ぬばたまのとりこ
「またいなくなったんだって」
「えー、こわーい!」
「でも黒髪ロングじゃなければ大丈夫みたいだよ」
「わたし髪切ろうかなー、これって微妙にロングだよね?」
教室内で一番声の大きい人たちが話している。スクールカーストで言えば上位の子達。完璧に整えられた前髪から長いまつ毛が覗いている。
校則で禁止されていないとはいえ堂々と化粧をしてくるのは高校生なのにどうなのかと思う。でも、あまりジロジロ見て絡まれるのも嫌なのですぐ目を逸らす。
チッっと舌打ちが聞こえたので隣を向くと井上くんはハッとした顔をしたあと赤面した。井上くんは目立たないけど勉強もきちんとしているしよく見ると顔も悪くない。
制服もきっちりと着ているし思春期の男の子にありがちな脂っぽい臭いもしないので隣の席に座る男子としてはかなりベストな方だと思う。
ふと、井上くんのセーターに長い髪の毛が付いていることに気づいた。
「井上くん、セーターに髪の毛ついてるよ」
「あっホントだ。教えてくれてありがとう」
こういう風にお礼を言えるところが親の躾が良いんだなと思う。最近、長い髪の毛の女子高生が三人行方不明になる事件が起きた。井上くんについていた髪の毛も長かったため気になって聞いてみた。
「井上くんって兄妹とかいるの?」
「兄弟はいないよ。ひとりっ子。植田さんは?」
「兄がいるよ。でもお姉ちゃんが良かったなー。井上くんのお母さんって髪の毛長い?」
「何?もしかして疑われてる?」
ちょっと怪訝そうな顔で井上くんは言う。
「そう言うことじゃなくて、最近起きてる事件、もちろん知ってるでしょ?被害者がみんな黒髪ロングっていうから気になっちゃって。長い髪の毛ついてたし」
「うーん、お袋はずっと髪短いよ。これはたまたま付いたんじゃないかな。俺、バス通学だから」
「そっかぁ、何か変なこと聞いてごめんね」
「良いよ。でも怖いよね。植田さんは髪の毛短いから大丈夫そうだけど」
「短い方が楽だしこういう事件起きてからは逆に良かったかなって思う。早く犯人捕まると良いね」
そうだねと言ってから井上くんは教科書とルーズリーフを机から取り出す。わたしもそろそろ先生が来るので支度を始めた。
「NATOに対抗するために1955年にワルシャワ条約機構が結成された。ワルシャワ条約機構の加盟国はソビエト連邦、チェコスロバキア社会主義共和国、ドイツ民主共和国、ルーマニア社会主義共和国、ハンガリー人民共和国、ブルガリア人民共和国、ポーランド人民共和国だ。テストに出るから暗記するように」と先生が言う。
東欧の歴史を覚えることで将来何の役に立つのかとかちょっと思うけどテストに出るなら覚えなきゃいけない。暗記は苦手だから世界史は好きじゃない、けどそもそも勉強自体好きじゃない。
放課後、自転車置き場でチェーンロックを外している時にクラスの声の大きい人たちがやって来たので嫌だなと思った。わたしはどう見てもボッチの陰キャなのでああいう派手な人たちは苦手なのだ。
「植田さんじゃん。植田さんの自転車高そうだね。マウンテンバイクってやつ?」
「えっ、あっロードバイクっていう速い自転車、です」
「ふーん、カッコいいね。ピカピカじゃん!それじゃあバイバーイ」
ひらひらと手を振って彼女たちは校門へと歩いていく。放課後だからか桃のような甘い香水の香りがした。
心臓がドキドキして冷や汗をかいた。ああいう人たちは軽い感じで話しかけてくる。内心馬鹿にしてるんだろうなとか考えて胃が痛くなる。
彼女たちにとってわたしに話しかけると言うのは施し、じゃないけどそれに近い感覚なんだと思う。
先程褒められたピカピカのロードバイクは私の宝物で、今年のお正月に今まで貯めてたお小遣いの三分の二を使って購入した。これのおかげで通学も速いし休みの日に出かけるのも快適だ。
