鬼里の問
店頭に並ぶ恵方巻きを冷ややかに眺める人であっても、節分会そのものを疑う人はまれでしょう。冷え込む時期の厄払いには科学的な根拠もありそうです。が、ルーツはともかく、その中身が今も同じだという保障はりません。世界がすでに鬼の手に落ちていたとすれば……
前略
これは書き置きというやつだ。オレはこの町を出ることにした。持ち物などはすべて処分したから、迷惑は掛けない。ただ、捜索願など出されると厄介だから、知らせておく。
事情についは、興味があったら、この後記しておいたから、目を通してくれればわかる。思い詰めたとか、やけになったとか、そういうことではない。オレはバカだが冷静だ。
いい歳をして何を考えてるんだ! そう思わないこともなかったが、残り時間が少なくなった。これ以上、ためらってはいられない。時間がないというのは歳のこともあるが、世の中の情勢が逼迫していることもある。間もなく今のパンデミックに勝るとも劣らない大波が来る。次々にやって来る。若い者だって生き残れる公算は高くないぞ。
しかし、その地獄のような事態も、あくまで現象だ。仕組みじゃない。もし仕組みが知りたくなったら、この後の少し長い文章を見てくれ。多少の参考にはなるだろう。
逆に云えば、不安や危険を感じていないなら、この後の部分は読む必要がない。平穏に暮らしている限り、読んでも理解できないと思う。この先は、得体の知れない恐怖を感じたとき、政府やマスコミの話が空々しく思えてきたときに、読んでくれればいい。
これを読むことにしたのか。
やはり大きな波に襲われたのだな? 被害が小さいことを祈る。しかし、安心はするな。大波は繰り返しやって来るから。
これから話すことは常識外れのことだ。いかに身内のお前とて、抵抗は大きいと思う。何とかうまく説明したいのだが、オレには、あったこと、尾もったことを順番に語ることしか出来ない。そこは我慢してつきあってくれ。
最初は、子どもの頃のことだ。節分祭、毎年、家族で行ったろ? 子どもにとっては露店で欲しいものを買ってもらうのが目当てだったが、着ぐるみの鬼に追い回されるのもおもしろかった。
ただ、当時の祭りには影もあった。下肢のない傷病軍人さんがアコーディオンを弾きながら募金を募っていたし、気の触れたような人が大声で叫んでたりもした。
「人は外ぉ~、鬼は内ぃ~」、そう叫んでいた爺さんのことを覚えているか?
大人たちは気がふれてるから近づくなと云ってが、ある時、その爺さんがこんなふうに云い返していたんだ。
「ワシは『キチガイ』さ。その通りだよ。じゃあ、お前さんたちは何だ? 鬼の支配に気づきもせずに、まあ、めでたいこった。ここは鬼の地、『キチナイ』なんだぞ!」
もちろん、意味なんかわからなかったさ。でも、なんとなくその言葉が頭に残ったんだ。鬼との縁は、その時から運命づけられていたのかも知れない。
それから、もう少し大きくなると、男子の間では「鬼ごっこ」が流行った。オレは足も遅くノロかったので、鬼になったら最後、日が暮れるまでずっと鬼をやらされた。
その時に、子どもながらに考えたよ。皆からハジかれてるのが鬼であるはずがない。「鬼ごっこ」を考えた者、人間に「鬼ごっこ」をやらせる者こそが本物の鬼だ!とな。本当の鬼は見えない、そのことに気づいたのは、それが最初だったかも知れない。
三つ目のエピソードは大学を中退して、旅に出た時のことだ。すでに実家を離れ大学の寮に移って、そこからの出発だったので、お前はあまり覚えていないかもしれない。
旅は約三年に渡った。ヒッピーの走りのようなものだった。
今と違って世界はまだまだ未知で、探せば素晴らしい場所がいくらでも見つかりそうだったし、ファンタジーの主人公さながらに、自分が生まれてきた意味を探して旅する者もたくさんいた。
世界の各地に、ニックネームで呼ばれる濃い宿があり、夢多き旅人を引き寄せていた。そこでは出会ったばかりの者たちが夜を徹して語り明かすことも、しばしばだった。
そんな夜、決まって持ち出される話題の一つが『鬼里の問』、つまり、「鬼の里」についての問題だった。
オレが町を出ることにしたのは、その『鬼里の問』が関係している。『鬼里の問』とは、こんな話だ。
あるところに双子の鬼がいた。
名を偽神と暗鬼と云った。
兄の偽神はとても頭が良く、人を襲うより騙すほうがずっと効率がいいことに気づいた。人々が一番信じやすいものは何かと考え、神のフリをすることにした。どうすれば、神のフリができるか?
