第56話 団長、思索する。
歩きながら、思考の海に沈む。
隣を歩いているヴァイスをちらりと横目で見ると、彼も考え込んでいるようだ。
悩んでいる我々とは裏腹に、クランベル領都への帰途についている遠征隊の足取りは軽い。
クラン「フェアトラーク」の協力もあり、今回の調査は成功裏に終わったと言えよう。
成果が上がった遠征の帰り道というのは何度経験してもよいものだ。
いつもこう上手くいけば良いのだが。
だがそう喜んでばかりもいられない。
今回得た情報は、あまりにも精査や上に報告せねばならないことが多すぎる。
正直な話、どこから手を付ければいいか考えたくないレベルだ。
まず考えねばならないのは、ウルルが嗅ぎ取った「《《破滅の匂い》》」だろうか?
普段のあの子の受け取る情報は、割とぼんやりとしたものが多い。
嗅ぎ取る力は他の追随を許さないが、判断に困る情報であることも多い。
なんとなくふわふわな気がします!とか言われても困るのだ。
なんだそれ。
もうちょっとこう、何とかならないか?
力を連続して使ったせいか、ややふらふらしているウルルの方向に視線をやる。
いままでも何度かあったが、心配だ。
そんなウルルだが、基本的に間違った情報を嗅ぎ取ることは無かった。
あとから「あぁ、あれはこういう意味だったのか」と分かることも多い。
ちなみにふわふわは羊の魔物のことだった。
見た瞬間、全員が「これの事か!」となったのが懐かしい。
そんな彼女がはっきりと「《《破滅》》」というネガティブな情報を感じた事は、大きな懸念を抱かざるを得ない。
まだ情報を精査しなくてはならない段階だが、ヴァイスがなにか引っかかるものがあったらしい。
しかし《《女》》、か。
ちらりとヴァイスを見る。
珍しく眉間に皺を寄せて何かを考えている。
ヤツは飄々としている所があるが、今回のこれは深刻な情報と感じたのかもしれない。
こいつはとにかくそういう女に縁があるらしいからな……。
以前引っかけた女の中に、何らかの関係がある奴がいると感じたのかもしれん。
まぁ、何らかの心当たりがあるならば、こいつに任せていいだろう。
実力は折り紙付きだ。
助力が必要というならば手を貸すこともやぶさかではないが……。
「ルー・ガルー、破滅の匂いがする女とやらは俺が追おう」
ボソリとヴァイスが私に聞こえる程度の声で呟く。
あぁ、やはりなにか心当たりがあるのか。
「……なにか分かったら知らせろ」
「あぁ、町に帰り次第すぐに動くつもりだ」
こちらを見ずに、小さく頷くヴァイス。
そんな会話をする私たちを、アリスはニコニコしながら眺めている。
この女もよくわからん。
全く分からん。
敵意は感じない。
だが、それは味方であることとイコールではない。
それは分かっているのだが、この女にはヴァイスしか見えていない気がする。
つまりヴァイスと敵対しなければ問題は無い……という事にしておこう。
敵対する予定もない。
なんというか私に絡んでくる気配もなかったから、なんとなく存在が許されている感じはするが、こいつも色々と放置するにはやばいと思う。
これは勘だが、アリスはすぐに破裂する爆弾ではないと思う。
油断すると手遅れになっている怖さはあるが、四六時中見張っているわけにはいかない。
あぁ、フェアトラークのクランハウスに騎士団から一人駐在させておくのもいいかもしれんな。
メリッサが結構馴染んでいたから、あいつに任せるか。
アリスについては、全てヴァイスに任せる。
他に方策が思いつかん。
もう知らん。
この問題を考えるのは後回しだ。
それも最後尾の方でいい。
《《災害》》が起きるかどうかなんぞ、考えても仕方がないともいう。
溜息を一つついて、次の懸案に切り替える。
魔王と言えば、あの魔王同盟の《《金色の狐》》もだ。
あんな奴がくるなんて、予想外もいい所だ。
奴はヴァイスと友誼を結べた事に満足して帰っていった。
また来るとの事。
来んな。
そもそも魔王同盟のスカウトが来るというのは、想定内だった。
ただ、下っ端の魔族辺りが来ると想定して罠を張っていた。
