第53話 教導者、手を掴む。
「はっ!?」
目を開くと視界いっぱいのアリスの顔があった。
至近距離で目が合う。
紅い、紅い瞳。
出会ったときから変わらない、吸い込まれそうな美しい紅。
しばし見つめ合った後、自分の状態に気付く。
……アリスに膝枕されてるのか。
程よい弾力の太ももが心地よい。
ジズの結界で暮らしてるときは結構な頻度でやってもらっていたが、降りてきてからは初めてかな?
「……なんかひどい目に遭った夢を見た」
溜息と共に、ぼやく。
「ほほう、どんな夢ですか?」
アリスがにやにやしながら答えてくれる。
アリスに優しく頭を撫でられ、瞼を閉じる。
心地よい。
「金色の狐に食われそうになる夢」
怖かった、すごく怖かった。
すげえリアルな夢だった。
小動物たちは常にアレの恐怖と戦って生きているんだなあ。
まだあの口内の牙とてらてら肉色に輝く舌の色が忘れられないぜ……!
「あらまあ、それは怖かったですわね」
「うん」
柔らかく撫でられる。
落ち着く。
「まぁ、夢じゃないんですけど」
アリスが撫でる手を止め、近くを指さす。
つられて視線を向ける。
ちょっと薄汚れた妲己が首から「私は悪いことをしました」という板を下げて、正座していた。
「のう、もう正座やめていいかのう?」
「だめです」
「目の前でイチャイチャされてつらいんじゃが」
「だめです」
「夢ではなかった、か───────」
そんな気はしていた。
体中に金色の毛がついてたからね……。
視線を妲己から逸らし、空に向ける。
そろそろ夜明けか…。
星空の星が少しずつ払われ、空になる。
星は見えなくなるが、そこにある事には変わりない。
夜の帳が上がり、新たな一日が始まるのだ。
「現実逃避するのもいいですけど、そろそろ向き合いましょうか?」
アリスが俺の頭を掴み、無理矢理妲己の方向に向ける。
メギリ。
人間の首はその方向には曲がらないから気を付けような。
「はい……」
観念して膝枕から起き上がり、妲己に改めて向き直る。
はらはらと金色の毛が落ちる。
換毛期かな?
なぜかちょっと土埃に塗れてはいるが、こちらを圧倒するような存在感は健在だ。
金色の美しき獣。
輝いて見えるほどの美。
魅了してるように見えても仕方ねぇな。
「妲己」
意を決し、声を掛ける。
びくりとその小さな肩が揺れる。
お前魔王だろ、なんで叱られる子供みたいな反応なんだよ。
そして恐る恐るといった感じにこちらを上目遣いで見ている。
おとなしくしてるとホント美人なんだけどなあ。
ギチチッ。
アリス、尻摘まむのやめて。
お前も系統は違うけど美人だから!
「すまないが、お前と共に歩むことはできないんだ」
尻を摘ままれながらも、きっぱりと妲己に告げる。
「ぬう」
九本の尻尾がへにゃりと力なく垂れる。
自分がものすごく酷いことをしている気分になる。
でも来るもの全部受け止めるわけにもいかないからなあ。
魔王同盟の件もあるし。
気まずい沈黙が流れる中、意外なことにアリスが口をはさんできた。
「女狐、ちゃんと自分の口で言いなさい」
というか妲己の事、女狐って呼ぶのな……。
この感じ、昔の知り合いっぽいな。
後で聞くか、必要なら話してくれるだろう。
妲己はそれを聞いて、指を付き合せてもぞもぞした後に意を決したように顔を上げた。
「お主、とりあえず友達……知り合いから始めてもらえんかの……?」
「え」
思わずアリスの顔を見る。
アリスはうんうんと頷いている。
なにがうんうんなんだろう。
困惑の表情を浮かべていると、アリスがにこやかに付け加えた。
「自分の旦那様がモテるのは、かなり気分がいいのですわ!」
最低の理由だ!
