめた存在とも言われている。
文献を紐解くとその功績は、やたらとぼやかした部分が多く、何とも掴みどころがない人物である印象だ。
あれもこれも手を出して、それなりの成功をしているところを見ると、実在するなら優秀な人物であったと思われる。
それに、腐敗した教会の改革を成し遂げたと言っているが、具体的に何をどうしたという部分が不明なのだ。
その最期は救いを求める民衆のために旅立ったとされているが、それほどの人物がどこで没したか不明というのも気持ちが悪い。
俺は思うのだ。
教会にとって都合の悪い存在であった白の聖女は、《《消されたのではないかと》》。
「ふふふ……」
ニマニマと笑う妲己。
まるで俺が何を考えているのか分かっているような、見透かした笑みだ。
「なんだ、その笑いは」
「さてのう? まぁ、この情報はまだ裏取りできておらんからの。そういった存在が本当におるかどうかは何とも言えん。ただ、何かが起こっておるのは間違いなさそうじゃ」
尻尾を振り振り窓際へ歩き、窓から外を眺める妲己。
もうすっかり日は落ち、暗闇が広がっている。
酒場の灯りがいくつか見え、本格的な夜の到来を告げていた。
妲己は、そのまま外を眺めつつポツリと呟く。
「だがの? もし、本当に白の聖女が現れたのならば」
くるりと、振り向く。
「《《荒れるぞ》》?」
ざわりとうなじの毛が逆立つ。
金の瞳が爛々と輝き、俺を射すくめる。
「荒れる……?」
どういうことだ?
「そうじゃ。正直なところ、わらわは現れてもおかしくは無いと思っておる」
パン!と扇子を開き、口元を隠す。
「九尾の狐、銀色、お主、それになりかけではあるが灰銀の小娘。これだけ魔王が現れておるのじゃ、自然と《《対となる存在》》も強力になるものよ」
「対となる……存在?」
阿呆のように繰り返す。
クスクスと密やかに嗤う、妲己。
「決まっておるではないか」
ゆらりと尻尾を揺らす。
金色の燐光が薄暗い室内を舞い散り、幻想的な光景を描き出す。
「《《勇者どものことよ》》」
その艶やかな唇が吐息と共に吐き出す。
「脆弱なる人間が、自分たちを護る為に作りだした防衛機構よ」
嘲りを込めて。
「願いの具現化にして、欲望の坩堝よ」
憐れみを込めて。
「備えよ、新しき魔王。わらわ達は……─────────────」
「はい、そこまでですわよ」
妲己が何か言いかけたとき、手に菓子盆とお茶を持ったアリスが現れ、その発言を止めた。
「なんじゃ、銀色。いいところじゃったのに」
その美しい眉を顰め、妲己がアリスに抗議する。
「それ以上はまだ必要ありません。教えるにしても、妻のわたくしが教えます」
ふんすと鼻息荒くアリスが答える。
「ケチじゃのう……銀色、お主は昔から……─────モガぁ!?」
アリスが妲己の口にケーキをねじ込んだ。
「旦那様が作ったお菓子、女狐にはもったいないけれど味わって食べなさい」
「もがぁ!?」
次々にねじ込まれるお菓子。
……水分無しであれをねじ込まれるのは、ちょっとした地獄では?
というか、せっかく作ったんだから味わって食べてほしいなあ……。
「菓子職人」のスキルで作ったんだから、味は保証する。
俺もアリスから一つ貰い、お茶と一緒に食べる。
うむ、なかなかの出来だ。
高価な砂糖をしっかりと使い、新鮮な卵と厳選した小麦で作り上げたパウンドケーキだ。
しっとりとして程よい甘さだ。
アクセントに入れたクルミも正解だったな。
「もがぁ!? 銀色、貴様わらわを殺す気か!?」
何とか口の中のケーキを嚥下した妲己が、ぜぇぜぇと息を切らしている。
……ケーキを喉に詰まらせて死ぬ魔王とかヤだなあ。
「余計な事を、口に出そうとするからですわ」
すまし顔でそう言って、自分もケーキを一切れ口に入れるアリス。
「一応、妲己の為に焼いたケーキだから遠慮せず食ってくれ」
事実である。
お菓子で誤魔化そうとしただけであるが。
「ほほう! わらわへの献上品とな!? よい、よいぞ! 褒めてつかわす!」
先ほどの不機嫌さはどこへやら、ニコニコしてケーキを頬張る妲己。
急に機嫌がよくなった!