結果として、その罠はずたずたに食い破られた。
その上、餌まで喰われるところだった。
失態だ。
ウルルの力で挽回はできたが、そもそもの作戦が間違っていた。
ヴァイスは気にしていないようだったが、それに甘えるわけにはいかん。
だが、欲しかった情報は得る事が出来そうだ。
《《私の仇》》。
私の家族を奪った、憎き仇。
これまでどれだけ探っても分からなかった仇を知る事が出来る。
お飾りと言えども盟主だ、きっと確度の高い情報が手に入るはずだ。
知らず知らずのうちに拳に力が入る。
あぁ、だが。
だが、私の復讐心はすっかりすり減ってしまった。
以前の私だったら、今すぐ情報を寄越せと喚き散らしていただろう。
仇を探し始めた1年目は、がむしゃらに怒りに支配されるまま走り回った。
5年経ち、一人で探すことの限界を感じた。
10年経ち、教会の枢機卿と出会い、力を借りることにした。
20年経ち、騎士団を率いて仇を探す合間に仕事をした。
30年経ち、仕事の合間に仇を探している自分に気付いて愕然とした。
なんということだ。
……私の、私の復讐心とはその程度のものだったのか。
だが……だが、怒りは……怒りという焔は、燃料がないと燃えないのだ。
復讐心という燃料が少しずつ失われている実感が私を焦らせる。
人より永きを生きるエルフとて、30年はそれなりに長い。
今回の情報は、私の復讐心の最期の薪になることができるだろうか。
仇を目の前にして、私は。
もう一度、燃え盛る怒りの炎を宿すことができるだろうか。
自分の命と引き換えにしても、相手を葬り去る意志を持つことができるだろうか。
心のどこかで「もう十分やった」と囁く弱い私がいる。
あぁ。
あァ。
もう。
もうすっかりあの子の顔もぼやけてしまった。
愛しい愛しい我が子の顔。
そして、あれだけ愛した夫の顔も。
声も。
塞がることは無い、埋まることがないと思っていた傷を。
《《時間という薬が癒してしまう》》。
忘れたくない。
諦めたくナイ。
ミトメタクナイ。
そのはずなのに。
ウルルが笑っている姿を見ると、穏やかになってしまう。
この日々かいつまでも続けばいいと思ってしまう。
彼女は《《娘の代用品》》のつもりだったのに。
私は何と残酷で浅ましいのだろうか。
家族を亡くして、頼るものがない子供をそんなふうに見るなんて。
ウルルが私の騎士団に配属されたのは、偶然でも何でもない。
彼女の力が暴走した時に、速やかに斬るためだ。
そう、《《私はあの子を殺すためにいる》》。
勇者の力を有効活用するための安全装置というヤツだ。
最初はそのつもりだった。
情を掛けることなく殺す事など容易いと思っていた。
暴走の片鱗が見え次第、斬るつもりだった。
ウルルはボス、ボスとよく懐いた。
あの子はよく遊び、よく泣き、よく笑った。
彼女を助けたのが私たちだったという事も原因の一つだったのだろうが、警戒する事なく懐いてくれた。
生来の明るい性格に、団員達も絆された。
1年経ち、2年経ち。
いつの間にか、あの子は大切な家族になっていた。
今度の家族はきちんと守り切ろうと心に決めた時、あの子の症状が判明した。
勇者スキルが常に発動し、代償を払い続ける。
通常の何倍もの速度で成長するあの子を見て、驚き、悩んだ。
枢機卿の見立てでは、あと数年で限界を迎えるらしい。
《《娘を再び失ってなるものか》》。
私は四方八方手を尽くして、解決法を探した。
スキルを封じるスキルは珍しいが、無い事はない。
そう楽観視していたが、それらは軒並み効果が無かった。
『勇者スキルは、我らの干渉を受け付けません』
封印スキルの研究者から、申し訳なさそうに告げられた。
絶望した私に枢機卿が囁いた。
『貴女が今度の教皇選でワタシを支持するなら、いい事をお教えしましょう』
一も二もなく飛び付いた。
ヤツから教えられたのは、神話の時代より伝わる秘跡の情報。
悪神の権能を封じるために編みあげられた、神秘。
《《真なる勇者の命と引き換えに、神の権能を封じる儀式》》。
秘跡「神縛りの儀」を。