どうせいつも一人行動なのでロードバイクはわたしにぴったりの移動手段で趣味である。お手入れをするのも楽しいし眺めてるだけでそのフォルムにうっとりする。盗難だけは怖いけど対策はきちんとしている。
女子高生誘拐事件、殺されてるんじゃないかとか殺人鬼に監禁されて少しずつ食べられてしまうとか世にも酷い拷問を受けるとか色々な噂が出ていて怖いけど何となく自分は対象にならないと思うから大丈夫な気がする。
自分だけはならない、どんな出来事でもそういう風に考える人は多いと思う。現にわたしもそうだ。
そう思っていてもあやしい人がいたら通報くらいはしなきゃな、とは考えている。被害者の家族は不安で堪らないはずだ。
しかし、そういう風に考えると誰も彼もがあやしく思えてきた。
あそこに立っているスーツのおじさんも、ジョギングしてるお兄さんもゲートボールしてるおじいさんを眺めてる孫らしき人も、わたしと同じ学校の制服を着ている男の子も実は誘拐犯なんじゃないかとか考えてしまう。
あの中の誰かの家には誘拐された髪の長い女の子たちが地下室に監禁されていて酷い目にあっているかもしれない。
どんなにすました顔をしていても頭の中で何を考えてるのかなんてわからない。
考えすぎちゃったなと思いつつ帰路を急ぐ。今日の夕ご飯は牛すじカレーだとメールが来てたのでウキウキだった。
高校入学当初は友達と食べて来たら?とか彼氏とか出来ないの?って聞いて来たお母さんだったけど最近は何も言わない。
バイトすらしていないわたしの行動範囲は学校と家と本屋と河原と公園とコンビニとスーパーくらいだ。服も平日は制服だし休日はお母さんが買って来たものを適当に着ている。
本は月三千円までと決めてるし高いものは図書館で借りる。だから自転車関連くらいしかお金は使っていない。もちろん交際費はゼロだ。
お母さんの牛すじカレーは圧力鍋で作っているから口の中でお肉がとろける。隠し味に赤ワインを入れているらしくちょっとお洒落な感じの味だ。
カレー味のものは大体何でも美味しいけどお母さんの牛すじカレーはその中でも上位だなと思う。
ご飯を食べてから新聞を読む。わたしは動画よりも文字の方が頭に入るタイプなので大体ネットニュースか新聞を読んでいる。
女子高生誘拐事件について大きい写真付きの記事が載っていた。内容は三人ともまだ見つかっておらず、同じ県内の隣接する市で起きているということ。
被害者はいずれも髪の長い女子高生であるという共通点について書かれていたが新聞の中には特にわたしが知らない新しい情報は無さそうだった。
ネットで調べると十年前に起きた誘拐事件との関連についても捜査中という記事を見つけた。わたしも今回の誘拐事件が起きてからずっと考えていた。十年前と共通点があると。
十年前の誘拐事件、わたしは被害者の子と知り合いだった。同じクラスの舞熊くんの妹のあかねちゃん。可愛らしい子で長いさらさらの黒髪に白いワンピースがよく似合っていた。
その日、舞熊くんの家で六人くらいで遊んでいた。広い家の森みたいな色のカーテンの下でかくれんぼをした。ひらひらしたカーテンを引っ張ったりして遊んでいて、あかねちゃんは疲れたのかそのまま眠ってしまった。窓から風が吹いてひらひらとカーテンが風にそよいでいた。
わたしたちが台所にお菓子を取りに行って戻ると、あかねちゃんはもうそこにはいなかった。
最初はあかねちゃんがどこかに隠れているんじゃないかと思ってみんなで探した。洗濯機の中まで探しても見つからなかったので舞熊くんのお母さんにそれを告げると真っ青な顔をして警察に連絡をした。
迷子だと伝えていたが事件や事故の可能性もあるので特異行方不明者として捜索をする事になった。
市内放送で呼びかけたり、警察やボランティアの人たちによる捜索がされた。舞熊くんのお母さんも迷子探しの張り紙や声かけなど色んなことをしていたが結局見つからず、あかねちゃんは行方不明のまま、犯人も未だ捕まっていない。