最初は、こちらから声をかけて危険を報せてやるのだそうだ。むろん、姿は隠している。その危険が実際に起こると、その者は姿の見えない声に耳を傾けるようになる。次に、どうすれば願いが叶うかを教えてやる。声の云う通りにして願いが叶うと、その者はそれが神の声ではないかと思い始める。
それを繰り返せば、その者の思い込みは信仰へと昇華する。そうなると、今度は周囲の人にも奨めはじめる。要するに布教だな。
そうやって信仰者が増え、組織が生まれるとさまざまな儀式や宗教施設が作られ、親は小さな子にも拝み方を教える。祀りは里全体の祭りとなり、偽神の演じた神は、里の人たちの暮らしの一部、否、中心になる。兄の偽神はそうやって、まんまと神になりすました。
一方、弟の暗鬼は、腕力は勝っていたが兄のような才覚はなかった。そのため新奇なことはせず、鬼の伝統をそのまま受け継ぐことにした。人々を唆し、仲違いさせてから脅したり誘惑するのだ。人は弱い存在であり、仲間を失えば不安に駆られる。鬼はそのことをよく知っていた。
孤立した人は、不安に駆られて何かにすがろうとするが、ケンカ別れした仲間とよりを戻そうとはしない。といって、新しい相手との間に信頼関係が出来るには多くの共同作業が必要だ。時間も手間もかかる。そういう過程を経ずに、はじめてから打ち解けた様子で近づいてくる相手は警戒すべきなのだが、孤独になるとその余裕がない。鬼はそこにつけ込む。
暗鬼は孤独な人を見つけては、その持ち物を奪ったり手先にした。脅すことと褒めてやることを使い分けると、人も家畜のように従順になるそうだ。手下になった者は人でありながら鬼と同じようなことをやるので、その勢力はみるみる強大なものになった。
しかし、暗鬼は里の中には住まず、離れた山中に城を構えた。それが秘訣だ。里にいれば、やがて人々は耐えかねて反撃に出る。しかし、間隔を空けると気が緩む。今度こそ、もう来なくなるんじゃないかと淡い希望を抱くのだ。
暗鬼たちは、ふだんは山の城で享楽に耽り、欲しいものがあると里を襲って手に入れた。そのように賊のカモにされた村の話は世界各地にあるが、たいていは長くは続かない。民衆もついには決起する。
「鬼の里」だけが特別だったのは、兄の偽神が神になりすましていたからである。人々は暗鬼に立ち向かうより、偽神にすがることを選んだ。生け贄さえ捧げて、ひたすら祈ったのである。
もちろん、偽神が弟の暗鬼と戦うことはない。暗鬼の略奪や誘拐が終わるのを見計らって、追い払う真似をするだけだ。やらせもいいところなのだが、それが通用した。何故なら、人がたくさん犠牲になっていたからである。人々は、猿芝居で犠牲者が出たとは思いたくないので、どうしようもない運命だったと自らに云い聞かせるのだ。それこそ双子の鬼の思う壺だった。
とまあ、そんな物語なのだが、宿の座談では、物語の後に決まって次のような言葉が投げかけられる。
「『鬼の里』では、今も偽神を信じ、暗鬼の一味に襲われ続けているそうです。なんともやりきれない話ですが、その話が、こうして外の世界に伝わっているのは、脱出に成功した者がいたということです。もし、皆さんが、助けを求められたら、どうしますか?」
