第55話 司書、目覚める。
目が覚めた。
熱に魘されていた筈だが、発熱に伴う倦怠感を全く感じない。
自分の額を触るが、熱は感じない。
熱がある人間が触っても分からない気もするが、なんとなく下がっている気がする。
ゆっくりと上半身を起こして、手を握ったり開いたりしてみる。
問題なし。
結構な高熱だったので、運動機能に影響が出る可能性も危惧していたが問題は無いようだ。
全く影響がないかどうかは改めて調べる必要はあるだろうが、少なくとも痛みを感じたり逆に麻痺している部分もなさそうだ。
少しだけ、ほっとする。
成長が遅いだけでなく、運動にまで支障をきたすとなると今後の計画に差し障る。
アリスさまや先生に相談して調べてもらう必要があるだろう。
しかし、すこぶる快調だ。
身体的なものだけでなく、精神的な部分もだ。
気分がいい。
頭はすっきりと澄み渡り、思考は霧が晴れたよう冴え渡っている。
ここまで身体の具合が良かった事が、私の人生であっただろうか?
大体いつもどこかが悪かった気がする。
悲しい人生である。
そこまで考えて気付いた。
おかしい、これは明らかにおかしい。
良い方向であるが、これは明確な《《変化》》である。
そして、変化には必ず理由がある。
そう、必ずだ。
私はこういう変化が気になる質だ。
生き死にに関わるなら特に知っておく必要がある。
もしいつもこの状態を保てるならば、それはどんなにすばらしいことだろうか。
もう一度、丁寧に自分の身体の違和感を探る。
どこだ、どこが違う?
手足か? 内臓か? それとも脳か?
どうせやることも無いのだ、しらみつぶしに調べよう。
目を瞑り、ゆっくりと体内を探る。
みつけた。
《《魔力だ》》。
私の魔力が変質している。
より正しく言うなら、シャルロッテの魔力が馴染んだ。
今まで触れる事すら出来なかった力が、私の物になった。
彼女の微かな意識さえも、溶けて混じり一つになっている。
混ざり合わない魔力が体内にあったため、それが全身の魔力の流れを悪くしていたのだが、それが解消している。
どこかにひっかかることなく、淀みなくスムーズに指先まで魔力が通る。
今なら少し難しかったスキルの発動も可能かもしれない。
呆然としつつも、笑みが零れる。
これか。
アリスさまが言っていたのは、これか。
『なるべく、わたくしや旦那様の傍にいなさいな』
それがどう云う結果に繋がるのか尋ねても微笑むばかりで教えてもらえなかったが、それはあの方なりの茶目っ気だったのだろう。
感謝だ。
感謝しかない。
この欠陥品だった身体でこんな気持ちになれるなんて。
おそらく、先生とアリスさまの魔力を譲り受けたのだ。
二人の魔力で、私の中のシャルロットの欠片が馴染んだのだ。
固まった絵の具を水で溶かすように、少しずつ混ざるように。
涙が頬を伝う。
もしかしたら魔力の淀みにより成長が阻害されていたのかもしれない。
そうなると、私にも成長期が来る可能性がある。
大人の身体になれるかもしれない!
年相応になれるかもしれない!
そう考えると、視界が一気に広がった気分になる。
身体が成長しない事は極力気にしないようにしていたが、やはり私のコンプレックスだ。
ウルルと私、足して2で割れたらどんなに良いか。
「ロッテちゃ~ん! お加減はどうですか~?」
ベッドで夢中になって魔力を回していると、能天気な挨拶と共にアンナとマルティナがやってきた。
なんだかんだ世話になったし、礼を言う必要があるな。
そう思い、部屋の入口に顔を向ける。
「「えッ」」
ガチャン!
二人は私と顔を合わせた瞬間、奇妙な叫び声を上げて動きを止めた。
マルティナなんて手に持った私の朝食と思しきモノを床に落としてしまった。
お腹空いているんだけど、替えはあるのだろうか……。
じっと床に落ちたパンを見る。
……スープはダメだが、埃をはらえばパンは食べられるのではないか。
アンナとマルティナがパタパタと駆け寄ってきて私の顔を覗き込む。
一体何なのだ。
そんなに私のプリティなフェイスが気になるのか。
よかろう、好きなだけ見るがいい。
先生はかわいいと言ってくれるし、近所のおばさまたちにもお褒めの言葉を頂いているから多少自信はある。
……小動物的可愛さの可能性もあるが。
「このクソ生意気な反応はロッテちゃんで間違いなさそう」「びっくりした」
二人が安堵のため息らしきものをついて、二人は顔を見合わせる。
……?