舞熊くんとはその後疎遠になってしまったけどまだ同じ市内に住んでいたはずだ。彼もきっと今回の事件であかねちゃんの時のことを思い出しているんじゃないかと思った。
次の日、バスから降りてくる井上くんを見かけた。彼は髪の長い会社員っぽい女の人と話していて、ああ、彼女いるんだなと思った。
自分が付き合えるとかそういう事ではなくて、隣の席の男の子が大人の女の人と付き合っているという現実にショックを受けた。
クラスにはカップルもいるけど井上くんに年上の恋人がいる事に衝撃を受けた。
あんまりジロジロ見ていて目が合っても気まずいのでロードバイクのギアを上げて通り過ぎた。
チラッと顔を見ると白いブラウスの似合う長い黒髪の優しそうな女の人だった。
わたしは少しだけあかねちゃんに似ているな、と思った。女子高生じゃないけど犯人の好みかもしれない。
駐輪場にロードバイクを停めてチェーンロックをかける。まだ余裕がある時間だったので裏庭のベンチで本を読む。最近はサスペンスとかミステリーが好きでそういうのばかり読んでいる。犯人が被害者を洗脳して殺し合いをさせたというなかなか怖い内容だった。
単行本は高いから文庫や新書ばかりだけど自室の本棚が埋まっていくのは嬉しい。クラスの子たちは本とか読まないからちょっとだけ特別みたいな感じもする。
もう井上くんは席についていて、授業の準備をしていた。さっきまで年上の女の人といたとは思えない落ち着きだった。いや、逆に落ち着いてるから大人の女の人と付き合えるのかもしれない。
井上くんの方を見て考えていると何?と言われて言葉に詰まってしまった。
「特になにも…」
「なら、良いけど。今日変じゃない?どうかした?」
「いや、別に…」
今の感じ悪かったかもと思ったけど井上くんは特に気にしていないみたいで良かった。
「居明かして、君を待たむ、ぬばたまの、我が黒髪に、霜は降るとも。ぬばたまというのはヒオウギの黒い実のことで主に夜や黒髪、黒の枕詞として使われる。この歌は朝まで寝ずにあなたを待ちます。私の黒髪に霜が降ろうともという意味で磐姫皇后が仁徳天皇を思って作られたと言われている。ぬばたまのというのは枕詞でよく使われるから覚えておくように」と先生が言う。覚える事ばかりで頭からポロポロ溢れそうだ。
そんなに待たれたら相手は逆にプレッシャーなんじゃないかと思うけど和歌だし恋愛ってそう言うものなのかもな。わたしにはまだ想像もつかないけど。
授業が終わって今日はなんとなく寄り道したくなったので行きつけの本屋でタイトルが気になる本を買った。駐輪場まで歩いているときにふとペットショップが目に止まった。
そういえば、私が子どもの頃からあるけど全然つぶれない。個人商店でもきっと馴染みのお客さんが多いんだろうな。
なんとなく店内に入ってみると結構狭いスペースに熱帯魚やカメ、ハムスターにウサギなどの小動物がいた。ペットショップというわりに犬猫がいないので餌とかそういうのがメインなのかなと思った。小動物特有のにおいがした。
平日とはいえガラガラの店内にはひょろっとしたエプロン姿のおじさんが店番をしていた。多分この人が店長なのだろう。
熱帯魚は青白い蛍光灯の下で尾をひらひらとさせながら泳いでいる。綺麗だけどちょっと不気味だ。こういう水槽って確か買うと高いらしい。ハムスターも久しぶりに見たが小さくてホワホワしていて可愛かった。毛がある動物の方が断然可愛い。
買う気もなくぶらっと入ったのでそろそろ出ようと出入り口の扉を押すと反対側から来た人にぶつかってしまった。
「あ、すみません!大丈夫ですか?」
「いえ、こっちも確認してなかったんで」
相手を見上げると同世代くらいの大柄の男の子だった。
「あれ?植田?」
「えっとぉ、そうですけど」
「俺だよ、俺俺」
目の前のオレオレ詐欺みたいになっている人はなんとなく見覚えがある気がする。昔の知り合いだろうか?
