第51話 教導者、恐怖する。
「なんでじゃあああああああああああああああああ!!!!?」
妲己が驚愕の表情で叫ぶ。
キーンと耳鳴りがする高周波だ!
視界が揺れる。
だ、妲己ちゃん! 耳元で叫ばないで!
拒否されたことに対する驚き、悲しみ、悲哀を感じる。
断られるなど少しも思わなかったらしい。
「エルフは仇を取れてうれしい! お主は手伝いが出来てうれしい! わらわは要らないものを捨てれてうれしい! 三方よし! みんな幸せではないか!」
要らないのかよ。
「いや、それだと俺が友達に殺されちゃうんだけど」
「それは知らぬ!」
えぇ……?(困惑)
妲己のふわふわ尻尾に拘束されて、力一杯揺すられる。
「折角の! わらわの! 誘いを! 断るというのか!」
涙目になって揺すられる、がっくんがっくん揺すられる。
うぼおおおおおおお!? 視界が揺れるッ!
華奢な見た目の癖にこいつも力強ッ!
以前も同じような目に遭ったような気がする。
「なんたる……なんたる屈辱! わらわに誘われたら『はい』しか言っちゃダメなの!」
ギチギチギチギチギチッ!
ギチチッ!
ぬあああああああああああ!!! 締め付けがきつくなってきたァァァァァ!?
手触り良くてふわふわだけど普通に痛いッ!
いい匂いするけど痛いッ!
「断るとかダメ!」
ダンっと地団太を踏む。
地面に穴が開く。
行動はかわいらしいが、結果はちっともかわいらしくない。
幼児退行してませんかね。
君、ほんとに魔王?
感情の振れ幅が大きすぎて、次に何してくるか予想がつかない。
こういうタイプは対処が難しい!
適当に対応するといきなり刺されたりする!(刺された)
慎重に対応したいところだが……。
くそっ! がっちり拘束されてて抜けられん!
魔王スキルも身動きとれないから、うまく使えない。
さっきから抜け出すための簡単な改変はかけてるんだけど、妲己の魔力で散らされてしまう。
尻尾の滑りを良くしたりしているのだが、毛が艶やかになるだけで終わってしまった。
なんでや。
これは恐らく妲己の強大な魔力が感情の高ぶりとともに激しく波打っているのが原因だろう。
この金色に輝く魔力の漂う空間だと、魔術の発動が阻害されてしまうようなのだ。
魔力を編んでも、揺らされて打ち消されてしまう。
もしかしてこれが妲己の力か?
なんにせよ、魔力を使った手段が制限されているのが現状だ。
これを何とかできるような大がかりな改変になると、どうしても身振り手振りが必要となるのだが、拘束されて腕が動かせないとできることの幅が狭まってしまう。
アドリブでの対応能力にはかなり自信あったんだけど、こんなところで弱点が露呈するとは夢にも思わなかったよ!
これは反省点だな……。
考えろ、考えろ! この場を乗り切る手段を!
妲己がはぁはぁと息を荒げながら、尻尾で俺を持ち上げこちらを見上げる。
なんだか微妙に澱んだ目をしている。
俺、この目知ってる。
「もういいや」ってなってる目だ!
色々手は打っているが、締め付けは全く緩まない。
それどころか金色の魔力がこちらを浸食し始めている。
あ、これ本当にマズくない?
冷や汗が頬を伝う。
話が通じる事で油断したが、こいつは敵性存在なのだ。
……話通じてたっけ?
それはともかく。
魔王になったことで、死に鈍感になっていた。
多少のミスはどうとでもなると慢心していた。
これが魔王という生き物の傲慢か。
猛省せねばなるまい。
でも、これ身構えててもどうしようもなくない?
内心ちょっとそう思った。
てか、こんだけ大騒ぎしてるのに誰も来ないってどういう事だ?
妲己の声とかめちゃめちゃ響いてるはずなのだけど!
その事実にようやく気付き、あたりを自由に動かせる首だけで見渡す。
俺が作った小さな焚火だけが辺りを照らし、静かな闇が広がっている。
人の気配は感じられない。
いや、人の気配だけじゃない。
ここには俺と妲己の魔力しか感じられない!
空間が切り取られている!?
まさかこれは……《《結界》》か!
いつの間に!?