思った反応と違う。
「ロッテちゃん、気付いてないの?」
「なにが?」
私の返事に、駄目だこりゃという反応をするマルティナ。
何だというのだ。
アンナはちょっと考えた後、私の脇に手を差し込み持ち上げた。
ひょいと軽々と持ち上げられ、小脇に抱えられる。
何という屈辱。
もうちょっと丁寧に運んでほしい。
「たぶん、これは自分で見たほうが早い」
アンナが早足で歩きながらそう答える。
見る……?
プラプラと揺れる不健康なまでの白さを持つ自分の手足を眺めながら、おとなしく運ばれる。
恐らく広間にある鏡まで連れていくつもりなのだろう。
クランハウスの広間には、なんと貴重で高価な大きな姿見の鏡が設置してあるのだ。
先生曰く『自分の姿を自分で見ることによって、身だしなみを整える意識を持てるようになる』だそうだ。
さすが先生何でも知っている。
実際、鏡を置いてからみんな多少は小奇麗になった気がする。
山賊一歩手前の連中も、なんとか冒険者と言い張れる程度に改善した。
ゴメスなんか頭を布で磨いていた。
それは少し違うと思う。
女性陣はと言うと、朝から化粧道具を持って列を成している。
ジークの時はピリピリして戦争一歩手前になっていたが、最近は先生が仲裁に入り、各自時間をずらしてグループでローテーションを組むなどの対策が組まれた。
さす先。
まぁ、私には化粧なぞ必要ないがね。
「そういう所が生意気なのよ……」
げんなりとした声でアンナが苦言を呈してくる。
おっと、心の声が口から出ていたか。失敬失敬。
ぺろりと舌を出す。
「あははは、もうすっかり元気みたいだね」
マルティナが朗らかに笑う。
この雰囲気は真似できないが、素敵だと思う。
そんなやり取りをしているうちに目的地に到着し、アンナに鏡の前に立たされる。
「ん」
鏡を指さす。
ちゃんと喋り給え。
言葉は伝えるためにあるんだぞ。
鏡に映った自分を見る。
「えっ」
思わずそんな声が出てしまった。
「ほらね」「だから言ったでしょ」
外野からそんな声が聞こえるが、私はそれどころではなかった。
髪が、《《銀色》》に染まっていた。
瞳が、《《紅》》に染まっていた。
正しく言うと、前髪は一房だけ黒だ。
銀の髪もあの方のような輝くような色ではなく、やや黒みがかった銀灰色と言った方がいいかもしれない。
瞳の色は鮮やかな紅ではなく、沈みかけた太陽を思わせる優しい色合いだ。
私は元々濃緑色の髪と薄茶の瞳だったので、違和感がものすごい。
誰だよこれ。
「なんでそんな色に変わっちゃったの?」
マルティナがそんなことを聞いてくる。
知ってたらこんなに驚くわけないだろ。
何が原因かなんて──────────「あっ」
あるではないか。
飛び切りの変化が。
アリスさまの銀、先生の黒。
原因は明らかだ。
「あ、やっぱり心当たりあるんだね」
「まぁ、別に中身が変わってるわけでもなさそうだし、問題は無いのかな……?」
能天気二人組はのほほんとしている。
もう受け入れたらしい。
流石はあの先生の教え子というしかない。
適応能力が高すぎる。
「あーあーあー、うん、なるほどねー」
ペタペタと自分の顔や髪の毛を触る。
うん、この完全無欠の美女は私だ。
色は変わったが身長が伸びたとかはなさそうだ、残念。
「一人で納得してないで話しなさい! 身体に問題があるわけじゃないのよね?」
私の看病をしていたアンナが心配そうに尋ねてくる。
ツンデレさんめ。
ふむ、何も言わないのは不義理というものか。
何と答えるべきか。
…………。
うむ、馬鹿正直に言うのは下の下だな。
嘘を言わない程度に、説得力のある言い訳は無いかな。
しばし考えて答える。
「たぶん、アリスさ……んの仕業?」
「あー」「あー」
納得してくれた。
言っておいて何だが、それでいいのか君たちは。
この時、私は身体の変化を把握することに精一杯で、己が魔王として花開きつつあるという事実に気付いていなかった。