第58話 教導者、あやまる
「─────……! ロッテか!」
俺たちがとっさに身構えたことに気付いたのだろう。
両手を広げ、こちらに危害を加える気がないという意思表示をしながら、ロッテがこちらに歩いてくる。
……いつもより足取りがしっかりしている?
体調が回復しているのは嬉しいが、なんで髪の色とか変わってるんだ?
いくつもの疑問が浮かんでは消えていく。
「おかえりなさい」
どう反応していいか分からない我々を尻目に、ペタペタ歩いて俺の腰にへばりついた。
体温を感じる、平熱だ。
熱が引いたのは間違いないだろう。
あぁ、この子は間違いなくロッテだ。
身体から力を抜く。
警戒する必要は無い、大丈夫だ。
そんな俺を見てルー・ガルーも戸惑いながら警戒を解く。
頭をぐりぐりと俺の腹に押し付けているロッテの頭を撫でる。
うん、色が変わっただけで手触りも変わらないな。
むしろ前より髪質が良くなっている気がする。
そんなことある?
そんなロッテの脇に手を差し込み、持ち上げる。
抱き上げられた猫のように、力を抜いてされるがままになるロッテと目が合う。
瞳の色も変わっとるやんけ!
アリスを思わせるカラーリングになっちゃって! この子は!
にへらと笑うロッテ。
「おきたら、かわってた」
本人的にも問題は無いらしい。
「そうかー、体調はおかしくないか? 熱とかないか?」
「げんき!」
うむ、いつものロッテだ。
元気なのはいいことだ、いつもだるそうだったからなこの子。
根本的に体が弱い、小さい頃に栄養が取れなかったことが原因だろう。
とりあえず問題はなさそうだと安心してロッテを地面に下ろすと、アリスが音もなく近寄ってきた。
そしてしゃがみ込み、ロッテと目を合わせた。
「…………──────────!」
びくんとロッテが跳ねる。
「…………」
「…………」
沈黙。
「あらあら、あらあらあら! 旦那様! 旦那様!」
急にアリスが立ち上がり、こちらに顔を向けて興奮したように叫ぶ。
白い頬に朱が差している。
珍しい。
彼女は両手を広げ、陶然とした表情で声を上げる。
「芽吹くことがないと思った種が、芽吹きましたわ! 芽吹いてつぼみまで付けましたわ!」
滅多に見ないほど興奮している。
彼女の興奮に、空間が色づく。
色づき、ねじれ、さざめく。
ぎちり、ぎちり。
「孵る事がないはずの卵が孵りましたわ! 生まれるはずのない雛が殻から出ようとしていますわ!」
ぎちり、ぎちり。
「なァ!? これはッ!?」
ビビり散らかすルー・ガルー。
大丈夫だよ、興奮してるだけだから。
パチンと指を鳴らす。
周りにまで波及すると騒ぎになるので、意識逸らしの術を使う。
再びアリスが、驚いて身動きが取れないロッテの前にしゃがみ込む。
目を合わせて、語りかける。
「《《ロッテ》》」
アリスが、名を呼んだ。
個を認識しない彼女が、名を呼んだ。
それはすなわち、アリスという魔王がロッテを対等であると認めたのだ。
「は……い……」
ロッテがアリスの興奮と狂喜に中てられつつも返事をする。
「貴女はもうすぐ独立した個となります。わたくしの眷属ではなく、世界から認められた個ですわ」
謳うように続ける。
「わたくしの見立てでは、次の満月に、貴女は花開くでしょう。その日をもって、あなたは人からはみ出します」
そして、優しくロッテの銀色に染まった頭を撫でる。
アリスがそうしているのは初めて見る気がする。
一緒にいる事は多かったが、触れ合うことは無かった。
「未完成ながらそこまで成長できるとは思っていませんでしたわ。褒めてあげます」
ロッテはどうしていいか分からない、と助けを求める目でこちらを見ている。
すまない、俺にはどうしようもできない。
そうゼスチャーすると、ロッテはがっくり頭を落とした。
気にすることなくアリスが続ける。
「旦那様の魔力とわたくしの魔力で成立した貴女は、言わばわたくしたちの娘のようなものになります」
「!?」
驚いて再び顔を上げてこちらを見るロッテ。
すまない、俺も知らなかった。
「人は同じ血が流れている他人の事を家族と呼ぶのでしょう? それならば、わたくしたち3人は同じ魔力が流れる、家族です」
そういうものなのか?