「舞熊。舞熊樹。小学校一緒だったろ?覚えてない?」
「あ!舞熊くん!久しぶりだね。なんか大きくなったから気付かなかったよ」
「確か十年ぶりくらいか?植田ってペット飼ってるの?」
「いや、なんとなく入っただけ。舞熊くんは?」
「俺も何となく。植田さ、今日ちょっと時間ある?久しぶりに話したいんだけど」
十年ぶりの同級生と話すことなんかあるのかと思いつつもわたしは舞熊くんの言葉に頷いた。
ファーストフード店でメロンソーダを頼んで席に着いた。舞熊くんは縦にも横にも大きくなって文字通り熊みたいだった。
「久しぶりなのに驚いたと思うけどちょっと聞きたいことがあって。さっきのペットショップ、なんとなくって言ってたけど普段は行ってない?」
「うん。初めて入ったよ」
「そうか。いや、あそこの店長なんか変なんだよ。あんまり良い噂を聞かない」
「えっ!そうなの?普通のおじさんだったけど」
「ここだけの話、俺は女子高生誘拐事件の犯人なんじゃないかと疑ってる」
「うそ、ていうか舞熊くんそんな事調べてるの?」
「ああ、なんか茜の事件に似てると思って調べ始めたらあのペットショップに長い髪の女の人が入って出てこないことが何度かあって見張ってるんだ」
「そっか。あんまり危ないことしないようにね」
「それで相談なんだが植田、あいつを調べるのを手伝ってくれないか?」
「えっ?嫌だよ。怖いし」
「危ないことはさせないから。頼む。なんでも良いから茜に繋がる事を知りたいんだ」
その必死な顔を見て、熊倉くんは十年前の事件をずっと忘れられないんだなと思った。当たり前だ。可愛がっていた妹さんがいなくなったんだから。
「わかった。でも危ないことはしない。やるかどうかは内容を聞いてから判断する」
「ありがとう。少ないけどお礼もする。ホントに助かる。」
舞熊くんから頼まれたのはペットショップの店長の気を逸らして欲しいというものだった。客が一人だと調べにくいらしい。できればトイレとか借りてくれるとベストだと言うので明日また行ってそうすることになった。
放課後、駅で待ち合わせたわたしたちはペットショップに向かった。舞熊くんは私服の高校らしくパーカーにジーンズで昨日よりかなりラフな感じだった。
わたしたちは店内に入ると魚やハムスターを見て、少し経ってから店長にトイレを借りたい旨を伝えると外のちょっとわかりにくいところだから案内すると言ったのでついて行った。
あんまりにもすんなり事が運んで内心ラッキーだなと思ったけど誘拐犯かも知れない人間と二人きりになるのは結構不安だった。舞熊くんが待ってるから大丈夫だとは思うけどちょっと心配だ。
トイレは店から一旦出て横の道を進んで行くと奥にプレハブ小屋があり、その中にあった。店長は終わったら鍵を閉めて戻ってきてねと言いながらペットショップの方へ歩き出した。わたしは事前の打ち合わせ通りに舞熊くんにワン切りして店長が戻ることを伝えた。
わたしが戻った後、舞熊くんは金魚の餌を買ってから一緒に店を出た。
「どうだった?」
「ビンゴかも知れない。店の奥に長い髪の毛らしきものが見えた」
「えっ!本当に?店長が犯人なの…?」
「今日の夜また見張ってみるつもりだ。植田はどうする?」
「気にはなるけど…。ちょっと考えても良い?」
「もちろん。無理にとは言わない。今日は手伝ってくれてホントにありがとう。助かった」
わたしは犯人の家に乗り込んだりするのが怖いし夜出かけることについてお母さんに何か言われるのも面倒だなと思った。舞熊くんの事を聞かれても何て説明すれば良いか分からないし。
そういえばこの間観た映画で熱帯魚屋の店主が死体を魚に食べさせるっていうのがあったなと思い出して寒気がした。
