第34話 エピローグその3 進むべき路
ヴァイスが目を覚ますと、視界いっぱいにロッテが映っていた。
「……ロッテ、びっくりするからやめようね」
そこ柔らかなくせ毛を撫でる。
ロッテはたまにこういう事をする。
基本的にヴァイスの事が大好きなのだ。
まぁ、ベッドに潜り込んでくるのはちょっとやめてほしいが、かわいいものだ。
そこにやましい気持ちはない。
ヴァイスが起き上がって周囲を眺めると、クランハウスの自分の部屋であった。
「……俺、どれくらい寝てたんだ?」
魔王たちとの戦闘後の記憶がない。
「2日」
ロッテが椅子に座り、足をぶらぶらしながら答えてくれる。
(二日か……魔王はやっぱり消化に悪いんだな……)
腹を抑えてそんなことを考えるヴァイス。
しばらく何も食べなくてよさそうだ。
人間離れした思考に少しだけ苦笑する。
今後は食べ過ぎないように注意しよう。
まあ、鼠と天使なんて食い合わせ悪そうだしね。
「アリスは何処に行ったか知らない?」
ヴァイスは辺りを見渡してもアリスの姿が見えなかったので、ロッテに尋ねる。
「なんかひさびさのシャバだからいろいろみてくるって」
面白くなさそうにロッテが答える。
この子は自分と話してるときに他の人の名前が出る事を嫌う。
シャバて。
アリスと離れ離れなんて久しぶりであったヴァイスは、落ち着かない様子であった。
アリスがいたなら「調教の成果は上々ですわね!」と笑顔であったろう。
まぁ、魂繋がってるから無事なのはわかっているのだが。
ロッテがじっとヴァイスの顔を見ている。
そして、意を決したように尋ねてきた。
「せんせいは、まおうになったの?」
ヴァイスはしばし考える。
誤魔化してもいい、ロッテなら多分不承不承納得した振りをしてくれるはずだ。
でも、それは嫌だった。
ロッテは聡い子だ、こちらが隠したいと思うことを暴くことは無いだろう。
だが。
教え子に嘘をつき続けるのは心苦しい。
だから正直に答えることにした。
ロッテとの絆を信じて。
「あぁ、そうだよ。この身はもう人から逸脱してしまった」
それを聞いてロッテは眉間にしわを寄せ、何かを考えているようだ。
そして震える声で再び尋ねてきた。
「じゃあ、にんげんを……《《わたしをころすの》》?」
「殺すもんか!」
食い気味に返して、震えるその身体を抱きしめた。
人間の常識から考えると、魔王は死をまき散らす悪夢である。
ロッテはその生贄となるべく育てられた子だった。
とある農村に仕事で寄った際、魔王崇拝の生贄に捧げられるところを助けて引き取った。
彼女は食事も満足に与えられず、成長が遅れていた。
10歳なのに言葉がたどたどしいのも、コミュニケーション不足によるものだ。
魔王の巫女にして、生贄。
それがロッテという少女の過去である。
だからか、以前のロッテは魔王と聞くと怯えていた。
最近はもうすっかり平気になったと思っていたのだが、そう簡単な話でもなかったのであろう。
(自分が信じていた人が魔王となったなんてショックだろう……くそ、浅慮だった……!)
「……ころさない?」
ロッテが上目遣いでヴァイスを見る。
「大丈夫だ! 殺さない! その……俺はいい魔王なんだ!」
ものすごい苦し紛れの言葉がヴァイスから飛び出す。
いい魔王って何だよ。
「……あははははははははは! いいまおうって……!」
なにかツボに入ったらしいロッテが目じりに涙を浮かべて笑う。
あぁ、よかった。
この子には笑っていて欲しい。
……気を使われたかな……?
ロッテはひとしきり笑った後、向き直ってにっこり笑った。
「わかった、みんなにはひみつにしとく」
「そうしてくれると助かるよ」
ヴァイスはほっとしてそう答える。
「せんせいと、わたしだけのひみつね?」
目を細め、ねっとりとした声でロッテが言う。
粘着質な妄執を感じる声。
ヴァイスは何も気づかないふりをした。
そういうとこやぞ。
「せんせい、このあとどうするの?」
ロッテがヴァイスの膝に乗っかり、上目遣いで聞いてくる。
「そうだな……とりあえずクランのごたごたを解決してから、みんなを就職先に連れて行こうと思っているよ」
しばし考えて答える。
(ギデオンが連れて行ったというジークも気になるし……モニカがどこに行ったのかも気になる。
話を聞く限り何かに操られていたか……そうせざるを得なかった……か?