「まぁ、それ以外にも《《魔王の知り合い》》は作っておいて損は無いと思いますの」
「魔王の知り合い、ねえ……」
ものすごい違和感のある言葉だ。
「だが、魔王同盟が─────」
「その件に関しても問題は無い」
疲れた顔のルー・ガルーが言葉を被せてきた。
いたんだ。
「なんだその顔は。こいつらの仲裁をしたのが誰だと思うんだお前は! ウルルは倒れるし! お前は起きないし! アリスは暴れるし! 狐は泣くし!」
胃を押さえながら絞り出すような声を上げる。
「あっ」(察し)
よく見るとルー・ガルーも土埃に塗れているし、顔にはひっかき傷までできている。
鎧もボコボコで髪もめちゃくちゃになってる……。
「ハァー…………」
ものすごい大きなため息をつかれた。
「まぁ、いい」
いいのか、どう考えてもよくないだろ。
流石の器の大きさである。
俺だったらもっと怒ってる。
「この狐から事情聴取したんだが。とりあえず分かったことが一つある」
座った目でルー・ガルーが言う。
「こいつ、お飾りの盟主だ」
「あぁ……」
思わず深く納得する。
こいつが組織に必要とされたのは、ネームバリューだけか。
かわいそう。
確かに見た目だけは抜群だ。
「なんじゃ、その『だろうな』って言う声は!」
妲己が正座したまま不満の声を上げる。
黙れ。
お前、出てきてからの自分の行動振り返ってみ?
「今回一人でお前のスカウトに来たのも、独断で。その他にも色々な偶然が重なった結果のようだ」
額に手をやって首を振るエルフ。
聞き出すの大変だったろうなあ、お疲れ様です(他人事)
「うむ、なんか幹部連中が留守での! 暇してたのがわらわしかおらなんだ。そこにホンゲ……なんとか言う魔族からの報告が上がってきたのじゃ! それでちょっと調べたらお主が見つかった次第よ!」
ニコニコしながら妲己がしょうもない事実を告げる。
「ホンゲなんとかは特例で10階級特進させておいた!」
「10!?」
逆にイジメじゃねぇのか、それ!?
「泣いて喜んでいたぞ!」
それは違う涙では?
「他の幹部には何も言わずに出てきたからの。わらわとお主だけの秘密のカンケイじゃ! これは《《運命》》……じゃの!?」
違うよ、全然違うよ。
お前の言う運命が何か分からないよ。
「こいつ、同盟の組織系統すら知らなかった。構成員も全く分からんらしい」
ルー・ガルーが妲己を指さして頭を抱える。
「部下もおらんぞ」
胸張って言う事か?
「お前、本当にダメな子だな……」
その場にいた全員が、憐れみを込めた目で妲己を見る。
「そんな目で見るなあ! 文句言われるより悲しくなるじゃろ!」
じたばたしてさらに土塗れになる妲己。
出てきたときの威厳はどこに……?
俺、本当にビビったんだぜ?
「腹立ちまぎれに斬り付けたら、剣が折れたし散々だ! こいつ傷一つつかないし! なんなのこいつ!」
「おおう……」
よく見ると、ルー・ガルーが腰に下げていた剣がなくなっている。
ルー・ガルーはため息をついた後、肩をすくめて予想外の言葉を口にした。
「だが、こいつに私の仇と思しき存在を調べてきてもらう事を了承してもらった」
「うむ、《《対価》》がもらえるならそれくらい構わんぞ」
えっへんと胸を張る妲己。
躊躇いなく裏切るのな。
よくそれで盟主って名乗ったな、お前。
「……ん? 《《対価》》?」
ちょっと引っかかったので聞いてみる。
ルー・ガルーはにっこり笑って俺を指さした。
「《《お前》》」
「え!?」
「お前の友達になることを許可した」
「は!?」
「私とお前の仲だろぉ? それくらいいいじゃないか」
肩をポンポンと叩かれる。
「ウルルが探してくれたからお前は助かったんだ、それくらい目を瞑ってくれ」
耳元でボソリとつぶやかれる。
そう言われると断れねぇな。
正直、食われかけた恐怖がまだ忘れられないが。
おしっこ漏らすくらい怖かった。
しかし、これもまた縁か。
古から生きる神話に謳われる魔王と知己を得るのは、まあ悪いことではないだろう。
たぶん。
溜息をついて、頭をガシガシ掻いて妲己に近づき、手を伸ばす。
なにも障害がないならば、いくらでも手を伸ばそう。
俺の手の届く範囲ならば、俺の信念に背かない限り。
妲己はちょっと視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。
彼女の小さな手が、恐る恐る俺の手を掴む。
きゅっと力を込めて、握る。
ちょっと高めの体温を感じる。
「妲己、よろしく頼む」
笑顔で、言う。
「わらわも! よろしくたのむのじゃあ!」
そう言って、妲己は輝くような笑顔を浮かべた。