でも、気になって眠れなくなりそうだから防犯ブザーとカプサイシン入りのスプレーを持ってペットショップに行くことにした。
舞熊くんに連絡をするとペットショップの先にあるコンビニで待ち合わせをする事になった。少し寒いのでホットレモンを買ってちびちび飲みながら待つ。
舞熊くんは黒いジャージの上下で現れた。目立たないようにだと思う。わたしも黒い服を着てきたのでお互いを見た後笑い合った。
ペットショップから死角になる場所で張り込みをする。店長らしき人が出て行ったので裏口へ向かう。昼間トイレに行ったときに裏口があることに気づいたのだ。たまたま鍵がかかっていなかったのでわたしたちはそっと忍び込んだ。電気をつけないと結構暗いけどスマホのライトで照らしながら歩く。
小さなキッチン、リビングダイニングを通り抜けると和室があった。その部屋には大量のロングヘアのウィッグがあり悲鳴を上げそうになったところを舞熊くんに口を押さえられて事なきを得た。
「ごめん、でも叫ばれると困るから」
「いいよいいよ、むしろありがとう」
人間とかじゃなくて良かったけどこれはこれでなかなか怖い。この部屋からは店内が見えるので舞熊くんが昼間見た髪の毛はこれだったのだと思う。
「でも行方不明の子たちはいなかったね。犯人じゃないのかな…?」
「いや、他の場所に監禁してる可能性もある。最悪の場合殺されてるかも」
「それじゃあ、今日はもう帰る?店長戻ってくるかも知れないし…」
「そうだな」
わたしたちが来た道を戻ろうとしたところで電気がパッと点いてドタドタと足音がした。
「誰だ!警察を呼ぶぞ!」
そこにいたのは店長だった。でも、昼間と全然違う姿だった。どこからどう見ても女装だった。しかもあんまり綺麗じゃない。
多分、変態なんだと思う。長いストレートの黒髪のウィッグに派手なメイクの店長はとてもじゃないけど女性には見えなかった。
「お前、十年前と最近の誘拐事件の犯人なんだろ?」
「は?何言ってんの?私は女には興味ないし!」
「じゃあ何でそんな格好してんだよ?」
「綺麗になった自分が見たいだけだよ!誰にも迷惑かけてないだろ!?」
確かにな、とわたしは思った。店長は女装をしてるだけで誰にも迷惑をかけていない。どう考えても迷惑なのは人の家に忍び込んだわたしたちだ。
「なんか、すみません…」
「もう良いよ、警察には突き出さないから二度とここには近寄るなよ!」
店長は吐き捨てるように言ってからウィッグを外し、奥の部屋に消えて行った。
「早とちりで警察沙汰になるところだった。緊急で救助になるかもって思ってたから入ったけど普通に犯罪だよな…反省した」
「そうだね。店長が見逃してくれて良かったね…」
舞熊くんはしょんぼりしながら自転車を押していた。わたしたちは今日は解散することにした。さっきまでは自分たちが正しいと正義に酔っていたのに終わってみれば店長がたまたま見逃してくれただけでただの犯罪者だった。
「また、連絡して良いか?」
「うん。でも調査するとしても今度は慎重にいこう」
「そうだな、もう少し考えて行動しよう。お礼もしたいからまた連絡する」
「わかった。それじゃあまたね」
そういえば、こんな時間まで男の子といたのは初めてだなと思った。舞熊くんは格好良くはないけど優しいし強そうだ。頼りになるとかそう言う感じ。
自分が誰かを選ぶ方に回ったことなんて一回もないのにちょっと話したり関わったりした異性との恋愛を考えてしまう自分が浅はかで恥ずかしいと思った。
一週間後、舞熊くんから連絡があった。新しい情報はないけどお礼をしたいとの事だった。舞熊くんはやっぱり義理堅い人なんだなと思った。
待ち合わせ場所に行くと舞熊くんが手をあげて合図してくれた。今日は黒いダッフルコートを着ていて前よりも少し幼く見えた。