とにかく会って話をしたい、しなければならない)
「ふーん、さいしょにむかうのはどこ?」
「そうだな、アンナを連れてセイリオンの大教会に行こうと思っているよ」
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「ねえちゃん、一人でどぉこ行くんだい?」
フードを被り顔を隠した女の行く手を粗野な格好をした5人の男たちが塞ぐ。
どの男もニヤニヤとしたいやらしい笑みを浮かべ、女の身体を品定めしている。
薄汚れた不潔な男達だ。
ここは街道からやや外れた、わけありの人間がよく通る道。
女は其処を根城にした山賊に絡まれていた。
普段は抜け荷の商人などを狙っているのだろう、手慣れた動きだ。
「……北へ」
女がボソリとつぶやく。
一人しかいない筈なのに、毛ほどの動揺も見られない。
山賊たちは答えを聞く気はなかったようで、じりじりと包囲を狭めていく。
「どこだっていいさァ……俺たちが天国に連れてってやるよお!」
女が怯えていると思ったのだろう、一人の山賊が剣を片手に手を伸ばした。
す……と静かに距離を取る女。
その際に風が吹いてフードが外れた。
そこに現れたのは、はちみつ色の柔らかそうな髪を持つ青い目をした女の顔だった。
「ひゅー! 上玉じゃねぇか! かわいがってやるよぉ!」
へたくそな口笛を吹いて下品に山賊たちが嗤う。
「……みんなお前たちみたいなクズだったら、私も心が痛まなかったんだけどね……」
フードの女……モニカが吐き捨てるように言う。
「なんでぇなんでぇ、抵抗するならちょっと痛くしちゃうぞー!」
ゲラゲラと笑う山賊。
ゆっくりとモニカを包囲し、近づいていく。
それを見てモニカは短く呟く。
「さよなら」
勇者スキル「傾国」
変化は劇的であった。
その瞬間、男達全員の表情が抜け落ちた。
瞬きするほどの時間で全員が無力化された。
5人全員がまるでどこも見ていないような、ガラス玉のような瞳になる。
そこには意志が見えない。
「あああああああああああああああああ!!!!!!!」
それと同時にモニカが膝をつく。
身体がバラバラになるような痛みががモニカの全身を襲う。
足の先から頭まで、文字通り全身だ。
あぁぁぁぁぁ!
イタイイタイ痛いいたい!
「……はじめてだから……加減がわかんない……うぐっ……強すぎたのかな……」
モニカの勇者スキルの代償は、「苦痛」。
強い力を振るえば振るうほど、身体を強い痛みが苛む。
常人ならのたうち回り、死ぬことすらあり得る痛み。
そしてその痛みは気絶を許さない。
代償はそんなに甘くない。
「はぁ……はぁ……」
たっぷり一時間は経ち、ようやく動けるようになった。
「はは……戦場じゃ……つかえないね……」
力なく笑う。
汗が顎を伝い落ちる。
空間拡張鞄から水筒を取り出し、飲み干す。
モニカが苦しんでいる間も、山賊たちは虚空を眺めていた。
それは不自然で、不気味な光景であった。
モニカは彼らに向き直り、命じる。
「私はセイリオンの大教会に行く。そこまで護衛しなさい」
「……はい」
無表情に答える山賊たち。
モニカは死を望むほどの絶望の中、思い出したのだ。
ヴァイスとロッテが以前話していた事を。
『ロッテ、セイリオンの大教会にはな、神話に出てくる秘跡が残っているらしい』
『どんなひせき?』
『色々あるらしいが、有名な奴だと悪神を封じたやつだな。
軍神が悪神を討伐する際に使った能力を封じる秘跡が現存するらしい」
『へー、そんなのあるんだ』
『一度お目にかかってみたいもんだな』
神の力を封印することができるのならば。
この神ならぬ身の能力を封じる事なんて、容易いことだろう。
ならば。
それならば!
使いたくないなら、封じてしまえばいい。
単純な話であった。
それがいかに難しくとも。
可能ならば、必ず成し遂げる。
モニカが絶望の中、唯一見つけた希望の光であった。
その為なら、こんな力なんていくらでも使おう。
それが矛盾であることなんてわかっている。
理屈に合わない事だという事も気付いている。
辻褄が合わない事だと思っている。
それでも。
それでもなお彼女は、胸を張って彼と会うためにそうすることを決めたのだ。
自分は力に振り回されなかったと胸を張って、言えるように!!
私は負けなかったと言えるように!!!
いつの間にか頬に零れた涙を拭う。
泣いてなんていられない。
モニカが最初の一歩踏み出す。
そこにはずっと流され続けた女の姿はなかった。
彼女は、己の意志で前に進むことを決めたのだ。
それが例え茨の道であったとしても、そうすることを決めたのだ。
この日から他人にずっと手を引かれていた女は、自らの足で歩き始めた。
いつしか日は暮れ、満天の星空になっていた。
彼女は向かう、秘跡の眠る地へ。
どんなに暗くても、星は輝く。
一章 完
1章はこれでおしまいです。
閑話が2話ほどありますけど。
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やる気に直結しますゆえ。