その話が『鬼里の問』と呼ばれるのは、その問いかけがあるからだ。その問いを巡って深夜まで、場合によっては夜通しディスカッションが行われた。
「鬼の里」が実在するかどうか、そこは問題にしない。「鬼の里」が存在するという前提で、自分ならどうするのかということを考えるのである。
当時、流行していたのは共産主義だった。特に、若者の間では人気が高かった。もしかしたら、この『鬼里の問』自体が共産主義の宣伝材料だったかもしれない。鬼と人の二項対立と考えれば、資本家と労働者の関係に置き換わるからな。すなちわ、団結して戦うべきだということだ。
実際、そうなった。共産主義にかぶれた者が活発に発言した。共産主義に懐疑的な者、自由主義者もいたが、彼らは「偽神」に手こずった。多少なりとも信仰があれば、偽の神問題は、かなり厄介なのだ。その点、共産主義は神を畏れないから、そこで大きな差がついた。
当時のオレはと云えば、何かにつけて批判的な気分が強かったが、自分の中に信念というものがなかった。いや、それ以前に、これが自分の生き方だ、というものがなかった。したがって、議論の場に臨んでも、ろくに発言することが出来ないで、もやもやだけを募らせることになった。
そして、この時の「もやもや」が、オレの内部に潜伏し続けたわけだ。今回のパンデミックで、過去に感染していたヘルペスが再発するという話があるが、オレの場合は、「もやもや」が再発した。こじつけではないぞ。
「もやもや」は、外からの圧力が強まるほど大きくなるんだ。知っての通り、納得しがたい説明や行動規制が再三再四出されたからな。
ただ、発症というのは、発熱するとか咳や鼻水が出るというようなことで、意志や行動ではない。ある人が「病気は気づきです」と教えてくれ、オレも目が覚めたが、症状を抑えることに意味はないのだ。病気によって自分を見直し、生き方や生活を改善することこそが求められている。
『鬼里の問』は、いわば「気づき」であり、次に話すエピソードに答えがあった。
四番目、これが最後のエピソードになるが、それは奇しくも『鬼里の問』のディスカッションをした翌朝のことだった。
その宿は、基本セルフで掃除も宿泊者が分担してやることになっていた。掃除の当番は二人で、オレの相方は、さえないおじさんだった。
尊敬できる人なら歳は関係ないが、みすぼらしい身なりで若者が集う安宿にうろうろしている中年など、軽蔑こそすれ憧れの対象になるわけがない。
しかし、それにもかかわらず、オレはその中年男の話を聞いてやることにした。寛容な態度をとることで、いわばマウントしようとしたわけだ。
「か、家族や仲間を信じられなくなって、ば、バラバラになったから、すべてが悪い方に流れて、た…… ば、婆さまはそう云ってた。婆さまは、ち、さ、い頃に、やっぱり、ば、さまからそう聞いた。だっ、だったら、もう一度、し、し、ん、じられる 家族や仲間をと、取り戻せば、い、い。ぼ、ボクの旅の目的は、そ、それ。
ど、どこに向かってる?