「待たせてごめんね」
「大丈夫。俺も今来たところ、ってなんかドラマみたいだな」
「確かに。ちょっと照れるね」
「そうだな」と言って舞熊くんははにかんだ。
舞熊くんが連れてきてくれたのは食べ放題のチェーン店だった。確かに、身体の大きい舞熊くんならこっちのが経済的かもなと思った。スイーツも結構種類があるので良さそうだ。
色んな料理を片っ端から山盛り取ってくる舞熊くんを見ながらチョコレートケーキを食べる。そこまで大食いではないけどこういうお店に来ると元を取りたくなるタイプなのでわたしにしてはたくさんのスイーツを取ってきた。
ドリンクバーもあるのでアイスコーヒーと牛乳を交互に飲んだり、カルピスのコーラ割りを作って飲んだ。所謂キューピットというやつだ。
舞熊くんは吸引力の変わらない掃除機くらい勢いよく食べた。気持ちの良い食べっぷりとはこういう事をいうんだなと思った。わたしなりにたくさん食べたけど彼の三分の一くらいしか食べられなかった。
「はー、満腹。これ以上入んない」
「俺はもうちょい食べようかな。元取りたいし」
「舞熊くん絶対元取れてるでしょ」と言うと舞熊くんはニヤッと笑ってから新しい料理を取りに行った。
舞熊くんがこれ、お詫びと言って鞄から茶封筒を取り出して渡してきた。多分お金が入ってるんだろうなと思ってそれを突き返した。
「お金が欲しくて手伝ったわけじゃないよ。確かにうちは裕福ではないけど舞熊くんからお金もらうのは違うなって思う」
「ごめん。危ない目にもあわせたからお詫びがこれくらいしか思いつかなくて…」
「今日の食べ放題奢ってくれれば充分だよ。ありがと」
「そしたら後三回くらい奢るよ。約束」
「わかった。約束ね」
「ありがとな。植田は明るいから元気付けられるわ。こっちが助けてもらってばっかりで申し訳ないけど」
「そんなことないよ。全然根暗だもん」
「そうか?昔から明るかっただろ。ムードメーカーっていうかそんな感じだった」
今は全然そんな事無いんだけどそんな事わざわざ言う必要もないよな、と思ってそれ以上言及するのはやめた。次の約束も嬉しいしなにか少しでも舞熊くんの役に立てたらなと思った。
月曜日は基本的に憂鬱だけど音楽室で受ける音楽の授業は好きだった。今日は15分の映像を観て感想文を書くというものだった。
黒人のヴァイオリニストがオーケストラを従えて演奏をしていてすごく格好良かった。この人は身体全体を使ってヴァイオリンを弾いているなと思った。先生はいつもわりと古い映像を流すから若い人のは珍しい。
「これは先生の親友で今度チャイコフスキー国際コンクールに出るんだ。彼はすごい音楽家なんだよ」
先生はニコニコとすごく嬉しそうに話す。普段クールな先生なのでよっぽど嬉しいんだろう。先生は今は高校の音楽教師だけど昔は有名なピアニストだったのかもしれない。
授業ではそこまで難しい曲は弾いてないけど有名なコンクールに出るようなすごい人が親友ってことは本気を出したらきっと上手いんだと思う。ピアノを弾く時の先生は真剣で格好良い。
わたしも先生の親友のヴァイオリニストの演奏が気に入ったので名前を覚えて家に帰ったらパソコンで観てみようと思った。
放課後、ロードバイクで家まで向かっている途中に井上くんを見つけた。髪の長い女性と一緒だった。でも、この前の人とは違って市内の女子校の制服を着ていた。
さらさらの黒髪。前の人と同じでどことなくあかねちゃんに似ていると思った。きっと井上くんのタイプはああいう女の子なんだろう。
この前の年上の人はどうなったのか気になったけど井上くんがたとえ十股してたとしてもわたしには関係ないことだ。
