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憲兵神楽坂冴子の事件簿  作者: 葛城マサカズ
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「変わらない者達」後編

 冴子は大学と内偵の為に借りたアパートとを往復する生活をしていた。


 憲兵である事を悟らせない為に中国管区憲兵隊本部など憲兵隊の施設には近づかないようにしていた。


 本部との連絡はアパートの部屋に戻ってから憲兵隊所有の端末で電信いわゆるメールにて行われた。


 そんな内偵任務をしながらの大学生生活は二週間目に入った。


 神崎一派は真面目に授業を受けていたが、一日に一回は大学のどこかでアジ演説を行った。


 「この世界を変えるのは私達だ!我々を縛る者達を打倒せよ!」


 冴子は神崎の演説を聞いて特徴が分かった。


 一見、左翼的な発言だが明確に左翼だと分かる言葉遣いはしていない。また軍部への批判はしていないなど本当に危ない発言は控えていた。


 とはいえ、大学構内だけとはいえ過激派のような演説を繰り返している事に危機感はある。


 冴子は本部へ


「明確な左翼的・共産主義的・反軍の思想は発言では判明しないものの、日常的に扇動的なる演説を行っており監視を続けるべきなり」


 と神崎一派に関して報告している。


 「高野サン、神崎サンニ興味ガアルノデスカ?」


 神崎を見つける冴子へゾーヤが話しかける。


 「あんなに毎日大声で訴えているから、何を言っているのかな?と思ってね」


 冴子はそこまで興味が無いと言う態度で答えた。


 「ソウデスカ、私ハスゴク興味ガアリマス」


 「ゾーヤは神崎さんの考えに賛成なの?」


 「ソウデスネ、同感デキル部分ガアリマス」


 「私は分からないな」


 冴子はあえて拒絶する態度は見せなかった。


 (外国人留学生に共感が広がっていたらさすがに危険度が高くなるわね)


 ゾーヤのような外国人留学生が神崎に感化されて母国で思想を広めたら神崎は立派な危険人物になる。


 (外国人留学生にどのぐらいの共感が広がっているか調べないと)


 「ゾーヤさん、あなたみたいに神崎さんに興味を持っている人は多いの?」


 「ソンナニ多クハ無イケド、何人カ居ルヨ」


 「そうなの」


 「高野サンハソレヲ知リタイノハ何故デスカ?」


 「みんなどう思っているのかな?と気になってね」


 「ソウデスカ」とゾーヤは冴子の考えを理解したと言う返事をした。


 「あのロシア人なんか怪しいと思うんだ」


 ゾーヤと別れて冴子は大塚と会うと大塚はこう言い出した。


 「私も思う。隠れシンパじゃないかとね」


 「それもあるけど。影じゃ何やっているか分からない感じがある」


 「影ねえ」


 大塚のゾーヤの見立ては冴子には理解できた。


 神崎に関しての会話も何処か探りながらゾーヤは話しているようには思えた。影のゾーヤはどんな事をしているのか?


 「少し調べた方がいいかもね」




 大塚と別れてこの日の講義も終わり冴子は大学を出て帰るかどうか思案していた。


 いつも帰る基準は神崎が大学を去ってからだ。


 冴子の内偵は大学構内だけで、外では特高の捜査員が見張っていると言う。


 神崎一派が今まで特高の捜査員を暴露して追い出す事をしていたのは大学構内だけだった。大学の自治と言う建前が立つ中で特高の捜査員に手を出す事ができたのだ。


 冴子は神崎がいつ大学を出るか伺いながら缶コーヒーでも飲みながら待っていた。


 「高野さんですね?」


 そこへ一人の大学生が話しかけて来た。


 「文化革新研究会の望田と言います。部長の神崎様が高野さんと会いたいと申しています。どうか会って下さい」


 気弱そうな望田と言う男はそう冴子へ求めた。


 口から出た神崎に対する言葉遣いから忠誠心が伺える。


 「いいですよ。会いましょう」


 冴子はここで拒めば警戒感を抱かれるのではと思い会う事にした。


 文化革新研究会の部室は部室棟の中でも一際目立った。


 ソ連のプロパガンダで使うような何処を見ているのか分からない真っ直ぐな視線の男達が描かれたポスターに神崎が教祖のように神々しく描かれたポスターが部員募集のポスターとして部室の前に貼られているからだ。


