第33話 エピローグその2 クランベル伯爵家
クランベル伯爵家が治める地は辺境である。
その名の由来は「クランベリーがよく生る森」である。
地名をそのまま家名にした為、特に由緒がある名前ではない。
実は、この家は貴族としてはかなり若い家なのだ。
なにせたったの120年ほどの歴史しかないのだから。
王都にほど近い貴族には500年、600年の歴史を持つ家も珍しくないことを考えると、やはり新参者であると言えよう。
初代は冒険者であった。
平民から這い上がった、文字通りの成り上がり者である。
治める地も辺境であり魔がはびこる地に面している為、今もなお尚武の気風が色濃く残っている。
だからこそ「退魔の勇者」の名声があるとはいえ、一介の冒険者に過ぎないジークを婿に迎えるという思い切った手段にでたのだ。
「ふむ……ではジークはもうダメか?」
ギデオンから事の顛末を聞いた伯爵が発した言葉は、それだけであった。
人払いをされた謁見室で話せる範囲ですべてを話し、父であるクランベル伯爵から返ってきたのはそんな冷たい言葉であった。
ギデオンは頭に血が上りそうになるのを抑え、言葉を返す。
「……そうですな。生きてはおりますが、剣を振るうことはできますまい」
それを聞いて領主は嘲るように答える。
「そういうのは死んだと変わらん」
「……! あ、あなたは!」
思わず一歩足を踏み出しかける。
(あれだけ便利に使っておいてそれか! 俺たちが原因でそうなったんだぞ!)
父とは言え伯爵である。
怒鳴り散らしたくなる気持ちを抑え、答える。
領主は鼻で笑った後、強い口調で叱責する。
「まだまだ青いなギデオン。お前の考えていることは手に取るように分かるぞ?
ワシの言い草が気に食わんか?
ふん、顔に書いてあるわ!
貴族たるもの、思っていても顔に出すものではないわ、たわけ!」
顔に手をやり、びくりと身じろぎするギデオン。
それを見て領主はクランベル伯爵としてではなく、父としてため息とともに吐き出す。
「お前がジークを大事に思っておったのは知っておる。妹……マリアベルとの婚約を一番喜んだのはお前であるのも知っている。ワシもあやつのことは嫌いではない」
「な、ならば……!」
ジロリとギデオンを見る
「お前は老境に差し掛かろうとしているような人間を、マリアベルの伴侶にしようと本気で思っておるのか?
もし本気でそう思っているのなら、お前を世継ぎとするか再検討せねばならんな」
ギデオンは何も言い返せず、下を向く。
そのまま婿入りさせることは、誰の幸せにもつながらないとは分かっていた。
もうジークは戦えない。
戦う気持ちが折れてしまっている。
勇者スキルも失い、身体も老いてしまった。
命は助かった。
だが、助かったのは命だけだった。
下唇を血が出るほど噛み締める。
(弟分だと庇っておいてこれか! 何が兄貴分だ!)
コンコン
更に何か言い募ろうとしたところ、謁見室のドアがノックされる。
「入れ」
伯爵が短く答える。
「お父様、お呼びですか?」
静かに部屋に入ってきたのは、妹でありジークの元婚約者のマリアベルであった。
マリアベルは美人ではあるが女性にしてはやや長身で、身体つきもがっちりしている。
その為、ただでさえ辺境の成り上がり者と軽んじられているのもあって、貴族の間で忌避されてしまい結婚が遅くなっていたのだ。
マリアベル自身も気が強く、お転婆なところもありジークとの結婚は良縁であると思っていた。
深刻な顔をしているギデオンと伯爵の顔をみて、マリアベルは何でもない事のように言った。
「あぁ、ジークとの結婚がなくなったのですね?」
「おまえは…!」
ギデオンが詰め寄ろうとする。
「やめよギデオン!」
伯爵が一喝する。
それ見てマリアベルはため息をついて呆れたように言う。
「お兄様はお優しいことですわね! 人としては美徳ですが、貴族としては下の下ですわよ? だいたい、貴族の婚姻なんてそんなものでしょう?」
「ぬう……」
言い返せないギデオン。
「ジークは魔王と戦い勇敢に散った、それでいいではないですか。
……まぁ、私も多少は思うところはありますけどね……そんなに冷血に見えて?」
「……すまん」
ギデオンははっとして詫びる。
その姿を見て伯爵もマリアベルもため息をついた。
人間としては真っすぐで素晴らしいこの男を、家族としては愛しているのだ。
だが、どうしようもなく貴族としては頼りない。
マリアベルはパチンと手を叩き、空気を切り替えて伯爵に言った。
「父上、下賜する予定であったあの土地、私にまかせてもらえませんか?