世の中には髪の長い女性が好きな人って結構多いんだな。舞熊くんもそうなんだろうか?乾かすのが楽だから短くしてたけど髪を伸ばせばわたしも少しは女らしく見えるかも知れない。
井上くんはそのまま駅とは反対方向に歩き出した。奇しくもわたしの家と同じ方面なので後を付いていくような形になった。追い抜いたらロードバイクの色が特殊だからわたしだと分かってしまうかも知れないと思うとどう行動するべきか迷ってしまった。
バス通学だけど井上くんの家もこの辺なのかも知れない。わたしはロードバイクで通っているからそんなに苦にならないけど、確かに学校までは結構遠い。
井上くんは微笑みながら女の子の手を引いて行った。あんまりクラスメイトのこういう場面を見たくはなかったけど仕方がない。二人が家の中に入るのを確認してから通り過ぎようとした所で女の子の悲鳴が聞こえた。
わたしはちょっと二秒くらい考えてから舞熊くんに電信柱の街区表示板の写真と表札の写真を送ってから電話をかけた。舞熊くんは電話には出なかったけど、緊急かも知れないのでわたしは井上くんの家に忍び込んだ。今週二回も不法侵入だなとか一瞬考えたけどやめた。これは人助けだ。
玄関には二人はいなかったので奥のリビングらしき部屋に進むと床に広がった長くて黒い髪の毛と女の子に馬乗りになった井上くんと目が合った。
井上くんは一瞬固まって目を見開いたあと真顔になった。それでもその手は女の子の首をぎゅうぎゅうと締め続けている。
「植田さん、なんでいるの?」
「えっと、悲鳴が聞こえて…」
「ここ、俺ん家だけど?」
「いや、そうじゃなくて何してるの?そんな事したらその子死んじゃうでしょ!」
「何言ってんの?殺すつもりでやってるんだから当たり前でしょ」
「何でそんなこと」
「はぁ、めんどくさ。まあ良いや。俺ね、髪の毛が欲しいんだよ。トリコフィリアってやつ。知ってる?」
「何言ってるの…?そんなのおかしいでしょ」
「うん、おかしいね。だから何?植田さんには関係なくない?」
「井上くんが誘拐事件の犯人なの…?」
「二人だけ。一人はホントに知らない。ただの家出なんじゃない?もうさ、一人殺したら二人も三人も変わんないから捕まるまでやってやろうと思って。植田さんも仕方ないから殺すよ。見られちゃったし、通報されても困るから。俺さ、髪短いのって好みじゃ無いんだよね。しかもパサパサだし。もっとケアすれば?ってもう手遅れか」と言って井上くんは笑った。教室で話している時と同じトーンだからこそ余計に恐怖を感じた。
「髪の毛が欲しいなら美容師とか、そういうの目指せば良かったじゃん」
「ああ、そういうのも良かったかもね。でも、どう転んでも俺はお終いなの。情状酌量の余地も無いでしょ?そんなの小学生にだって分かるよ」
「もしかして、十年前の事件も井上くんが犯人なの…?」
「あかねちゃんのこと?それも俺じゃないよ」
「あかねちゃんと知り合いだったの…?」
「そうだよ。っていうかあの時植田さんも居たじゃん。覚えてないか。俺さ、あかねちゃんの事好きだったんだ。初恋ってやつ。だから、居なくなったのすごくショックでさ。それから長い髪の毛の子を見るとどうしようもなく悲しくて、だけど惹かれるようになったんだ。黒くて長い髪の毛が、欲しいってね」
そう言ってから井上くんは女の子の首から手を離してわたしの方へ近付いてきた。体格差もあるから捕まったら終わりだろう。何でさっき警察を呼ばなかったんだろうと後悔した。
こんなところで死にたくない。嫌だ。誰か助けて。涙がぽろぽろと溢れていく。
じりじりと距離を詰められて、玄関の方に逃げようとしたけど右腕を掴まれてすごい力で引っ張られた。次の瞬間にはひっくり返って床に身体を打ちつけた。あまりに痛くて一瞬息が止まった。