慌てて構成を視ると、ジズの卵殻に近い結界ということに気付く。
この規模の結界を張られたのに気が付かなかった。
とぼけていても、やはり古から生きる魔王か!
内と外の時間の流れが違うとなると、応援が来る可能性が極めて低くなる!
笛を吹いても聞こえないと分かっていたから、あれだけ余裕があったのか!
まずいまずいまずい!
俺一人だとこの状況を打破するには、魔力が足りない!
「気づいたようだのう? だぁれも来ぬよ。わらわと二人きりよ」
妲己が、微笑う。
こいつ……! 嬲るつもりか!
こうなったら切り札を……切るか?
もったいないが、この前喰らった魔王の魂を使えば何とかなるかもしれない。
少しずつ消化して我が物とするつもりだったが……。
一度限りの燃料として使えば、世界新編くらいならいけるはずだ。
しかし……。
「恥をかかせてくれたのう……! これは責任を取ってもらわねばならんのう!」
はぁはぁ言いながら涎を拭う妲己。
無敵の交渉術やめろ!
見てる人いないんだから恥もくそもないだろ!
くそ! こんなしょうもないアホな状況で切り札なんか切りたくねぇ!
助けてアリス! 旦那様のピンチだよ!
己の半身に助けを呼ぶ。
アリスには俺の焦りが伝わっているはずなのだが……。
「……ん?」
妲己がスンっと急に静かになって鼻を鳴らす。
すんすんと鼻を鳴らしながらこっちに来る。
「あ、あの……なにか?」
「…………」
スンスンと黙って俺の匂いを嗅ぐ妲己さん。
これはこれで、怖い。
意図が分からず、怖い。
何を、している?
何が、したい?
俺の体臭を嗅いでいる?
何のために?
魔王になってから代謝がほとんどないから、匂いとかほとんど無いはずなんだが。
女の子に匂い嗅がれるのは普通に恥ずかしいからやめてほしいんだけど。
これも新手の攻撃か……?
いや、ねえな。
しばらく嗅いだ後、すっと妲己が顔をあげる。
「お主の魔力、《《美味しそうじゃの》》」
上気した表情で、妲己がぺろりと自分の唇をなめた。
怖気が走る。
「わらわの好みの魔力の匂いがする」
捕食者の目で、こちらを視ている。
「魂の在り方だけでなく、魔力も好みとは……これは《《運命》》じゃな?」
違います。
「そうじゃ、契約なんぞまだるっこしいことをせんで、最初からこうすれば良かったのじゃ」
妲己が笑う、嬉しそうに笑う。
「たまらぬ」
喰われる。
「いただきます」
原初の恐怖を掻き立てられた。
「いやあああああああああああああ!!!」
全力で暴れる。
恥も外聞もなく暴れる。
拘束解かないと、本当に食われるッ!
魔王になってから一番怖い!
俺、肉食動物に狙われるウサギの気持ちが今わかったよ!
切り札を、切る!
必死に魔力を練るが、上手くいかない。
おかしい。
ここまで追い詰められても、《《戦意が湧かないのはどう考えてもおかしい》》。
「カカカカカカ! 暴れるな! 暴れるな! なぁに、星の数でも数えて居ればすぐ済む!」
はぁはぁと目を血走らせながら、妲己が俺の服に手を掛ける。
「なんかちょっと違う意味に聞こえる!?」
3度目の恐怖を感じ、魔力がかき乱される。
全部、恐怖の質が違うんだけど!?
「カカカカカカ! 《《何もできぬ》》! 《《何もさせぬ》》! ここはわらわの領域内よ!」
妲己が勝ち誇った顔を近づけてくる。
小さな紅い口を開く。
小さな牙が見える。
金色の闇が見える。
これが、妲己の魂の器か。
美しい。
「一つに、なろうぞ」
その時、魂が震えた。
つながった魂が、惹きあった。
『この辺からお兄さんの匂いがする!』
声が、聞こえる。
『ちょっと下がっててください、ウルルさん!』
聞きたかった声が、聞こえる。
「ぬっ!?」
俺に圧し掛かろうとしていた妲己が顔を上げる。
ギャリン! キィィィィン!
澄んだ音を立てて、結界が割れる。
「旦那様! ご無事ですか!」
美しい銀の髪をたなびかせて半身が、来た。