あ、あの山のむ、こ、う、ひ、人に会いに行く。あ、荒れ地? うん、そ、そうみたいだね。で、も、耕している人が、ふ、二人いるんだ。り……両腕がないひと と、もうひ、一人は、ち、力持ちだけど、め、目が見えない。で、でも、二人はとても仲が良くて、そ、それは生き生き、く、ら、し、てる」
ひどい吃音だった。脳神経に起因する言語障害だったかも知れない。今なら、かなり抑圧された生い立ちがあったのかとか、障碍を察することができるが、当時は……。いや、そういうことではないな。相手が自分より若ければ、当時も相手を思いやれたと思う。大人に対しての評価が異常に厳しかったのだ。
それはともかく、中年男の云ったことは少しもおかしくない。旅の動機がちゃんと述べられているし、それが昨夜の「鬼の里」の話の答えにもなっていた。そして、それ以上に、素晴らしい人たちを訪ね歩き、仲間を増やしていこうとする旅……そういう旅こそ、オレのやりたかったことだった。
掃除が終わった時、中年男は一緒に行かないか? と云ってくれた。いかにも一応、声をかけたという感じで、それも癪に障った。誘うなら、ちゃんと誘えよ、と思ったのだ。そういう発想自体が甘えなのだということも、その時にはわからなかった。
オレは男に同行せず、結局、その数ヶ月後に旅を終えた。何のことはない。疲れたからやめただけのだ。目的を達成するどころか、出発する時に何を求めていたのかも、とうに忘れていた。気づくことが出来なければ、目の前にお手本が現れても、どうにもならないのだ。
その後、三十代の半ばでオレは心を病んだ。一時は、日常生活もままならないほどの体たらくだった。ちょうど当時の中年男と同じ歳の頃だというのは、皮肉としか云いようがない。いや、因果応報か。
これは愚痴ではないぞ。自分が歩んだ人生に後悔はしていない。バカだったとは思うが、手を抜いた覚えはないからだ。ただ、後悔こそしていないが、あの時、中年男について行ってたら……と思うことは、何度もあった。
今回、ネットで検索したら、中年男が訪ねると云ってた人たちの古い記事が見つかったよ。男の云ってた通り、一人には両腕がなく、もう一人は目が見えなかった。しかし、二人は協力して荒れ地で生きていた。何より印象的だったのは二人の笑顔だった。
もしあの頃にそこを訪ねていれば、その後、どんな人生を歩むことになっていたか……。わかるはずもないが、病んだ人生とはかなり違っていたことは確かだ。後悔はないと云ったが、落差の大きさに目が眩んだ。
ここまでいえば、すでに話が見えていると思うが、『鬼里の問』と、中年男の話。その二つはセットだったのだ。天は、そこまで丁寧に道を示してくれていた。にもかかわらず、オレは気づかなかった。中年になってもなお気づかなかった。だから、病気を授かったのだ。
足かけ十五年に及ぶ医者通いを止めた時に、さっき云った「病気は、気づきです」という言葉をネットで見かけた。すでに中年とも云いにくい歳になっていた。
そんなわけで、ずいぶん時間はかかってしまったが、オレにも気づく時がやってきたというわけだ。今なら、『鬼里の問』に対しても自分の意見が云える気がする。「鬼の里」から逃げてきた者がいれば、こう云ってやる。
「鬼を倒して、里の人たちを救いたいという気持ちはよくわかります。
けれども、里の人たちは節分ともなれば豆撒きをするのでしょう? 鬼門にはお札を貼っているのでしょう? それで鬼が祓えるとか、鬼がやって来ないと信じている。酷い目に遭い続けているのに、少しもおかしいとは思わずに。テレビで悲惨なニュースを見ては、ここはまだ恵まれているほうだと思っているんです。
そんな人たちに何を云っても無駄です。
こう云ってはなんですが、テレビにはあなたよりずっと優秀で魅力的な人がたくさん出ています。そういう影響力の強い人たちが演じているお芝居に対して、作り話だ! といえばどうなると思います? 嫌われるに決まってます。いや、憎まれる。里の人たちは、変わることを望んでいないのです。望んでいない人たちに働きかけることは、迷惑なんです。