ちょろい、ちょろすぎる。
「うむ、なかなか旨いの! お主がこういうのも得意と知ってはおったが、実際味わうと違うの!」
手づかみでもりもり食う妲己。
うーん、ワイルド。
「あぁ、そっか。見てたから知ってるよな」
覗き魔でしたね。
「でもまあ、知っておっても実際に体験するのでは、まったく違うからの。知識と実践はまた別の経験になる。世の中にはそれが分かっとらんヤツが多すぎる。ま、お主はそんなこと言われずともよく知っておるじゃろうがなあ?」
そう言って、シシシと笑う。
アホの癖にたまに含蓄ある言葉が飛び出すんだよな、こいつ。
「旦那様。先ほど妲己が言いかけていた事は、いつかは知る必要がありますがそれは今ではありません。というか、知っても解決しない悩みが増えるだけですわよ?」
こちらも手づかみでケーキを食べ、ペロリと指先についた砂糖をなめとるアリス。
こら、行儀が悪いぞ!
「誰も見てないから良いのです」
きっぱりと言い切るアリス。
言い切られるとこっちが間違ってる気がしてくるから恐ろしい。
「問題を抱えて悩む旦那様の姿は《《そそり》》ますが、あんまり抱えすぎるとわたくしを構ってくれなくなりますからね。それは良くありません、全く良くありません」
ひどい理由だ!
ちゃんと毎晩構ってるじゃん!
「足りません」
えぇ……?
まだ足りないの……?
「お主ら、わらわをほったらかしにしてイチャイチャするでない! わらわに構え! ちやほやしろ!」
妲己が口いっぱいにケーキを頬張りながら抗議してくる。
リスみてえだな。
無視する。
「まぁ、冗談はともかく。目の前の懸案を片付ける必要があるのではなくて?」
アリスがティーカップを傾けながら、こちらに流し目を向ける。
紅い目が、真っすぐこちらを見つめている。
「確かになあ……例え人違いでも、何が起きているのか把握はしておきたい」
なんか大事になってる気配がひしひしと感じられるんだよなあ。
「わたくしも正直、少し嫌な予感がしますの」
表情に影を落としつつ、アリスがそんなことを言う。
あぁ、確定じゃん。
お前が言ったら確定じゃん。
「妲己、その白の聖女の目撃情報について、調べはついているか?」
表情を引き締め、妲己に尋ねる。
妲己はむぐむぐと食べながら、聞かれることをわかっていたかの様にさらりと答える。
「村から町、町から町へ噂が伝播しておるようでな。もうかなり広範囲に広がっておる」
なーんかこいつに手玉に取られてる気がするんだよなあ、情報の出し方からも。
アホっぽく見せてるのも演技か?
……いや、あれは素だな。
「慌てるでない。ちゃぁんとお主が欲しい情報も揃えておるよ」
俺の沈黙を勘違いした妲己が続けて言う。
どうやら俺の心が読めるとかそういう事ではないらしい。
ニィ、と笑う金色の狐。
「本来は対価を頂こうと思っておったが……菓子の礼じゃ」
ふい、と指を動かす。
指先から生まれ出でた金の光が、壁に掛かっている地図へ向かい一点を示した。
「話を精査するに、おそらくここにある村で初めての施しが行われたはずじゃ」
その場所は、妲己が初めに言った通り、俺とアリスが落ちてきたあの場所からそれほど離れていない場所であった。
「そして、噂の拡散が始まった場所が、ここじゃ」
金の光がもう一つ灯る。
そのあたりには大きな町があったはずだ。
「……誰かが、意図的に噂を広げている……?」
「そうなるの。だから、わらわは何かが起きているのは間違いないと考えておる。それにな、この現象は《《あの時》》と同じじゃ」
「あの時……?」
妲己には珍しく、憂いを帯びた顔で答える。
「前の白の聖女が現れた時、よ」