血が繋がってたら家族なのか?
それが家族の定義なのか?
俺にはよくわかんねぇや。
でも。
「幸せになりましょうね、ロッテ。旦那様」
微笑むアリス。
その顔を見ていると、細かいことはどうでもよくなってきた。
そうだな。
それは、きっと良いことだ。
たぶん、俺が死ぬほど欲しかったものだ。
死んでも手に入らなかったものだ。
それがやっと、手に入ったのだ。
アリスが手招きする。
俺は誘われるようにふらふらと近寄り、その手を取る。
3人で手をつなぎ、ぎこちなく微笑み合う。
まるで子供のおままごとだ。
でも、悪い気はしない。
アリスがロッテを抱き上げ、頬擦りし始めた。
ロッテはどうしていいのか分からない猫のように、全身に力がはいったままされるがままだ。
可哀想に顔が引き攣ってる。
……それは娘に対する可愛がり方じゃなくて、ペットに対するものでは?
まぁ、急に家族って言ってもよくわかんないよな。
実は俺もよくわからん。
ゴメス達にとって俺は親父みたいなもんらしいが、実感はなかった。
でも、最近夫婦ってのはちょっと分かるようになってきた。
お互いを愛し、尊重し、慈しみ合うものだ。
利害を超えたものだ。
先導するのではなく、共に歩むものだ。
だからさ、ロッテもアリスもやってたら分かるようになると思う。
少しずつ慣れていこう。
幸い、俺達には時間だけはあるんだから。
悲痛な叫び声が、聞こえた。
「わ、私はどうすればいいのか!? こんなものを見せられて私はどうしたらいいんだ!?」
ルー・ガルーが青ざめた表情で頭を抱えている。
ふらふらと後ずさる。
「私への当てつけか!? 何でこんなひどいことをするの!? ふざけるなッ!」
持て余した感情を空に向けて吠える。
その声は怒りと哀しみが入り混じった、酷く心に響く声だった。
その叫びを聞いて、俺も青ざめる。
俺はなんて物を、彼女に見せた!?
家族を失って苦しんでいる女に、新しい家族が生まれる瞬間を!?
なんて、なんて惨いことを。
アリスとロッテがきょとんとした顔でルー・ガルーを見ている。
そうか、事情とか全然知らないからな……。
「……すまない。俺も予想外だった。いや、それは言い訳だな。すまない」
地面に膝と手をついて、ルー・ガルーに頭を下げる。
「あああアああああァああアあああァ!!!!!あ゛あアああああァあああァ!」
頭を掻きむしる音が聞こえる。
悲しみの叫びが聞こえる。
数秒が何時間にも感じられた。
頭を下げつづける俺の腕を引いて無理矢理立たせて、ルー・ガルーが小さく呟く。
「……いや、彼女たちは私の過去なんて知らないわけだしな……。配慮しろとはいえないさ。それに、純粋に、うらやましいとも、思う。だから、謝罪は、いらない」
訥々《とつとつ》と、絞り出すような、言葉。
「そう、か」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
俺の謝罪では、彼女の心は癒えない。
それが分かったから。
「私もな、お前たちには、幸せになってほしいと思うよ」
そう言って、彼女はどこか陰のある空虚な微笑みを俺に向けた。
そして、俺の背中をぽんと叩いてから歩き出した。
「さぁ、報告が終わるまでが遠征だ! さっさとやるぞ!」
明るく、寒々しいほど明るい声だった。
顔は、見えなかった。
この出来事が、少しずつ彼女を壊していくことになる。
大型地雷起爆!
なんか行動だけみたら浮気相手に詫び入れてるみたいですね。