それに、あなたが思っている理想は、今のところ空想でしょ? 大した仕事もしていない、大勢の仲間もいない、そんな変わり者の空想を誰が真に受けますか? あなた自身が、まず自分の思いを具体化させることです。その気になれば、こんな素晴らしい里を作れるんだと証明して見せるのです。
せっかく『鬼の里』を抜けだすことが出来たんですから、あなたにはそのチャンスがある。外の世界を巡る旅に出て、理想を共有できる仲間を探すべきです。
理想の地があればそこに留まるのもよし。見つからなければ、旅で出会った仲間たちと新しい里を作るのです。それが素晴らしい里になり、その評判が広まれば、その時こそ、後に続く人たちがきっと出て来ます。鬼の里の人たちのためにも、あなた自身のためにも、それが一番だと思います……」
ここは笑ってくれていいところだぞ。それこそまさにオレに必要な言葉だった。一体どの口が云ってるんだという話だ。しかし、とにもかくにも気づいた以上、実行するしかない。だから、旅に出ることにしたのだ。
長くなって恐縮だが、話は以上だ。
初老のぼっちが、人恋しくなって旅に出た……、世間的には、単にそれだけのことだと思う。いや、今のご時世だと、認知症じゃないの? とか、徘徊なら警察に届けなきゃ! と云われてるかもしれないな。
認知症ではないと思っているが「キチガイ」ではあるかもしれない。子どもの頃、節分で爺さんが叫んでいた「鬼地外」だ。「鬼地」は「鬼の里」に重なる。
あの爺さんは、ここは鬼の支配する場所だと訴えていたのかも知れない。だとしたら、何か証拠でもつかんでいたのだろうか。それとも、単なる疎外感からの妄想か。
疎外感からの妄想というのは、変わり者にとっては現実だったりするから厄介だ。爺さんがあんなふうになったのは、もしかしたら、「鬼地」の中に留まったからかもしれない。鬼の世界だと気づいたにもかかわらず、そのまま居続ければ、それはきつかったろう。オレはあんなふうににはなりたくない。だったら、やはりここを出ていくしかない。
あて?
ないことはないぞ。こんな時代にあって、テレビを捨てたという村があるんだ。まずはそこを訪ねてみようと思う。
そこの人たちはテレビを捨ててから、自分の言葉で話せるようになったそうだ。そこの人は、こんなふうに語っていた。
「ぶつかって、気まずい思いをして、はじめて相手が自分と違うということがわかるんです。それはちょっとした違いではなく、掘れば掘るほど地下深くから違っていたりする。
しかも、一度ぶつかればそれでわかることでもなく、絶えずぶつかり続けていないと、すぐに相手のことを軽く考えてしまう。自分と同じだと思ってしまう。そこが間違いの元なんです。
共存するというのは、たえず、ぶつかって、たえず自分とは違う相手を意識し続けることだと思います」
テレビがないということは監視カメラもないということだ。こっちの世界では、監視や規則の強化で安全な社会を作ろうとしているが、そこでは手間暇をかけて信頼を育もうとしている。どちらが正しいのかは、基準によって変わる。トラブルを糧としつつ信頼を熟成しようという感覚と、ともかくトラブルは避けたいという感覚では、相当の隔たりがある。
最終的には、その溝も克服したいことだが、さしあたっては、それぞれが自分たちの思う社会を実現してみることだと思う。オレはここではなく、そっちの試みに身を投じたい。
さて、そろそろ時間だ。行くよ。
天は過ぎたるを許さないという。抗し難い難局も偽りの神の仕業であれば、きっと終わる時が来る。くれぐれも用心して、何とか生き抜いてくれ。では、その時まで!
書き上げてはみたものの、変わり者は出て行くしかないのかと。しばらくへこんでおりました。しかし、「このパンデミックで分断が進むと同時に、つながりも生まれている」との意見を見かけて、勇気づけられました。さまざまな規制で分断が進んでも、それぞれの特徴が鮮明になれば、かえって結びつきやすくなる。既存社会からの旅立ちには、そういうポジティブな面もある。
どちらに転ぶかは自分次第ですし、その勝負はずっと続きますけど。
お読みいただきありがとうございました。