 「神崎様、高野さんを連れて来ました」


 望田が告げると部室のドアが別の部員によって開いて望田と冴子は入る。


 冴子が部室に入るやドアの鍵が閉められる。冴子の警戒心は一気に駆け上がる。


 「高野裕子さん。貴方が何故呼ばれたか分かる?」


 部室の中央でソファに深々と座る神崎が冴子に尋ねる。


 部員達は冴子を囲むように立つ。


 「分からないわ」


 冴子はあえて韜晦する。


 「高野さん、いや高野!あんたは憲兵だって事は分かってるんだ!」


 神崎は立ち上がり豹変したように冴子へ告げる。


 「そうですか、バレましたか」


 冴子は軽く答える。


 「私達は広島の特高の捜査員はみんな知っている。憲兵だって分かるのよ!」


 (でも私の本名は分からないみたいね)


 「その証拠にあんたの本名は神楽坂冴子で大尉なんでしょ?違う?」


 本名と階級まで調べている事に冴子は驚愕した。


 「その通り。よく調べたわね」


 強気を維持しながら冴子は答える。


 「我々には頼もしい協力者が居るのよ。大学に潜入するモグラなんてすぐバレるわ」


 神崎は得意げに言う。


 「ところで、憲兵である私を捕まえてどうするの?」


 冴子が尋ねる。


 「すぐに大学を出て行って。私達にバレたら潜入の任務は失敗でしょ?」


 「確かにそうね」


 冴子は諦めの笑みを浮かべながら同意した。


 「神崎様、この憲兵は尋問するべきだとあの人が言っていましたよ」


 神崎の隣に立つ部員の痩せ男が神崎へ言った。


 「そうだったわ。ゾーヤさんが言っていたわね」


 「名前はマズイですよ神崎様」


 「あっしまった」


 神崎が不意に漏らした名前


 ゾーヤはやはり神崎一派の協力者だったのだ。


 (私の本名と階級を調べたのはゾーヤか。あのロシア人め)