わたしの上に井上くんが馬乗りになって首に手をかける。何の躊躇いも無く首を絞めてくるので息ができない。苦しくて涙がさらに溢れていく。
その時、バンッと音がして横に飛ばされるような衝撃を感じた。首から井上くんの手が離れて肺に新鮮な空気が入ってくる。横を見ると井上くんは舞熊くんに蹴られて床に倒れていた。
舞熊くんは靴を履いたまま井上くんの事を蹴り続けている。蹴られて、踏みつけられて井上くんは呻き声をあげる。
「やめてくれ、死にそうだ…」
「お前さあ、人を殺したのに自分は殺されないと思ったのか?そんなに虫の良い話はないだろ」
舞熊くんは井上くんの髪を掴んで目を見ながら言った後、顔を思い切り殴った。わたしは目の前で起こる苛烈な暴力に眩暈がした。
舞熊くんは明らかに暴力を振るう事に慣れすぎていた。さらに頭を床に打ちつけられて井上くんは気絶した。呼吸していたので彼が生きている事にホッとした。舞熊くんが人殺しにならなくて本当に良かった。
わたし自身も、死ななくて本当に良かった。ギリギリだったけど舞熊くんは助けてくれた。彼は、本物のヒーローみたいだった。
女の子はピクリとも動かず、明らかに助からなさそうだったけど舞熊くんは救急車とパトカーを呼んだ。わたしたちはそのまま事情聴取という事で警察署に移動した。わたしは初めてパトカーに乗ったな、とぼんやり思っていた。
わたしは刑事さんに今日の経緯を話した。そのあといくつか質問を受けてからお母さんが迎えに来た。髪を振り乱してわたしを抱きしめたお母さんは目を真っ赤にして泣いていた。本当に良かったと言われて、二人で抱き合って泣いた。
井上くんはどう見ても重傷だったので救急車で運ばれていったが、多分逮捕されて何らかの裁き受ける事になるだろう。未成年でも死刑になる場合もあると聞いた。
後から知った事だが井上くんは女子高生二人と自分の母親を殺して寝室に放置していたらしい。母親は死後一ヶ月ほど経過しており腐敗が進んでいたという。不動産オーナーという職業柄、運悪くまわりから確認される事が無かったらしい。
コーヒーチェーン店で舞熊くんが二人分のココアとミルクレープを買ってテーブルまで持って来てくれた。
「結局、茜のことは分からずじまいだったな」
「うん。役に立てなくてごめんね…」
「良いんだ。それに、植田と連絡を取ってたからギリギリで助けられて良かった。あの時は心配で生きた心地がしなかった」
「わたしもだよ。ああ、こんな所で人生終わるなんて嫌だって思った。あと、舞熊くんが井上くんの事ボコボコにしてる時ちょっと、いや、かなり怖かった。いつも優しいからギャップがすごくて…」
「必死だったんだ。手加減して返り討ちにあうの怖かったし。警察の人に過剰防衛だって言われたよ。防衛っていうか俺から攻撃したんだけど」
「でも、井上くん生きてたから良かったね。骨とかすごい折れてたらしいよ。舞熊くんやっぱり強いんだね。熊みたいだったもん」
「良く言われる。名前にも熊が入ってるし。でも、あんまり嬉しくないけどな」
「これで舞熊くんとも会う理由無くなっちゃったね」
「いや、まだ三回お礼が残ってるし、これからも植田と会いたい。ダメか?」
「ううん、全然駄目じゃない。わたしもそう思ってる」
舞熊くんはそうか、と言ってから笑った。つられてわたしも笑った。
きっとこの先もわたしは髪を伸ばす事は無いだろう。でも、出来る事なら、ぬばたまの長い黒髪を持つ女の子たちの魂がどうか安らかであって欲しいとわたしは心の中で小さく祈った。
サイコホラーを書くつもりがヒューマンドラマになっていました。とりことトリコフィリアをかけています。
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