そうですわね……婚約者であったジークを偲んでという名目でどうでしょう?」
「ふむ? どうするつもりなのだ?」
面白そうに伯爵が問う。
「退魔の勇者ジークの名前は使えますわ。
なんだかんだ言って人を集めるにはもってこいだと思うのです。
それなりに人にも慕われていたはずですしね。
移民を募集したら集まることでしょう。
英雄は死してこそ完成する、私はそう思うのです。
そうですね、作る町の名前はジークフリーデンとでも名付けましょう」
ギデオンは口をあんぐり開け、驚愕の表情を見せた。
つくづく貴族に向いていない男である。
「ふむ……結婚はいいのか? 跡継ぎはどうする?」
面白そうに伯爵が尋ねる。
マリアベルは笑って答える。
「別にそこまで結婚したいとも思っておりませんわよ?
ジークならまぁいっかと思ってただけですもの。
跡継ぎなんかギデオン兄さまの子でも引っ張ってくればいいだけでしょう?
よさげな子を養子にして跡継ぎにした方が領地にとってはいいとも思いますわ」
伯爵はそれを聞いて呵々《かか》と笑い、答えた。
「そこまで割り切れてるならもう何も言わぬ! よかろう、好きにせよ!」
「好きにさせていただきますわ? あ、結婚式の費用とかも全部開拓費に使いますわよ」
マリアベルもにっこりして答える。
一方、ギデオンは話についていけていない模様。
一連の流れは既に決まっていた事なのだろう。
それに気づかないこの男はやはり貴族に向いていない。
そんなギデオンを見て、マリアベルは父にもう一つお願いをすることにした。
伯爵は苦笑いしながら是と答えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ジーク、入るぞ」
伯爵家の離れでジークは療養していた。
ベッドに横たわるその肉体は見る影もなく衰えていた。
つい先日まで青年だったと言っても誰も信じないだろう。
「ギデオン……か……」
もうすっかり折れてしまっている。
名声も、若さも、未来も何もかも失ってしまった事実が受け入れられないのだ。
(良かれと思って生かしたが……やはり残酷であったか……?)
ギデオンは己の選択が正しかったのか迷いが生じていた。
「あらあら! ジークすっかりおじいちゃんになっちゃったわね!」
「……マリアベルさま!?」
いきなり入ってきたマリアベルに驚くジーク。
「その……すいません」
ジークは俯いて消え入るような声で謝る。
「何に対して謝っているのかしら?」
それを見てマリアベルは半眼で答える
「お、おい!マリア!」
ダメなお兄ちゃんが妹をたしなめる。
「……その、結婚できなかった事は……本当に申し訳ありませんでした……」
深々と頭を下げる。
「別にいいのよ、そんなこと。こういうのは縁よ」
あっけらかんと答えるマリアベル。
「そんなことよりジーク!」
びしりと指を突き付けて告げる。
「私の領地についてきなさい!」
「えっ!?」
顔をあげるジーク、何が何だか分からないといった風である。
「お前が平定したあの土地、こいつが治めることになったんだよ」
補足するダメ兄。
「な……なんで……? 俺は……もう戦えませんよ……? 勇者スキルもありません……」
「今のあなたにそんな事求めてないわよ! 欲しいのは知識と経験!」
マリアベルが笑って腕組みをして言う。
「貴方は大きなクランをまとめ上げていたわけでしょう?
少なくともその技法は学んだはずよ。
他にも魔王と戦った経験はなかなか得られるものではないでしょう。
貴方の失敗も成功も、全てを新しい領地で教えて欲しいの!」
一拍置いて続ける。
「ジーク、貴方に先生になってほしいの!」
それを聞いたジークは一瞬何を言われたか理解できなかった。
理解できた瞬間、涙が零れた。
ほろほろと涙をこぼし、答える。
「お……俺にできますか……? 俺なんかに……つとまりますか……?」
「できるわよ! 貴方は誰に教わったと思ってるの? 教わった通り教えればいいの!」
きっぱり言い切るマリアベル。
「おれは……仲間を殺そうとしたクズですよ……?」
「結果的に殺してないんでしょう? しようとした、としたでは大きな差よ! なに? またやる気なの? その時は殺してあげるから安心しなさい!」
マリアベルが腰に差した剣の柄をとんとんと叩く。
「生きなさい、ジーク。死ぬより生きて苦しむ方が勇気がいるのよ!」
「うああぁああぁぁァぁァ…………よろこんで……よろこんでお受けします……!」
マリアベルの腕を掴み、涙を流す。
嬉しかった。
まだ自分にできる事があると知って、嬉しかった。
(これはおれの、贖罪だ……ジャン……ギッセルフ……もう少し待っててくれ……)
「はいはい、仕方のない人ですわね……」
そう言って涙を流すジークをマリアベルは優しく抱きしめた。
彼女もジークという男は嫌いではなかったのだ。
(せんせい、あなたから教わったすべてを……伝えます……俺みたいな馬鹿をもう出さないように……)
ジークは幼子のように彼女に縋り付き、泣いた。
「ヴオヒッ! エフッ! エフッ! ズビビビビビ!」
それを見てギデオンも死ぬほど泣いていた。
本当に、本当によく似た兄弟の姿がそこにあった。
はい、ジークのお話はこれで《《おしまい》》です。
彼は死ぬまで自分の失敗と経験を伝え、教えるでしょう。
それが贖罪になると信じて。