 冴子がゾーヤへの増悪を増している時に周囲では長机を冴子の近くに動かして電子端末いわゆるパソコンであるを置いた。


 「では尋問を始めるわ。書記は記録をしっかり書くのよ」


 神崎は電子端末を操作する部員にそう指示を出す。


 「あなたは神楽坂冴子、憲兵隊の大尉ね」


 冴子は顔を逸らして黙る。


 「答えなさいよ!」


 神崎は怒鳴る。


 「神崎様に失礼だぞ!」


 「何とか言えよ!」


 部員達もヤジを飛ばす。


 「うるさい!あんた達のままごとに付き合えるか!」


 冴子は周囲へ怒鳴る。


 「ままごとだと・・・」


 「ままごとよ!革命をしたいの?内偵やっていて、あんた等が何をしたいのか分からない!捜査員を暴露する危ない橋を渡る割には目的が分からんぞ!あんた達!」


 言い返そうとする部員へ冴子は激しい剣幕で黙らせる。


 「神崎、何がしたい?搾取がどうのとか言っていたけど社会を変えるつもりなの?」


 「私は…」


 険しい顔の冴子に問われて神崎は委縮する。


 「おい!開けろ!後藤田だ!開けろ!」


 閉じられた部室のドアを激しく叩き大声で部室を開けろと求める男の声が響く。


 「後藤田さんが?」


 「マジか?」


 部員達は後藤田を知っているようだが動こうとしない。


 「あ、開けなさい」


 神崎は部員へ指示するとドアは開けられた。


 後藤田と言う男は冴子が大学構内に入る前に大塚に絡まれている所を助けた男だった。その後藤田の後ろには大塚が冴子へ笑みを見せて立っている。


 「神崎またこんな事をしているのか?こんな遊びはやめろと言っただろう?」


 後藤田は神崎の前まで歩きながら問い質す。


 「遊びじゃないわ!」


 神崎はそう答えるが涙目だ。


 「本当に危ない単語を避けた演説やっているのが遊びじゃなくて何だと言うんだ?」


 「それは…」


 神崎は押し黙る。


 「大丈夫?怪我は無い?」


 大塚が部室に入り冴子を気遣う。


 「あの後藤田と言う男を呼んだのは貴方?」


 「うん、こういう状況でなんとか出来そうなのは後藤田ぐらいだからさ」


 「後藤田って神崎やこの連中の何なの?」


 「神崎の元カレだよ。それとこの部の部長だった」


 冴子は後藤田と神崎・部員の関係性を理解した。


 「俺がこの部を辞めたのは部を過激化させたくなかったからだ。それがどうだ?特高の捜査員の暴露までやって、何がしたいんだ?」


 「そこまでやれば、あなたが戻って来ると思ったからよ」


 神崎は弱くなった気持ちを振り絞り言った。


 「俺が?」


 「あなたが入っている部活で市内で市民団体とデモやっているじゃない」


 「あれは社会正義の為だ。お前達のままごとと違う」


 どうやら後藤田はそれなりの主義者らしい。冴子は神崎の根っこが分かった。


 「お二人さん、お二人さん。いい?」


 冴子は手を叩きながら呼びかける。


 「君は特高の人か?」


 後藤田は遠慮気味に尋ねる。


 「憲兵です。まずは神崎さんがどうしたいか確認しましょう」


 後藤田は冴子が憲兵隊と分かっても及び腰の姿勢だ。


 「神崎さん。この部活は後藤田さんの復縁の為に行っているのですね?」


 「はい」


 冴子の問いに神崎ははっきりと答えた。部員達から「そんな…」と嘆きが漏れる。


 「神崎さんは後藤田さんと復縁できれば、部の解散または活動を以前の異文化研究や交流に戻しますね?」


 「はい」


 「では後藤田さんに尋ねます。神崎さんと復縁できますか?」


 冴子の問いに後藤田は沈黙する。


 「こんな私じゃ嫌いだよね」


 自嘲しながら神崎は顔を俯く。


 「神崎、俺は今のお前が嫌いだ」


 後藤田がそう言うと部室の空気が重くなる。


 「だが、前の少し前のお前が好きだった。何にでも興味を示してくれたお前が。だから前のお前に戻れるならお前を好きになれる」


 「本当?」


 「本当だ。思想に染まる前の頃に」


 「じゃあ、戻るわ。以前の私に」


 神崎の答えを聞くと後藤田は神崎へ右手を差し出す。神崎はその手をおずおずと握り返す。


 「行こう」


 「うん」


 後藤田に手を引かれて神崎は部室を出る。


 「神崎様が行かれてしまった…」


 「俺達の最高尊厳が消えてしまった…」


 残された部員達は嗚咽した。崇拝していた存在が連れ去られるように消えてしまったのだ。


 「憲兵さん。俺達はどうすれば?」


 望田が冴子に尋ねる。


 「自分で考えなさい」


 「でも、神崎様が消えてどうすればいいか分からない」


 望田は泣き顔で言った。


 「そこまで思う人なら一晩中泣きなさい。泣き尽くしたら何をしたいか分かるわ」


 冴子はそう言い残して大塚と部室を出た。


 「今のは実体験からのアドバイス?」


 大塚が茶化すように尋ねると「うるさい」と冴子は大塚の脇腹を肘で小突く。




 神崎は変わった。


 後藤田との復縁がなると化粧も薄くなり目元も穏やかになった。


 まるで憑き物が落ちたようだ。


 経過観察も含めて冴子はもう二週間内偵を続けた。


 憲兵だとバレていたが「見える監視者」として任務を続けていた。


 任務の続行で冴子が気になる存在がゾーヤだった。だがゾーヤは大学から姿を消し冴子が大学を去るまで再び姿を見る事は無かった。


 「とはいえ、彼氏が彼氏じゃ変わらんか」


 冴子が再び神崎を見かけたのは一カ月後の広島市内の相生通だ。外国人労働者の待遇改善を求めるデモの列に神崎は後藤田と共に居た。


 冴子は街頭警備に立つ中でその二人を見かけたのだ。


 一方で「文化革新研究会」は神崎を失いどうなったか?


 望田は一晩泣き明かした末に「文化革新研究会」を立て直した。とはいえ今度はアイドルとも称する芸能人を追いかける団体となった。


 望田は泣き明かした朝にテレビで見た新曲を出した十九歳の女性芸能人の報道を見てファンになったのがきっかけだった。


 望田は意気消沈する部員達にその芸能人の素晴らしさを広めてサークルを立て直す事に成功した。


 活動実績として出される会誌は芸能人のコンサートへ行った事やドラマや映画に出演した芸能人の考察を書いていたが、その会誌に芸能人の画像を無断で使い肖像権の問題を起こしている。


 「彼らも変わらんね。崇拝するものが必要なのか」


 追跡調査で知った望田らの変容に冴子はそう思い呆れた。


 「どうしました大尉?」


 本質は変わらない人間達に思いを馳せながら冴子は思いに耽っていた。それを見た三宅が変調かと尋ねた。


 「人間変わらないものねと思ったの」


 「はあ、大尉も変わらないでありますよ」


 冴子と三宅はそれで短く笑う。


 「何ですか二人だけで」


 冴子と三宅の様子に末松が仲間外れにされた思いになる。


 「さて、少尉はどんな所が変わらんかねえ」


 冴子は末松に対しておどける時に広島弁になる。


 「知りませんよ」


 「ほじゃ、今からじっくり観察じゃね」


 「それは最近じゃセクハラとかパワハラって言うらしいですよ」


 「少尉はその部分が変わらないですな」


 三宅が茶化すと三人とも笑う。

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