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僕の恋愛小説作品集

傘を忘れた僕を駅まで迎えに来た妻が、まさか僕の傘を忘れるとはな!

作者: Q輔

 離婚をしようと考えている。


 仕事を終え、いつもの満員電車のいつもの車両、いつもの左側の扉付近に立って、車窓に流れるいつもの景色を眺めていた。


 その時、曇天模様の空から、突然の雨。


 やばい。傘を忘れた。


 電車を下り、改札口を出て、駅前で立ち往生をする。いつの間にやら大雨だ。参ったな、こりゃ、しばらく止みそうにないぞ。


 ……まあ、いいか。何時までここで雨宿りをしていようが、誰を待たすわけじゃなし。誰にお咎めを受けるわけじゃなし。


 僕の家には、もう誰もいない。妻は、今日の昼のうちに荷物をまとめて実家に帰っている。


 安いアパートで同棲をして2年、そのまま入籍をして3年。この度の別居に至る決定的な原因は、特にない。ちょっとしたすれ違いの蓄積。意見の食い違いの集積。ボタンの掛け違いの累積。強いて言えば、そんなところだ。


 改札口を出た女子高生の集団が、キャーキャーと奇声を上げながら、びしょ濡れになって、駅の向かいにあるバーガーショップまで走る。道路のU字溝から雨水が溢れ返っている。タクシーが、激しい水しぶきを上げて、深い水溜まりの上を駆け抜ける。傘を斜め四十五度に構えた老人が、視界の悪い景色の果てに消えて行く。


――――


 ふと昔のことを思い出した。そう言えば、妻との結婚を決意した日も、こんな雨の日だった。同じこの駅前で、同じように傘を忘れて立ち往生をしていた僕を、妻が迎えに来たのだ。


「……助かったよ。このまま走って家まで帰ろうかと思ったところだ」


「……手間の掛かる人ね。今日は、夕方に雨が降るという予報だったでしょう。天気予報を見ていないの?」


「……すまん。それはともかく、これ以上雨が激しくなる前に、急いで帰ろう。さあ、僕の傘を下さいな」


「……あ、最悪。あなたの傘、忘れちゃった」


「ええええ!……いやいやいや、ないないない。ちょっと、マジであり得ないんですけど」


「……今すぐ近くのコンビニで買って来るね」


「傘代がもったいない。君の傘に入って一緒に帰るよ。しかしあれだね、相変わらず君は、しっかり者のようで肝心なところが抜けているね」


 どちらかというと無口で、そして歴然と不器用なタイプの男女が、大雨の中を、身を寄せ合い、相合傘で歩き出す。この時期僕たちは、何となく同棲を続けているうちに、結婚へと踏み切るタイミングを逃し、お互いに将来への不安を抱き始めている頃だった。でも、この日は相合傘の力も相まってか、アパートに着くまでの道すがら、珍しくお互いの気持ちを伝え合ったのだ。


「……僕と結婚して下さい」


「……はい。喜んで」


――――


 僕たちは、どこで間違えたのだろう。


 お互いが、空気のような存在になったのは、いつからだろう。


 そのくせ、まるで自分の所有物のように、相手が自分の思い通りにならないと、腹が立つのは何故だろう。


 社会人としての自分が、普段当たり前に出来る常識的な気遣いが、どうして妻にだけ出来ないのだろう。


 夫婦というだけで「ありがとう」や「ごめんね」に無頓着になるのは、何故だろう。


 手順書通りに組み立てれば、難なく完成するプラモデルを、わざと我流で組み立て、四苦八苦するのは、どうしてだろう。


 本当に、僕たちはどこで間違えたのだろう。そして惜しまれるのは、その間違いを、間違いのまま、何故今日まで放置してしまったのだろう。



 パラパラ漫画のような大雨を鑑賞しつつ、そんなことを思っていたら、見覚えのある人物が、降りしきる雨のページから飛び出すように、僕の前に現れた。


「……あれ、実家に帰ったんじゃないの?」


 妻だ。妻が傘をさして、激しく降る雨と、激しく行き交う群衆の中で、ぽつりと立っている。


「……忘れ物をしたのよ。夕方にアパートに戻ったら、ちょうど雨が降ってきた。あなたのことだから、どうせ傘を忘れていると思ってね」


「……助かったよ。このまま走って家まで帰ろうとかと思ったところだ」


「……手間の掛かる人ね。今日は、夕方に雨が降るという予報だったでしょう。天気予報を見ていないの?」


「……すまん。それはともかく、これ以上雨が激しくなる前に、急いで帰ろう。さあ、僕の傘を下さいな」


「……あ、最悪。あなたの傘、忘れちゃった」


「ええええ!……いやいやいや、ないないない。ちょっと、マジであり得ないんですけど」


「……今すぐ近くのコンビニで買って来るね」


「傘代がもったいない。君の傘に入って一緒に帰るよ。しかしあれだね、相変わらず君は、肝心な時にバシッと決めてくるね」


 そう言って僕は、はにかみ笑った。咄嗟に傘で自分の顔を隠した妻が、傘の向こうでどんな表情をしていたのかは、分からない。


 僕たちは、あの日のように、大雨の中を、身を寄せ合い、相合傘で歩き出す。


「……それにしても、激しい雨ね。まるで世間のように」


「……ははは。ほら、肩が濡れているよ。もっとこっちに寄りなよ」


「……ねえ、あなた。私、あなたに伝えたいことがあるの」


「……伝えたいこと?」


「……いろいろ、ありがとう。いろいろ、ごめん」


「……実は僕も、君に伝えたいことがあるんだ」


「……なあに?」




 雨に感謝を。




「……もう一度、やり直さないか」



「……はい。喜んで」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 読み終わって満足のため息。 そして感想を書こうと読み返してびっくり、めちゃくちゃ短い!そしてめちゃくちゃ計算されている! この短さでこの充実感、この余韻、お流石です。 …プラモデルの比喩…
[良い点] すごく簡潔にまとまっていて純粋にすごいと感じました。 [一言] まだ子どもな自分ですが、自分が大人になり「夫婦」という関係になったとき「ありがとう」や「ごめんね」ということを忘れずにしよう…
[良い点] 夫婦というだけで「ありがとう」や「ごめんね」に無頓着になるのは、何故だろう。 甘え、慣れ、対立を避ける為の無関心。 口では色々言えますが本当に「何故」なんだろうと(笑) [一言] どこか…
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